小豆羊羹デザート

前回のブログでも書きましたが、私は小豆が大好き。

小豆は腎臓と膀胱の働きを助ける働きがあり、誰でも作れる小豆レメディ茶はとてもおいしくて、よくマクロビオティックのカウンセリングでは、多くのクライアントに小豆レメディ茶をおすすめし、自宅で小豆レメディ茶を作って飲むように勧めています。

小豆レメディ茶のレシピと、それが腎臓と膀胱に良い理由について書いた私のブログをまだ読んでいない方は、ぜひこちらで読んでみてください。

 

小豆レメディ茶を作った後、煮た小豆が残ります。

マクロビオティックカウンセリングしてクライエントさんに自宅で小豆茶を作って飲んでもらうようにすると「小豆レメディ茶の後に残った小豆どうしたらいいですか?」と聞かれます。

 

小豆レメディ茶を飲んだ後の小豆は、料理やデザートに使えます。

小豆とカボチャの煮込み料理/シチュー(『Love, Sanae』、料理本209ページ)

小豆のスープ

小豆のスプレッド(ジャム)/小豆のグレーズ(『Love, Sanae』、料理本217ページ)

小豆を使ったデザートには、羊羹、おしるこ、ぜんざいなどがあります。

 

この前までセントラルエアコン付き冷房の病室に入院していたクライアントのヒーリングワークを2ヶ月間していて、週2~5回通院していたら体が冷えきってしまい、腰痛。                      腎臓をサポートし、自分自身を癒すために「小豆レメディ茶」を作ってみました。             すると、体が温まり、心が落ち着き、痛みも和らいで安心。

通常冬に小豆レメディ茶をすすめますが、冷房の中で生活している人には必要なレメディ茶だと再確認。

 

小豆レメディ茶を作った後、残った小豆で小豆羊羹も久しぶりに作ってみたら美味しかった!

この「小豆羊羹」を新しく友達になったロニさんにシェアしたら、とても気に入ってくれて、作り方を教えて欲しいという事でみなさんにもご紹介する事にしました。

 

「小豆羊羹」レシピ

煮たあずき1カップ (私は小豆レメディ茶の後の小豆を使ったそのレシピ

てんさい糖 大さじ3~5

*寒天 大さじ2~3

メープルシロップ(お好みで小さじ1)

フルーツ(お好みで、写真のようにラズベリーなど)

1.

1) 小豆を濾した後、小豆が柔らかい場合は水を半カップ加えて温め始め、米飴またはてんさい糖を加えてよく混ぜます。

2) 小豆がまだ柔らかくない場合は、水1カップを加え、さらに30分、または豆が柔らかくなるまで煮てください。

豆が柔らかくなったら、米飴またはてんさい糖を加えます。

2. 甘味料をよく混ぜたら、味見をします。適度な甘さになっているか確認してください。

日本の羊羹には通常、粒餡(粗い餡をすりつぶしたもの)とこし餡(こし餡をふるいにかけたもの)の2種類の小豆餡が使われます。私は茹でた小豆を使うので、餡を作る必要はありません。

3. 寒天を加えて混ぜ、8~10分ほど弱火で煮ます。

4. 型やガラス容器に移し、冷まします。

冷蔵庫で保存できます。

5. 小豆羊羹を盛り付ける際は、ケーキのように切り分け、お好みでフルーツを添えてお召し上がりください。

羊羹を味見し、甘さが足りない場合は、メープルシロップを少量(小さじ1杯)加えます。

 

* 天然寒天は、肥満、高血糖、高血圧、高コレステロールといった生活習慣病に対して、非常に高い効果が期待される食品。

 

ゼリーや甘いソースのように柔らかく仕上げたい場合は、寒天の量を減らしたり、全く入れなかったりします。ゼリーとして食べたり、あずきグレーズ(『Love, Sanae』、料理本217ページ)を作って、煮たリンゴや桃などの果物にかけて食べたりします。

 

小豆羊羹作りを是非試してみて下さい。

 

Love,

Sanae❤️

腎臓と膀胱をサポートする小豆レメディ茶

子供の頃から大好きな豆は小豆。

これはレッドビーンズと呼ばれることもあり、アメリカでは「azuki」ではなく「adzuki」と書く人もいる。

小豆は日本でとっても人気のある豆。

大豆に次いで2番目に人気のある豆で、伝統的な日本料理とモダン日本料理の両方で和菓子にも使われている日本の代表的な豆。

私は小豆をもち米と一緒に炊くお赤飯(レシピ『Love, Sanae』料理本 37ページ)が好き。

お赤飯は日本では特別な機会、お祝い事などでよく出される。

日本人はハッピーイベントでお赤飯を出すことが多く、出産祝い、誕生日祝い、卒業祝い、入学祝い、長寿祝いなどお赤飯が出される習慣がある。

小豆の赤色は縁起が良く、災いを払う力があると聞いた事があり、お赤飯は様々な場面で魔除けの役割も果たしてきているのかも。

お赤飯が通常は米2/3カップに小豆1/3カップで作るけど、祖母は米1/3カップに小豆多めの2/3カップを炊いてた。それですっごく濃い赤みがかった色のお赤飯で小豆だらけ。私のお気に入りだったのを思い出した!

小豆はスープやデザートにも使われる。

マクロビオティックでは、腎臓と膀胱をサポートするために小豆を食べるのを勧め。

腎臓と膀胱は冬場にバランスを崩したりするので、冬の豆として小豆を食べるだけではなく小豆のレメディ茶を飲んでサポートすると効果的。

夏でも、冷房の効いた寒い部屋で過ごしていると、腎臓や膀胱の健康上に影響があって冷え性になっている人も多いかもしれませんので夏場でも、暖かい小豆茶を飲むことをお勧めします。

冷房の効いた寒い部屋で過ごすと、腎臓が収縮し、腎臓周りの腰の筋肉が硬直、思考力も固まる傾向。腎臓は冷たい環境を苦手とするため、夏でもコットンの腹巻きをしたり、コットンのタンクトップを服の下に着て、温かいお茶、特に小豆茶を飲むと尿の働きを良くして, 浮腫もよくなるでしょう。小豆は便秘、心臓、腎臓、肝臓、利尿、毒下しと大切な働きをする助けにもなる。その上、小豆には精神を安定にさせるナイアシンというビタミンがふくまれているので体だけでなく心もリラックスせせてくれる効果あり。

レシピ: 小豆レメディ茶(『Love, Sanae』料理本 197ページ)

材料:

小豆 1カップ

水 4~6カップ

昆布 5cm幅

1。小豆を水で洗い、鍋に水と入れる。

2。蓋をしないで沸騰させ、昆布を加えて蓋をして1~1時間半弱火でコトコト煮ます。

3。小豆を濾して、小豆汁(小豆茶)を食間の空腹時に1カップ程飲む。

4。残りは小豆茶が冷めたら、冷蔵庫で保存してください。飲む際は、弱火で温める。(この際、沸騰はさせない)。

残った小豆を作ったレシピで小豆羊羹デザートのレシピを次回載せますね。

体の中の老廃物と余分な水分を尿として体外へ出す効果をだして腎臓と膀胱の働きを助ける小豆レメディ茶を作って飲んでみてください!

