愛する犬娘ルミへの賛辞

大好きな犬娘のルミちゃん(ルミネール・オロ・スズキ)は、2025年5月18日午前9時45分に虹の橋を渡るために天命。

ゴールデンレトリバーで15歳半。
本当に長生きしてくれました。
お疲れ様でした、ルミちゃん!

ミラクルガールで産まれてきた、とっても元気なルミちゃんは、人生を精一杯生き、私たちにたくさんの愛と勇気を教えてくれた。

以前もルミちゃんのことをブログに2回書きました。彼女に捧げました。

ゴールデンレトリバー: ルミちゃんの輪廻転生

ミラクル・奇跡

 

ルミちゃんは昨年12月6日午後3時9分に心臓発作を起こした。

3時間くらい普通に呼吸が出来なかったのでその間、もうお別れかとヒヤヒヤだった。でも、何とかきちんと呼吸ができるようになって、翌日から食事もできるようになった。
ルミちゃんの生きようとする力はすごい。
でも、ただその後、大好きだったお散歩には行けなくなってしまったルミちゃん。
文句も言わないで、出来ることに幸せを感じて生きてた。


クルスマスの日にビーチに連れて行ってあげたら、ゆっくり砂浜を歩いてとっても嬉しそうだった。

 

 

ルミちゃんは今年1月19日に15歳の誕生日を迎え、ルミちゃんが大好きでいつも可愛がってくれていた隣人の友達の家を訪れ、エリックが作ったブルーベリーパンケーキをバースデーケーキとして食べてとっても嬉しそうだった。今回は以前より長く生きられたことを実感してたルミちゃん。

 

その後、2月23日頃に肺の問題が発生。それからは本当に毎日をゆっくり過ごし、ほとんどの時間をマナカニ(ルミの娘ハッピーが亡くなった後に来た1歳の女の子)と一緒に過ごし、よく食べてよく寝てた。

 

ルミちゃんはきっちり屋さんだったので、毎朝の日課をやりたがり、寝返りが自分で出来ないと吠えて私たちに知らせて、反対側を向いたり、起き上がって外に出て自分でトイレに行ったりしていました。

 

その後、温かいビワの葉を浸したお湯で身体中マッサージして、手作り重曹入り海塩歯磨き粉をで歯茎と歯磨き。

それから、ハーブとホメオパシーの薬、そしてルミちゃんの好きな蓮のクリームを使ったレメディティー、手作りの朝食(『Healthy Happy Pooch』のレシピから)。関節炎で腫れていた前肘には、豆腐とビワの葉で手作りした湿布を貼ってあげてました。

 

 

 

朝の日課が終わると、ルミちゃんは家の裏のデッキが日陰なので行きたがった。一段段があて通気性の良い涼しい屋外ベッドが大好きだった。そこで空や木々、リス、フクロネズミ、鳥たちの動きを眺めたり居眠りをした。あらゆる匂いや音が聞こえたから、時折ルミちゃんはエキサイトしてる声も出した。ルミちゃんは自分で寝返りしたりして自分の体制を調整してた。彼女は最後まで勇敢な自立心があった子だった。

 

 アメリカに移住してから、18匹の動物家族(犬13匹と猫5匹)を虹の橋に送てあげたので(それと日本にいた頃は犬をもう3匹)、悲しみは楽になる?
ノー!

その悲しみはまるで海の波のように、時にはとても穏やかな波ですが、時には泳げないほど激しく、溺れてしまいそうなほどの大波になってやって来る。
波の圧力に押し流され、水面に浮かび上がることができない。息ができないような気持ち。目の前が真っ暗。

 

5月18日午前9時、私が刺し子のワークショップを教えるために家を出た後、ルミは息を引き取りました。

ワークショップが始まる約5分前、エリックから電話があり、ルミちゃんが逝ったと伝えられた。

私が家を出てから、ルミちゃんを抱いて、隣に横たわっていたんだよエリックは言いました。彼はルミちゃんの心臓の下に手を当てていたので、ルミちゃんの鼓動を感じ羅れていたけど、ある瞬間、ルミちゃんの鼓動が止まったように感じ、ルミちゃんの顔をじっと見つめていると言って、彼が泣いているのがわかった。
「ルミは大きく息を二度して、僕の腕の中で安らかにいっちゃったんだよ。」

この時がいつか来るとは知っていたけど、立っていられない程の悲しみでどうしたらいいか分からなくなった。どこかに隠れたくなって、お手洗いにまず行って気持ちを落ち着けて、なんとかワークショップを教え終えたけど、あんまりその後の事を何も覚えていない。

 

家を出る前にルミちゃんには、もし私がいない間にルミちゃんが逝かなくちゃいけないなら私を待つ必要はないよって話していた。それはルミちゃんは私が一緒にいる間は逝けないような気がしてたから。ルミちゃんがいなくなってしまうのは寂しいけど、たくさんの時間をルミちゃんと一緒に過ごしたから、彼女の思い出とルミちゃんの家族と一緒に生きていける。ルミちゃんのように精一杯生きていかないと。

 

ブログ 「ゴールデンレトリバー: ルミちゃんの輪廻転生」に書いたように、

ルミちゃんは私の生きているこの今世紀の間に4回も私のもとに戻ってきてくれた。

前回の3回は全て若い時(4ヶ月、1歳、4歳)に交通事故で亡くなったので、今回戻ってきた時は、ルミちゃんは必ず本充実した長い犬生を送りたいと願ってた。
なので私は、ルミちゃんが健康で長寿できる犬生を生きられるように、お手伝いすると誓いました。
そして、ルミちゃんは今回、長生きして願いを全うしました!

 

 

ルミちゃんは奇跡の女の子犬で、人生を精一杯生きてくれました。ありのままの自分でいること、たくさんの愛情を注いでくれること、気楽に過ごすこと、そして毎日を素晴らしいものにする方法を教えてくれました。

彼女はサンタモニカの我が家で、私の最初の介助犬キンちゃんの娘だったオロちゃんの末っ子犬として生まれました。あの瞬間は今でも昨日のことのように覚えています。

 

ルミちゃんは生まれたとき呼吸をしていなかった。母親犬のオロちゃんは彼女を舐め続けました。そして私が口から呼吸してCPRもしてルミちゃんは初めて呼吸をしました。
ルミちゃんは奇跡の女の子犬​​。
ルミちゃんは強い意志の持ち主で、小柄な体格にもかかわらず、大人になった時の体重はわずか15kgしかありませんでした(平均ゴールデンレトリバーの体重は最低27kg~30kg)。

 

ルミちゃんを、兄弟のブブと母親のオロと一緒に、マクロビオティックなヴィーガンフード(ヘルシーハッピーポーチ)で育ちました。そして、ルミの娘のハッピーが仲間入りしました。
ルミちゃんは食いしん坊で、私があげるものは何でも食べました。
ルミのお気に入りは生のブロッコリー(特に茎を薄く切ってあげると
クランチーで美味しかったようです)、カリフラワー、そしてカリカリのおやつとしてニンジン。また、茹でたインゲン豆、小豆、テンペ、カボチャ、サツマイモ、ピザクラストも大好きだったな〜。
うちはたくさん犬がいるのでいつも2つのチームに分けてみんなと散歩。ルミちゃんは最初のチームに連れて行ってあげないと、吠えて泣き続きてました。
まうからです。そうルミちゃんはエキサイトし子だったんです。一旦散歩に出かけると、満足して裏庭のデッキの上でリッラクス。
ルミちゃんは娘のハッピーにとって最高のお母さんでお兄ちゃんのブブ君にとっても良い妹だった。

