先週、5日間にわたる雨と風の嵐が続いた後、顔を出すのが待ちきれないような眩しい太陽の光とその光を反射した青空が降り注いでいた。
普段なら太陽の光と青空で爽快な気分になるけど私の心はまだ嵐が続いていて真っ暗だった。
いつも私の一番側にいてくれた愛犬孫、ハッピーが突然具合が悪くなって暴風雨の最終日に天国に旅立った。こうして書いているだけで胸が締めつけられる痛みを感じる。
気が抜けた空虚な気持ち。
まだ、ハッピーについてあんまり書けない。
今言えるのは…ハッピーは心が広くて、優しくて、寛容でひょうきんな私の愛犬孫娘だった。
彼女はいつも私の側にいて、私の影のような存在だった。
私が何かを取りにちょっと隣の部屋に行くだけでもついて来て、
私が見えないとウロウロして探してた。
今の私は影をなくした、幻のような感じ。
7日前に彼女が旅立った日、何をしたかはあんまり覚えてない。
ハッピーの最近の写真とビデオを見たけど、残念な事に、あんまりなかった。
ふたりで写したのは1枚(カバーの写真)だけだった。
ハッピーの母親のルミちゃんが14歳で健康上の問題を抱えていたため、ルミちゃんがハッピーよりも早く亡くなると思い込んでいたから、ルミちゃんの写真をたくさん写してた。
ハッピーが子犬の頃の写真も見たかったけど、まだ胸が詰まって見れなかった。
ハッピー(左)ルミ(ハッピーの母親)と私2024年の初日の出
長年にわたってアニマルコミュニケーション、動物行動学、栄養学、動物霊気などを勉強してきたのに、ハッピーの体調が悪いとは気づきかなかった。ショックだった。
亡くなってしまった今、罪悪感で押しつぶされそう。
ハッピーが亡くなった後、ハッピーを見つめることも近寄ることもできなかったハッピーの母親のルミちゃんがとてもかわいそうで見ていられないかった。
他の動物家族はみんな悲しそうな顔をしていたけど、近づいてお別れをした。
伝統的な仏壇「五基本」のお香、灯籠、お花、食べ物、お清めの水を供えるハッピーの祭壇を設置。
ハッピーの色はオレンジだったので、エリックと私は、まだ少し雨が降っていましたが、オレンジの花を買いに近くの花屋さんにカイちゃん(ハッピーの甥)と一緒に行った。
祭壇にろうそく、線香、おりん、水、彼女のお気に入りのオレンジのお花、大好きなブルベリーのクッキーなどを用意してあげた。
ろうそくやお線香に火をつけ、おりんを鳴らして祈った。
と言っても今、考えると何を祈ったかさえ覚えていない。
覚えているのは手を合わせた(合掌)ことだけ。
その後、ハッピーと一緒に聞いていた音楽をかけて たくさん、たくさん泣いてみんなで瞑想を1時間した。
何回も何回も犬猫家族と、エリックをハグした。
2日目は、あんなに降った雨が嘘のように、太陽は力強かった。
何もする気がない私は機械的に動いていた。
ハッピーの家族全員を見て、何も考えずにいつものように散歩に行った。
最初の散歩チームはハッピーのお母さんのルミちゃんとハッピーの甥のカイ君。
ハッピーはいつもルミちゃんとカイ君と一緒に歩いていたので、私の気持ちはそこになくて、心の奥底が麻痺していたのに、ハッピーが一緒に歩いているのを感じた。
家に帰ると、*CSC (癌サポートコミュニティ) の血液癌グループのメンバーから電話のボイスメッセージが入ってて、内容はZoom ミーティングに参加できないので、私が出席する場合はグループに知らせてほしいという事だった。
*CSC (癌サポートコミュニティ) 血液癌グループ。
約 7 年前、私がステージ IV のリンパ腫がんになったときから参加しているグループ。
自分の経験をシェアーする場で他の人が血液のがんで身体的、精神的にどのような状況を経験しているかを聞き、治療法、病院、腫瘍専門医などについてのより多くの情報を得るのに役立つ。
