4月の花:スイートピー

わー、やっとブログが書ける~~~!

この2022年が来て、毎月その時期にあったプロジェクトをしていたらもう4月も終わり。

ブログを書きたいなぁと毎朝うちの犬たちと散歩している時に思ってた。健康を保つために午後から休息をするという自分との約束が一つある。その約束を守るために何かをけずって自分の考え方を変えないといけなかった。

書くのは好きだけどブログを書くのは時間がかかる、写真を撮って、下書きを英語で書いて英語を調べて次に日本語になるべく訳す。

何か意味がある事を書きたいと決めつけていると書けないし、とっても時間がかかる。やっととにかく何か書けばいいと気持ちの整理が出来た。(これはバッチフラワーレメディのおかげかも)

呼吸をゆっくりして、1月からしてた事を簡単に写真と一緒に書く事にした。

1月:久しぶりに木版を削って今年の干支の虎版画作成。(これは来月サンタモニカカレッジのシニアアートショーに出展)。



2月:手作り味噌つくりも久しぶりで麦味噌と玄米味噌を作り。

3月:犬の健康についてのレクチャーとヘルシーハッピープーチ本のサイン会をTortoiseでした。

 

初めてのオンラインクラスで日本語のバッチフラワーレメディを教え始めた。

 

4月:エリックがお庭のレモンを使って作ってくれたレモンケーキで自分のバースデーを祝った。

 

4月の花、スイートピーを水彩画してみた。

スイートピーのシンボルはアメリカでは新しい始まり、インスピレーション、クリエイティビティと言われている。この年の私にぴったり。

このスイートピーをゆっくり描く時間が持てて自分が休息を取りながら毎日を過ごせていた事に気がつく。そしてやっと自分のためのブログを書く事ができた。

バランスをとりながら生きていく努力と楽しみに感謝!


Love, Sanae ❤️

New Year Sunrise

一年の計は元旦にあり(諺)。

聞いたことがあると思うんだけどこの意味は人によって違うかもしれない。

直訳は年の計画は、その年の始めの元旦にしっかりと立てることと調べたら載ってた。

私は計画を本能的にその場その場で決める方なので元旦にしっかりと立てないかも。

ただ歳をとって少しずづ分別がわかるようになって来て心構えは新しく迎える年のために元旦に準備したいと願い始めて初日の出を見に行くようになってもう30年くらいになる。
魂を輝かせて新年の心準備に最高。

朝5時、今年はサンタモニカは結構寒かったのでクリスマスギフトのオーガニックネルシーツの中でゆっくり眠っていたい思いが頭を横切った。

でも、気持ちは行く!行くんだよと囁いていた。

そして行った!

今年の初日の出は6時58分。
エリックと年長犬娘のルミちゃんとルミちゃんの娘のハッピーちゃん、そしてカイちゃんと行った。

それから初めて一緒に初の出に参加した友人達と10歳の息子さん。みんなカイちゃんのお友達。

6時15分に目的地の丘までハイクして初日の出を待っていた。

空はたくさんのアートイメージを描いて私の心に響いていた。

今年も昨年同様風がすごく強くってその上、昨年より寒くって初日の出が出てくるまでの間、手が氷のように冷たくなって感覚をなくしそうになった。
その時、友達の息子さんが月が見えると叫んだ。
私たち大人達は何処どこと言っているうちに私は手の悴むような痛みも忘れて空を一生懸命見ていたらやったー見つけた。
とってもとっても薄い三日月(2%二十六夜)を空に見つけて嬉しくなって寒いことは忘れてしまい、感謝の気持ちでいっぱい。

その後、携帯の充電を忘れていたのに気がついて初日の出が出る前に使えなくなって今年は初日の出の写真はなしと思ったら、一緒に行った友人がiPhone 13で写真を撮ってくれたのを送ってくれた。
私のiPhoneは 8だから全然比べ物にならないクオリティが良い写真。

見て下さい、このゴージャスな写真。

 

素晴らしい初日の出をまた見て太陽と自然に深く繋がりこうして生きている存在にあらためて感謝。
お金や物ではない、人間である事のシンプルで最高の幸せを感動。

充電しないで大晦日寝てしまったのも宇宙(神、ハイヤーパワー)の計画だったようだ。(笑)
「塞翁が馬」の諺を思い出して私の2022年のモットーにしようと決めた。

2022年、感謝、希望と愛!

