ゆっくり行く者は遠くまで行く

子供の頃(小学校くらい)、自分のことを知るなんて考えた事もなかった。

なので大人たち、つまり親や祖母、祖父、親戚の叔母、叔父、学校の先生が私について言ったことをただ信じて、自分が何を感じているか気がつかないでいたようだ。

何か物を早く作ったり、早く書いたり、早くすぐ何かを実行することは得意ではなかった。何でものんびり始めて時間までに終わらせられない私のことをまわりの大人たちは「ノロマ」と呼んだ。「ノロマ」は日本語で「注意力がない」という意味もあるのでそれはあんまり聞こえが良くなかった。それで自分は何かを作ったり実行したりするのが苦手だと思い込んでいた。

そんなわけでか、何か物を作るのを諦めたり、完成する前にやめてしまったりした事が数えられないほどある。

 9~12歳のときにかぎ針編みと刺繍を小学校で習った。 

でも学校の授業中にプロジェクトを完了させられたのはほと殆ど出来なかった私。

それはまず、何を作るか、どんな色を使うか、どんな糸を使うか考える事から

始まって、やっと決まって始めた時には他のみんなはもう半分くらいやり終えていた感じ。だから遅すぎて、教室では全然完成できなかった。 

家で仕上げることもできたかもなんだけど、そうしなかった私。

なぜ?

それは私の実家にはアートや、クラフトをするような雰囲気がまったくなかったから。

何回か家で何かを作った事はある、でもそうすると、「面倒な事をしてるんだね。そんなの終わらせられないよ。」と言われたり、「なんでそんなに時間かけて作っているの?」と聞かれたりした。

もちろん、自分でも本当に作れるかどうかはわからなかったけど、一生懸命やってみたいという気持ちがあった。でも家族からサポートをもらえないとわかって家では何もしたくなってしまった。

だからと言って何かを作ってみたいという私の情熱は完全には失われたわけではなかった。ただゆっくり時間をかけてする気持ちになるには年月がかかった。簡単にできる編み物をしたり、陶芸やステンドグラス、そしてガーデンニングを少ししたり。

卵巣癌の病気になってマクロビオティックを始めた時、時間をかけて季節に合わせたお料理とわかって、これなら自分にもできると思った。丁寧に全粒穀物、玄米などを洗って電気釜でなくって陶器鍋かステンレスの鍋で時間をかけてゆっくり炊く。野菜をやさしく洗って気持ちを込めて切って料理するなど、私にはピッタリだった。たくさん勉強して学ぶ事が楽しかった。

そしてまた好きな織りもの、編み物、かぎ針編み、刺し子のプロジェクト、また、カリグラフィー、木彫り、天然染色(オーガニックの藍、ハーブ、花を使用)、天然染料のインク作り、モザイク、ステンドグラス、木版画、水彩画など、そして好きな薬草をガーデンで育てたり、味噌梅干し作り、ガーデンニングなど好きな事を仕事合間に楽しみ始めた。

 お庭の薬草、ビロードモウズイカ (グレートマーレインーアメリカではナバホ族愛用)

 

歳を重ねてスローライフを満喫しだして、仕事は好きな事をする合間にするようになって以前とは逆になった。

こうして好きな事を毎日少しでもしていると本当は子供の頃から時間をかけて作るものが好きだということに気づいた。ゆっくり時間をつかって丁寧に慎重に、そして気ままに時間に気を配ることを楽しんでいる自分を発見。

ゆっくりいく事が自分で一番居心地がいいとわかった。なので、今は注意力ある「ノロマ」でいいと思える。

 

7年前にWildfiber Studio のセーター クラブに参加してゆっくりたくさんのセーターやカーディガンのつ編み方を学んで編み上げられるようになった。

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誕生日の願いと贈りもの

郵便箱にバースデーカードが届いていた。
それはペパーダイン大学に通っていたとき(45年前)に知り合った長年の友人 J からだった。

カードには最近映画を一緒に見に行ったときの彼女の絵が描いてあった。
絵のシーン:
エリックが私たちのチケットを買おうとしてたら、チケットを売っていた人が私と友人に、私たちが62歳以上かどうか尋ねてきた。
彼女と私は同い年で、顔を見合わせて「エッ、私たちって何歳だっけ?」
私たちはその時、自分たちの年齢をすぐに思い出せなくって大笑いした。

元気に歳を重ねていくのはとても素晴らしいことだね。
私たちは普段、あまり自分たちが何歳になったか気にしないで楽しく暮らしているせいか、自分たちが何歳なのかさえ思い出せなかったのかも。
Jのような親友がいてとってもラッキーな私。

 

そういえば、昔(おそらく30年以上前)、歩道で友人の「J」と話していた時、年配女性が「美しさよりも年齢を!」と言いながら私たちの前を通っていくのを思い出した。
「美しさよりも年齢」というフレーズをこれまで聞いたことがなかったので、英語を専攻していたJにそれはどういう意味か聞いてみた。
はっきり覚えてないけど – 「年齢は若さや美しさよりも価値がある。」っていうような意味だった。その本当の意味は最近まで実感性がなかったけど、やっと私も若い人たちに歳を重ねる価値観を知らせる年齢になったような気がする。
歳を重ねる事はただ老いていくことだけではない。
もちろん現実に老化は肉体的に困難が増しあり、精神的には寂しい時、怖い時も増える。でもだからこそ自分の能力を最大限に発揮し、自己愛を持って毎日を生きることが不可欠かなと強く感じる。
そして歳を重ねる事で経験を通して賢い人間になっていると確信して、今の自分でいることが好きと言える。