Zoomだけど他の人たちと会うことにできるかどうかを決めないといけなかった。
長年の友人であるジョンが最後の化学療法を受けてからどうしているかも知りたかった。
皮肉なことに、ジョンは私がステージ IV のリンパ腫で化学療法を受けている時に病院にお見舞いに来てくれて、その 3 年後にジョンはリンパ腫を患い、彼を CSC の血液がんのサポートコミュニティに参加するよう招待し、彼は出席するようになった。
気が付いたらZoomミーティングが始まっていて、あっという間に時間が過ぎてた。
Zoomミーティングに参加したいという私の心からのメッセージを受け取り、
「Zoom接続」をクリックしました。
ミーティングに遅れて参加した場合、ミーティングの最後の方にシェアーする事になっていた。なのにこの日は私が参加した時に発言していた人が終わって、すぐファシリテーターの人が私に調子はどうですかと聞いて来た。
こんなに早く発言するとは予想していなかったので、何を言えばいいのか分からず、息が詰まった。
何を言うか一瞬少し考えて、
私は、「CSC のメンバーの 1 人が私にメッセージを伝えてほしいと電話のメッセージがあったので。それとジョンの様子を知りたかった…」と言った。
その後、私は泣き始めて、「ごめんなさい、今日は私らしくないんです…」と言って、
すぐ自分の言ったことを訂正して続けた、
「実際、今日のこの私も私です。」
私は深呼吸して続けた、
「私の愛犬孫娘、ハッピーが約24時間前に天国に逝ったんです。」
涙が溢れてきて止まらなくなった。
心がかきむくしられる痛むのを感じた。
胸が引き裂かれるようだった。
もう一度深呼吸をした。
「ハッピーが亡くなって悲しみと罪悪感を感じてる。彼女の母親であるルミが彼女より先に亡くなるかもと思って、この半年、ハッピーよりもルミのことばかり考えていたから。 ハッピーのニーズに合わせて正しいことをしてこなかったのかもしれない。」
「ごめんなさい、ハッピー!」
鼻をかんでからこう言った。
「私は心はとても痛み、津波のようなとてつもない悲しみが私の全身に押し寄せている。」
以前、愛する家族、友人、動物家族を含む誰かを亡くしたとき、その悲しみ、罪悪感などの感情をきちんと向き合っていなかったのかも、そのせいで免疫力が低下したのか、ガンを2回も患った事が頭に浮かんだ。
一つは父が亡くなった後、私が卵巣がんになったこと。
もう一つは、愛犬娘で私の介助犬だったクラが亡くなってから6か月後にステージIVのリンパ腫。頭の中が恐怖でいっぱいになった。
我に返ってCSC ミーティングでのシェアーを続け、
「過去に、強いつながりを持っていた人を失って、その人とやり残した気持ちや後悔があったためか、体力が低下し、免疫力が低下させていたせいか癌になったかも。また、健康を失うのではないかという不安があるので、私は悲しみに対処しセルフケアするために何を改善できるかを振り返る必要があると感じます。」と言った。
これを書きながらわかったのは、亡くなった人によって悲しみの形や色が違うこと。
母が亡くなったとき、私は悲しくて、もちろん悲しんでいましたが、母がどんな人であるかを受け入れ、母にとって私がどんな娘であったかを伝えるために、母とコミュニケーションを看病に2ヶ月日本に行った時したので亡くなった後、悲しかったけど平穏だった。
アメリカに住み始めて、16匹の動物の家族を天国に送ってきた。
動物を育てるのは簡単な仕事ではなくって、そして彼らが去ったとき辛くて、私は悲しみました。
でも彼らとのコミュニケーションして繋がりを持っていた動物家族とは、悲しみはサーフィンができる海の大きな波のようなもので溺れなかった。
父とクラが亡くなったとき、私はどうだったのか?