Love,

Sanae❤️

 

おまけインフォ:

腎臓は、「老廃物を排泄する」だけでなく、尿の濃縮機構を使って体内の水分量を調節したり、塩分やカリウムなどの電解質と呼ばれる物質の濃度を調整しています。 体内で常に作られている酸性の物質を腎臓から排泄し、体を弱アルカリ性に保っています。

 腎臓は体の中の老廃物と余分な水分を尿として体外へ出します。 この機能が低下すると体内に過剰な水分が残り、次第に体重が増えむくみになるのです。

痛みに効くセント・ジョンズ・ワートフラワーオイルを作る

2025年は、刺し子ワークショップ教えて、愛犬ルミの世話、そして昨年ご主人を亡くされた長年のクライエントのヒーリングのお手伝いなどして思いもよらない活動的な半年。

季節ごとの手仕事として、3月に20ポンド(約10kg)の味噌作り、5月には25ポンド(約11kg)の梅仕事(梅干し、梅酵素シロップ、梅酒、ビワチンキ)を6月に仕上げた。
ブログに書く時間が取れないうちに夏がやってきちゃった。

カリフォルニア州ノースフォーク村にある我が家の別荘に毎月行った時に、この2ヶ月間、薬用植物やハーブを採集した。夏のハーブ採集で特に気に入っているのは、セントジョーンズワート(セイヨウオトギリ)!
特に変わった花ではないので、もしかしたら見逃した方もいるかもしれませんが結構どこでも山に行くと生えてる。

 

セントジョーンズワートを使って、ハーブオイルやチンキ剤などを作るのが好き。

ヒペリシン(セントジョーンズワートに含まれる成分で、抗うつ薬に似た化学的・薬理学的特性があると言われています)がオイルやチンキ剤に赤みを帯びた色を与え、出来上がりはとても美しい。

 

セントジョーンズワートオイルには、多くのメリットがある。

 

スキンケア:

創傷治癒:セントジョーンズワートオイルは、軽度の火傷、あざ、傷、その他の皮膚の炎症の治癒を促進するために伝統的に使用されています。

抗炎症作用:炎症を抑え、炎症を起こした肌を落ち着かせるのに役立つため、乾癬などの症状に効果的です。

抗酸化作用:このオイルには、ヒペルフォリンやヒペリシンなどの抗酸化物質が含まれており、肌を保護し、自然な輝きを保つのに役立ちます。

保湿:乾燥してひび割れた肌に潤いを与え、全体的なしなやかさを改善します。

 

気分と精神の健康:

軽度の抗うつ作用:セントジョーンズワートオイルを局所的に使用すると、気分を高揚させ、穏やかで幸福な気分を促進する可能性があります。

ストレスと不安の緩和:緊張、ストレス、不安を軽減するのに役立つ可能性があります。

 

痛みの緩和:

筋肉の緩和:このオイルはマッサージに使用して、筋肉の痛みや不快感を和らげることができます。

神経痛:神経痛や坐骨神経痛などの神経痛に伝統的に使用されてきました。

 

今日は痛みの緩和・筋肉の緩和のオイル痛みを和らげるオイルです。

2001年に瀕死の交通事故に遭い、足と脚を負傷しました。

二度と歩けないと言われてたけど、努力を諦めなかったおかげで長い時間がかかりましたが今は歩けるようになってる。

日々の努力の一つは、ふくらはぎ、足の裏、つま先、そして手と指先をマッサージすること。そう、20年以上、365日続けているんです。セントジョーンズワートは、私がマッサージに使う薬草オイルの一つ。

 

普段はフレッシュな収穫時すぐのもの使いますが、今年は時間がなかったので、乾燥させて、オイルと混ぜる事にした。

フレッシュなセントジョーンズワートで作ったオイルの方が効果が高いと言われていますが、乾燥したセントジョーンズワートオイルでも効果を実感しているので、乾燥オイルでも十分効果はあり。

 

とても簡単に作れるので、ぜひみなさんも試してほしいな〜。

 

1。セントジョーンズワートの花をガラス容器の4分の3くらいまで入れます。セントジョーンズワートには殆ど香りがないので、ラベンダーの花がお好きなら加えると香りつきます。

 

2。オリーブオイル、ひまわり油、米ぬかオイル(私はオーガニックの未精製スイートアーモンドオイルを使用しています)などを、ハーブが浸るくらいまで入れます。
3。オイルの抽出方法:
1)日光抽出:密閉した瓶を、暖かく日当たりの良い場所に2~4週間、あるいはそれ以上置いておくのが伝統的な方法です。ヒペリシンなどの有益な成分の抽出を促し、オイルに赤みがかった色をつけます。
2)温水抽出(オプション):日光を避けたい場合は、低温のクロックポットや温かいオーブンを使うことを推奨するものもありますが、特定の成分の抽出には日光が不可欠だと考える情報源もあります。
特に最初の1週間は、瓶を毎日振ったりかき混ぜたりして、均一に抽出してください。
4. オイルを濾す:浸出期間後、チーズクロス、モスリンクロス、または目の細かいふるいを使ってオイルを濾し、清潔な瓶に入れます。1~2日置いてから、透明なオイルを丁寧に注ぎ出し、残留物はすべて残します。
5. 保存方法:完成したオイルは、冷暗所、できれば遮光性の高いガラス瓶に入れて保存してください。冷蔵保存すると保存期間を延ばすことができます。適切に保存すれば、オイルは少なくとも6~9ヶ月、場合によっては1~2年は持ちます。

*セントジョンズワートは特定の薬剤と相互作用を起こし、日光に対する過敏症を引き起こす可能性があります。特に薬を服用している方や持病のある方は、セントジョンズワートを使用する前に必ず医療専門家にご相談ください。この情報は教育目的のみであり、専門的な医療アドバイスに代わるものではありません。

 

夏の手仕事、ぜひ楽しんでください!

 

Love,

Sanae ❤️

愛する犬娘ルミへの賛辞

大好きな犬娘のルミちゃん(ルミネール・オロ・スズキ)は、2025年5月18日午前9時45分に虹の橋を渡るために天命。

ゴールデンレトリバーで15歳半。
本当に長生きしてくれました。
お疲れ様でした、ルミちゃん!

