70歳の誕生日!

70歳になってしまった。
信じられない!

昔、占い師に「60歳までは多分、生きられるけど、長くは生きられない」と言われ、本気で信じていたわけではないけど、そういう事聞くと、どうしても頭から離れなくて、忘れられないでいた。

生まれて来た時から何度か死ぬような体験を何回もしてきたから
こうして生きていて、充実した人生を楽しんでいることは奇跡かも。毎日を感謝して生きれるようこころがけてる。

70歳になって確かに体は老化して来ているなと思う。あちこちに痛みがあり、物が見つからないで毎日何かをさがしてたりすることも増えてる、でも何故か心は若々しく、たいていの場合、前向き。
まだそんなに年を取ったとは感じないので、70歳はそんなに年寄りではないのかな?

ただ若い頃と比べると、落ち着きを自分で感じられるようになって、これは年の功かな。
若い頃は、スカイダイビングして、スキューバーダイビングして、バンジージャンプしてとかいろいろした。
今は自分の状況に満足して、過激なことをしたいという欲求もなく、毎日ゆっくり過ごす事が楽しみ。
これが私の老化なのかも。

69歳の誕生日の後、70歳の誕生日を祝うために、ヨーロッパ、特にローマ(イタリア)に行きたいとエリックに話して計画を立ててた。
9歳の頃にオードリー・ヘプバーンの「ローマの休日」を観て以来、ローマに行くことは私のバケットリストにずっとあったから。

この映画は私が生まれる前の1953年公開なので、どうやって観たのかは覚えていないけど、父は外国映画が好きで、フランス映画にもよく連れて行ってくれてたので、父と一緒に観たのかもしれない。

1997年にひとりでヨーロッパに3週間3週間行ってマクロビオティックセンターなどでお料理したり、お料理教室のお手伝いをした。その時にイタリアにも何ヶ所行って、ヴェネツィアからローマに向かう電車の中で荷物を盗まれてしまい、ローマには行かなかった。エリックもイタリアで仕事をしていた時はローマに行かなかったので、オードリー・ヘプバーンの「ローマの休日」を観てもらったら、ベスパでローマを巡るという場面が気に入ってた。

でも我が家の愛犬ルミは15歳。

ルミちゃん、2週間前犬家族との集い会で。

 

12月には心臓発作、2月には肺の低下で、いつ天命するかわからない。
ルミは今でもよく食べ、ゆったりとした生活をすごしてるけど、関節炎のため、立ち上がるのに介助が必要。オムツ履かせようとしたけど、気に入らなくてオムツをしてても立ち上がって外にトイレに行こうとする頑固犬。でも気持ちはよくわかる。
ホメオパシーと漢方薬を毎日服用しています。毎日、足と背骨をマッサージし、お灸をしてあげると気持ちよさそうにしてる。
大切な家族の一員なので、精一杯生きてもらいたいと私たちは最善を尽くしてる。

ということで、ローマやヨーロッパには行かないことにしたら、エリックが誕生日に何をしたいかと聞いてきた。
私の一番好きなことは、家族全員、エリックと愛犬(ルミ、ナル、カイ、ラニ、マカニ)、そして愛猫(ティンティンとマイマイマイ)の家族と一緒に自然の中で過ごすことだから。。。
エリックに、私たちのお気に入りの場所の一つ、モロベイ州立公園へキャンプ旅行にみんなで連れて行ってほしいと頼んだ。

犬5匹と猫2匹と一緒にキャンプ、みんな手作りのご飯を食べているのでご飯の準備に時間がかかる。でも、以前もキャンプに行ったことがあるから、何をすればいいのかは分かってた。時間がかかるだけ。それなら私たちにできる。

初日は、お友達のケリーに会いにサンタバーバラに立ち寄った。彼女は素敵な新しい家に引っ越したばかりで、お庭には大きな柿、ビワ、グアバ、イチョウの木があった。
ケリーは私が作るオーガニック植物スキンケア製品が好きで愛用している。(私はオーガニック植物スキンケア製品を約20年間作っていて使ってる)。
次回は彼女のお家でビワの葉のチンキ剤を一緒に作る約束をした。


ケリーはサンタバーバラ・ヨットクラブへランチに連れて行ってくれた。

誕生日にガラスのフラワーベースをプレゼントしてくれた。箱には「Kin」と書いてあった。
私の初めてのゴールデンレトリバー犬の名前は「キン」ちゃん。約30年前、サンタバーバラのドッグビーチでケリーと彼女のゴールデンレトリバー犬のデイジーに出会って、キンとデイジーはお友達になっていらいのこの友情に心から感謝しています!