 

今年の誕生日は何も特別な事はしなかった。
いつも通り、
ー犬と朝の散歩
ー新しいガーデニング用ジャンプスーツのパンツ丈を手縫い
ー水草のガーデニング
ー映画を見てネコ家族を抱っこ
ーエリックがバースデー夕食に連れて行ってくれた
ー最後は誰もいない風の強い夜の海へ行った (ルミちゃんの耳が風でダンボみたいになってる)
ーエリックと私の今後の計画を話した
ー手作り薬草のお風呂に入ってぐっすり眠った

気持ちは柔らかい素敵な波動を感じて自分が生まれてきたことに感謝できたことが1番だった。
こうしてゆっくり誕生日を過ごせた事は今の私にはパーフェクト。

この私がいくつかの辛い経験したことを知っている人もいるでしょう。
14歳のときに自殺を図り。
19歳に渡米。
29歳でアルコールなどをやめて継続中。
1993年になった卵巣がんから回復し、
2001年には自動車事故で瀕死の状態から生還し、4年の車椅子生活を経て歩行成功。
2017年には余命数週間と診断されたにも関わらずステージIVの非ホジキンリンパ腫がんから2019年回復し始めた。

私の誕生日の願いは、この人生を選択し、与えられた人生を全うしようと努力している「Sanae」自分自身を尊敬してあげること。
身体、心、精神、魂を大切にして健康を保っていく。

 

ギフトとしてはお花、カード、ボイスメッセージ、電子メール、メッセンジャー、そしてFacebookでたくさんのメッセージを受け取り。
長い間連絡を取っていなかった人からもメッセージや電子メールが届いた。
誰かが私を気にかけてくれているとわかると、温かい気持ちになるね。

ひとりの友人がお誕生日占いを送ってくれた。
2024年4月4日生まれのあなた:
さまざまな経験があなたの夢を超えて広がります。あなたの明るく燃えるような好奇心が、相互のつながりと団結にスポットライトを当てます。愛はあなたの思考を広げ、あなたのライフスタイルを輝かせます。あなたは過剰な責任から自分を解放し、ミニマリズムの原則があなたを明晰さと充実感へと導きます。乙女座と蠍座はあなたを愛しています。ラッキーナンバーは7、10、4、41、5です

これは今の私、特に昨年から私が努力して、なるべく自分を拘束しないでゆっくりできることだけをする事に一致してて嬉しかった。

 

それからマザーアースからのギフト :


ノースフォークでの雪(ノースフォークの友人が写真を送ってくれました)と夕食に出かけた時見えた虹。

 

私の誕生日に私の事を思ってくれたすべての人たちと出来事に感謝いっぱい。

私からの誕生日プレゼントは、何の心配、プレッシャーもなく、自由で気ままに過ごせた1日、まさにこれこそ最高に贅沢なバースデーギフト。

Love,
Sanae ❤️

P.S. このブログを書いた3日後、エリックがケーキを焼いて私のお気に入りのイチゴのショートケーキを少し遅れたけどバースデーのために作ってくれた!

見た目可愛いでしょ。
味はどうだったかって?
…「んーーーんーーー‼️
 
みんなにも味わってもらいたかったな〜。

 愛犬ハッピーの旅立ち後の悲しみを癒すセルフケア 

先週、5日間にわたる雨と風の嵐が続いた後、顔を出すのが待ちきれないような眩しい太陽の光とその光を反射した青空が降り注いでいた。

普段なら太陽の光と青空で爽快な気分になるけど私の心はまだ嵐が続いていて真っ暗だった。

いつも私の一番側にいてくれた愛犬孫、ハッピーが突然具合が悪くなって暴風雨の最終日に天国に旅立った。こうして書いているだけで胸が締めつけられる痛みを感じる。

気が抜けた空虚な気持ち。

まだ、ハッピーについてあんまり書けない。

今言えるのは…ハッピーは心が広くて、優しくて、寛容でひょうきんな私の愛犬孫娘だった。

彼女はいつも私の側にいて、私の影のような存在だった。

私が何かを取りにちょっと隣の部屋に行くだけでもついて来て、

私が見えないとウロウロして探してた。

今の私は影をなくした、幻のような感じ。

 

7日前に彼女が旅立った日、何をしたかはあんまり覚えてない。

ハッピーの最近の写真とビデオを見たけど、残念な事に、あんまりなかった。

ふたりで写したのは1枚(カバーの写真)だけだった。

ハッピーの母親のルミちゃんが14歳で健康上の問題を抱えていたため、ルミちゃんがハッピーよりも早く亡くなると思い込んでいたから、ルミちゃんの写真をたくさん写してた。

ハッピーが子犬の頃の写真も見たかったけど、まだ胸が詰まって見れなかった。

ハッピー(左)ルミ(ハッピーの母親)と私2024年の初日の出

 

