生きるためのヨガ

小さい時から私は見た目は活動的で運動が得意なように振舞ってた。

でも本当は中学の後半から20代の中半までは、とても太っていて、結構怠惰な人間でもある。
1日中、テレビや映画をみてゴロゴロもできるし、自分のベッドをオフィスにしたりベッドで食事もしたりしてた時期もあった。

ただ好奇心が強いのでいろんなことを試してみたいという気持ちがいつもあって(今もある)、
ヨガは試してみたい事の中に入ってた。
1981年、まだ私が大学時代、初めてヨガをその時このサンタモニカ近辺ではひとつだけあったハリマン・ヨガスタジオでトライしてみた。

650 Yoga Quote

初めてヨガをした感じたのはヨガは今まで試したいろんなスポーツとは全然違う事。ヨガをしてみて何かが私の中で変わった。体を伸ばしてストレッチしてくれるだけではなく、体と精神が軽くなったような感じがしたけど、その時はわからなかったので、何故ヨガが好きになったかハッキリしたものはなかった。
ナチュラルハイとは言いたくないのですが、ヨガの後はとにかく気持ちがフワッとして健やかな気持ちになることはわかって, ヨガを楽しんだ。

でもハリマンスタジオにはあまり長く通わなかった。
スタジオが暗いイメージ(私は午後のクラスしか行ったことがなかったので、朝のクラスは違っていたかもしれない)でカーペットの臭いと日本の線香とは違う香の臭いがきつかった事。
そして来ている人たちが自分とは全然違っていて、また先生の言っていることもあまりわからなかったので、自分には合わないと思ってしまった。

その後、ヨガをまたしてみたいという気持ちはずっと残っていて、他のヨガ・スタジオのことを調べたりした(あの頃、Goggleがあれば便利だった…笑)。
自分が住んでいる、サンタモニカ近辺には何もなくって。

1987年、新しいヨガ・スタジオ「ヨガワークス」がサンタモニカに出来たのを見つけてすぐ見に行った。
自然の明るい光と木の床のスタジオはすぐ私のお気に入りになった。
ヨガは私の肉体だけではなく精神も心もサポートしてくれ、
その頃丁度、一番初めの夫との別居生活、父の病気と死、そして犬家族のクロちゃんの天命とチャレンジが続いていたのでヨガクラスに定期的に通って癒されてた。
今、考えるとヨガをしていなかったらどうやってあの時期を乗り越えられたかわからない。
あまり深く考えないでただヨガクラスに通ってとにかくヨガの練習をすることに集中してた。

1992年になって自分の体がだるく、そして微熱が続くようになった。
大好きなヨガもあまり出来なくなって、翌年に卵巣ガンだと診断され、ショックで何も考えられなくなったあの頃。
1989年に癌で亡くなった父親と同じように自分が癌になったことを初めは恨んだり、情けなくなったり、自分を責めたりもした。どうしたらいいかまったくわからなくって、自分が癌になったことを責めるのではなく素直に病気になった自分を認めて養生をしてあげられるようになって間もなく、マクロビオティックという食養があることを知った。そしてその後は、ヨガは忘れてなかったけど、マクロビオティックを学んで自分を癒すことに専念した。

650 Lotus Flower ©

1994年の夏、マサチューセッツ州のマクロビオティックのカンフェレンスに参加した時にマクロビオティックを学んだヨガ・インストクターのクラスがあることを知ってそのクラスに参加してみて、自分が食事だけでなくヨガを必要としていると教えられた。サンタモニカに戻って来てからまたヨガワークスに通い始め、いろんなヨガにワークショップに参加した。ヨガがまた私の生活に加わりそしてマクロビオティックと一緒に生きていくための私のツールになった。

2001年、私はマクロビオティックを始めて7年以上が過ぎて、精神的にも、肉体的にもとてもいい位置にいた。ステジオMugenというマクロビオティック料理のコミュニティースタジを設立。
そして同じ時期、 マクロビオティックのカウンセラーになる為の久司道夫先生のクラスをマサチューセッツ州のベケットにあるクシ・インスティチュートにまた行って勉強することにした 。