 


サンタバーバラを後にし、日没直前にモロベイ州立公園に到着した。このキャンプ場には以前にも来たことがあって海と自然史博物館の近くにある私の大好きな場所。
新家族マカニ(一番小ちゃいこ)はこのキャンプ場に来たことなかったけど、以前私たちと一緒にキャンプをしたことがあったので、楽しく過ごしせてた。ネコたちはネコちゃんコンドでくつろいでた。

 

夕食は持って行った自家製のレンズ豆のスープを、バンの中でシンプルで美味しい食事を楽んだ。夜は月と星が海の風と一緒に私の60代最後の夜をお祝いしてくれてた。

 

翌朝はもっと涼しいはずだったのに、暖かくなり、太陽が顔を出してハッピーバースデーと囁いてくれてた。
犬家族に朝ごはんをあげていると、通りすがりの人が犬の多さに驚いて「わあ、5匹もいるなんて!犬は神様から来た!」と言った。その時、犬と一緒に暮らすということは、神様に守られているのかもしれないとすぐに思った!


朝食後、少しハイキングをしてモロベイ自然史博物館を訪れた。


遠足で小学生もたくさん来ていました。
モロベイの美しい岩!


自然や地元の生息地について学べたのは良かった。
モロベイが1870年に設立されたと初めて知った。


ギフトショップでステキな海藻の本も手に入れた。

 


それから、カユコス・ドッグビーチへ。
このドッグビーチは、モロベイ・ロックが背景にあってとても素敵な所。

今まで行った中で一番素敵なドッグビーチかな。
犬たちをバンから降ろしていると、誰かが「わあ、犬がいっぱい!犬は神様!」と言った。
その朝、「犬と神様」についてコメントされたのはこれで2回目。
犬たちが幸せなら私たちも幸せ。きっと神様のおかげだね!

ルミも楽しめるよう、最近買ったカートをビーチの砂浜に置いて引いてあげた。

ルミはあまり歩けなかったけど、風を感じ、海の香りを味わうことができてとっても喜んでた。


ナル、カイ、ラニ、マカニは、走ったり、追いかけたり、海藻を食べたりして楽しんでた。

 

ドッグビーチの後は、ケンブリアへ行き、ウィンドウショッピング。自然食品店で、地元産のボイセンベリージャムを買った。

 

キャンピング用トースター

その後、人口18人の小さな町、ハーモニーのワイナリーへ。そこでエリックがワインテイストしてワインを買った。

 

誕生日のディナーは、モロベイで私たちがよく行く老舗レストランの一つ、ハーバーハットで。エリックがモロベイ・ロックの夕日が見えるお気に入りの席を予約してくれてた。ささやかだけど貴重な気のつく贈り物が幸せを感じた。

この日は友達のまさよちゃん、エンジェル、マークからお誕生日コールをもらった。ありがとう、みんな。

 

2日目の朝は、今まで行ったことのない場所へ行くことにして、ロス・オソスという町へ。
地元のパン屋でサワードーパンを買った。


それから、アビラ・スパでミネラルバスに入った。


ミネラルバスのおかげか、足や腰の痛みが和らだ。
水着を持っていなかったので、黒い下着とタンクトップで入ってしまった(笑)。

午後は、その近くに住むもう一人の友達、ローラに会いに来てくれた。彼女はクシ・インスティテュートでマクロビオティックを学び、私のクライアントのために以前マクロビオティック料理を作ってくれたりしていた。
シャイン・カフェで遅めのランチ(早めのディナー)。二人ともテンペ・ルーベンサンドイッチを注文したけど、見た目がちょっと違っていたので店員さんに聞くと、「それはテンペサンドイッチで、テンペ・ルーベンサンドイッチとの違いはただザワークラウトが入っていないだ毛だから同じだけど。ザワークラウト必要?」って聞かれて、ローラと私は同時に「もちろん、ザワークラウトよ!」と答え、大笑いしました!

近くでファーマーズマーケットをやっていたので、見に行くことの事にして、地元の野菜や果物、工芸品などを見て回った。ローラは私の誕生日に、地元の陶芸家の可愛いオレンジ色の鳥の陶器のピンバッジを買ってくれた。


それから、フットマッサージをしてくれところがあったので、
私は思いつきでみんなでフットマッサージを受けようかと言ったらエリックは自分は行かないと言ったので、今日は私の誕生日だからフットマッサージでみんなでお祝いしたいよと説得。
みんなでマッサージを受けて、すっかりリラックス。
その後キャンプ場に戻って、エリックのバナナマフィンと茎茶を味わいながら、ローラと語りあった。


ストレスフリー・バースデー、シンプルで幸せな週末。

 


家に戻ってから、40年近く育ててきている庭の木々や植物、自分の住んでいる周りの自然と触れ合って、それらをもっと身近に感じて、植物の香りを楽しんでる。

ナンシーがバースデーカードとお庭のお花を持って来てくれて、お寿司食べに行く約束をした。
アマンダからバースデーコール、彼女は1月のワイルドファイアーで全てを失くしたのに、私のバースデーを覚えていてくれる優しい友人。
長年の友人ジェシカがマリナデルレイでの誕生日ブランチに連れて行ってくれた。美味しい料理を楽しみながら、楽しい時間を過ごした。