父が亡くなったとき:
父が亡くなる前、私は父と連絡を取ることができませんでした。
彼の健康状態が良くないことは知っていたので、彼が亡くなる1か月前に私は日本に行って父に会って妹と一緒に彼のお気に入りのレストランに行ったりして楽しく過ごした。
でもアメリカに帰国するために出発前に空港で父に電話しましたが、応答がなく、折り返し電話がなかった。彼の秘書は、父が仕事で出張中なので後で連絡すると言っていたが、連絡はなかった。
3週間後に危篤の電話を受け、翌日日本に会いに行った時にはすでに意識がなく、8時間後に息を引き取った。
私は母の手伝いや父の会社の対応のため、1年に7回も日本に戻った。
極度のストレスのため、私には悲しむ余地はなかった。
過労で倒れそうに何回かなった。
翌年、最初の夫が離婚を申請し、路上で保護して育ててあげてた犬の一匹が亡くなり、その後、離婚でお金を失い、マンションを差し押さえされた。
父親が亡くなる前に意思疎通ができず、体力の限界を使って日本に何回も行った後、最初の夫の信頼を失った悲しみ、路上で保護した愛犬の一匹が亡くなり心はどん底だった。私は健康を失い始め、卵巣がんになたんだと思った。
介助犬だった愛犬娘、クラが亡くなった時:
エリック(現在の夫)と私はクラちゃんが病気になった時、レストランのシード・キッチンの経営を救おうとしていた。大家と不動産屋は全く助けをもらえなくて、私たちは賃貸契約を失い、不動産業者が私たちを訴えて来た。クラが亡くなった後、私たちはレストランを閉めることになったが、大家さんが裏切って他の人にシード・キッチンを売る手配をしていた。
なので当時、エリックと私はレストランの事でよく言い争いをして疲れ切っていた。
私はレストランの顧客と従業員、生徒やクライアントに対応することに集中していた。
適切に悲しんだり、ゆっくり休んだりする時間はなかった。
レストランを閉めてからエリックと私は、レストランを閉店した後の借金の修復だけだった。
そして、半年後、私はステージIVのリンパ腫になった。
CSCのファシリテーターは私に、「どうすればこの悲しみから病気や癌にならないようにすればいいのでしょうか?」と尋ねました。
この悲しみの問題を考えて対処するのは私にとってポイントだ。
健全な悲しみとは、痛みに向き合い、それに対処すること。
それは簡単な仕事ではなく、近道はない。
2016年にクラが亡くなったときに、私が悲しみについて書いたブログ「悼しむ
」を読んでみた。
https://sanaesuzuki.com/2016/08/09/kula-golden-retriever-life-with-her-cancer-part-4/?lang=ja
これを読んで、当時クラちゃんを亡くして、私たちの夢のひとつだったレストランをも失くした辛い時期だったんだって思い出した。
そしてエリックとの夫婦関係に日々が入ってしまってそれを修理してたとわかった。
だから自分が悲しんでいるのがわかるまでには時間がかかっていたようだ。
私たちはみんな、自分自身の中に弱いつながりを持っている。
自分の最も弱い部分は、誰かを失ったとき、そしてその誰かが私にとって大切であり、その人との繋がりを快く理解しないで受け入れることができなかったことで、それが悲しみにつながり、免疫力を消耗し、健康を失っていたようだ。
今回は、ハッピーちゃんを亡くした悲しみをこうして受け入れられる気持ちと時間がある。
「*ペット・ロス・サポートグループ」とつながり、癒しの日記を書き始めることで悲しみを解放し始めてる。
*ペット・ロス・サポートグループ(アメリカの英語のグループ)
https://www.lapoflove.com/our-services/pet-loss-support
私の一番弱い部分に直面して、それを私の強みに変える必要がある。
必要なときは泣く。
罪悪感、後悔、非難、恐怖、怒り、そして、特に私自信を許すつながりに取り組んでいる。
痛みを和らげる – 私の気持ちをサポートし、優しく言葉をかけてくれる人々と話す。
書くことは私にとって癒しのツールの一つなので、自分がどのように「セルフケア」を行っているかについて書く。
散歩、アートとガーデニングをいつものように続ける。