 

 

前生まれてきた時は「ドレ」という名前っだったルミちゃん。その頃もは元々エリックの犬娘だったにもかかわらず、ルミちゃんはいつも私のそばにいてくれたので、私も彼女のそばにいてあげました。
私たちは自転車に乗ったり、ハイキング、水泳、スタンドアップパドルボード(SUP)など、色々なことをしたのを思い出せる。


             

特にルミちゃんが年をとって、関節炎で歩くのが難しくなってからは、私はできる限り彼女と一緒にいてあげました。家の中では、私がどこへ行くにもついてきて、例えば、リビングルームから仕事机のある部屋へ移動すると、彼女は起き上がって私のところに来ました。起き上がれない時は、声をだして助けを求めました。起き上がるのを助けてあげると、私のいる部屋までゆっくりと自分で歩いてきました。そして、大きないびきをかきながら眠ってました。
今、これを書いている今も、仕事机の横に彼女がいるように見えて、声も聞こえます。

ああ、ルミちゃん…抱っこしてあげたい。

                                                                                         

彼女が亡くなった後、クライアントの一人が入院していたため、一週間ずっと仕事をしてた。それと2つ刺し子のワークショップも予定されたので、ルミちゃんの死を悼む時間はすぐ取れなかった。
その間、胸が張り裂けるような思いが続いてた。
何も感じられず、やる気が出なかった。
ルミの死を否定したかったし、ルミがまだ私のそばにいると感じたかったのかも。

 

ルミちゃんを偲んで何かをするのは避けたかった。でも長い年月、ルミちゃんと一緒に生きていたからそれは無理な事だった。

ジャーナルを辛い時に感情を解放するために書いてる。
でも、今回2週間ルミちゃんのことを書くことができなかった。その間「刺し子を教える喜び」をブログを書いて投稿。これはルミちゃんのことを考えないようにするための手段だった。

何かお腹に詰まっているような感じ。それを体から追い出そうと深呼吸を何度もしても何かが引っかかっているような感じがしてそれは出てこない。
ため息、ため息、そしてまた、ため息…

 

朝、起きて1日を始める時が一番虚しい。
毎朝、ルミちゃんにマッサージをし、ビワ湿布をし、レメディドリンクを用意し、歯磨きをし、毛をブッラシング、手作りの食事(ヘルシーハッピープーチの本からのレシピ)とレメディをあげてた。

今、目が覚めると、まるで目的を見失ったような寂しさ。

生きがいを感じない!

 

ルミが亡くなって10日が経ち、ようやく数日休みが取れて、だんだんと落ち込んでいった。

その朝、目が覚めるとルミちゃんの声が聞こえた。
何もできずに時間が過ぎていった。
初めて丸一日を自分の時間で過ごせた日。
ルミちゃんに触れて、むしょうに会いたくなった。
ただ何かを見つめていたけれど、何も見てない状態。

ふと目を下に向けてみると、ルミちゃんが一年中、昼間寝転んでいた床を見ていた。

ルミちゃんはベッドを4つも持っていた。
ルミちゃんがいなくなってから、誰もそのベッドを使いたがらない。

ルミと毎日ほとんどの時間をそのベッドで過ごしていたマカニも、使わないでとても悲しんでいる。

マカニ以外の他の犬猫家族もみんな、ルミちゃんがいなくなって悲しんでいるのが、わかる。
ルミちゃんは家族のリーダーで、みんな彼女を尊敬してたから。

ルミちゃんの犬生の最後の数日間、みんなは彼女にスペースを上げて、
あまり近くに来ないで、静かにしてた。

私はこの人生でたくさんの犬猫の家族に恵まれ、とても幸運だと思う。
ルミちゃんが逝ってから今、うちには動物家族の犬4匹と猫2匹がいる。

まだ他の動物の家族が側にいるから、悲しみは和らぐのでしょうか?
悲しみが深くないとかはよく分かりませんが、残された動物家族は確かに私を支えてくれてます。

私が泣くと、みんなが私のところにひとりづつにやって来て、頬をなめてくれたり、ハグしてくれたり、悲しい声を出して一緒に泣いてくれる子もいます。
なのでこの子たちのお陰で落ち込んでもなんとかまた、悲しみに穴から這い上がってこれるのかも。

一つ確かなのは、それぞれの動物家族が、私の心のそれぞれ違う部分に触れ、私をより良い人間にしてくれてること。

動物家族は私にとって、本当に大切な存在。
この子達がいなかったら、どうやってこんなに平穏で幸せな人生を送ることができたのか、想像もつかない。

悲しみをテーマにした内容は、以前にも何度かブログで書きました。

下記はその中の2つ。

悼しむ

愛犬ハッピーの旅立ち後の悲しみを癒すセルフケア 

 

今回は3つ以上のレベル段階分けした内容を書いてみました。
1。チャレンジ

ー この段階では、喪失という現実と、悲しみ、怒り、混乱、さらには罪悪感といった、そこから生じる困難な感情に立ち向かう、”チャレンジ”。
ー 喪失とその影響を受け入れようとする中で、感情的かつ精神的な葛藤に直面する時期。
ー 悲しみは自然な反応であり、悲しんだり、怒ったり、混乱したり、無感覚になったりするのは当然のことなので、自分の感情を抑圧しない。

自分の気持ちを抑圧しているわけではないし、悲しみを経験するのは初めてじゃないけど、どう感じたらいいのか分からないと言うか、分かりたくないと言うのが本音かな。
まるでいろんな形の雲が私に近づいてくるように、その雲を見て私が感じるものがいつも変化していく。この雲が雨雲になって土砂降りの雨に濡れたくないと言う気持ちが出たら、この場から逃げ出したい気持ちもあれば、その雨に濡れて走ったり、ただ歩いたり、ただ立っていたり。気持ちはその瞬間、瞬間に変わるのをそのまま見れるようになってあげたい。

ー 必要な時には泣く:泣くことは感情を解放する健康的な方法です。
私は悲しい気持ちを涙で解き放つために、悲しい映画を観る必要がある時もあります。

癒やしには時間がかかり、良い日も悪い日もあるから、自分には優しくそして辛抱強く接することが必要。

辛抱強く、忍耐強く生きていくことが私の人生の鍵だと信じてる。でも、私の感情は浮き沈みが激しく、いつ悲しんでいるのかさえ分からないこともある。
まるで海の波のように、無限に変化していく。

2。変化:
ー 悲しみは、人生をどのように経験し、世界をどのように捉え、他者とどのように関わるかに大きな変化をもたらす。この変化は、かつての人生がもはや同じようには存在しなくなるため、混乱や孤立感を感じることがある。

誰もが人生で悲しみを経験し、自己愛を持って再び幸せを感じるために前進することを学ぶ必要がある。

ー セルフケア
自分の感情をケアすることが私にとって一番難しいと思う。

ー 身体の健康に気を配る:運動をし、健康的な食事をし、十分な睡眠をとる。
悲しいときはこれは難しいんだけど、セルフケアを実践するようにベストを尽くしています。朝起きたら、歯磨きの後にボディスクラブをし、朝食に味噌汁を食べ、できるだけ睡眠をとるかお昼寝をする。
ー ルーティンを確立する:起床、就寝、食事のスケジュールを規則正しく保つようにする。
規則正しくスケジュールを持って生活する事は残された他の動物たちにとっても必要。