ミラクルガールで産まれてきた、とっても元気なルミちゃんは、人生を精一杯生き、私たちにたくさんの愛と勇気を教えてくれた。

以前もルミちゃんのことをブログに2回書きました。彼女に捧げました。

ゴールデンレトリバー: ルミちゃんの輪廻転生

ミラクル・奇跡

 

ルミちゃんは昨年12月6日午後3時9分に心臓発作を起こした。

3時間くらい普通に呼吸が出来なかったのでその間、もうお別れかとヒヤヒヤだった。でも、何とかきちんと呼吸ができるようになって、翌日から食事もできるようになった。
ルミちゃんの生きようとする力はすごい。
でも、ただその後、大好きだったお散歩には行けなくなってしまったルミちゃん。
文句も言わないで、出来ることに幸せを感じて生きてた。


クルスマスの日にビーチに連れて行ってあげたら、ゆっくり砂浜を歩いてとっても嬉しそうだった。

 

 

ルミちゃんは今年1月19日に15歳の誕生日を迎え、ルミちゃんが大好きでいつも可愛がってくれていた隣人の友達の家を訪れ、エリックが作ったブルーベリーパンケーキをバースデーケーキとして食べてとっても嬉しそうだった。今回は以前より長く生きられたことを実感してたルミちゃん。

 

その後、2月23日頃に肺の問題が発生。それからは本当に毎日をゆっくり過ごし、ほとんどの時間をマナカニ(ルミの娘ハッピーが亡くなった後に来た1歳の女の子)と一緒に過ごし、よく食べてよく寝てた。

 

ルミちゃんはきっちり屋さんだったので、毎朝の日課をやりたがり、寝返りが自分で出来ないと吠えて私たちに知らせて、反対側を向いたり、起き上がって外に出て自分でトイレに行ったりしていました。

 

その後、温かいビワの葉を浸したお湯で身体中マッサージして、手作り重曹入り海塩歯磨き粉をで歯茎と歯磨き。

それから、ハーブとホメオパシーの薬、そしてルミちゃんの好きな蓮のクリームを使ったレメディティー、手作りの朝食(『Healthy Happy Pooch』のレシピから)。関節炎で腫れていた前肘には、豆腐とビワの葉で手作りした湿布を貼ってあげてました。

 

 

 

朝の日課が終わると、ルミちゃんは家の裏のデッキが日陰なので行きたがった。一段段があて通気性の良い涼しい屋外ベッドが大好きだった。そこで空や木々、リス、フクロネズミ、鳥たちの動きを眺めたり居眠りをした。あらゆる匂いや音が聞こえたから、時折ルミちゃんはエキサイトしてる声も出した。ルミちゃんは自分で寝返りしたりして自分の体制を調整してた。彼女は最後まで勇敢な自立心があった子だった。

 

 アメリカに移住してから、18匹の動物家族(犬13匹と猫5匹)を虹の橋に送てあげたので(それと日本にいた頃は犬をもう3匹)、悲しみは楽になる?
ノー!

その悲しみはまるで海の波のように、時にはとても穏やかな波ですが、時には泳げないほど激しく、溺れてしまいそうなほどの大波になってやって来る。
波の圧力に押し流され、水面に浮かび上がることができない。息ができないような気持ち。目の前が真っ暗。

 

5月18日午前9時、私が刺し子のワークショップを教えるために家を出た後、ルミは息を引き取りました。

ワークショップが始まる約5分前、エリックから電話があり、ルミちゃんが逝ったと伝えられた。

私が家を出てから、ルミちゃんを抱いて、隣に横たわっていたんだよエリックは言いました。彼はルミちゃんの心臓の下に手を当てていたので、ルミちゃんの鼓動を感じ羅れていたけど、ある瞬間、ルミちゃんの鼓動が止まったように感じ、ルミちゃんの顔をじっと見つめていると言って、彼が泣いているのがわかった。
「ルミは大きく息を二度して、僕の腕の中で安らかにいっちゃったんだよ。」

この時がいつか来るとは知っていたけど、立っていられない程の悲しみでどうしたらいいか分からなくなった。どこかに隠れたくなって、お手洗いにまず行って気持ちを落ち着けて、なんとかワークショップを教え終えたけど、あんまりその後の事を何も覚えていない。

 

家を出る前にルミちゃんには、もし私がいない間にルミちゃんが逝かなくちゃいけないなら私を待つ必要はないよって話していた。それはルミちゃんは私が一緒にいる間は逝けないような気がしてたから。ルミちゃんがいなくなってしまうのは寂しいけど、たくさんの時間をルミちゃんと一緒に過ごしたから、彼女の思い出とルミちゃんの家族と一緒に生きていける。ルミちゃんのように精一杯生きていかないと。

 

ブログ 「ゴールデンレトリバー: ルミちゃんの輪廻転生」に書いたように、

ルミちゃんは私の生きているこの今世紀の間に4回も私のもとに戻ってきてくれた。

前回の3回は全て若い時(4ヶ月、1歳、4歳)に交通事故で亡くなったので、今回戻ってきた時は、ルミちゃんは必ず本充実した長い犬生を送りたいと願ってた。
なので私は、ルミちゃんが健康で長寿できる犬生を生きられるように、お手伝いすると誓いました。
そして、ルミちゃんは今回、長生きして願いを全うしました!

 

 

ルミちゃんは奇跡の女の子犬で、人生を精一杯生きてくれました。ありのままの自分でいること、たくさんの愛情を注いでくれること、気楽に過ごすこと、そして毎日を素晴らしいものにする方法を教えてくれました。

彼女はサンタモニカの我が家で、私の最初の介助犬キンちゃんの娘だったオロちゃんの末っ子犬として生まれました。あの瞬間は今でも昨日のことのように覚えています。

 

ルミちゃんは生まれたとき呼吸をしていなかった。母親犬のオロちゃんは彼女を舐め続けました。そして私が口から呼吸してCPRもしてルミちゃんは初めて呼吸をしました。
ルミちゃんは奇跡の女の子犬​​。
ルミちゃんは強い意志の持ち主で、小柄な体格にもかかわらず、大人になった時の体重はわずか15kgしかありませんでした(平均ゴールデンレトリバーの体重は最低27kg~30kg)。

 

ルミちゃんを、兄弟のブブと母親のオロと一緒に、マクロビオティックなヴィーガンフード(ヘルシーハッピーポーチ)で育ちました。そして、ルミの娘のハッピーが仲間入りしました。
ルミちゃんは食いしん坊で、私があげるものは何でも食べました。
ルミのお気に入りは生のブロッコリー(特に茎を薄く切ってあげると
クランチーで美味しかったようです)、カリフラワー、そしてカリカリのおやつとしてニンジン。また、茹でたインゲン豆、小豆、テンペ、カボチャ、サツマイモ、ピザクラストも大好きだったな〜。
うちはたくさん犬がいるのでいつも2つのチームに分けてみんなと散歩。ルミちゃんは最初のチームに連れて行ってあげないと、吠えて泣き続きてました。
まうからです。そうルミちゃんはエキサイトし子だったんです。一旦散歩に出かけると、満足して裏庭のデッキの上でリッラクス。
ルミちゃんは娘のハッピーにとって最高のお母さんでお兄ちゃんのブブ君にとっても良い妹だった。

 

 

前生まれてきた時は「ドレ」という名前っだったルミちゃん。その頃もは元々エリックの犬娘だったにもかかわらず、ルミちゃんはいつも私のそばにいてくれたので、私も彼女のそばにいてあげました。
私たちは自転車に乗ったり、ハイキング、水泳、スタンドアップパドルボード(SUP)など、色々なことをしたのを思い出せる。


             

特にルミちゃんが年をとって、関節炎で歩くのが難しくなってからは、私はできる限り彼女と一緒にいてあげました。家の中では、私がどこへ行くにもついてきて、例えば、リビングルームから仕事机のある部屋へ移動すると、彼女は起き上がって私のところに来ました。起き上がれない時は、声をだして助けを求めました。起き上がるのを助けてあげると、私のいる部屋までゆっくりと自分で歩いてきました。そして、大きないびきをかきながら眠ってました。
今、これを書いている今も、仕事机の横に彼女がいるように見えて、声も聞こえます。