長年にわたってアニマルコミュニケーション、動物行動学、栄養学、動物霊気などを勉強してきたのに、ハッピーの体調が悪いとは気づきかなかった。ショックだった。

亡くなってしまった今、罪悪感で押しつぶされそう。

ハッピーが亡くなった後、ハッピーを見つめることも近寄ることもできなかったハッピーの母親のルミちゃんがとてもかわいそうで見ていられないかった。

他の動物家族はみんな悲しそうな顔をしていたけど、近づいてお別れをした。

伝統的な仏壇「五基本」のお香、灯籠、お花、食べ物、お清めの水を供えるハッピーの祭壇を設置。

ハッピーの色はオレンジだったので、エリックと私は、まだ少し雨が降っていましたが、オレンジの花を買いに近くの花屋さんにカイちゃん(ハッピーの甥)と一緒に行った。

祭壇にろうそく、線香、おりん、水、彼女のお気に入りのオレンジのお花、大好きなブルベリーのクッキーなどを用意してあげた。

ろうそくやお線香に火をつけ、おりんを鳴らして祈った。

と言っても今、考えると何を祈ったかさえ覚えていない。

覚えているのは手を合わせた(合掌)ことだけ。

その後、ハッピーと一緒に聞いていた音楽をかけて たくさん、たくさん泣いてみんなで瞑想を1時間した。

何回も何回も犬猫家族と、エリックをハグした。

 

2日目は、あんなに降った雨が嘘のように、太陽は力強かった。

何もする気がない私は機械的に動いていた。

ハッピーの家族全員を見て、何も考えずにいつものように散歩に行った。

最初の散歩チームはハッピーのお母さんのルミちゃんとハッピーの甥のカイ君。

ハッピーはいつもルミちゃんとカイ君と一緒に歩いていたので、私の気持ちはそこになくて、心の奥底が麻痺していたのに、ハッピーが一緒に歩いているのを感じた。

家に帰ると、*CSC (癌サポートコミュニティ) の血液癌グループのメンバーから電話のボイスメッセージが入ってて、内容はZoom ミーティングに参加できないので、私が出席する場合はグループに知らせてほしいという事だった。 

*CSC (癌サポートコミュニティ) 血液癌グループ。

約 7 年前、私がステージ IV のリンパ腫がんになったときから参加しているグループ。

自分の経験をシェアーする場で他の人が血液のがんで身体的、精神的にどのような状況を経験しているかを聞き、治療法、病院、腫瘍専門医などについてのより多くの情報を得るのに役立つ。

Zoomだけど他の人たちと会うことにできるかどうかを決めないといけなかった。

長年の友人であるジョンが最後の化学療法を受けてからどうしているかも知りたかった。

皮肉なことに、ジョンは私がステージ IV のリンパ腫で化学療法を受けている時に病院にお見舞いに来てくれて、その 3 年後にジョンはリンパ腫を患い、彼を CSC の血液がんのサポートコミュニティに参加するよう招待し、彼は出席するようになった。

気が付いたらZoomミーティングが始まっていて、あっという間に時間が過ぎてた。

Zoomミーティングに参加したいという私の心からのメッセージを受け取り、

「Zoom接続」をクリックしました。

ミーティングに遅れて参加した場合、ミーティングの最後の方にシェアーする事になっていた。なのにこの日は私が参加した時に発言していた人が終わって、すぐファシリテーターの人が私に調子はどうですかと聞いて来た。

こんなに早く発言するとは予想していなかったので、何を言えばいいのか分からず、息が詰まった。

何を言うか一瞬少し考えて、

私は、「CSC のメンバーの 1 人が私にメッセージを伝えてほしいと電話のメッセージがあったので。それとジョンの様子を知りたかった…」と言った。

その後、私は泣き始めて、「ごめんなさい、今日は私らしくないんです…」と言って、

すぐ自分の言ったことを訂正して続けた、

「実際、今日のこの私も私です。」

私は深呼吸して続けた、

「私の愛犬孫娘、ハッピーが約24時間前に天国に逝ったんです。」

涙が溢れてきて止まらなくなった。

心がかきむくしられる痛むのを感じた。

胸が引き裂かれるようだった。

もう一度深呼吸をした。

「ハッピーが亡くなって悲しみと罪悪感を感じてる。彼女の母親であるルミが彼女より先に亡くなるかもと思って、この半年、ハッピーよりもルミのことばかり考えていたから。 ハッピーのニーズに合わせて正しいことをしてこなかったのかもしれない。」

「ごめんなさい、ハッピー!」

鼻をかんでからこう言った。

「私は心はとても痛み、津波のようなとてつもない悲しみが私の全身に押し寄せている。」

以前、愛する家族、友人、動物家族を含む誰かを亡くしたとき、その悲しみ、罪悪感などの感情をきちんと向き合っていなかったのかも、そのせいで免疫力が低下したのか、ガンを2回も患った事が頭に浮かんだ。

一つは父が亡くなった後、私が卵巣がんになったこと。

もう一つは、愛犬娘で私の介助犬だったクラが亡くなってから6か月後にステージIVのリンパ腫。頭の中が恐怖でいっぱいになった。

我に返ってCSC ミーティングでのシェアーを続け、

「過去に、強いつながりを持っていた人を失って、その人とやり残した気持ちや後悔があったためか、体力が低下し、免疫力が低下させていたせいか癌になったかも。また、健康を失うのではないかという不安があるので、私は悲しみに対処しセルフケアするために何を改善できるかを振り返る必要があると感じます。」と言った。

これを書きながらわかったのは、亡くなった人によって悲しみの形や色が違うこと。

母が亡くなったとき、私は悲しくて、もちろん悲しんでいましたが、母がどんな人であるかを受け入れ、母にとって私がどんな娘であったかを伝えるために、母とコミュニケーションを看病に2ヶ月日本に行った時したので亡くなった後、悲しかったけど平穏だった。

アメリカに住み始めて、16匹の動物の家族を天国に送ってきた。

動物を育てるのは簡単な仕事ではなくって、そして彼らが去ったとき辛くて、私は悲しみました。

でも彼らとのコミュニケーションして繋がりを持っていた動物家族とは、悲しみはサーフィンができる海の大きな波のようなもので溺れなかった。

父とクラが亡くなったとき、私はどうだったのか?