ー アルコールやその他の不健康な習慣を控える:これらは悲しみを悪化させる可能性があります。
私の場合は、アルコールは40年以上飲んでいにので、食べ過ぎや食欲がなくなって全然食べない事に注意する必要がある。それと、泣きすぎた時は水分を補給。

ー 好きな事を見つける:趣味、社交イベント、その他喜びを感じられる活動に参加しましょう。
私は気功のクラスとか行けなかったけど、刺し子と手縫いが家でひとりでもできて良かったなと思う。今は初めての手縫いドレスを製作中。

3。つながり:
この段階では、他者との関係を維持し、構築することの重要性が強調されます。愛する人とつながり、サポートを求め、亡くなった人との共通の思い出を思い出すことが促されます。

ー 信頼できる友人や家族に話す:気持ちを分かち合うことで、慰めや支えが得られる。
ルミが亡くなった日、私はビーチに行った時に友人に電話をかけた。一人しか電話には出てくれなかったけど、ひとりでも話せて良かった。

ー グリーフサポートグループ人たちと繋がりましょう:同じような体験をした人たちの話を聞いたり、自分の事を話したりしてコミュニティ意識を高める。

今回は参加しませんでしたが、ペットのグリーフサポートグループのミーティングに参加したことがあって、助けられました。ペットを愛する人のための、優れたオンラインのグリーフサポートグループがあります。

ー 専門家の助けを借りる:対処に苦労している場合は、セラピストやカウンセラーがアドバイスを受ける。

私も近いうちにセラピストに自分の気持ちを話す準備ができてきています。

それと、
ー 亡くなった人や動物の家族を思い出す:幸せな思い出に思いを馳せ、共有していた絆を認める。

私は起床後、ろうそくに火を灯し、お香を焚き、水を交換し、祭壇に新しい食べ物を供えます(花も必要に応じて交換します)。写真をまとめ始めている。

ー 自分を許す:すべてをできなかったからといって、自分を責めないでください。

ルミちゃんには心の中では最善を尽くしたと信じているので、自分を責める気持ちは殆どありません。

ー 自分の悲しみを他人と比べない:誰もがそれぞれの方法で、異なる方法で悲しむのです。

私の場合は、最初は一人になって自分の本当の気持ちに向き合う必要がありますが、外出して人と交流する必要がある人もいます。エリックのように海に行ってサーフィンして自分を癒す人もいます。

ー 自分の考えや気持ちを書き留めてみる。これは感情を整理するのに役立ちます。

今こうして書いているように、書くことはいつも私にとって助けになっている。

ー 活動的でいる:毎日何か屋外で何かをするようにし、できる限り歩きましょう。

私は毎朝犬と散歩に行きます。週末は海や湖に行って命の洗濯。

ー 医師の診察を受ける:悲しみはストレスになることがあるからです。そのため、必要なら医師に自分の状況を必ず伝えてる。

悲しみが免疫力を低下させるという経験が私にはあります。1993年に癌になった時は父が亡くなり、最初の夫と離婚した後のこと。その時は、自分が悲しんでいることさえ気づいていませんでした。2017年に2度目の癌になった時、愛犬クラが亡くなり、その後エリックと私はレストランを失いました。これもまた大きな悲しみでしたが、前向きに、引きずられないように努めていました。あまり自分の悲しみを受け止めてあげられていなかったのが現実。

今回ルミちゃんを亡くして私はまだ1の段階にあり、2に入っていますが、このブログを書いているうちに3に触れられるようにるなってきてるのを感じてきた。


以前、他の動物家族が亡くなった際に、仏教の法要の伝統について簡単に書いたので、
今回は、少し詳しく書いて最後にします。


私は熱心な仏教徒ではなく、日本の家族もそうではありませんでした。そのため、私は自宅で動物の家族のために、自分なりの法要を行っていて、伝統的な法要とは異なる場合があることをご了承ください。以下は、私が動物の家族のためにアレンジした、人間の法要についての情報です。
この後の仏教の法要についてはまだ英語だけで日本語の翻訳はできていないので、
また時間を見つけて書いていきますね。
なので、また読みに来て下さい。
宜しくお願いします。

 

First, what is the purpose of the Buddhist memorial services?

In Japan, when I was a child, I remember being scolded and told that if I lied, “King Enma will pull out your tongue and send you to hell”?

In Buddhism, when a person dies, they say goodbye to this world and travel to a place called “Chuin.”

 

Chuin is a world where trials are held to determine the destiny of the deceased in the afterlife. This journey lasts 49 days and is known as the “Journey to the Underworld.” Every seven days, the deceased is judged by the kings of the underworld dynasty for the crimes they committed in life.

 

On the day of the trial in the interment period, people close to the deceased gather in this world to hold a memorial service. They pray to the Buddha, creating a bond that enables the deceased to reach paradise safely and find happiness. The first day of this process is the “first seventh- day”(初七日-Shonanoka) memorial service.

 

The first 7th day is the start of the journey to the underworld. The journey to the forty-ninth day

 

The first seventh-day memorial service is customarily held on the seventh day, starting from the day of the deceased’s death. After that, seven memorial services are held until the forty-ninth day (the seventh 7th day), which are called Chuin Kuyo or Otaiya/Otan-ya.

 

I usually light a candle and burn incense, accompanied by the sound of an iron (Japanese Buddhist bell). Also, offering water, food that he or she liked in life, and flowers.

The first 7th day (Shonano-ka 初七日)

 

On the first seventh day (Shonanoko-7th day), the deceased walks up a very steep mountain. It is said that they progress by eating incense during this time, so incense is burned in this world for this reason. At the end of the journey is the first judge, King Hata Hiro.

In this world, we pray to Acala, who has a fearsome face and warns us against the worldly desires of humans for good judgment.

 

We went to the beach to pray and told Lumi how much we thank her for her life here with us.

The second 7th day (Futannoka 14th days)

 

As soon as they cross the mountain, they come to the Sanzu River, where those whose crimes are light cross on a bridge, while others must cross in shallow water or through muddy water, depending on the severity of their crime. The fare to cross is six-mon yen (about 200~300 yen now), so they place a six-mon money coin in their coffin.

 

Once they have crossed the river, they are judged by Hatsue-no-O to see if they have committed any acts of murder, but in this world, they seek salvation from Shaka Nyorai, who will grant the prayers of anyone.

 

I know my animal family is all able to cross over the rainbow bridge without problems.

 

The third 7th day (Minanoka 21st day)

 

The third trial is when the Song Emperor uses a cat and a snake to punish those guilty of infidelity. The Buddha to whom people in this world pray is Manjusri Bodhisattva.

 

Manjusri Bodhisattva, known as the proverb “three heads together make Manjusri’s wisdom,” grants the wisdom to go to the Pure Land.

 

The fourth 7th day (Yonnanoka 28th day)

 

Next, you will meet the Gokan-o. Here, there is a scale that weighs the amount of bad words and actions that the deceased committed during their lifetime, and the deceased is placed on it.

 

Samantabhadra Bodhisattva, riding on a white elephant, is full of mercy and will lead you to the world of enlightenment with his many merits.

 

The fifth 7 days (Itsunanoka 35 days)

On this day, the famous King Enma awaits. He uses a mirror made of crystal to reflect the evil deeds of the deceased and has a demon pull out the tongues of anyone who lies.

 

King Enma then decides where the deceased will be reborn. In this life, we pray to Jizo Bodhisattva, but the Jizo that is closest to us is a Buddha who saves us from the suffering of hell.