ああ、ルミちゃん…抱っこしてあげたい。

                                                                                         

彼女が亡くなった後、クライアントの一人が入院していたため、一週間ずっと仕事をしてた。それと2つ刺し子のワークショップも予定されたので、ルミちゃんの死を悼む時間はすぐ取れなかった。
その間、胸が張り裂けるような思いが続いてた。
何も感じられず、やる気が出なかった。
ルミの死を否定したかったし、ルミがまだ私のそばにいると感じたかったのかも。

 

ルミちゃんを偲んで何かをするのは避けたかった。でも長い年月、ルミちゃんと一緒に生きていたからそれは無理な事だった。

ジャーナルを辛い時に感情を解放するために書いてる。
でも、今回2週間ルミちゃんのことを書くことができなかった。その間「刺し子を教える喜び」をブログを書いて投稿。これはルミちゃんのことを考えないようにするための手段だった。

何かお腹に詰まっているような感じ。それを体から追い出そうと深呼吸を何度もしても何かが引っかかっているような感じがしてそれは出てこない。
ため息、ため息、そしてまた、ため息…

 

朝、起きて1日を始める時が一番虚しい。
毎朝、ルミちゃんにマッサージをし、ビワ湿布をし、レメディドリンクを用意し、歯磨きをし、毛をブッラシング、手作りの食事(ヘルシーハッピープーチの本からのレシピ)とレメディをあげてた。

今、目が覚めると、まるで目的を見失ったような寂しさ。

生きがいを感じない!

 

ルミが亡くなって10日が経ち、ようやく数日休みが取れて、だんだんと落ち込んでいった。

その朝、目が覚めるとルミちゃんの声が聞こえた。
何もできずに時間が過ぎていった。
初めて丸一日を自分の時間で過ごせた日。
ルミちゃんに触れて、むしょうに会いたくなった。
ただ何かを見つめていたけれど、何も見てない状態。

ふと目を下に向けてみると、ルミちゃんが一年中、昼間寝転んでいた床を見ていた。

ルミちゃんはベッドを4つも持っていた。
ルミちゃんがいなくなってから、誰もそのベッドを使いたがらない。

ルミと毎日ほとんどの時間をそのベッドで過ごしていたマカニも、使わないでとても悲しんでいる。

マカニ以外の他の犬猫家族もみんな、ルミちゃんがいなくなって悲しんでいるのが、わかる。
ルミちゃんは家族のリーダーで、みんな彼女を尊敬してたから。

ルミちゃんの犬生の最後の数日間、みんなは彼女にスペースを上げて、
あまり近くに来ないで、静かにしてた。

私はこの人生でたくさんの犬猫の家族に恵まれ、とても幸運だと思う。
ルミちゃんが逝ってから今、うちには動物家族の犬4匹と猫2匹がいる。

まだ他の動物の家族が側にいるから、悲しみは和らぐのでしょうか?
悲しみが深くないとかはよく分かりませんが、残された動物家族は確かに私を支えてくれてます。

私が泣くと、みんなが私のところにひとりづつにやって来て、頬をなめてくれたり、ハグしてくれたり、悲しい声を出して一緒に泣いてくれる子もいます。
なのでこの子たちのお陰で落ち込んでもなんとかまた、悲しみに穴から這い上がってこれるのかも。

一つ確かなのは、それぞれの動物家族が、私の心のそれぞれ違う部分に触れ、私をより良い人間にしてくれてること。

動物家族は私にとって、本当に大切な存在。
この子達がいなかったら、どうやってこんなに平穏で幸せな人生を送ることができたのか、想像もつかない。

悲しみをテーマにした内容は、以前にも何度かブログで書きました。

下記はその中の2つ。

悼しむ

愛犬ハッピーの旅立ち後の悲しみを癒すセルフケア 

 

今回は3つ以上のレベル段階分けした内容を書いてみました。
1。チャレンジ

ー この段階では、喪失という現実と、悲しみ、怒り、混乱、さらには罪悪感といった、そこから生じる困難な感情に立ち向かう、”チャレンジ”。
ー 喪失とその影響を受け入れようとする中で、感情的かつ精神的な葛藤に直面する時期。
ー 悲しみは自然な反応であり、悲しんだり、怒ったり、混乱したり、無感覚になったりするのは当然のことなので、自分の感情を抑圧しない。

自分の気持ちを抑圧しているわけではないし、悲しみを経験するのは初めてじゃないけど、どう感じたらいいのか分からないと言うか、分かりたくないと言うのが本音かな。
まるでいろんな形の雲が私に近づいてくるように、その雲を見て私が感じるものがいつも変化していく。この雲が雨雲になって土砂降りの雨に濡れたくないと言う気持ちが出たら、この場から逃げ出したい気持ちもあれば、その雨に濡れて走ったり、ただ歩いたり、ただ立っていたり。気持ちはその瞬間、瞬間に変わるのをそのまま見れるようになってあげたい。

ー 必要な時には泣く:泣くことは感情を解放する健康的な方法です。
私は悲しい気持ちを涙で解き放つために、悲しい映画を観る必要がある時もあります。

癒やしには時間がかかり、良い日も悪い日もあるから、自分には優しくそして辛抱強く接することが必要。

辛抱強く、忍耐強く生きていくことが私の人生の鍵だと信じてる。でも、私の感情は浮き沈みが激しく、いつ悲しんでいるのかさえ分からないこともある。
まるで海の波のように、無限に変化していく。

2。変化:
ー 悲しみは、人生をどのように経験し、世界をどのように捉え、他者とどのように関わるかに大きな変化をもたらす。この変化は、かつての人生がもはや同じようには存在しなくなるため、混乱や孤立感を感じることがある。

誰もが人生で悲しみを経験し、自己愛を持って再び幸せを感じるために前進することを学ぶ必要がある。

ー セルフケア
自分の感情をケアすることが私にとって一番難しいと思う。

ー 身体の健康に気を配る:運動をし、健康的な食事をし、十分な睡眠をとる。
悲しいときはこれは難しいんだけど、セルフケアを実践するようにベストを尽くしています。朝起きたら、歯磨きの後にボディスクラブをし、朝食に味噌汁を食べ、できるだけ睡眠をとるかお昼寝をする。
ー ルーティンを確立する:起床、就寝、食事のスケジュールを規則正しく保つようにする。
規則正しくスケジュールを持って生活する事は残された他の動物たちにとっても必要。

ー アルコールやその他の不健康な習慣を控える:これらは悲しみを悪化させる可能性があります。
私の場合は、アルコールは40年以上飲んでいにので、食べ過ぎや食欲がなくなって全然食べない事に注意する必要がある。それと、泣きすぎた時は水分を補給。

ー 好きな事を見つける:趣味、社交イベント、その他喜びを感じられる活動に参加しましょう。
私は気功のクラスとか行けなかったけど、刺し子と手縫いが家でひとりでもできて良かったなと思う。今は初めての手縫いドレスを製作中。