ペパーダイン大学時代からの長年の友人、ジュディも来週ディナーに連れて行ってくれると連絡があって、70歳のお祝いはまだ続いていくみたい。

ゆっくりと年を重ね、日々の生活に前向きな気持ちをこうして持てることに感謝。

Love, 

Sanae ❤️

山火事後に自分の気持ちをシェアー


ロサンゼルスの歴史的ない悲惨な山火事から2週間以上が経過しました。
山火事の被害を受けた人々に心よりお見舞い申し上げます。
私たちの事を心配して連絡いただいたみんさんに感謝いたします。ありがとうございます。
エリックと私はここサンタモニカに5匹の犬と2匹の猫の家族とともに安全です。


うちは実際の家事被害はありませんでしたが今回の山火事恐怖に接し、その恐怖から前進するためにブログを書く事にした。

火事が起こった日は1月7日火曜日、10時20分くらい。
その日、午前8時40分に私は家を出て気功教室に行った。
空を見る癖があって行く途中が青空で、感謝しながら歩いて行ったのを覚えている。

クラスが終わった後、私は帰宅して刺し子ワークショップのサンプルを作っていた。
エリックが火事の事で電話してくれた。
私はエリックにその家事って近いの?って聞いたら、
それは私たちの家から約11マイル(約17km)離れたパシフィックパラセーズだと言った。
外に出ると、家の北側の空にピンクがかった灰色の大きな煙が見えてた。


風がとても強くなり始め、庭の木々が児童公園にあるブランコのように揺れていることに気づいた。今まで見たことのないひねりのある揺れ方だった。風がひどくなり、木の枝がねじれて折れてしまっていた。その夜は眠れず、ずっとニュースを見たり、山火事の地図と警報の監視義務をチェックしたりして一夜を過ごした。

サンタモニカの第2地域が強制避難を受けたとき、私たちはパスポートとわずかな衣服をカバンに入れて、ネコ用のトイレ付きクレイトを設置し犬用ベッドをバンに入れ、避難の準備をして気持ちを落ち着かせていた。

家の屋上から煙と炎を見た時は言葉にならない叫び声を出していた。

 

翌日、黒煙の中で太陽が赤く染っていたのは一生涯見たことがない太陽だった。現実に起こっている恐怖と向き合わなければならなかった。


ニュースの画像がどれだけの家が焼けたのか写していたのを見た時は、まるで戦争の惨状を見ているようで信じられず、ボーッとその画面を眺めているだけだったような気がする。

この山火事で家を失った友人や、今も避難している友人がいることを知り、とても悲しく重い気持ちに押しつぶされそう。これからのみんなの道のりが長い事を考えると胸が痛い。


私たちはこれらの人々に愛と思いやりを送る瞑想を毎日した。
その他寄付をしたりして出来る事をした。
それと自分自身にもこれまで以上に、たとえ小さな喜びや幸せでも見つけることを専念。
ただ言葉にできない感情が漂っているのは無視できない。

 

エリックの仕事の休みに私たちは煙たい空気を逃れて、サンタバーバラのドッグビーチに行った。

 

先週はルミの15歳の誕生日を祝いをして、ルミちゃんの生きる力に励まされた。
ありがとうルミちゃん!

 

今日はこの週末あるJACCCでの初めての刺し子ワークショップの準備をCheri Huberのオーディオブック「The Fear Book」を聴きながらしてる。
刺し子のワークショップが、この困難な時期に人々を癒してくれることを願いつつ。

恐怖とは何か(Cheri Huber の本から)
….恐怖は狩る者ではなく、狩られる者だ。
…..恐怖はあなたが思っているようなものではない。
恐怖は、自由への道に沿った非常に有用な信号…

Cheri Huber の無料オーディオブック サイト
https://www.livingcompassion.org/audio-books

新年の抱負とゴール2025年

あけましておめでとうございます!