 

The sixth 7 days (Munanoka 42 days)

 

In the 6th trial, the judgment is made by the King of Transformation based on the reports of King Gokan, who used the scales, and King Enma, who used the mirror. The conditions and place for rebirth are also decided in detail.

 

Maitreya Bodhisattva is said to be the successor of Shakyamuni. It is the Buddha who will save us in the distant future. He teaches us how to help others attain enlightenment, not just ourselves.

 

 

The seventh 7 days (Shichinanoka 49th day)

 

This day, which is the 49th day after the death, is an important day for memorial services.

 

It is the day when King Taishan hands down the final decision based on the results of the trials so far. Depending on that decision, the deceased leaves the intermediate world and sets off to be reborn in one of the following realms: the realm of heaven, the realm of humans, the realm of Ashura, the realm of animals, the realm of hungry ghosts, or the realm of hell. In this life, prayers are offered to Medicine Buddha for the best decision to be made.

 

What is a 49th-day memorial service?

 

In Buddhism, the 49th-day memorial service is a significant ceremony to pray for the deceased’s soul to attain enlightenment peacefully. In Buddhism, the 49 days after a person’s death are called “Chuin” or “Shichishichinichi,” and memorial services are held at turning points every 7 days during this period. Starting from the 7th day, followed by the 27th and 37th days, the “49th-day memorial service” is held on the 49th day, which is the seventh 7 days, and prayers are offered for the soul to be led to the Pure Land.

 

49th-day memorial service for animal companions

 

Increasingly, families in Japan are holding 49th-day memorial services for their animal companions, following the tradition of funeral rites for humans. For owners who feel that their beloved dog is like a member of the family, carefully sending off the soul of the animal companion is an essential step in processing their grief.

49th-day memorial services are gaining attention as a ceremony that allows owners to express their feelings of “thank you” to their pets and their desire to see them off until the very end.

 

Kula, who was Lumi’s antie, used to go to our restaurant Seed Kitchen, so I offered a 49th-day memorial service for Kula and invited many friends.

I post about it on my blog.

 

Spend time mourning with family and friends.

 

It is also essential to hold the 49th-day memorial service with family and close friends. By sharing time together centered around your deceased animal family, such as talking about memories while looking at photos and videos of your beloved dog and playing your favorite music, you can heal your grief. Rather than carrying it alone, mourning together will ease the burden on your heart and give you the strength to look forward.

 

ルミちゃんの旅立ちについては、今のところ数人の友人にしか話していません。

テキストメッセージはコミュニケーション手段としてあまり得意ではないので、電話で連絡しました。
連絡した時、ほとんどの人は忙しそうで、それも仕方ないし、何人かの友人と話しましたが、ルミちゃんが亡くなったという知らせを伝える勇気がなかった。

まだ自分の気持ちを伝えるには適切な時じゃなかったかも。

体があまりにも縛られているように感じたので、指圧マッサージを受けました。本当に助かりました。

ルミちゃんの犬家族とビーチに行ったことも、彼らの悲しみを和らげるのに役立ちました。

ルミちゃんを偲んで、ガーデニングをして、植物やハーブを植えました。

 

これを書くのに2週間以上かかったけど、いつものようにこうして文章を書いて感情を整理し、ブログを投稿するのは、とても癒やしにつながってきている。
でも、このブログに載せるためにルミちゃんの写真を見るのは、どれも良い思い出ばかりなのに、本当に辛かった。
ルミちゃんがここにいてくれたらどんなに良いか。

もう一度、ルミちゃんの笑顔を見て、そのお顔を触ってあげたい。

ルミちゃんはチェリーが大好きなので、チェリーの季節が来ると一緒に食べた。
エリックにチェリーパンケーキを作ってもらいました。

ルミちゃんの人生をスマイルでいつかお祝いしたい。できれば四十九日にか100日に。

「ルミちゃん、あなたは本当に素晴らしい子。精一杯頑張って、精一杯生きたね!」

「ルミちゃんは本当に誇りだよ!」

「心からありがとう、ルミちゃん!!」

Love,

Sanae❤️

P.S. このブログを書いた後、ルミの遺灰が家に帰ってきました。
ルミちゃんのフワフワの毛、ひげ、鼻と足跡プリント、そして歯も受け取りました。遺灰のお陰か気持ちはだいぶ落ち着きましたが、同時にもっと深い悲しみを感じ、大声で泣いた。
泣き終わった後、ルミがこれまで以上に私のそばにいることを実感した。そしたらルミちゃんが「ママ、私のためにいっぱいしてくれて、ありがとう!」「大好きだよ!これかも何があっても、ずっとずっとママと一緒にいるよ!」って言ってくれました。(涙。。。)

刺し子を教える喜び

若いころに夢や目標を持つ人もいて、それを実現できる人もいる。

私の場合はそんな感じではなかった。

小学校2年の頃、自分で育てた花や植物を販売する花屋か苗屋を経営したいと思っていたけど、家に庭がなかったので、果物屋からもらった木箱でたくさんの花を育ててたけど、その夢はどこかに行ってしまった。それから、水泳が好きで、オリンピック選手になれるかもなんて一瞬だったけど思ったり、小説を読んだり書くのが好きで、ライターになりたい時期もあった。
17歳にハワイに行く時、飛行機に乗ってからフライトアテンダントの仕事もいいかもしれないと思ったり、車の免許をとって運転するようになって、運転が好きでF1レーサーになりたいとも思った。

19歳でアメリカに来て大学で専攻していたフォトジャーナリストになっても良いかもと思い立ち、メディアのコーディネーターを仕事をして、家庭菜園や動物の家族と過ごす時間が無くなってしまうとわかって、メディアの仕事は辞めた。
グリーンカード(永住権)をもらうまでは、免税店、お土産屋さんで働いたり、車を洗う仕事、芝をかうガーデナー、植木屋さんのグリーンハウスで南アメリカの植物を育てたり、いろんな仕事をした。

結婚してグリーンカード(永住権)を獲得後、三菱系の日経の企業で仕事をして、自分がやりたい事とか考えないでただ働いてた。


そして、1993年に卵巣癌と診断された。
父は肝臓癌を患い、診断から1年も経たないうちに亡くなった後だったので、私はマクロビオティックの食事法を中心としたホリスティックなアプローチで、主に自分自身を癒すことを選択。
ロサンゼルスのイースト・アンド・ウエスト・マクロビオティック・センターで、マクロビオティック料理と陰陽哲学を学んだのは人生の転換期、真っ只中。
治ることだけ考えて自然療法、
マクロビオティックを努力して一生懸命勉強して実践した。
自分の知識や技術を他の人に伝える仕事につくとか教えるとは思ってもみなかった。

卵巣癌から回復していくと、周りの人たちからどうやって食事療法で治ったかを話して欲しいと聞かれた。また、エレホーン・ナチュラル・フーズ・マーケットでマクロビオティック・コンサルタントとして新しい仕事にひょんな事から就いたのをきっかけに、マクロビオティックについて話すことで自分自身が救われたように、他の人を助けることができると感じ、1995年に初めてマクロビオティック料理教室をやってみた。

また、マサチューセッツ州ベケットにあるクシ・インスティテュートでマクロビオティック栄養カウンセラーの資格、マッサージの資格も取得。
夫のエリックはシェフなので私は、マクロビオティックのデリバリーサービスとプライベートクッキングサービスを運営し、指圧などのヒーリング療法を提供していった。
マクロビオティックの指導とヒーリングカウンセリングを行う傍ら、エリックと私はマクロビオティック・ビーガンレストラン「シード・キッチン」をオープンしました。
レストラン経営は過酷で、非常にストレスだったので、残念だったが8年後
閉店。6ヶ月後に体調が悪いのを感じてステージIVの血液癌、非孵化性リンパ腫で余命1ヶ月もない!と診断された。癌細胞の成長が早かったので、とにかく命を救うために、化学療法を受けることを決意。ホリスティック・マクロビオティックの実践も続けて、治療の副作用を軽減することができた。
改めて、以前よりももっともっと健康である大切さを知った。
こんな感じで30年以上があっという間に過ぎてしまったのは、信じられない!