3。つながり:
この段階では、他者との関係を維持し、構築することの重要性が強調されます。愛する人とつながり、サポートを求め、亡くなった人との共通の思い出を思い出すことが促されます。

ー 信頼できる友人や家族に話す:気持ちを分かち合うことで、慰めや支えが得られる。
ルミが亡くなった日、私はビーチに行った時に友人に電話をかけた。一人しか電話には出てくれなかったけど、ひとりでも話せて良かった。

ー グリーフサポートグループ人たちと繋がりましょう:同じような体験をした人たちの話を聞いたり、自分の事を話したりしてコミュニティ意識を高める。

今回は参加しませんでしたが、ペットのグリーフサポートグループのミーティングに参加したことがあって、助けられました。ペットを愛する人のための、優れたオンラインのグリーフサポートグループがあります。

ー 専門家の助けを借りる:対処に苦労している場合は、セラピストやカウンセラーがアドバイスを受ける。

私も近いうちにセラピストに自分の気持ちを話す準備ができてきています。

それと、
ー 亡くなった人や動物の家族を思い出す:幸せな思い出に思いを馳せ、共有していた絆を認める。

私は起床後、ろうそくに火を灯し、お香を焚き、水を交換し、祭壇に新しい食べ物を供えます(花も必要に応じて交換します)。写真をまとめ始めている。

ー 自分を許す:すべてをできなかったからといって、自分を責めないでください。

ルミちゃんには心の中では最善を尽くしたと信じているので、自分を責める気持ちは殆どありません。

ー 自分の悲しみを他人と比べない:誰もがそれぞれの方法で、異なる方法で悲しむのです。

私の場合は、最初は一人になって自分の本当の気持ちに向き合う必要がありますが、外出して人と交流する必要がある人もいます。エリックのように海に行ってサーフィンして自分を癒す人もいます。

ー 自分の考えや気持ちを書き留めてみる。これは感情を整理するのに役立ちます。

今こうして書いているように、書くことはいつも私にとって助けになっている。

ー 活動的でいる:毎日何か屋外で何かをするようにし、できる限り歩きましょう。

私は毎朝犬と散歩に行きます。週末は海や湖に行って命の洗濯。

ー 医師の診察を受ける:悲しみはストレスになることがあるからです。そのため、必要なら医師に自分の状況を必ず伝えてる。

悲しみが免疫力を低下させるという経験が私にはあります。1993年に癌になった時は父が亡くなり、最初の夫と離婚した後のこと。その時は、自分が悲しんでいることさえ気づいていませんでした。2017年に2度目の癌になった時、愛犬クラが亡くなり、その後エリックと私はレストランを失いました。これもまた大きな悲しみでしたが、前向きに、引きずられないように努めていました。あまり自分の悲しみを受け止めてあげられていなかったのが現実。

今回ルミちゃんを亡くして私はまだ1の段階にあり、2に入っていますが、このブログを書いているうちに3に触れられるようにるなってきてるのを感じてきた。


以前、他の動物家族が亡くなった際に、仏教の法要の伝統について簡単に書いたので、
今回は、少し詳しく書いて最後にします。


私は熱心な仏教徒ではなく、日本の家族もそうではありませんでした。そのため、私は自宅で動物の家族のために、自分なりの法要を行っていて、伝統的な法要とは異なる場合があることをご了承ください。以下は、私が動物の家族のためにアレンジした、人間の法要についての情報です。
この後の仏教の法要についてはまだ英語だけで日本語の翻訳はできていないので、
また時間を見つけて書いていきますね。
なので、また読みに来て下さい。
宜しくお願いします。

 

First, what is the purpose of the Buddhist memorial services?

In Japan, when I was a child, I remember being scolded and told that if I lied, “King Enma will pull out your tongue and send you to hell”?

In Buddhism, when a person dies, they say goodbye to this world and travel to a place called “Chuin.”

 

Chuin is a world where trials are held to determine the destiny of the deceased in the afterlife. This journey lasts 49 days and is known as the “Journey to the Underworld.” Every seven days, the deceased is judged by the kings of the underworld dynasty for the crimes they committed in life.

 

On the day of the trial in the interment period, people close to the deceased gather in this world to hold a memorial service. They pray to the Buddha, creating a bond that enables the deceased to reach paradise safely and find happiness. The first day of this process is the “first seventh- day”(初七日-Shonanoka) memorial service.

 

The first 7th day is the start of the journey to the underworld. The journey to the forty-ninth day

 

The first seventh-day memorial service is customarily held on the seventh day, starting from the day of the deceased’s death. After that, seven memorial services are held until the forty-ninth day (the seventh 7th day), which are called Chuin Kuyo or Otaiya/Otan-ya.

 

I usually light a candle and burn incense, accompanied by the sound of an iron (Japanese Buddhist bell). Also, offering water, food that he or she liked in life, and flowers.

The first 7th day (Shonano-ka 初七日)

 

On the first seventh day (Shonanoko-7th day), the deceased walks up a very steep mountain. It is said that they progress by eating incense during this time, so incense is burned in this world for this reason. At the end of the journey is the first judge, King Hata Hiro.

In this world, we pray to Acala, who has a fearsome face and warns us against the worldly desires of humans for good judgment.

 

We went to the beach to pray and told Lumi how much we thank her for her life here with us.

The second 7th day (Futannoka 14th days)

 

As soon as they cross the mountain, they come to the Sanzu River, where those whose crimes are light cross on a bridge, while others must cross in shallow water or through muddy water, depending on the severity of their crime. The fare to cross is six-mon yen (about 200~300 yen now), so they place a six-mon money coin in their coffin.

 

Once they have crossed the river, they are judged by Hatsue-no-O to see if they have committed any acts of murder, but in this world, they seek salvation from Shaka Nyorai, who will grant the prayers of anyone.

 

I know my animal family is all able to cross over the rainbow bridge without problems.

 

The third 7th day (Minanoka 21st day)

 

The third trial is when the Song Emperor uses a cat and a snake to punish those guilty of infidelity. The Buddha to whom people in this world pray is Manjusri Bodhisattva.

 

Manjusri Bodhisattva, known as the proverb “three heads together make Manjusri’s wisdom,” grants the wisdom to go to the Pure Land.

 

The fourth 7th day (Yonnanoka 28th day)

 

Next, you will meet the Gokan-o. Here, there is a scale that weighs the amount of bad words and actions that the deceased committed during their lifetime, and the deceased is placed on it.

 

Samantabhadra Bodhisattva, riding on a white elephant, is full of mercy and will lead you to the world of enlightenment with his many merits.

 

The fifth 7 days (Itsunanoka 35 days)

On this day, the famous King Enma awaits. He uses a mirror made of crystal to reflect the evil deeds of the deceased and has a demon pull out the tongues of anyone who lies.

 

King Enma then decides where the deceased will be reborn. In this life, we pray to Jizo Bodhisattva, but the Jizo that is closest to us is a Buddha who saves us from the suffering of hell.

 

The sixth 7 days (Munanoka 42 days)

 

In the 6th trial, the judgment is made by the King of Transformation based on the reports of King Gokan, who used the scales, and King Enma, who used the mirror. The conditions and place for rebirth are also decided in detail.