父が亡くなったとき:

父が亡くなる前、私は父と連絡を取ることができませんでした。

彼の健康状態が良くないことは知っていたので、彼が亡くなる1か月前に私は日本に行って父に会って妹と一緒に彼のお気に入りのレストランに行ったりして楽しく過ごした。

でもアメリカに帰国するために出発前に空港で父に電話しましたが、応答がなく、折り返し電話がなかった。彼の秘書は、父が仕事で出張中なので後で連絡すると言っていたが、連絡はなかった。

3週間後に危篤の電話を受け、翌日日本に会いに行った時にはすでに意識がなく、8時間後に息を引き取った。

私は母の手伝いや父の会社の対応のため、1年に7回も日本に戻った。

極度のストレスのため、私には悲しむ余地はなかった。

過労で倒れそうに何回かなった。

翌年、最初の夫が離婚を申請し、路上で保護して育ててあげてた犬の一匹が亡くなり、その後、離婚でお金を失い、マンションを差し押さえされた。

父親が亡くなる前に​​意思疎通ができず、体力の限界を使って日本に何回も行った後、最初の夫の信頼を失った悲しみ、路上で保護した愛犬の一匹が亡くなり心はどん底だった。私は健康を失い始め、卵巣がんになたんだと思った。

介助犬だった愛犬娘、クラが亡くなった時:

エリック(現在の夫)と私はクラちゃんが病気になった時、レストランのシード・キッチンの経営を救おうとしていた。大家と不動産屋は全く助けをもらえなくて、私たちは賃貸契約を失い、不動産業者が私たちを訴えて来た。クラが亡くなった後、私たちはレストランを閉めることになったが、大家さんが裏切って他の人にシード・キッチンを売る手配をしていた。

なので当時、エリックと私はレストランの事でよく言い争いをして疲れ切っていた。

私はレストランの顧客と従業員、生徒やクライアントに対応することに集中していた。

適切に悲しんだり、ゆっくり休んだりする時間はなかった。

レストランを閉めてからエリックと私は、レストランを閉店した後の借金の修復だけだった。

そして、半年後、私はステージIVのリンパ腫になった。

CSCのファシリテーターは私に、「どうすればこの悲しみから病気や癌にならないようにすればいいのでしょうか?」と尋ねました。

この悲しみの問題を考えて対処するのは私にとってポイントだ。

健全な悲しみとは、痛みに向き合い、それに対処すること。

それは簡単な仕事ではなく、近道はない。

2016年にクラが亡くなったときに、私が悲しみについて書いたブログ「悼しむ

」を読んでみた。

https://sanaesuzuki.com/2016/08/09/kula-golden-retriever-life-with-her-cancer-part-4/?lang=ja

これを読んで、当時クラちゃんを亡くして、私たちの夢のひとつだったレストランをも失くした辛い時期だったんだって思い出した。

そしてエリックとの夫婦関係に日々が入ってしまってそれを修理してたとわかった。

だから自分が悲しんでいるのがわかるまでには時間がかかっていたようだ。

私たちはみんな、自分自身の中に弱いつながりを持っている。

自分の最も弱い部分は、誰かを失ったとき、そしてその誰かが私にとって大切であり、その人との繋がりを快く理解しないで受け入れることができなかったことで、それが悲しみにつながり、免疫力を消耗し、健康を失っていたようだ。

今回は、ハッピーちゃんを亡くした悲しみをこうして受け入れられる気持ちと時間がある。

「*ペット・ロス・サポートグループ」とつながり、癒しの日記を書き始めることで悲しみを解放し始めてる。

*ペット・ロス・サポートグループ(アメリカの英語のグループ)

https://www.lapoflove.com/our-services/pet-loss-support

 

私の一番弱い部分に直面して、それを私の強みに変える必要がある。

必要なときは泣く。

罪悪感、後悔、非難、恐怖、怒り、そして、特に私自信を許すつながりに取り組んでいる。

痛みを和らげる – 私の気持ちをサポートし、優しく言葉をかけてくれる人々と話す。

書くことは私にとって癒しのツールの一つなので、自分がどのように「セルフケア」を行っているかについて書く。

散歩、アートとガーデニングをいつものように続ける。

悲しみのための薬草茶、バッチフラワーレメディ、温灸、霊気、マッサージ、薬草アロマのお風呂。セルフケアーはまだまだたくさんある。

 