2020年にパンデミックが起こり、料理教室を閉鎖。
アート、テキスタイル、そして長年好きでしてた刺し子と天然染料など、自宅でのオーガニック植物栽培に力を入れるようになっていった。
マクロビオティックの哲学を通して、すべてが変わっていくことを学んでしたので、また変化の時が来たと感じていた。
そして、ボタニカルワークと刺し子のワークショップを教える機会が知人を通してやってきた。

 

また教えることができることになって嬉しい。

教えるということは、自分の実践と経験をシャエアーでき素晴らしい。

私は孤独が好きな方で、たいていは家で、ひとりで動物家族と過ごしながら、
アート・ヒーリングスタジオで自分のプロジェクトをクリエイト、お庭では薬草や野草を育ててのんびり過ごして、時々カウンセリングとヒーリングワーク。

 



ワークショップを通して、たくさんの人と繋がることもでき、前回のワークショップでは17歳の高校生の男の子がが参加してくれて、刺し子をとても楽しんで、とても感動。
私にとって、ワークショップで教えるのはバランス丁度良い。


教え始めた時、刺し子のワークショップは予想以上に人気でビックリ。

私の教える刺し子ワークショップは、まず刺し子の基本をみなさんに少し刺し子の歴史も含めて学んでもらう。刺し子は刺繍枠を使わないので、布の持ち方、針の持ち方、糸の準備、そして糸こき(刺し子糸を刺して布と糸を滑らかにする)による布と糸の関係、その他、糸の長さは、それぞれの人の指先から心臓(ハート)、つまり指先・天(ハート)から地(アース)へのエネルギー(ひとりひとりの長さが違う)。

マクロビオティックを教えてきたので、その経験を活かして最初に刺す刺し子のパターンはひとめ刺しの「ライスステッチ(米刺し)」とライスステッチ(米刺し)のバリエーション刺し方。サンプルをみなさんに見てもらうと、みんな一斉に”きれい!素晴らしい”と言う。

シンプルですが、本当にとても美しい刺し子パターン。

 

ロスアンゼルスの日米文化会館 JACCC とサンタモニカのワイルドファイバースタジオ Wildfiber Studio で毎月ワークショップ。

その他 Chief ((ウエストハリウッドにある女性向けエグゼクティブ・プライベートクラブ)で Four Objetsand サンタモニカの Merrihew Sunset Gardens 。

今は以前、ヨガを教えていたヨガスタジオで瞑想の実践として刺し子を教えて欲しいと言われているし、その他、サンフランシスコやノースキャロライナで刺し子のワークショップをして欲しいとリクエストが入っている。

刺し子は、パーフェクトな美しさではなく、「侘び寂び」の美しさ、それは私たちが私たちである、美しさのようだ。ひと針ひと針をゆっくり刺していくと癒しの心につながる。リラックスしてマインドフルネスを促進し、気持ちをを豊かにしストレスを無視するのではなく受け入れ前進。その上、刺し子はサステイナブルな生き方を必要としている現代に欠かせない、植物繊維の衣服の寿命を延ばし、布地の修復や補強の実用性がある。

 

刺し子のワークショップがこれからももっとできるのは、「わあ!」という喜びいっぱい。
この刺し子が私をどこへ連れていってくれるのかはまだ分からない、今は教えるというこの刺し子の旅を楽しみ、これからどんな景色が見れるかワクワク。

感謝を込めて、

Sanae ❤️

70歳の誕生日!

70歳になってしまった。
信じられない!

昔、占い師に「60歳までは多分、生きられるけど、長くは生きられない」と言われ、本気で信じていたわけではないけど、そういう事聞くと、どうしても頭から離れなくて、忘れられないでいた。

生まれて来た時から何度か死ぬような体験を何回もしてきたから
こうして生きていて、充実した人生を楽しんでいることは奇跡かも。毎日を感謝して生きれるようこころがけてる。

70歳になって確かに体は老化して来ているなと思う。あちこちに痛みがあり、物が見つからないで毎日何かをさがしてたりすることも増えてる、でも何故か心は若々しく、たいていの場合、前向き。
まだそんなに年を取ったとは感じないので、70歳はそんなに年寄りではないのかな?

ただ若い頃と比べると、落ち着きを自分で感じられるようになって、これは年の功かな。
若い頃は、スカイダイビングして、スキューバーダイビングして、バンジージャンプしてとかいろいろした。
今は自分の状況に満足して、過激なことをしたいという欲求もなく、毎日ゆっくり過ごす事が楽しみ。
これが私の老化なのかも。

69歳の誕生日の後、70歳の誕生日を祝うために、ヨーロッパ、特にローマ(イタリア)に行きたいとエリックに話して計画を立ててた。
9歳の頃にオードリー・ヘプバーンの「ローマの休日」を観て以来、ローマに行くことは私のバケットリストにずっとあったから。

この映画は私が生まれる前の1953年公開なので、どうやって観たのかは覚えていないけど、父は外国映画が好きで、フランス映画にもよく連れて行ってくれてたので、父と一緒に観たのかもしれない。

1997年にひとりでヨーロッパに3週間3週間行ってマクロビオティックセンターなどでお料理したり、お料理教室のお手伝いをした。その時にイタリアにも何ヶ所行って、ヴェネツィアからローマに向かう電車の中で荷物を盗まれてしまい、ローマには行かなかった。エリックもイタリアで仕事をしていた時はローマに行かなかったので、オードリー・ヘプバーンの「ローマの休日」を観てもらったら、ベスパでローマを巡るという場面が気に入ってた。

でも我が家の愛犬ルミは15歳。

ルミちゃん、2週間前犬家族との集い会で。

 

12月には心臓発作、2月には肺の低下で、いつ天命するかわからない。
ルミは今でもよく食べ、ゆったりとした生活をすごしてるけど、関節炎のため、立ち上がるのに介助が必要。オムツ履かせようとしたけど、気に入らなくてオムツをしてても立ち上がって外にトイレに行こうとする頑固犬。でも気持ちはよくわかる。
ホメオパシーと漢方薬を毎日服用しています。毎日、足と背骨をマッサージし、お灸をしてあげると気持ちよさそうにしてる。
大切な家族の一員なので、精一杯生きてもらいたいと私たちは最善を尽くしてる。

ということで、ローマやヨーロッパには行かないことにしたら、エリックが誕生日に何をしたいかと聞いてきた。
私の一番好きなことは、家族全員、エリックと愛犬(ルミ、ナル、カイ、ラニ、マカニ)、そして愛猫(ティンティンとマイマイマイ)の家族と一緒に自然の中で過ごすことだから。。。
エリックに、私たちのお気に入りの場所の一つ、モロベイ州立公園へキャンプ旅行にみんなで連れて行ってほしいと頼んだ。

犬5匹と猫2匹と一緒にキャンプ、みんな手作りのご飯を食べているのでご飯の準備に時間がかかる。でも、以前もキャンプに行ったことがあるから、何をすればいいのかは分かってた。時間がかかるだけ。それなら私たちにできる。

初日は、お友達のケリーに会いにサンタバーバラに立ち寄った。彼女は素敵な新しい家に引っ越したばかりで、お庭には大きな柿、ビワ、グアバ、イチョウの木があった。
ケリーは私が作るオーガニック植物スキンケア製品が好きで愛用している。(私はオーガニック植物スキンケア製品を約20年間作っていて使ってる)。
次回は彼女のお家でビワの葉のチンキ剤を一緒に作る約束をした。


ケリーはサンタバーバラ・ヨットクラブへランチに連れて行ってくれた。

誕生日にガラスのフラワーベースをプレゼントしてくれた。箱には「Kin」と書いてあった。
私の初めてのゴールデンレトリバー犬の名前は「キン」ちゃん。約30年前、サンタバーバラのドッグビーチでケリーと彼女のゴールデンレトリバー犬のデイジーに出会って、キンとデイジーはお友達になっていらいのこの友情に心から感謝しています!