(新年最初の週はSNSから遠ざかっていたので、今日, 新年のご挨拶をさせていただきます。)


みなさまにとって、2025 年(令和7年)が繁栄、喜び、健康、活力、そして生きがいに満ちた年でありますようお祈り申し上げます。

私の元旦の生きがいというと大袈裟に聞こえると思いますが、初日の出を見に行くこと。

昨年2024年の初日の出

一年の計は元旦にありという言葉が好きで
1992年頃から始めて、約33年している私の心の儀式。
日本と違ってお正月らしい事はアメリカでは何もないので、初日の出を見に行くようになって新年にかけて気持ちがシャッキっとするのが好き。

母と一緒に伊豆の初日の出を見たことがあって、最高の初日の出を一緒に見れたことを今でも忘れられない。
母が亡くなる前に一緒に年末年始過ごし、初日の出を見れた思い出は私の宝物。

サンタモニカの 2025 年の新年の日の出時刻は 6:59。
家を出るときはとても霧がかかっていて寒かったので、何枚も服を着て行った。サンタモニカ山に登って行くと、霧の上に出て美しい地平線が見えた。

 

 


今年は犬家族のカイ、ラニ、マカニを連れて行って、うちの庭を手伝ってくれてる友人のエンジェルも一緒。

寒くて風が強かったここ数年に比べて、あまり寒くなく、風もなく穏やかでたくさん着込んでくる必要はなかったようだ。(笑)

頂上に着くと、辺りはすでに地平線に微かにオレンジ色が見えていたので、新年の日の出がどこから昇って来るかわかった。

他にも人々がいたんだけど、私は大きな声で「ありがとう・ありがとう!」と心の底から叫んでしまった。
感謝を伝えられる幸​​せな気持ちは、いいなぁ。

 

初日の出を待ちながら、エリックとエンジェルもに新年の「抱負」について聞いてみた。
エンジェルはもっとダンスをやりたいと言った。
彼がダンスのレッスンを受け始めたと言ったので、社交ダンスだと思って、驚いた私はすぐに「何のダンスのレッスン?社交ダンス?」と聞いた。
エンジェルは物静かでシャイな若者で陶芸家でもある。
だから特に社交ダンスを踊るとは想像できなかった。
彼は微笑んで、「ああ、違う、違う、ヒップホップダンスだよ。」と言いました。
私は「わあ、すごいね!」と返事をした。 彼は「もっとアクティブになりたくて、ダンスのレッスンを受けようと思って、去年、何回か受けたんだ。気に入ったので続けたいと思ってる。」と語った。
いつか彼のダンスを見てみたいと思った!

 

 

エリックは「もっと自分の時間!」。
彼は動物家族と私の世話を毎日してくれているので、きっともっと自由時間を作って海でサーフィンして過ごしたいだろうなって思った。
なので「それは素晴らしいアイデアだね、エリック。どうすればもっとあなたの自由な時間ができるかを考えて計画をしようね。」と私が言ったら、エンジェルが、「エリックはいつもとても忙しいから、自分の時間を持つことが大切だね。」とサポートの言葉を加えた。

 


次は私の抱負、「左膝を強化するためにフィジカルセラピーに行くつもり。」と言った。最高の場所で3人で抱負をシェアーできて良かった。
抱負を話して気持ちは新年の準備が整ったと同時に初日の出が昇り始めた。

家を出るときは霧で初日の出は見られないかも思ってたけど、見事な初日の出。
2025年の初日の出は、私たちが立てた抱負の達成を約束するために現れたようだった。

 

 

 


山を下る途中、サンタモニカの南方パロス・バーデスまで、そして東方からロサンゼルスのダウンタウンまで、マシュマロのような霧でおおわれていたのを見てそこに降りていくのが不思議な感覚。

 

帰り道、家の近所に来たらまたすごい霧。

帰宅後、正月餅お雑煮を食べて、自分の決意と目標を書き始めてみた。

さっき書いたように2025年の抱負は「フィジカルセラピーに行って左膝を強くする」。というのは、5年前にハイキング中に左膝を骨折して治るまでに2年かかった。約1年前、近所の犬に私の愛犬ナルと私はアッタクされて同じ左膝と右肩を負傷してしまった。肩はマッサージと鍼治療で良くなったけど、膝は中々完全には治らないでいるので次のヒーリングステップに進む必要があると感じてた。私はマクロビオテック・アプローチとホリスティック治療が治癒につながると信じているので、ほとんどの場合西洋医学は使かわないけど、西洋医学のアプローチをいつ使用するべきかはわかっているつもりなので、新しい主治医の診察を受けに行き、左膝について相談してみた。若いドクターで、私の左膝を診て、骨が折れているわけではないから、弱っている膝を強化する、フィジカルセラピーに行くように言われた。自分でも同じ事を考えていたのでこのドクターの薦めを受ける事にした。

2025年の私の目標は、左膝を完全に治して、もっと体を動かすこと。昨年の夏から週に2回、午前中に公園で気功のクラスに通うようになり、それもとても気にいっているので継続してる。
気功のクラスに参加するために公園まで2ブロック歩いて往復、これは心臓活発に役立ってると思う。

これを書いてて、2025 年のゴールとして、エリックとコミュニケーションをもっととりやすく効果的な方法でリマインダーもできる事がないか考え始めた。
アイデアの1 つとして毎月カレンダーを作成し、自分のニーズに合わせた計画とデートをそこに書き込むことが頭に浮かんだ。