 

Maitreya Bodhisattva is said to be the successor of Shakyamuni. It is the Buddha who will save us in the distant future. He teaches us how to help others attain enlightenment, not just ourselves.

 

 

The seventh 7 days (Shichinanoka 49th day)

 

This day, which is the 49th day after the death, is an important day for memorial services.

 

It is the day when King Taishan hands down the final decision based on the results of the trials so far. Depending on that decision, the deceased leaves the intermediate world and sets off to be reborn in one of the following realms: the realm of heaven, the realm of humans, the realm of Ashura, the realm of animals, the realm of hungry ghosts, or the realm of hell. In this life, prayers are offered to Medicine Buddha for the best decision to be made.

 

What is a 49th-day memorial service?

 

In Buddhism, the 49th-day memorial service is a significant ceremony to pray for the deceased’s soul to attain enlightenment peacefully. In Buddhism, the 49 days after a person’s death are called “Chuin” or “Shichishichinichi,” and memorial services are held at turning points every 7 days during this period. Starting from the 7th day, followed by the 27th and 37th days, the “49th-day memorial service” is held on the 49th day, which is the seventh 7 days, and prayers are offered for the soul to be led to the Pure Land.

 

49th-day memorial service for animal companions

 

Increasingly, families in Japan are holding 49th-day memorial services for their animal companions, following the tradition of funeral rites for humans. For owners who feel that their beloved dog is like a member of the family, carefully sending off the soul of the animal companion is an essential step in processing their grief.

49th-day memorial services are gaining attention as a ceremony that allows owners to express their feelings of “thank you” to their pets and their desire to see them off until the very end.

 

Kula, who was Lumi’s antie, used to go to our restaurant Seed Kitchen, so I offered a 49th-day memorial service for Kula and invited many friends.

I post about it on my blog.

 

Spend time mourning with family and friends.

 

It is also essential to hold the 49th-day memorial service with family and close friends. By sharing time together centered around your deceased animal family, such as talking about memories while looking at photos and videos of your beloved dog and playing your favorite music, you can heal your grief. Rather than carrying it alone, mourning together will ease the burden on your heart and give you the strength to look forward.

 

ルミちゃんの旅立ちについては、今のところ数人の友人にしか話していません。

テキストメッセージはコミュニケーション手段としてあまり得意ではないので、電話で連絡しました。
連絡した時、ほとんどの人は忙しそうで、それも仕方ないし、何人かの友人と話しましたが、ルミちゃんが亡くなったという知らせを伝える勇気がなかった。

まだ自分の気持ちを伝えるには適切な時じゃなかったかも。

体があまりにも縛られているように感じたので、指圧マッサージを受けました。本当に助かりました。

ルミちゃんの犬家族とビーチに行ったことも、彼らの悲しみを和らげるのに役立ちました。

ルミちゃんを偲んで、ガーデニングをして、植物やハーブを植えました。

 

これを書くのに2週間以上かかったけど、いつものようにこうして文章を書いて感情を整理し、ブログを投稿するのは、とても癒やしにつながってきている。
でも、このブログに載せるためにルミちゃんの写真を見るのは、どれも良い思い出ばかりなのに、本当に辛かった。
ルミちゃんがここにいてくれたらどんなに良いか。

もう一度、ルミちゃんの笑顔を見て、そのお顔を触ってあげたい。

ルミちゃんはチェリーが大好きなので、チェリーの季節が来ると一緒に食べた。
エリックにチェリーパンケーキを作ってもらいました。

ルミちゃんの人生をスマイルでいつかお祝いしたい。できれば四十九日にか100日に。

「ルミちゃん、あなたは本当に素晴らしい子。精一杯頑張って、精一杯生きたね!」

「ルミちゃんは本当に誇りだよ!」

「心からありがとう、ルミちゃん!!」

Love,

Sanae❤️

P.S. このブログを書いた後、ルミの遺灰が家に帰ってきました。
ルミちゃんのフワフワの毛、ひげ、鼻と足跡プリント、そして歯も受け取りました。遺灰のお陰か気持ちはだいぶ落ち着きましたが、同時にもっと深い悲しみを感じ、大声で泣いた。
泣き終わった後、ルミがこれまで以上に私のそばにいることを実感した。そしたらルミちゃんが「ママ、私のためにいっぱいしてくれて、ありがとう!」「大好きだよ!これかも何があっても、ずっとずっとママと一緒にいるよ!」って言ってくれました。(涙。。。)

刺し子を教える喜び

若いころに夢や目標を持つ人もいて、それを実現できる人もいる。

私の場合はそんな感じではなかった。

小学校2年の頃、自分で育てた花や植物を販売する花屋か苗屋を経営したいと思っていたけど、家に庭がなかったので、果物屋からもらった木箱でたくさんの花を育ててたけど、その夢はどこかに行ってしまった。それから、水泳が好きで、オリンピック選手になれるかもなんて一瞬だったけど思ったり、小説を読んだり書くのが好きで、ライターになりたい時期もあった。
17歳にハワイに行く時、飛行機に乗ってからフライトアテンダントの仕事もいいかもしれないと思ったり、車の免許をとって運転するようになって、運転が好きでF1レーサーになりたいとも思った。

19歳でアメリカに来て大学で専攻していたフォトジャーナリストになっても良いかもと思い立ち、メディアのコーディネーターを仕事をして、家庭菜園や動物の家族と過ごす時間が無くなってしまうとわかって、メディアの仕事は辞めた。
グリーンカード(永住権)をもらうまでは、免税店、お土産屋さんで働いたり、車を洗う仕事、芝をかうガーデナー、植木屋さんのグリーンハウスで南アメリカの植物を育てたり、いろんな仕事をした。

結婚してグリーンカード(永住権)を獲得後、三菱系の日経の企業で仕事をして、自分がやりたい事とか考えないでただ働いてた。


そして、1993年に卵巣癌と診断された。
父は肝臓癌を患い、診断から1年も経たないうちに亡くなった後だったので、私はマクロビオティックの食事法を中心としたホリスティックなアプローチで、主に自分自身を癒すことを選択。
ロサンゼルスのイースト・アンド・ウエスト・マクロビオティック・センターで、マクロビオティック料理と陰陽哲学を学んだのは人生の転換期、真っ只中。
治ることだけ考えて自然療法、
マクロビオティックを努力して一生懸命勉強して実践した。
自分の知識や技術を他の人に伝える仕事につくとか教えるとは思ってもみなかった。

卵巣癌から回復していくと、周りの人たちからどうやって食事療法で治ったかを話して欲しいと聞かれた。また、エレホーン・ナチュラル・フーズ・マーケットでマクロビオティック・コンサルタントとして新しい仕事にひょんな事から就いたのをきっかけに、マクロビオティックについて話すことで自分自身が救われたように、他の人を助けることができると感じ、1995年に初めてマクロビオティック料理教室をやってみた。

また、マサチューセッツ州ベケットにあるクシ・インスティテュートでマクロビオティック栄養カウンセラーの資格、マッサージの資格も取得。
夫のエリックはシェフなので私は、マクロビオティックのデリバリーサービスとプライベートクッキングサービスを運営し、指圧などのヒーリング療法を提供していった。
マクロビオティックの指導とヒーリングカウンセリングを行う傍ら、エリックと私はマクロビオティック・ビーガンレストラン「シード・キッチン」をオープンしました。
レストラン経営は過酷で、非常にストレスだったので、残念だったが8年後
閉店。6ヶ月後に体調が悪いのを感じてステージIVの血液癌、非孵化性リンパ腫で余命1ヶ月もない!と診断された。癌細胞の成長が早かったので、とにかく命を救うために、化学療法を受けることを決意。ホリスティック・マクロビオティックの実践も続けて、治療の副作用を軽減することができた。
改めて、以前よりももっともっと健康である大切さを知った。
こんな感じで30年以上があっという間に過ぎてしまったのは、信じられない!