 


サンタバーバラを後にし、日没直前にモロベイ州立公園に到着した。このキャンプ場には以前にも来たことがあって海と自然史博物館の近くにある私の大好きな場所。
新家族マカニ(一番小ちゃいこ)はこのキャンプ場に来たことなかったけど、以前私たちと一緒にキャンプをしたことがあったので、楽しく過ごしせてた。ネコたちはネコちゃんコンドでくつろいでた。

 

夕食は持って行った自家製のレンズ豆のスープを、バンの中でシンプルで美味しい食事を楽んだ。夜は月と星が海の風と一緒に私の60代最後の夜をお祝いしてくれてた。

 

翌朝はもっと涼しいはずだったのに、暖かくなり、太陽が顔を出してハッピーバースデーと囁いてくれてた。
犬家族に朝ごはんをあげていると、通りすがりの人が犬の多さに驚いて「わあ、5匹もいるなんて!犬は神様から来た!」と言った。その時、犬と一緒に暮らすということは、神様に守られているのかもしれないとすぐに思った!


朝食後、少しハイキングをしてモロベイ自然史博物館を訪れた。


遠足で小学生もたくさん来ていました。
モロベイの美しい岩!


自然や地元の生息地について学べたのは良かった。
モロベイが1870年に設立されたと初めて知った。


ギフトショップでステキな海藻の本も手に入れた。

 


それから、カユコス・ドッグビーチへ。
このドッグビーチは、モロベイ・ロックが背景にあってとても素敵な所。

今まで行った中で一番素敵なドッグビーチかな。
犬たちをバンから降ろしていると、誰かが「わあ、犬がいっぱい!犬は神様!」と言った。
その朝、「犬と神様」についてコメントされたのはこれで2回目。
犬たちが幸せなら私たちも幸せ。きっと神様のおかげだね!

ルミも楽しめるよう、最近買ったカートをビーチの砂浜に置いて引いてあげた。

ルミはあまり歩けなかったけど、風を感じ、海の香りを味わうことができてとっても喜んでた。


ナル、カイ、ラニ、マカニは、走ったり、追いかけたり、海藻を食べたりして楽しんでた。

 

ドッグビーチの後は、ケンブリアへ行き、ウィンドウショッピング。自然食品店で、地元産のボイセンベリージャムを買った。

 

キャンピング用トースター

その後、人口18人の小さな町、ハーモニーのワイナリーへ。そこでエリックがワインテイストしてワインを買った。

 

誕生日のディナーは、モロベイで私たちがよく行く老舗レストランの一つ、ハーバーハットで。エリックがモロベイ・ロックの夕日が見えるお気に入りの席を予約してくれてた。ささやかだけど貴重な気のつく贈り物が幸せを感じた。

この日は友達のまさよちゃん、エンジェル、マークからお誕生日コールをもらった。ありがとう、みんな。

 

2日目の朝は、今まで行ったことのない場所へ行くことにして、ロス・オソスという町へ。
地元のパン屋でサワードーパンを買った。


それから、アビラ・スパでミネラルバスに入った。


ミネラルバスのおかげか、足や腰の痛みが和らだ。
水着を持っていなかったので、黒い下着とタンクトップで入ってしまった(笑)。

午後は、その近くに住むもう一人の友達、ローラに会いに来てくれた。彼女はクシ・インスティテュートでマクロビオティックを学び、私のクライアントのために以前マクロビオティック料理を作ってくれたりしていた。
シャイン・カフェで遅めのランチ(早めのディナー)。二人ともテンペ・ルーベンサンドイッチを注文したけど、見た目がちょっと違っていたので店員さんに聞くと、「それはテンペサンドイッチで、テンペ・ルーベンサンドイッチとの違いはただザワークラウトが入っていないだ毛だから同じだけど。ザワークラウト必要?」って聞かれて、ローラと私は同時に「もちろん、ザワークラウトよ!」と答え、大笑いしました!

近くでファーマーズマーケットをやっていたので、見に行くことの事にして、地元の野菜や果物、工芸品などを見て回った。ローラは私の誕生日に、地元の陶芸家の可愛いオレンジ色の鳥の陶器のピンバッジを買ってくれた。


それから、フットマッサージをしてくれところがあったので、
私は思いつきでみんなでフットマッサージを受けようかと言ったらエリックは自分は行かないと言ったので、今日は私の誕生日だからフットマッサージでみんなでお祝いしたいよと説得。
みんなでマッサージを受けて、すっかりリラックス。
その後キャンプ場に戻って、エリックのバナナマフィンと茎茶を味わいながら、ローラと語りあった。


ストレスフリー・バースデー、シンプルで幸せな週末。

 


家に戻ってから、40年近く育ててきている庭の木々や植物、自分の住んでいる周りの自然と触れ合って、それらをもっと身近に感じて、植物の香りを楽しんでる。

ナンシーがバースデーカードとお庭のお花を持って来てくれて、お寿司食べに行く約束をした。
アマンダからバースデーコール、彼女は1月のワイルドファイアーで全てを失くしたのに、私のバースデーを覚えていてくれる優しい友人。
長年の友人ジェシカがマリナデルレイでの誕生日ブランチに連れて行ってくれた。美味しい料理を楽しみながら、楽しい時間を過ごした。

ペパーダイン大学時代からの長年の友人、ジュディも来週ディナーに連れて行ってくれると連絡があって、70歳のお祝いはまだ続いていくみたい。

ゆっくりと年を重ね、日々の生活に前向きな気持ちをこうして持てることに感謝。

Love, 

Sanae ❤️

山火事後に自分の気持ちをシェアー


ロサンゼルスの歴史的ない悲惨な山火事から2週間以上が経過しました。
山火事の被害を受けた人々に心よりお見舞い申し上げます。
私たちの事を心配して連絡いただいたみんさんに感謝いたします。ありがとうございます。
エリックと私はここサンタモニカに5匹の犬と2匹の猫の家族とともに安全です。


うちは実際の家事被害はありませんでしたが今回の山火事恐怖に接し、その恐怖から前進するためにブログを書く事にした。

火事が起こった日は1月7日火曜日、10時20分くらい。
その日、午前8時40分に私は家を出て気功教室に行った。
空を見る癖があって行く途中が青空で、感謝しながら歩いて行ったのを覚えている。

クラスが終わった後、私は帰宅して刺し子ワークショップのサンプルを作っていた。
エリックが火事の事で電話してくれた。
私はエリックにその家事って近いの?って聞いたら、
それは私たちの家から約11マイル(約17km)離れたパシフィックパラセーズだと言った。
外に出ると、家の北側の空にピンクがかった灰色の大きな煙が見えてた。