エリックと一緒に、正面の庭にグレビレア・スパーブ低木植物(オレンジがハッピーの色だったオレンジ色の花が咲き、ハッピーは低木植物が大好き)を植えてみた。

ハッピーが亡くなってからは、ハッピーとはあんまりコミュニケーションができていなかったけど、グレビレア・スパーブを植えている間、ハッピーの声が聞こえてきて、

「マミー、すごく綺麗なお花だね。オレンジ色が大好き!」

「手術をしないと決めて、私が生まれた家から天国に行けるように、私を心臓専門医から家に連れて帰ってきてくれて嬉しかったよ。」

ハッピーが心臓専門医からおうちに戻る時

 

「心臓専門医から戻ってからもう少し時間があればよかったとマミーは思っているのはわかるよ。私も同じだよ。でも私の心臓は強くなかったんだ。」

「マミーがしてくれたことすべてに本当に感謝しているよ。

マミーは私の全てで、マミーと一緒に生きている事が幸せだったんだよ。私はとっても幸せな犬孫だったよ。

マミーが毎日私に喜びと愛を与えてくれたから喜びと愛を広めることを学んだんだよ。 」

「マミーがみんなを癒す方法を教えてくれたんだよ。」

「また一緒に過ごせるように、マミーはこれからも健康に気をつけて長生きしてね。」

「今、私もまだ天国に行かなくっちゃいけなかった事にショックを受けてる。

マミーがショックを受けて、罪悪感を感じていることはわかるよ。

でもマミー、私が旅立つ時の顔を見てくれたでしょ。私は痛みなく幸せに出発したんだよ。いつもマミーが私は美しいっと言ってくれてたまま逝ったよ​​。」

ハッピーが天国に逝った直後

 

「マミーとパパはとてもよく私の面倒と世話してくれたね。」

「本当にありがとう!」

「次に会うとき、またそこに戻るか天国でか必ずまた会えるよ。」

「話は変わるけど、もう気づているようだけど、私はルミ母犬の体を使ってマミー達に会いに行ってるんだ。」

「マミーが『ルミは、ハッピーと同じように、私たちの助けなしでも起きて、どこへ行くにもついてきている』と言っていたのを聞いたよ。 (ルミは関節炎を患っており、自力で起き上がることがあまりできない)

「ルミはハッピーみたいにいびきをかかずにぐっすり眠っている」(ルミは眠っている間ずっといびきをかいている))、「ルミは何か食べたいときにハッピーのようによだれを垂らして待っている」 (ルミはよだれを垂らしたことは今までなかった)

そうだよ、マミー、私はルミ母犬の体の中であなたと一緒にいるよ。

私がどれだけマミーと一緒にいたいと思っているかがわかるよね!」

「大好きなブルベリーのクッキー、フレッシュなお水、キャンドルやお線香、そしてきれいなオレンジ色の花束をありがとう!

私は永遠にマミーの愛犬孫娘で、とても祝福され、愛されてるってわかるよ!」

ハッピーの涙を感じた。

 

私は空を見上げて彼女の魂を抱きしめた!

そして彼女にこう言いました。

「ハッピー~アリガトウ!

ハッピーは私とみんなに喜び、愛、幸せを与えてくれる素晴らしいお仕事をしてくれたね。

ハッピーが私の人生に来てくれてとても嬉しい。

いつもそばにいてくれてありがとう!

また会えるまで。。。」

ハッピーからコミュニケーションが来てとっても嬉しい、感謝。

私の心の準備ができたら、ハッピーの人生に敬意を表して、彼女の犬生物語を写真とともに書きたい。ハッピーに敬意を表してメモリアルをしたい。

今日はハッピーの*初七日なので、私なりに法要してあげたい。
*初七日

これは故人(故犬)が「死出の山」と呼ばれる長さ3200kmの険しい山を越えてから
三途の川に辿く日(三途の川は幅が4000km もある大きな川) です 。
故人(故犬)が生前してきたことでこの河が激流、急流か緩流になるとか。
故人(故犬)の家族や友人は無事に渡れることを法要する日だそうです。

この事は以前ブログに少し書きました。

https://sanaesuzuki.com/2016/08/09/kula-golden-retriever-life-with-her-cancer-part-4/?lang=ja

ありがとう、ハッピー!

Love,

Sanae ❤️

新年の目標 – インク作り


1月は新年のゴールを書く時にしている。
もう30年ほど、元旦に初日の出を拝み行っているが実際は旧暦で年間計画を立てているので、二月の旧正月までの間、新年をどのように過ごすかを意識して過ごす。
頭に浮かんだ事、思った事、感じた事を書き始める1月は、新年の気持ちを確かめるのに最適。

毎年こうして自分の目標を書いていると、自分の気持ちの中でやりたい事と実現できる事を書く習慣は好きだと気づいた。
昨年書いたものを確認し、どれが実現できたか、どれができなかったかを確認する。
達成できなかった目標があれば、それを素直な気持ちをもって見つめ、今年も同じ目標に向かって努力するかどうかを考える。
時々、興味や感情が変わって続かなくなることがある。それはそれで物事と自分の変化を受け入れ、その事に対して批判しないことが私にとって良い経験になっている。

 

2024年の目標の一つは、マイワ染織学校のワークショップを受けて、天然素材を使った「インクの作り方を学ぶ」こと。

なぜ私がこのワークショップを今年の目標にしようと思ったのか?
実はある事があって幼稚園を変校、新しく通い始めた幼稚園の園長さんの弟さんが有名な書道の先生で、その先生について5歳から「書道」を始めた。
初めは墨を硯にする事と紙の上に落書き。