2020年にパンデミックが起こり、料理教室を閉鎖。
アート、テキスタイル、そして長年好きでしてた刺し子と天然染料など、自宅でのオーガニック植物栽培に力を入れるようになっていった。
マクロビオティックの哲学を通して、すべてが変わっていくことを学んでしたので、また変化の時が来たと感じていた。
そして、ボタニカルワークと刺し子のワークショップを教える機会が知人を通してやってきた。

 

また教えることができることになって嬉しい。

教えるということは、自分の実践と経験をシャエアーでき素晴らしい。

私は孤独が好きな方で、たいていは家で、ひとりで動物家族と過ごしながら、
アート・ヒーリングスタジオで自分のプロジェクトをクリエイト、お庭では薬草や野草を育ててのんびり過ごして、時々カウンセリングとヒーリングワーク。

 



ワークショップを通して、たくさんの人と繋がることもでき、前回のワークショップでは17歳の高校生の男の子がが参加してくれて、刺し子をとても楽しんで、とても感動。
私にとって、ワークショップで教えるのはバランス丁度良い。


教え始めた時、刺し子のワークショップは予想以上に人気でビックリ。

私の教える刺し子ワークショップは、まず刺し子の基本をみなさんに少し刺し子の歴史も含めて学んでもらう。刺し子は刺繍枠を使わないので、布の持ち方、針の持ち方、糸の準備、そして糸こき(刺し子糸を刺して布と糸を滑らかにする)による布と糸の関係、その他、糸の長さは、それぞれの人の指先から心臓(ハート)、つまり指先・天(ハート)から地(アース)へのエネルギー(ひとりひとりの長さが違う)。

マクロビオティックを教えてきたので、その経験を活かして最初に刺す刺し子のパターンはひとめ刺しの「ライスステッチ(米刺し)」とライスステッチ(米刺し)のバリエーション刺し方。サンプルをみなさんに見てもらうと、みんな一斉に”きれい!素晴らしい”と言う。

シンプルですが、本当にとても美しい刺し子パターン。

 

ロスアンゼルスの日米文化会館 JACCC とサンタモニカのワイルドファイバースタジオ Wildfiber Studio で毎月ワークショップ。

その他 Chief ((ウエストハリウッドにある女性向けエグゼクティブ・プライベートクラブ)で Four Objetsand サンタモニカの Merrihew Sunset Gardens 。

今は以前、ヨガを教えていたヨガスタジオで瞑想の実践として刺し子を教えて欲しいと言われているし、その他、サンフランシスコやノースキャロライナで刺し子のワークショップをして欲しいとリクエストが入っている。

刺し子は、パーフェクトな美しさではなく、「侘び寂び」の美しさ、それは私たちが私たちである、美しさのようだ。ひと針ひと針をゆっくり刺していくと癒しの心につながる。リラックスしてマインドフルネスを促進し、気持ちをを豊かにしストレスを無視するのではなく受け入れ前進。その上、刺し子はサステイナブルな生き方を必要としている現代に欠かせない、植物繊維の衣服の寿命を延ばし、布地の修復や補強の実用性がある。

 

刺し子のワークショップがこれからももっとできるのは、「わあ!」という喜びいっぱい。
この刺し子が私をどこへ連れていってくれるのかはまだ分からない、今は教えるというこの刺し子の旅を楽しみ、これからどんな景色が見れるかワクワク。

感謝を込めて、

Sanae ❤️

70歳の誕生日!

70歳になってしまった。
信じられない!

昔、占い師に「60歳までは多分、生きられるけど、長くは生きられない」と言われ、本気で信じていたわけではないけど、そういう事聞くと、どうしても頭から離れなくて、忘れられないでいた。

生まれて来た時から何度か死ぬような体験を何回もしてきたから
こうして生きていて、充実した人生を楽しんでいることは奇跡かも。毎日を感謝して生きれるようこころがけてる。

70歳になって確かに体は老化して来ているなと思う。あちこちに痛みがあり、物が見つからないで毎日何かをさがしてたりすることも増えてる、でも何故か心は若々しく、たいていの場合、前向き。
まだそんなに年を取ったとは感じないので、70歳はそんなに年寄りではないのかな?

ただ若い頃と比べると、落ち着きを自分で感じられるようになって、これは年の功かな。
若い頃は、スカイダイビングして、スキューバーダイビングして、バンジージャンプしてとかいろいろした。
今は自分の状況に満足して、過激なことをしたいという欲求もなく、毎日ゆっくり過ごす事が楽しみ。
これが私の老化なのかも。

69歳の誕生日の後、70歳の誕生日を祝うために、ヨーロッパ、特にローマ(イタリア)に行きたいとエリックに話して計画を立ててた。
9歳の頃にオードリー・ヘプバーンの「ローマの休日」を観て以来、ローマに行くことは私のバケットリストにずっとあったから。

この映画は私が生まれる前の1953年公開なので、どうやって観たのかは覚えていないけど、父は外国映画が好きで、フランス映画にもよく連れて行ってくれてたので、父と一緒に観たのかもしれない。

1997年にひとりでヨーロッパに3週間3週間行ってマクロビオティックセンターなどでお料理したり、お料理教室のお手伝いをした。その時にイタリアにも何ヶ所行って、ヴェネツィアからローマに向かう電車の中で荷物を盗まれてしまい、ローマには行かなかった。エリックもイタリアで仕事をしていた時はローマに行かなかったので、オードリー・ヘプバーンの「ローマの休日」を観てもらったら、ベスパでローマを巡るという場面が気に入ってた。

でも我が家の愛犬ルミは15歳。

ルミちゃん、2週間前犬家族との集い会で。

 

12月には心臓発作、2月には肺の低下で、いつ天命するかわからない。
ルミは今でもよく食べ、ゆったりとした生活をすごしてるけど、関節炎のため、立ち上がるのに介助が必要。オムツ履かせようとしたけど、気に入らなくてオムツをしてても立ち上がって外にトイレに行こうとする頑固犬。でも気持ちはよくわかる。
ホメオパシーと漢方薬を毎日服用しています。毎日、足と背骨をマッサージし、お灸をしてあげると気持ちよさそうにしてる。
大切な家族の一員なので、精一杯生きてもらいたいと私たちは最善を尽くしてる。