風がとても強くなり始め、庭の木々が児童公園にあるブランコのように揺れていることに気づいた。今まで見たことのないひねりのある揺れ方だった。風がひどくなり、木の枝がねじれて折れてしまっていた。その夜は眠れず、ずっとニュースを見たり、山火事の地図と警報の監視義務をチェックしたりして一夜を過ごした。

サンタモニカの第2地域が強制避難を受けたとき、私たちはパスポートとわずかな衣服をカバンに入れて、ネコ用のトイレ付きクレイトを設置し犬用ベッドをバンに入れ、避難の準備をして気持ちを落ち着かせていた。

家の屋上から煙と炎を見た時は言葉にならない叫び声を出していた。

 

翌日、黒煙の中で太陽が赤く染っていたのは一生涯見たことがない太陽だった。現実に起こっている恐怖と向き合わなければならなかった。


ニュースの画像がどれだけの家が焼けたのか写していたのを見た時は、まるで戦争の惨状を見ているようで信じられず、ボーッとその画面を眺めているだけだったような気がする。

この山火事で家を失った友人や、今も避難している友人がいることを知り、とても悲しく重い気持ちに押しつぶされそう。これからのみんなの道のりが長い事を考えると胸が痛い。


私たちはこれらの人々に愛と思いやりを送る瞑想を毎日した。
その他寄付をしたりして出来る事をした。
それと自分自身にもこれまで以上に、たとえ小さな喜びや幸せでも見つけることを専念。
ただ言葉にできない感情が漂っているのは無視できない。

 

エリックの仕事の休みに私たちは煙たい空気を逃れて、サンタバーバラのドッグビーチに行った。

 

先週はルミの15歳の誕生日を祝いをして、ルミちゃんの生きる力に励まされた。
ありがとうルミちゃん!

 

今日はこの週末あるJACCCでの初めての刺し子ワークショップの準備をCheri Huberのオーディオブック「The Fear Book」を聴きながらしてる。
刺し子のワークショップが、この困難な時期に人々を癒してくれることを願いつつ。

恐怖とは何か(Cheri Huber の本から)
….恐怖は狩る者ではなく、狩られる者だ。
…..恐怖はあなたが思っているようなものではない。
恐怖は、自由への道に沿った非常に有用な信号…

Cheri Huber の無料オーディオブック サイト
https://www.livingcompassion.org/audio-books

新年の抱負とゴール2025年

あけましておめでとうございます!

(新年最初の週はSNSから遠ざかっていたので、今日, 新年のご挨拶をさせていただきます。)


みなさまにとって、2025 年(令和7年)が繁栄、喜び、健康、活力、そして生きがいに満ちた年でありますようお祈り申し上げます。

私の元旦の生きがいというと大袈裟に聞こえると思いますが、初日の出を見に行くこと。

昨年2024年の初日の出

一年の計は元旦にありという言葉が好きで
1992年頃から始めて、約33年している私の心の儀式。
日本と違ってお正月らしい事はアメリカでは何もないので、初日の出を見に行くようになって新年にかけて気持ちがシャッキっとするのが好き。

母と一緒に伊豆の初日の出を見たことがあって、最高の初日の出を一緒に見れたことを今でも忘れられない。
母が亡くなる前に一緒に年末年始過ごし、初日の出を見れた思い出は私の宝物。

サンタモニカの 2025 年の新年の日の出時刻は 6:59。
家を出るときはとても霧がかかっていて寒かったので、何枚も服を着て行った。サンタモニカ山に登って行くと、霧の上に出て美しい地平線が見えた。

 

 


今年は犬家族のカイ、ラニ、マカニを連れて行って、うちの庭を手伝ってくれてる友人のエンジェルも一緒。

寒くて風が強かったここ数年に比べて、あまり寒くなく、風もなく穏やかでたくさん着込んでくる必要はなかったようだ。(笑)

頂上に着くと、辺りはすでに地平線に微かにオレンジ色が見えていたので、新年の日の出がどこから昇って来るかわかった。

他にも人々がいたんだけど、私は大きな声で「ありがとう・ありがとう!」と心の底から叫んでしまった。
感謝を伝えられる幸​​せな気持ちは、いいなぁ。

 

初日の出を待ちながら、エリックとエンジェルもに新年の「抱負」について聞いてみた。
エンジェルはもっとダンスをやりたいと言った。
彼がダンスのレッスンを受け始めたと言ったので、社交ダンスだと思って、驚いた私はすぐに「何のダンスのレッスン?社交ダンス?」と聞いた。
エンジェルは物静かでシャイな若者で陶芸家でもある。
だから特に社交ダンスを踊るとは想像できなかった。
彼は微笑んで、「ああ、違う、違う、ヒップホップダンスだよ。」と言いました。
私は「わあ、すごいね!」と返事をした。 彼は「もっとアクティブになりたくて、ダンスのレッスンを受けようと思って、去年、何回か受けたんだ。気に入ったので続けたいと思ってる。」と語った。
いつか彼のダンスを見てみたいと思った!

 

 

エリックは「もっと自分の時間!」。
彼は動物家族と私の世話を毎日してくれているので、きっともっと自由時間を作って海でサーフィンして過ごしたいだろうなって思った。
なので「それは素晴らしいアイデアだね、エリック。どうすればもっとあなたの自由な時間ができるかを考えて計画をしようね。」と私が言ったら、エンジェルが、「エリックはいつもとても忙しいから、自分の時間を持つことが大切だね。」とサポートの言葉を加えた。

 


次は私の抱負、「左膝を強化するためにフィジカルセラピーに行くつもり。」と言った。最高の場所で3人で抱負をシェアーできて良かった。
抱負を話して気持ちは新年の準備が整ったと同時に初日の出が昇り始めた。

家を出るときは霧で初日の出は見られないかも思ってたけど、見事な初日の出。
2025年の初日の出は、私たちが立てた抱負の達成を約束するために現れたようだった。

 

 

 


山を下る途中、サンタモニカの南方パロス・バーデスまで、そして東方からロサンゼルスのダウンタウンまで、マシュマロのような霧でおおわれていたのを見てそこに降りていくのが不思議な感覚。

 

帰り道、家の近所に来たらまたすごい霧。

帰宅後、正月餅お雑煮を食べて、自分の決意と目標を書き始めてみた。

さっき書いたように2025年の抱負は「フィジカルセラピーに行って左膝を強くする」。というのは、5年前にハイキング中に左膝を骨折して治るまでに2年かかった。約1年前、近所の犬に私の愛犬ナルと私はアッタクされて同じ左膝と右肩を負傷してしまった。肩はマッサージと鍼治療で良くなったけど、膝は中々完全には治らないでいるので次のヒーリングステップに進む必要があると感じてた。私はマクロビオテック・アプローチとホリスティック治療が治癒につながると信じているので、ほとんどの場合西洋医学は使かわないけど、西洋医学のアプローチをいつ使用するべきかはわかっているつもりなので、新しい主治医の診察を受けに行き、左膝について相談してみた。若いドクターで、私の左膝を診て、骨が折れているわけではないから、弱っている膝を強化する、フィジカルセラピーに行くように言われた。自分でも同じ事を考えていたのでこのドクターの薦めを受ける事にした。