悲しみのための薬草茶、バッチフラワーレメディ、温灸、霊気、マッサージ、薬草アロマのお風呂。セルフケアーはまだまだたくさんある。
エリックと一緒に、正面の庭にグレビレア・スパーブ低木植物(オレンジがハッピーの色だったオレンジ色の花が咲き、ハッピーは低木植物が大好き)を植えてみた。
ハッピーが亡くなってからは、ハッピーとはあんまりコミュニケーションができていなかったけど、グレビレア・スパーブを植えている間、ハッピーの声が聞こえてきて、
「マミー、すごく綺麗なお花だね。オレンジ色が大好き!」
「手術をしないと決めて、私が生まれた家から天国に行けるように、私を心臓専門医から家に連れて帰ってきてくれて嬉しかったよ。」
ハッピーが心臓専門医からおうちに戻る時
「心臓専門医から戻ってからもう少し時間があればよかったとマミーは思っているのはわかるよ。私も同じだよ。でも私の心臓は強くなかったんだ。」
「マミーがしてくれたことすべてに本当に感謝しているよ。
マミーは私の全てで、マミーと一緒に生きている事が幸せだったんだよ。私はとっても幸せな犬孫だったよ。
マミーが毎日私に喜びと愛を与えてくれたから喜びと愛を広めることを学んだんだよ。 」
「マミーがみんなを癒す方法を教えてくれたんだよ。」
「また一緒に過ごせるように、マミーはこれからも健康に気をつけて長生きしてね。」
「今、私もまだ天国に行かなくっちゃいけなかった事にショックを受けてる。
マミーがショックを受けて、罪悪感を感じていることはわかるよ。
でもマミー、私が旅立つ時の顔を見てくれたでしょ。私は痛みなく幸せに出発したんだよ。いつもマミーが私は美しいっと言ってくれてたまま逝ったよ。」
ハッピーが天国に逝った直後
「マミーとパパはとてもよく私の面倒と世話してくれたね。」
「本当にありがとう!」
「次に会うとき、またそこに戻るか天国でか必ずまた会えるよ。」
「話は変わるけど、もう気づているようだけど、私はルミ母犬の体を使ってマミー達に会いに行ってるんだ。」
「マミーが『ルミは、ハッピーと同じように、私たちの助けなしでも起きて、どこへ行くにもついてきている』と言っていたのを聞いたよ。 (ルミは関節炎を患っており、自力で起き上がることがあまりできない)
「ルミはハッピーみたいにいびきをかかずにぐっすり眠っている」(ルミは眠っている間ずっといびきをかいている))、「ルミは何か食べたいときにハッピーのようによだれを垂らして待っている」 (ルミはよだれを垂らしたことは今までなかった)
そうだよ、マミー、私はルミ母犬の体の中であなたと一緒にいるよ。
私がどれだけマミーと一緒にいたいと思っているかがわかるよね!」
「大好きなブルベリーのクッキー、フレッシュなお水、キャンドルやお線香、そしてきれいなオレンジ色の花束をありがとう!
私は永遠にマミーの愛犬孫娘で、とても祝福され、愛されてるってわかるよ!」
ハッピーの涙を感じた。
私は空を見上げて彼女の魂を抱きしめた!
そして彼女にこう言いました。
「ハッピー~アリガトウ!
ハッピーは私とみんなに喜び、愛、幸せを与えてくれる素晴らしいお仕事をしてくれたね。
ハッピーが私の人生に来てくれてとても嬉しい。
いつもそばにいてくれてありがとう!
また会えるまで。。。」
ハッピーからコミュニケーションが来てとっても嬉しい、感謝。
私の心の準備ができたら、ハッピーの人生に敬意を表して、彼女の犬生物語を写真とともに書きたい。ハッピーに敬意を表してメモリアルをしたい。
今日はハッピーの*初七日なので、私なりに法要してあげたい。
*初七日
これは故人(故犬)が「死出の山」と呼ばれる長さ3200kmの険しい山を越えてから
三途の川に辿く日(三途の川は幅が4000km もある大きな川) です 。
故人(故犬)が生前してきたことでこの河が激流、急流か緩流になるとか。
故人(故犬)の家族や友人は無事に渡れることを法要する日だそうです。
この事は以前ブログに少し書きました。
https://sanaesuzuki.com/2016/08/09/kula-golden-retriever-life-with-her-cancer-part-4/?lang=ja
ありがとう、ハッピー!
Love,
Sanae ❤️