ということで、ローマやヨーロッパには行かないことにしたら、エリックが誕生日に何をしたいかと聞いてきた。
私の一番好きなことは、家族全員、エリックと愛犬(ルミ、ナル、カイ、ラニ、マカニ)、そして愛猫(ティンティンとマイマイマイ)の家族と一緒に自然の中で過ごすことだから。。。
エリックに、私たちのお気に入りの場所の一つ、モロベイ州立公園へキャンプ旅行にみんなで連れて行ってほしいと頼んだ。

犬5匹と猫2匹と一緒にキャンプ、みんな手作りのご飯を食べているのでご飯の準備に時間がかかる。でも、以前もキャンプに行ったことがあるから、何をすればいいのかは分かってた。時間がかかるだけ。それなら私たちにできる。

初日は、お友達のケリーに会いにサンタバーバラに立ち寄った。彼女は素敵な新しい家に引っ越したばかりで、お庭には大きな柿、ビワ、グアバ、イチョウの木があった。
ケリーは私が作るオーガニック植物スキンケア製品が好きで愛用している。(私はオーガニック植物スキンケア製品を約20年間作っていて使ってる)。
次回は彼女のお家でビワの葉のチンキ剤を一緒に作る約束をした。


ケリーはサンタバーバラ・ヨットクラブへランチに連れて行ってくれた。

誕生日にガラスのフラワーベースをプレゼントしてくれた。箱には「Kin」と書いてあった。
私の初めてのゴールデンレトリバー犬の名前は「キン」ちゃん。約30年前、サンタバーバラのドッグビーチでケリーと彼女のゴールデンレトリバー犬のデイジーに出会って、キンとデイジーはお友達になっていらいのこの友情に心から感謝しています!

 


サンタバーバラを後にし、日没直前にモロベイ州立公園に到着した。このキャンプ場には以前にも来たことがあって海と自然史博物館の近くにある私の大好きな場所。
新家族マカニ(一番小ちゃいこ)はこのキャンプ場に来たことなかったけど、以前私たちと一緒にキャンプをしたことがあったので、楽しく過ごしせてた。ネコたちはネコちゃんコンドでくつろいでた。

 

夕食は持って行った自家製のレンズ豆のスープを、バンの中でシンプルで美味しい食事を楽んだ。夜は月と星が海の風と一緒に私の60代最後の夜をお祝いしてくれてた。

 

翌朝はもっと涼しいはずだったのに、暖かくなり、太陽が顔を出してハッピーバースデーと囁いてくれてた。
犬家族に朝ごはんをあげていると、通りすがりの人が犬の多さに驚いて「わあ、5匹もいるなんて!犬は神様から来た!」と言った。その時、犬と一緒に暮らすということは、神様に守られているのかもしれないとすぐに思った!


朝食後、少しハイキングをしてモロベイ自然史博物館を訪れた。


遠足で小学生もたくさん来ていました。
モロベイの美しい岩!


自然や地元の生息地について学べたのは良かった。
モロベイが1870年に設立されたと初めて知った。


ギフトショップでステキな海藻の本も手に入れた。

 


それから、カユコス・ドッグビーチへ。
このドッグビーチは、モロベイ・ロックが背景にあってとても素敵な所。

今まで行った中で一番素敵なドッグビーチかな。
犬たちをバンから降ろしていると、誰かが「わあ、犬がいっぱい!犬は神様!」と言った。
その朝、「犬と神様」についてコメントされたのはこれで2回目。
犬たちが幸せなら私たちも幸せ。きっと神様のおかげだね!

ルミも楽しめるよう、最近買ったカートをビーチの砂浜に置いて引いてあげた。

ルミはあまり歩けなかったけど、風を感じ、海の香りを味わうことができてとっても喜んでた。


ナル、カイ、ラニ、マカニは、走ったり、追いかけたり、海藻を食べたりして楽しんでた。

 

ドッグビーチの後は、ケンブリアへ行き、ウィンドウショッピング。自然食品店で、地元産のボイセンベリージャムを買った。

 

キャンピング用トースター

その後、人口18人の小さな町、ハーモニーのワイナリーへ。そこでエリックがワインテイストしてワインを買った。

 

誕生日のディナーは、モロベイで私たちがよく行く老舗レストランの一つ、ハーバーハットで。エリックがモロベイ・ロックの夕日が見えるお気に入りの席を予約してくれてた。ささやかだけど貴重な気のつく贈り物が幸せを感じた。

この日は友達のまさよちゃん、エンジェル、マークからお誕生日コールをもらった。ありがとう、みんな。

 

2日目の朝は、今まで行ったことのない場所へ行くことにして、ロス・オソスという町へ。
地元のパン屋でサワードーパンを買った。


それから、アビラ・スパでミネラルバスに入った。


ミネラルバスのおかげか、足や腰の痛みが和らだ。
水着を持っていなかったので、黒い下着とタンクトップで入ってしまった(笑)。

午後は、その近くに住むもう一人の友達、ローラに会いに来てくれた。彼女はクシ・インスティテュートでマクロビオティックを学び、私のクライアントのために以前マクロビオティック料理を作ってくれたりしていた。
シャイン・カフェで遅めのランチ(早めのディナー)。二人ともテンペ・ルーベンサンドイッチを注文したけど、見た目がちょっと違っていたので店員さんに聞くと、「それはテンペサンドイッチで、テンペ・ルーベンサンドイッチとの違いはただザワークラウトが入っていないだ毛だから同じだけど。ザワークラウト必要?」って聞かれて、ローラと私は同時に「もちろん、ザワークラウトよ!」と答え、大笑いしました!

近くでファーマーズマーケットをやっていたので、見に行くことの事にして、地元の野菜や果物、工芸品などを見て回った。ローラは私の誕生日に、地元の陶芸家の可愛いオレンジ色の鳥の陶器のピンバッジを買ってくれた。


それから、フットマッサージをしてくれところがあったので、
私は思いつきでみんなでフットマッサージを受けようかと言ったらエリックは自分は行かないと言ったので、今日は私の誕生日だからフットマッサージでみんなでお祝いしたいよと説得。
みんなでマッサージを受けて、すっかりリラックス。
その後キャンプ場に戻って、エリックのバナナマフィンと茎茶を味わいながら、ローラと語りあった。


ストレスフリー・バースデー、シンプルで幸せな週末。

 


家に戻ってから、40年近く育ててきている庭の木々や植物、自分の住んでいる周りの自然と触れ合って、それらをもっと身近に感じて、植物の香りを楽しんでる。

ナンシーがバースデーカードとお庭のお花を持って来てくれて、お寿司食べに行く約束をした。
アマンダからバースデーコール、彼女は1月のワイルドファイアーで全てを失くしたのに、私のバースデーを覚えていてくれる優しい友人。
長年の友人ジェシカがマリナデルレイでの誕生日ブランチに連れて行ってくれた。美味しい料理を楽しみながら、楽しい時間を過ごした。

ペパーダイン大学時代からの長年の友人、ジュディも来週ディナーに連れて行ってくれると連絡があって、70歳のお祝いはまだ続いていくみたい。

ゆっくりと年を重ね、日々の生活に前向きな気持ちをこうして持てることに感謝。

Love, 

Sanae ❤️