 

墨を水と混ぜて手で硯にすって作り墨液がなぜか好きだった。
墨をすっていると時間が経つのも忘れてしまい、先生が時々様子を見に来て「筆を墨につける準備はできたか?」と言われた。

幼くっても私は禅状態にあったのかも、ハハハ!
墨の香りと墨が硯を擦る音にゆったりさせられていたのかも。
真夜中より暗い真っ黒な墨液もすりかたで作れたかし、夜明けの色、灰色に近い墨液色もあった。
墨をする手の動きや気持ちによって墨の色が変わった。
ゆっくりと手を動かしながら、墨をすることが、内気な幼い”さなえ”に自信を与え、心を落ち着かせるのにも役立っていた。

美術館の『書道展』に出品するよう先生に勧められて、数々の賞を受賞してた頃もあった。

お友達に頼まれた書道。

 

それから小学生の頃に父が万年筆を使っていることに気づき、万年筆に惹かれ、13歳の時に初めて万年筆を買ったのを覚えている。
緑のインクを見つけて、故郷の名古屋の深夜ラジオ番組「あまちんの若者リクエスト」に葉書でコメントとリクエスト曲を毎週送った。
電話でも曲のリクエストはできたけど、たくさんの人がかけていたから、いつもつながらない事がほとんどで、葉書を送る手段をとって、学校の勉強よりもこの葉書を書くことに夢中になっていた。
緑色の万年筆を使っていたのでペンネームは「グリーンパフ」。

ほとんどの人はボールペンで葉書を書いて送っていた。万年筆とカラーインク、特に緑色で葉書を送っている人は誰もいなかったので、DJ のアマちんが大体毎週私のカードを選んで、私のお好みの曲をかけてくれていた、もう忘れかけていた甘い酸っぱい思い出。

 

2001年に臨死体験をした車の事故で大怪我をして歩けなくなって、エヴィーさんという人のお陰でサンタモニカカレッジのエメリタス校でペンカリグラフィーのクラスを受講することになった(この話はここに英語で書いてある)。
日本の書道とは違うけど、準備して用意して書く姿勢は似ていると思う。心を落ち着かせ、雰囲気が静寂になる。
私がペンカリグラフィーの練習をしている間、うちの犬猫家族たちはみんなリラックス。

私のペンカリグラフィー練習ノートからのリンディスファーンの福音と絵。

 

ずっとペンカリグラフィーを続けていて、数年前に学校のアートショーに自分の俳句をペンカリグラフィーで書いて水彩画の版画と作品にして出品できて昔の事を思い出した。身体障害があってもまたこうしてアート展に出展できた事、嬉しかった。

アートショーに出展した、俳句とカリグラフィー、版画アート

 

ステージ IV の非ホジキンリンパ腫がんで余命1ヶ月もないと診断された後、治療のために 6 サイクルの化学療法を受けた後、2019年の春、東京のカキモリのインクスタンドでインクの色を混ぜて以来、いつか自分で「インク」を作ってみたかった。

 

 

インクスタンドにはたくさんの色を作成/混合するため10 色の基本色があって私は1 つ自分の色を作ることに魅了された。
天然の染料材料を使ってインクを原液から作る方法はないのか、ということにも興味を持っていたのでマイワ染織学校で「インク作りワークショップ」があると知ってワクワクした。

また美術展用に新しいカリグラフィーアートを自分のオリジナルインクカラーで作成ができたらいいなと思い、
このワークショップを2024年の目標の一つにした。


ワークショップは7週間あって、始まったばかり。
最初の週はイントロとモジュール 1 で、インクを作るために準備する必要のある材料や消耗品を学ぶ。
ガラス製品が大好きな私は、材料リストにガラス・ビーカー、フラスコ、シリンダーなどが含まれているのを見て、感激。
雨水を利用してインクの原液も作れる事がわかったのも嬉しい。
タイミング良く、ここ数日雨が降っていたので雨水の用意もできた。

今朝降った雨粒

 

今週末、アラビアガム原液とセラック原液を作るための材料などをすべて入手。
この手前のガラスの容器は化学の授業で使った物のみたいでしょ?

 


アラビアガム原液を作るのは、アーモンド・ミルク・ラテ作りぽく、あんまり時間もかからなかった。
シェラック原液は最初にキャラメルシロップを作っているようで、講師のティムさんが「作るのに1時間かかる」と言ってたけど、私はシェラックを溶かすための湯煎のお湯の量が少なかったようで2時間くらいかかった。 これは次回作る時の参考になった。
何にしても、ゆっくり楽しい日曜の午後の時間を過ごしながら完成。

初めて作ったリサイクルボトルに入れた、アラビアガム原液とシェラック原液。

 

考えていたよりもはるかに刺激的なワークショップで自分のオリジナルカラーインクを作るのが楽しみ〜。


少しづつ、インスタグラムやフェイスブックにもっと写真を投稿して、またブログにも書きたいな。

 

Love,

Sanae ❤️

初日の出拝礼2024年(令和6年)


同じ事を継続するのが得意じゃなくって、やっている事を中断して、途中で他の事をしてしまうところが小さい時からある。
母から’あんたは、飽き性’とも言われたが、
でも途中で中断してもそれを完全にやめてしまうのではなく、また後からやり始めると言う結構厄介な性格で、それで母には理解できなかったかも。