カウンセリングのクラスを習得した後、マサチューセッツ州からカリフォルニア州への帰り道、臨死体験をするような酷い交通事故にアリゾナの砂漠であい、愛犬3匹のうち2匹を亡くした。私は3日間昏睡状態になり、その間心臓が12分止まったと聞いた。
心臓と肺は事故の怪我で機械なしでは機能不可の状態。左側のあばら骨は全て骨折。膝と足首の骨は両足全部複雑骨折。左の足首は切断する必要があるとも言われた。
ドクターは、残念だがきっと私は2度と歩けないだろうと言った。ショックで私は何故自分が生き延びたかを恨んだ。また生きていきたいと感じるようになるにはとてつもない時間、日々、月々、年数を過ぎ越さないといけなかった。ひどい落ち込みと希望喪失から救ってくれたのはその頃、親友だったエリック(現在の夫)、一緒に生き延びた動物家族のゴールデン・レトリーバーのキンちゃんとネコのまいちゃん、友人たちと私のことを祈って下さったたくさんの方々、そして日本の家族。みなさんには感謝の気持ちでいっぱい。

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車椅子に乗っていた頃の私とキンちゃん(右)とキンちゃんの娘(ドレちゃん左とクラちゃん右)

寝たきりのおまる生活から車椅子生活をできるようになるのは時間がかかったけど、2003年に車椅子でも行けるヨガクラスを見つけた。サンタモニカにある身体障害用の車のバンで通えることも調べてわかって、またヨガを始めた。このヨガに通うことがきっかけで歩けるようになる希望がわいてきたと言っても大袈裟ではない。そして1年後の2004年、エリックとの結婚式のバージンロードを必ず歩くとゴールを立てた。今、考えるとこんなにいろいろ調べて前向きだった自分がちょっと信じられないけど、初めに書いたように私は好奇心が強い人間だということが私を救ってきてくれたのかも。2004年の6月20日の結婚式に私はゴールを達成して弟に助けられながら杖(ドレスの一部としてサテンのリボンで飾った)を使い歩いた。

ガンを治す為に始めたマクロビオティックも私がまた歩行できるようになる為に健康な身体を作ってくれ、ヨガはまた歩けるようになるための 筋肉などをつけて、骨を強くする事に役立ってくれた。スムーズに動ける助けと 足や腰の痛みを和らげ精神的にもリッラクスしてくれて、眠れるようになったことは確か。

650 with Nancy and Kyra

ナンシー先生(左)とキラ先生(右)。

長い回り道でしたが、昨年の60歳の還暦を迎えた後、ヨガ・インストラクターの資格をとるコースに参加することに決めまた。入念に1年計画作りをして自分にあったヨガ・スタジオとヨガ講師を見つける事が重要だとわかり、いろいろ調べて(今回はGoglleのお世話になりました…笑)自分の家の一番近くにあったサンタモニカ・ヨガ・スタジオが今の自分には無理なく歩くか三輪自転車で通えて、とてもいい先生もいるとわかった。 身体障害者ようの特別クラスではなく、サンタモニカ・ヨガスタジオの普通のヨガ・クラスに定期的に通うようにまず始めた。初めはヨガ・インストラクターのコースを無理なく受けて最後まで終了できるか心配でした。でもいつもの好奇心が心配する気持ちより多くてとにかくやってみる事にした。

650 Graduation potluck party

ヨガ講師最終テストが終わってお祝いのパーティー。

650 SMY TT

ヨガ・インストラクター、トレーニングコースのクラスメイトと先生と。

1年間、定期的にヨガの練習に行って、ヨガ・インストラクターのコースにも出席したおかげで、あの交通事故してから一番肉体的に成長した年だった。車椅子生活をするような大怪我をした後もヨガを諦めないでヨガを続けてきて本当に良かった!ヨガが毎日の私の励みになって、ヨガは私にとって生きるためのものだとわかった時の喜び。生きるためのヨガをこれからも続けていきたい。

650 with Nancy and Jamie

ジェイミー先生(左)とナンシー先生(右)

無事ヨガ・インストラクターの資格コースを習得してテストにも合格して、この9月1日(木)からコミュニティー・クラスを教えます。時間は午後12時15分〜1時15分。次のクラスは9月22日(木)時間は午後12時15分〜1時15分。その後は10月2日(日)時間は午後2時半から3時45分。場所は全てサンタモニカヨガスタジオで教えます。料金はスタジオにスペース使用料として一人$5。住所は1640 Ocean Park Blvd. Santa Monica 90405 電話310-396-4040

ぜひ、みなさんに来ていただきたいです。

愛を込めて

草千💖

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