それと抱負とゴールは違うことにも気づいたので、それについて書く事にした。

新年の抱負と 2025 年のゴールは次のとおり。

抱負 1: 左膝を3 か月以内にィジカルセラピーに行って完治。  (3ヶ月がポイント)

ゴール1:左膝の痛みをなくし、体力をつける。

 

抱負2: 毎日 1 ~ 2 マイル歩き、気功 クラスを継続。(1日1~2マイルがポイント)

ゴール 2: 足腰を鍛え、屋外で運動する、人々との交流。

 

抱負 3: エリックと毎月のコミュニケーション カレンダーを作成し、そのカレンダーに計画を一緒に書く。

(毎月がポイント)

ゴール 3: エリックとのコミュニケーションを効果的にし、瞑想したり、一緒に何かすることをもっと増やす。

 

抱負4: 体力をそんな消耗しくても、できるワークショップやクラスを定期的にこの1月から教える。

(体力を消耗させないクラス、定期的と1月からがポイント)

ゴール 4: ワークショップやクラスをまた始める。

 

抱負 5: たとえ短時間であっても、毎日書いて今年中に、自著リカバリーブックを書き終わらせる。 (毎日短時間でもと今年中にがポイント)

ゴール 5: 自著リカバリーブックを書き終える。

 

抱負とは、何を変えたいか、何をしたいのか(行動)を時間枠内で表明する事。それとゴールを達成するためのプロセスの両方が含まれる。抱負はゴールとは異なって、

ゴールは達成したいことの表明であり、抱負はそれを達成するために必要な手順と、いつそれを達成したいのかを示す。キーポイントとして上に書いたことを参照。

 

ゴールとは努力して目指す目標であり、そこに至るまでの過程は重要ではない。

心の中に抱いている決意や計画を指す言葉。ただ単に〇〇したい、〇〇になりたい、というのはゴール。抱負はそのゴールを実現するために具体的に何をするのかを考えてみるという事だ。

 

旧正月、九星気 の新年は 1 月 1 日ではないので、2025 年の抱負を書いてゴールを書く時間はまだまだあるので、下記を参考にして書いてみてはどうでしょう。

・悩みや課題を書き出してみる

・自分の理想を具体的に考える

– 具体的な数字と期限を設定する

 

みなさんの2025年の幸運を願ってます。

 

Love,

Sanae ❤️

 

ひと針ひと針自分の人生を縫う-刺し子ストリー


2024年が終わろうとしている。
この 年は自分にとって行き詰まりを感じ、前に進めなくて、振り返って見て挑戦的な年だった。
しかし、この立ち止まった状態こそが、次のステップに進むために必要な時間なのだと学んだ収穫の年。

もちろん、今はこう書けても、簡単なことではなくって、イライラしたり、悲しくなったり。
しかし、そのおかげで、自分の感情を大切に見つめ、毎日を静かに過ごし、たとえ気分が不安定なときでも、感謝の気持ちを持つ練習がまたできた。とにかく私は自分の感情を観察し- 息を吸ったり吐いたり瞑想。
自分のあんまり好きじゃないところを見てあげる、それは私にとって大切な事。

ある日、小学校の頃、ミシンで自分のお洋服とかいつか作れたらいいなと想像していた事を思い出した。
それはあけみちゃんと言うとってもチャーミングでオシャレなクラスメイトが、
いつもお母さんが作ってくれた素敵なお洋服を着ていたから。
うちの家族は誰もアートやクラフィティーな事をする人はいなかったにも関わらず、自分の手で何かを作ること、少し絵を描いたり、ガーデニング、書道、かぎ針編み、版画などに惹かれて、刺繍を気が向くとしていた。
ミシンの使い方をマスターして、あけみちゃんが着ているような可愛くておしゃれなお洋服を作りたかった。


その頃、家庭科のクラスでミシンを使ってパジャマを作る課題があって頑張るぞって誓ったけど、買ってもらったミシンは学校のと違ってて、10歳の私には使い方を教えてもらわないで使う事は簡単ではなくって、壊してしまった。
その時に大きな声で怒鳴られて叱られてしまった事が原因でミシンを使ってみる自信をなくし、自分はお裁縫は無理だと決めた。

その後は手で作るもの、編み物や織物を覚えて楽しんでいたけど、2017年に近所にお裁縫学校があると知りミシンを使ってパンツを縫うクラスに参加してみた。パンツはミシンで縫えて出来上がったけど、あんまり気持ちは盛り上がらなかったのは何故だったのか。ミシンを使う事はあんまり自分には向いていないのかもとわかった。また、壊すかもという恐怖、それと音が気になった。

お料理ではフードプロセッサーを使うよりすり鉢とすりこぎで胡麻をする方が私の性分にあってるという事かもしれないと同じかも。

日本の伝統刺し子を縁があってするようになって手縫いでチクチクゆっくりひと針ひと針進めていくほうが時間はかかっても確実で自分に合っているとわかった。
パンディミックの時、コロナにかかって毎日、刺し子を刺していて気持ち的に助かったのも覚えてる。