歳をとってまた、やり始めて終わらせられるようになった事が増えている、と言ってもこの年になって、ずっと続けられている事はたくさんないけど。。。
16歳で初めて買ったTシャツ、
40年前に長崎で買った初めてのコバルトブルーの一輪さしなど、大切にしている、
アルコールを飲むのをやめてもうすぐ39年、
エリックと知り合って33年、
マクロビオティックを始めて31年、
初日の出を見に行くようになって30年、
そして、このブログを書くようになって9年。
こうして書いてみると私にしては、結構継続できているもの思ったよりあるな〜。

初日の出を見に行くことは、私にとって精神的なつながりがあって続けているようだ。
今年は曇りで初日の出が見られるかわからないとお天気予報では言ってたので、5時に起きて行くしっかりした心がまえはなかった。
でも、眠くもなく5時に起きてボディースクラブして準備した。

昨年は、関節炎で足の調子が良くなくて初日の出を見に行けなかった犬娘のルミちゃん(この1月に14歳になるゴールデンレトリバー)は私と反対で今年は行くぞって大晦日から待機しているように見えた。
そのルミちゃんを見て、自分に「行くぞ」っていう強い気持ちがなくってもなんとなく行くっていうのもありかなって穏やかな気持ちがもてた。

今この瞬間にも世界中でさまざまなことが起こっている世界に私たちは住んでる。
私たちが選択しなくても、日々報道される戦争、悲しいこと、恐ろしいこと、そして様々な犯罪。
大切なことは、そんな中で、もっとはっきりと物事を感じられない自分でもいいんだ、と受け入れ、自分にとって本当に大切なものに焦点を当て、自分の感情が曖昧なときは、それをありのままに観察して理解してあげらええるようになる。ハッキリしたものが感じられない自分がいてもいいじゃないかなと受け入れられた。

 


曇っていたけど、雨は降っていなかった。
山に着いて車を止めて懐中電灯を持って暗い道を少しずつ歩いて行くとまだ夜が明けきっていないサンタモニカの灯街がハッキリ見えた。これならきっと初日の出が見られるって確信。


ルミちゃんの関節炎は良くなって来ているけど、ゆっくりペースで歩いているので結構いつもの頂上に着くまでに時間がかかって、着いたら、もう初日の出の傾向で山の後ろは真っ赤になっていて、私たちを興奮させた。

今年は、エリックとルミちゃんの他には、ルミちゃんの娘のハッピー、そして犬息子のカイちゃん、そしてカイちゃんの息子のラニちゃんも一緒に初日の出を見に行くことにした。
それから私のガーデンのお手伝いをしてくれているエンジェル君と彼のお友達でオーガニックファームで働いているエミーさんが一緒に参加。



大きな雲がかかっていたが、ちょうど、雲の切れ目が山と初日の出が見えるところにあって鮮やかなオレンジ色が見えた。


毎年、私たちのように初日の出を見に来る人たちがいて、他の人たちも少しづつ来始めていた。
その中の一人が、「あなたは毎年ここで初日の出を見に来てますよね?」って私に話しかけて来た。
「はい。」と答えると、「やっぱり。レストランを経営してますよね?」と言われたので、「もうレストランは閉めました。」と私が言うと、「それは残念。」と言うので、即座に私は「全然、残念ではありません。レストランを閉めてもっと時間が出来たし、ストレスも減り、毎日を楽しんでます。」と言った。
すると、「そうですよね。私もビジネスしてますが閉めようかと思ってる。」と言う答えが返って来た。
そしてその後、「以前ここであなたに会って、初日の出の写真を送ってもらったんですよ。」と彼女は続けた、「その写真は私の一番大好きな写真で今でもスクリーンセーバーに使っています。送ってくれてありがとう!」

私は、大学時代、コミュニケーションとフォトジャーナリズムを勉強してた。写真撮るの好きで以前はニコンやキャノンのカメラをよく持ち歩いていた。なのでよくいろんな人に写真を送って欲しいと言われて送っていた事があった。その人の事は覚えていなかったけど、その人は私が大きなカメラを持っていた事を覚えていて、私が忘れかけていた事を大切にしてくれている人がいるんだとわかって嬉しかった。

そうしているうちに初日の出は昇って来て、
雲で初日の出予定時間の6時59分にほんの少しだけしか見えなかったけ、7時3分に素晴らしいビームを見せてくれた。

深い気持ちで*初日の出を拝礼。東西南北の神に2024年(令和6年)の豊作、無病息災と平和を祈った。

*初日の出を拝む習慣というのは、明治以降盛んになったと言われていまが、最初は、「四方拝」といって、天皇陛下が元旦の朝速く起きて身を清め、天地・四方・山稜を拝礼する東西南北の神に豊作と無病息災を祈ることから始まり、平安時代頃に公家から庶民に広まりました。それが更に初日の出を拝むという習慣に変わっていったそうです。

 

ビームは強くなった。

ビームが穏やかになった。

ロスアンジェルスのダウンタウン後景は真橙色。

 

山を下りる途中でルミちゃんが立ち止まったので、エリックは急な坂道でルミちゃんが歩きにくと思って抱っこしてあげた。ルミちゃんは「下山するのに時間がかかったけど、自分で歩けたよ。」と言いながら、「でも、エリックパパの愛に感謝してるよ。」とも言って感謝いっぱいだった。