2025年の私の目標は、左膝を完全に治して、もっと体を動かすこと。昨年の夏から週に2回、午前中に公園で気功のクラスに通うようになり、それもとても気にいっているので継続してる。
気功のクラスに参加するために公園まで2ブロック歩いて往復、これは心臓活発に役立ってると思う。

これを書いてて、2025 年のゴールとして、エリックとコミュニケーションをもっととりやすく効果的な方法でリマインダーもできる事がないか考え始めた。
アイデアの1 つとして毎月カレンダーを作成し、自分のニーズに合わせた計画とデートをそこに書き込むことが頭に浮かんだ。

それと抱負とゴールは違うことにも気づいたので、それについて書く事にした。

新年の抱負と 2025 年のゴールは次のとおり。

抱負 1: 左膝を3 か月以内にィジカルセラピーに行って完治。  (3ヶ月がポイント)

ゴール1:左膝の痛みをなくし、体力をつける。

 

抱負2: 毎日 1 ~ 2 マイル歩き、気功 クラスを継続。(1日1~2マイルがポイント)

ゴール 2: 足腰を鍛え、屋外で運動する、人々との交流。

 

抱負 3: エリックと毎月のコミュニケーション カレンダーを作成し、そのカレンダーに計画を一緒に書く。

(毎月がポイント)

ゴール 3: エリックとのコミュニケーションを効果的にし、瞑想したり、一緒に何かすることをもっと増やす。

 

抱負4: 体力をそんな消耗しくても、できるワークショップやクラスを定期的にこの1月から教える。

(体力を消耗させないクラス、定期的と1月からがポイント)

ゴール 4: ワークショップやクラスをまた始める。

 

抱負 5: たとえ短時間であっても、毎日書いて今年中に、自著リカバリーブックを書き終わらせる。 (毎日短時間でもと今年中にがポイント)

ゴール 5: 自著リカバリーブックを書き終える。

 

抱負とは、何を変えたいか、何をしたいのか(行動)を時間枠内で表明する事。それとゴールを達成するためのプロセスの両方が含まれる。抱負はゴールとは異なって、

ゴールは達成したいことの表明であり、抱負はそれを達成するために必要な手順と、いつそれを達成したいのかを示す。キーポイントとして上に書いたことを参照。

 

ゴールとは努力して目指す目標であり、そこに至るまでの過程は重要ではない。

心の中に抱いている決意や計画を指す言葉。ただ単に〇〇したい、〇〇になりたい、というのはゴール。抱負はそのゴールを実現するために具体的に何をするのかを考えてみるという事だ。

 

旧正月、九星気 の新年は 1 月 1 日ではないので、2025 年の抱負を書いてゴールを書く時間はまだまだあるので、下記を参考にして書いてみてはどうでしょう。

・悩みや課題を書き出してみる

・自分の理想を具体的に考える

– 具体的な数字と期限を設定する

 

みなさんの2025年の幸運を願ってます。

 

Love,

Sanae ❤️

 

ひと針ひと針自分の人生を縫う-刺し子ストリー


2024年が終わろうとしている。
この 年は自分にとって行き詰まりを感じ、前に進めなくて、振り返って見て挑戦的な年だった。
しかし、この立ち止まった状態こそが、次のステップに進むために必要な時間なのだと学んだ収穫の年。

もちろん、今はこう書けても、簡単なことではなくって、イライラしたり、悲しくなったり。
しかし、そのおかげで、自分の感情を大切に見つめ、毎日を静かに過ごし、たとえ気分が不安定なときでも、感謝の気持ちを持つ練習がまたできた。とにかく私は自分の感情を観察し- 息を吸ったり吐いたり瞑想。
自分のあんまり好きじゃないところを見てあげる、それは私にとって大切な事。

ある日、小学校の頃、ミシンで自分のお洋服とかいつか作れたらいいなと想像していた事を思い出した。
それはあけみちゃんと言うとってもチャーミングでオシャレなクラスメイトが、
いつもお母さんが作ってくれた素敵なお洋服を着ていたから。
うちの家族は誰もアートやクラフィティーな事をする人はいなかったにも関わらず、自分の手で何かを作ること、少し絵を描いたり、ガーデニング、書道、かぎ針編み、版画などに惹かれて、刺繍を気が向くとしていた。
ミシンの使い方をマスターして、あけみちゃんが着ているような可愛くておしゃれなお洋服を作りたかった。


その頃、家庭科のクラスでミシンを使ってパジャマを作る課題があって頑張るぞって誓ったけど、買ってもらったミシンは学校のと違ってて、10歳の私には使い方を教えてもらわないで使う事は簡単ではなくって、壊してしまった。
その時に大きな声で怒鳴られて叱られてしまった事が原因でミシンを使ってみる自信をなくし、自分はお裁縫は無理だと決めた。

その後は手で作るもの、編み物や織物を覚えて楽しんでいたけど、2017年に近所にお裁縫学校があると知りミシンを使ってパンツを縫うクラスに参加してみた。パンツはミシンで縫えて出来上がったけど、あんまり気持ちは盛り上がらなかったのは何故だったのか。ミシンを使う事はあんまり自分には向いていないのかもとわかった。また、壊すかもという恐怖、それと音が気になった。

お料理ではフードプロセッサーを使うよりすり鉢とすりこぎで胡麻をする方が私の性分にあってるという事かもしれないと同じかも。

日本の伝統刺し子を縁があってするようになって手縫いでチクチクゆっくりひと針ひと針進めていくほうが時間はかかっても確実で自分に合っているとわかった。
パンディミックの時、コロナにかかって毎日、刺し子を刺していて気持ち的に助かったのも覚えてる。

 

 


フランス刺繍を小学校以来してなかったけど、今年は草木染めの糸で刺繍の大作を仕上げて手で縫う事の喜びと楽しみ方があらためてわかった。

 

これは、1993年に卵巣癌になる前に生きていた私には、考えられない。あの頃の私はスキューバーダイビング、スカイダイビングとかしてあっちこっちに行っていた。マクロビオティックの食養で卵巣癌が治ってからはマクロビオティックをもっと勉強して、マクロビオティック講師になって、またあっちこっちと行くようになった。それから、2001年の臨死体験をするようなひどい車の事故で寝たっきりの私。歩行も出来ないと言われて車椅子生活。
そのおかげで座っていてもできる事をして喜びと楽しみを学んだ。
座ってゆっくり手縫いの刺し子、お裁縫をするなんて、このチャレンジがなかったらしていなかったかも。
2017年にリンパ腫のステージIV診断を受け、余命は1ヶ月もないと
ドクターに言われてもなんとかなるように思えたのは、自分の人生をひと針ひと針ゆっくり手で縫うかのように生きるという事を体験してこられたから。

こうしていろんなチャレンジがある中で、自分の肉体と気持ちの変化を受け入れてできる事を少しづつでもやっていける安らかな気持ちが持てる事に感無量。
ミシンを壊した時からこの生き方に進んでいくよう計画されていたのかもと最近はふと思いながら、人生はアニチャ・無常。

 


一呼吸一呼吸を観察し、刺し子をしながら一針一針自分の人生を縫うように生きていく。

2025 年の巳年に向けて、みなさんのご活躍、聡明なご発展とそして幸に満ちた年となることをお祈り申し上げます。これからもみなさんの癒しをささやかでもサポートできると幸いです。

Love, 

Sanae ❤️

 

追伸:初めて刺し子のワークショップを日米文化会館(JACCC)で来る新年1月26日(日)に教えさせていただける事になりました。感謝の気持ちでいっぱい。

https://jaccc.org/events/sashiko-basics-introduction-workshop-for-beginners/