 

 


フランス刺繍を小学校以来してなかったけど、今年は草木染めの糸で刺繍の大作を仕上げて手で縫う事の喜びと楽しみ方があらためてわかった。

 

これは、1993年に卵巣癌になる前に生きていた私には、考えられない。あの頃の私はスキューバーダイビング、スカイダイビングとかしてあっちこっちに行っていた。マクロビオティックの食養で卵巣癌が治ってからはマクロビオティックをもっと勉強して、マクロビオティック講師になって、またあっちこっちと行くようになった。それから、2001年の臨死体験をするようなひどい車の事故で寝たっきりの私。歩行も出来ないと言われて車椅子生活。
そのおかげで座っていてもできる事をして喜びと楽しみを学んだ。
座ってゆっくり手縫いの刺し子、お裁縫をするなんて、このチャレンジがなかったらしていなかったかも。
2017年にリンパ腫のステージIV診断を受け、余命は1ヶ月もないと
ドクターに言われてもなんとかなるように思えたのは、自分の人生をひと針ひと針ゆっくり手で縫うかのように生きるという事を体験してこられたから。

こうしていろんなチャレンジがある中で、自分の肉体と気持ちの変化を受け入れてできる事を少しづつでもやっていける安らかな気持ちが持てる事に感無量。
ミシンを壊した時からこの生き方に進んでいくよう計画されていたのかもと最近はふと思いながら、人生はアニチャ・無常。

 


一呼吸一呼吸を観察し、刺し子をしながら一針一針自分の人生を縫うように生きていく。

2025 年の巳年に向けて、みなさんのご活躍、聡明なご発展とそして幸に満ちた年となることをお祈り申し上げます。これからもみなさんの癒しをささやかでもサポートできると幸いです。

Love, 

Sanae ❤️

 

追伸:初めて刺し子のワークショップを日米文化会館(JACCC)で来る新年1月26日(日)に教えさせていただける事になりました。感謝の気持ちでいっぱい。

https://jaccc.org/events/sashiko-basics-introduction-workshop-for-beginners/

ミラクル・奇跡

年末年始のホリデー・シーズン。
アメリカでは年末のクリスマスに奇跡が起こると言われています。


私の好きな言葉の一つ「人生には 2 つの生き方があります。1 つは、何も奇跡ではないかのようにすることです。もう 1 つは、すべてが奇跡であるかのように生きることです。」                   アルバート・アインシュタイン、1879~1955

今年もいくつかのの奇跡があったので。
私の家で起こったこのクリスマスの奇跡をシェアー。

 

12月6日、犬の家族といつもする散歩後、最年長の犬のルミが心臓の動機がひどくなって、呼吸が激しくなり、全く動けなって私にできることは、彼女のそばにいて、アニマル霊気、彼女の心臓と肺のツボへの経絡指圧、そしてバッチフラワーレスキューレメディを5分ごとに4滴投与することだけでした。
ルミにとても懐いている末っ子犬、マカニは、ルミの隣に来て一緒に見守ってくれてた。

 

ルミは動けないでいたけど、全力を尽くしてた。
エリックにビデオコールしてエリックの声を聞かせてあげたら。
ルミはエリックお父さんを待つと言ったが、ルーミは電話の後心臓発作を起こし、失神し 意識を失った。
彼女の目は開たまま、どこにも焦点がなく私の言動には何も気づきかに泣いでいた。
ルミは来月で15歳になるので、もうこれが最後かと思わずにはいられなかった。

 

 

(2年前のルミの13歳の誕生日に彼女がどのようにして私の人生に現れたのかについてブログに書きました。)

私自身が呼吸をして落ち着いて、過去 30 年間に約 20匹 の動物の家族を育て、動物レスキューボランティアーなどで多くの動物の救助を手伝ってきて学んだ事を思い出してできる事をしてあげた。

奇跡的にルミは数時間後に意識を取り戻した。
でもまだ息が荒く、まったく動くことができなかったので、ルミにコミュニケーションして「もしルミが天国に行くなら、私は心に準備をするね。」と伝えました。
するとルミは「マミー、私はまだここにいるよ。どこにも行かないよ。パパを待ってるよ。」と言って少し楽になったようだった。

エリックが帰宅したとき、ルミは弱っていましたが、目で自分の存在をエリックに伝えていたのを見て彼女の生命力の強さに感動。
ルミは何も飲むことも食べることもできなかったので、私たちは彼女のために治療用の飲み物と流動食を作ってあげた。ルミは両方とも少しずつ摂取してくれた。

 