 

 

お家の戻ってお正月のお雑煮を食べてながら、

 

なんとなく、行った初日の出だったけど、今年も素晴らしい日の出が見られて、こうして健康で初日の出を拝礼できた事、心から感謝。

新年、明けましておめでとうございます。

有り難うございます。

Love,
Sanae❤️

 

2023年(令和5年)を振り返って

 

もうすぐ2023年が終わります(日本はもう終わってる)。

水星逆行が12月13日から始まっていたのを知ってますか?(今年4回目)。水星逆行が起こるとがいろんな事があって、普段の生活にも影響を及ぼすといわれている。たとえば…

  • コミュニケーションがうまくいかない。
  • 交通機関が滞る。
  • ネット関係の繋がりが悪い。
  • うっかりミスが増える。

   など。。。。

それでなのか私の静かな生活にたくさんのことが起った。

愛犬のナルちゃんと私が路地を歩いているときに近所の犬に襲われ、救急病院に行った(大した事がなく怪我は10日くらいで治った)。

パソコン(Appleラップトップ)がクラッシュして、サンタモニカのAppleストアーに2回行って、その後サンタモニカのコンピューターテクニシャンと話すために電話したら、インドに住んでいるAppleのオペレーターと30分以上話してやっとつながった。

エリックのバンが故障し、エリックと私は口論、UPS の荷物が間違った場所に配達、誰かが私の American Express カードを使用、

そして昨日はブログを投稿するための Web サイトのダッシュボードにアクセスできなかった。ウェブサイトを直してもらえるよう電話1時間、修正に72時間くらいかかると言われた。

正直、少し疲れて落ち込んじゃった。

なので瞑想をエリックとして好きな映画をネットフリックスで見て寝た。

今朝、気持ちを取り直してウェブサイト見てみたらが、もう修正されてたので、気持ちを取り戻して今、書いていたのをここにポストしますね。

ちなみに水星逆行2024年1月1日まで。

 

私は牡羊座で今回の水星逆行のレッスンはこう書いてあった。

牡羊座さん、壁が迫ってきていると感じたら、横に目を向けて別の場所につながる開口部を見つける必要があるかもしれません。創造的でありながら忍耐強い思考と、いざという時の機敏な行動が前進の鍵となります。感情的な圧倒に注意し、それをすべて呼吸して乗り越えてください。

本題:

…昨夜(12月29日)、私が住んでいるサンタモニカでは大雨が降っていた。雨音で目が覚めた真夜中、今朝はどうなるだろうと考えていましたが、その後、元気そうな太陽が顔を見せてくれた。

夜中に降った雨、そして朝日によって香る「ペトリコール」という雨の匂いが大好き。

「ペトリコール」がこの一年について書くモチベーションを与えてくれたみたい。

九星気占星術によると、今年2023年は私は冬ー水の位置にいた季節。それは冬眠の時期。

過去数年の冬季、2014年、2005年、1996年には冬眠をしなかった私。勇気を持って冬眠をする事を決めた。

冬眠期間中、水に浮くように予定を決めて、仕事も減やし、外出も減はして、教えるクラスなども減らした。

 


家にいて自分との時間を大切に過ごした。


野菜、ネイティブ植物、薬草を育て、水彩画、カリグラフィー、自然染色布地アートを作成し、セーターを 何枚か編み、新しい本のドラフトを書き始めた。


また、自分の内面の問題を理解したく、9月からユング心理学のクラスをズームで受講している。
スローペースな人生を楽しむコツを学び始めた。

大きな旅行は姪の結婚式のために日本に行っただけ。
またいつかその事をブログに書きたいと思ってたけどまだ書けてない。


冬眠状態と孤独感にイライラすることもあった。
春が近づいていることはわかっているので、春が来るのを待ち遠しい。

 

2023 年は、ステージ IV のリンパ腫癌のため赤い悪魔と呼ばれている化学療法を受けてから重要なゴール「5」年が経過した年。(1年が初めのゴール、次が3年、そして最後のゴールが5年でもう同じ癌が再発しない事を確認する)
私の腫瘍内科医であるミード医師は、2017年以来私に重篤な合併症が見られず、化学療法後5年の目標を達成した後、服用しているのは骨密度低下のため、骨粗鬆症用の薬以外一切服用していないことを検診の時に喜んでくれた。


ミード医師に、自分のステージ IV のリンパ腫がん回復物語を書いている事を伝え、できたら序文を書いてくれるよう頼んだら。私が本を書き終えたら、書いてくれる事を同意してくれた。嬉しかった!

だから本当ならもっと書いて今年は書き終えたかったのに、まだ第 1 章の冒頭とすべての章の仮タイトルを書いただけ。
書き終えるまでには長い時間がかかりる、でも十分にできなかったと自分を誇張するのはやめて、自分のペースで終わらせ、自分の心と繋がっていくことが大切。

 

自分の長所だけでなくと短所にも感謝できるようになった。
健康と夫、一緒に住んでいる動物家族、そして友人や家族という贈り物に感謝。

 

2024 年があなたと私たちの健康、幸福、そして愛をもたらしますように。
新しい年のスローペースな生活を築いていけるのが楽しみ〜。

Love,
Sanae❤️