ルミが飲み物と流動食を摂った後、ルミに気持ちを聞いたら、返事に少し時間がかかったけど、「何が起こっているか分からず息もできなくて怖かったよ。」とルミは答えてくれた。
それで私は、「そうだようね、怖かったね。でももう大丈夫だからね。
マミーはどこにも行かないでルミのそばにいるよ。」と言ってあげたら、そして彼女はゆっくりと目を閉じ、呼吸が少し落ち着いて眠った様子だった。

 

ルミは生死を彷徨ってトランジション期を経て良くなるために最善を尽くしているので、恐怖とトランジション期のためのバッチフラワーレメディを混ぜて作り、15分おきにルミの周りにスプレーしてあげた。

リビングルームの床の彼女の隣に私用のベッドを作って彼女と一緒に床で寝ることにした。 最初の夜は私の手が彼女から離れると呼吸が激しくなるので一晩中、動物
霊気をしてあげてたら少しだけ寝てくれた。

おしっこやうんちをしなければならない場合に、彼女が横になったままできるように、私はおむつを付けてあげたけどルミは真夜中にどうしても起き上がろうとして、その度に呼吸はひどくなった。
でもルミは頑固でおむつを使いたがらないようでどうしたらいいか分からなくなったけど、よく考えたらきっと私がルミなら同じかもと彼女の気持ちがわかったので、今、私がルミにできることは何と考えて、彼女を抱いて庭の外に連れて行った。
その時ルミは息がすごく荒くなり、心臓が高鳴って、私にも聞こえるほどだったので、ルミの心臓が止まるかもしれないと恐怖でいっぱいになった。 ルミを外に抱いて行った自分を責め始め目の前が真っ暗になって、目を閉じたら、その心臓の音は自分の心臓の音でもあるとわかった。それで深呼吸して目を開けると、一生懸命、おしっこする場所を探しているルミの姿が目に入ってきて、ルミはこんな時でも頑張っているんだと伝わってきて、泣き言とかは無視してとにかく今は私ができる事を全力で応援するしかないと実感。

私は急にルミをやさしく抱きしめて、「マミーはルミと一緒だよ。愛してるよ。」と言えた。
するとルミの心臓の鼓動少し静かになり、おしっこをし終えて、ルミの目が家の方を見ていたので、抱っこして、家の中に連れて行ってあげた。
その後も2回もルミは外に行きたいと言うので同じようにしてあげて、やっと明け方彼女はぐっすり眠れたようだった。私は、無駄なことは考えないでただ”愛”を持って彼女にできる事をしてあげられた事に感謝。

ホリスティック獣医師のレーン医師に連絡しましたが、ホリデーシーズンで連絡がつかなかったので、翌日、サンタモニカ・ホメオパシー薬局の動物治癒の専門家であるナンシーにルミの状態について電話で話してエリックにホメオパシーの治療薬をとりに行ってもらった。
私たちは心臓の治療薬を手に入れ、水は解決し、彼女にBBach Flowerを与え続けました。動物レイキと正中点鍼治療を継続して行いました。

ルミはレーン医師によって既に心雑音と診断されていたので、そのための漢方薬とホメオパシー薬を服用中。今回のこのエピソードの後、今年2月に亡くなったルミの娘のハッピーのように、肺や心臓に水分が溜まっている可能性があると私は察して、ルミも肺に問題を抱えていると感じたので、ルミに体のバランスを整えてもらうことに決めました。輸液ホメオパシー医療をより適切に配布。
ルミの健康状態を、あらゆるレメディ、ホメオパシー医学、癒しの食べ物、そして私たちの愛によって改善する努力をする決心をした。
それはルミがまだ生きる意志を強く持っているから。

その彼女の意思と私たち家族全員にできる努力で、ルミは今では朝の大好物、柔らかいお餅を食べてホームメイドの食事も自分で食べられるようになっている。

 

ゆっくりだけど自分で歩いて庭の外に出られるようになっている。少し散歩にも行きたいという気持ちもこの前してくれたので、2回ほどほんの短い散歩もした。疲れるとルミは前進しないで戻ろうとするのでその彼女の意思を尊重して直ぐ家に戻った。

クリスマスの日にルミが海を見たいというので連れて行くことにした。

 

ルミはいろんな人々にご挨拶をして、砂の上に寝転がり、風を感じることを楽しんだ。帰りは少し疲れたようでルミは砂の上では動かなくなって私が抱っこしてあげたら歩道は自分で歩いてたくさんの匂いを嗅いで満足したそうだ。

 

 


このブログを書いている今も、ルミは私の足元でマカニとぐっすり眠っていて写真を撮ろうとしたらマカニは顔をあげた。
それはクリスマス・ミラクル!

新年に向けて、みなさんも奇跡の瞬間を見つけていただければ幸いです。

Love, 

Sanae ❤️

*おまけ:
犬の心雑音について

心雑音のある犬は、一時的な意識喪失である失神と呼ばれる発作のような現象を経験することがあります。
この失神は、犬の心臓が十分な量の酸素を含んだ血液を脳に送り出すことができない場合に発生することがあります。これは、異常な心拍リズムまたは不整脈によって引き起こされる可能性があり、不整脈は非常に速い、非常に遅い、または不規則になる可能性があります。失神は発作のように見えることもありますが、いくつかの重要な違いがあるそうです。

 

 

 

 

日本のビワの葉と松の葉のチンキ(エキス)作りワークショップ

母は、人生の後半20年くらい、ビワの葉チンキ(エキス)を作っていた。

私が覚えている母は若い頃から免疫力が弱く、朝起きて朝食を作ることができませんでした。何年も体重が増えず、よく眠ることができてなかった母。

全身に痛みがあり、ドクターからの処方薬を多量に母は服用していたため、自分の健康状態を改善するために何ができないかいつも探していたのかも。

母は自分の友人、近所の人や地元のニュースから勧められたことをたくさん試しましたが、何も役に立っていなかった。 

たとえば、プルーンを食べる、ノニジュースを飲む、体重を増やすためには肉をもっと食べる、鶏肉だけにする、高価な電気毛布、あるグループを崇拝して、そこで売っていた白い陶器を多額のお金で買って拝むと健康になるとか。

すでにマクロビオティックを実践していた私は、それが彼女の健康に効果がないことはわかっていたけど、海外で離れて暮らしていた私はいつも話を聞いてあげていた。日本に帰国した時には心のこもったマクロビオティック料理を母に作ってあげた。そうしていたら母の健康状態が良くなってきたので、週に数回マクロビオティック料理を作ってくれる人を見つけたところ、母の考え方が前向きになってやたらいろんな事を試すのをやめた。

ある日、ビワの葉の温灸とビワの葉のチンキ(エキス)のおかげで痛みが楽になって、よく眠れるようになったと母から電話があった。

それから少しして母は友達からビワの葉をもらい、ビワの葉チンキを自分で作り始めたと言うのです。

チンキ剤を作るために、母は葉と枝を分け、葉っぱを洗ってきれいにし、切って、焼酎の入ったガラス瓶に漬け込まむことになりました。

母にとって大仕事だったのに、作りあげるのを決意して疲れても、びわの葉の香りがとても心地良いよって言ってた。その後、送ってくれた写真二母は活気があって感動した。

 

ビワの葉チンキ(エキス)を作るようになって元気そうな母

その後、母は家の庭にビワの木も植えました。

母はアメリカにもビワの木があるなら私にも植えるよう勧めてくれた。幸いなことに、私がその頃引っ越した(現在も住んでいる)家の隣の家に大きなビワの木があり、私はそこからビワの苗木を譲り受け、30年前に庭に植えられる事になった。

母はビワの葉チンキのボトルを何本も作って、ビワの葉チンキを私にもよく送ってくれてので、私は自分と、夫、動物の家族、友人、クライエントさんためにいつも使用し始めた。

私の植えたビワの木が十分に大きくなってからは私も自分でビワのチンキ(エキス)作り始めるようになった。

 

 

チンキ作りは母が私にくれた贈り物。母がくれたその贈り物をできるだけ多くの人に伝えたい。現在はたくさん種類の違うチンキも作って重宝している。

このワークショップを始めると決まってから、祖母が私が3 歳くらいのとき三重の山に連れて行き、野生のキノコや薬用植物を採りに行った事を思い出した。祖母はヒーラーだった。なぜ私が自然の力や癒しの仕事にこんなに惹かれるのか、やっとわかったようだ。

私が真実捧げる人生とは、自分の体、魂、精神を自然の偉大な力を尊重して学び癒しに繋げる、また他の人たちと動物家族をも癒される助けをする事。

 

日本のチンキ作りワークショップを教えるチャンスをJACCCの大崎恵美さんのお陰で達成できたことを心より感謝しています。

 

ワークショップの詳細は次のとおりです。

日本のビワの葉と香り豊かな松の葉を使った植物性チンキ剤の作り方を学ぶ、ハンズオンで実際に手作りしていただけるチンキワークショップにぜひご参加ください。独特の香りを体験し、肌にやさしく試す方法を学び、ご自分で作ったチンキ剤をお持ち帰りしていただけます。作った植物チンキ剤の数多くの効能と伝統的な使用法を知ると同時に、お庭で育てられるハーブを使ってチンキ剤を作る知識も得られます。

日程: 2024年10月27日(日)

時間:午前10時半 から午後12時

場所: 日米文化会館 Toshizo Watanabe Culinary Cultural Center

リトル東京 244 S. San Pedro Street, Los Angeles, CA 90012

料金: Free with RSVP (donations encouraged)

Japanese Botanical Tincture-Making Workshop