Love, Sanae❤️

アニマルコミュニケーション:赤い実の鳥

やさしくて逞しい癒しを与えてくれる自然。自然と触れて自分の生き方を理解していく重要さ。

ノースフォーク(ヨセミテ国立公園から南に60マイル)に行くようになって15年以上。初めてノーフォークを訪れた時、命の洗濯場所だピリッときた。

癒しを求めて乾いた喉を潤す天然水。

雲が自由に踊る空。

地球と林の香りが心を持ち上げる。

何百年も生きているカシの木、ポンデローサ松の木々、優雅に活動している川、湖に力をもらえます。

そして自然界で生きている植物、動物たちから学ぶことは多い。私も自然の仲間。自然界の役に立てることがあるんだなと時々感じさせてもらえる事がある。

8年前の2013年に入り口のゲートの所にあったカエデの木が誰かが車で後進する時にぶつかって真二つに折れてしまったことがある。

みんなから残念だけどこの木はもうダメだと言われたのですがなんとか助けたいと言う気持ちがあって助ける事が出来たことがあります。

この事は英語のブログにしか書いてなかったのですがやっと日本語でも書きましたのでぜひ見て下さい。

メープル木の奇跡の回復!

真二つに折れた樹幹をくっつける為に何か必要だったので玄米と麦を柔く炊いて接着のりを作って優しく縛って処置をしてあげたら奇跡的に生き返った。

その後、毎年、目を見張るほどの紅葉を見せてくれている。下記の写真は今年2016年のものです。

 

 

 

 

 

 

普段ノースフォークに滞在出来るのは1日か2日なのですが今回は4日間出来てヴィパッサナー瞑想の先生の自宅で瞑想の練習をしたりモノインディアン(アメリカ先住民)の記念館を見学、小川に犬達と行ったりした。

サンタモニカに戻る日の朝、帰り支度をしようとしてサンタモニカに持って帰りたい松の木の葉を採りに行った。

いつもなら裏の出入り口を使うのですがこの時は何故か玄関から外に出た。そしたら玄関の近くに小鳥が倒れていて初めは死んでいると思ったけどよく見ると羽が微かに動いてた。

すぐそばに赤い実が落ちていたのできっとこの小鳥が咥えていた物だとわかった。せっかく赤い実をとって飛んでいたはずなのに。

なんとかしてあげたいと言う気持ちでいっぱいになってすぐ手を優しくつけて動物霊気をしてあげた。エリックを呼んでバッチフラワーのレスキューレメディーを持って来てもらった。鳥の足の所に4滴そして私の掌にも4滴つけて掌をつけて動物霊気した。

 

しばらくして頭で考えるのではなく本能で木漏れ日の当たる場所に移してあげた。

 

やさしく手で抱きながら「ありがとう、有り難う。有り難う。。。」と念じていたら目を開けた。



でもまた目を閉じて弱々しくしてた。ずっと動物霊気をしてあげていたら

自分で座れるようになって側に寄って来るのを感じた。

やさしく「I love you、元気になるよ。」と囁いた。

安心したようにまた目を閉じた。

まだ帰る支度が終わっていなかったので柔らかい葉っぱでベッドを作ってあげて安全な場所に移してあげて、「ごめんね、またすぐ戻って来るからね。」と伝えた。

30分くらいして戻って手を当てたら目を開けた。

また動物霊気をしてあげた。

安心したように目を閉じた。

自分で座れるようになっては来ていたがほとんど動かないでまだ弱っていた。

このままだと他の野生の動物に食べられちゃうかも、それでは可哀想だからサンタモニカに連れて行って療養させて元気になったらまたノースフォークに次回来るとき連れて来て放してあげようかと考えていた。でも野生の鳥なのでそれが本当に妥当か決めかねていた。

倒れているのを見つけてから約4時間が過ぎていた。

動物コュニケーションで話してみてこの鳥さんに決めてもらうのが一番だと思い、話しかけてみた。「少し元気になってきているからとっても嬉しいけどまだ私の療養看護が必要かもう大丈夫か何かサインを見せてくれると助かるな~。」と言うと少しして目を開けて私を見つめて急にジャンプした。飛ぶのかと思ったけどそうじゃなくてホップ歩きした。これにはびっくりしたけど動物コミュニケーションを勉強し始めて驚く事は今までもたくさんあったのでわかる気もした。

ゆっくり後をついて行くと隠れ治癒場所、左側の丘の崖の小枝の陰に見つけた。

ここなら風も雨も遮る、何と賢いのだろう。



 

この鳥さんを見つけた時に側に落ちていた赤い実と同じ赤い実がちょうど私の足ものとにあったのでそれを鳥さんの隠れ治癒場所に置いてあげた。

鳥さんは「ありがとう。私が持っていた赤い実は貴方にあげるね。」

私は「元気になって良かったね。またきっと会えるね。赤い実ありがとう!ずっと大事にするね。」と言ってサンタモニカに向かった。

サンタモニカに向かっている間もこの鳥さんの事を考えていた。

きっと元気になっているはず。

サンタモニカに戻ってからこの鳥さんの種類を調べてみたがわからなかった。

それでこの鳥さんを赤い実の鳥とよぶことにした。

このブログを書いていたら赤い実の鳥さんがアニマルコミュニケーションで連絡してきた。

窓から空を見上げて目を閉じると赤い実の鳥さんが私があげた赤い実を咥えながらゆっくり飛んで行くのが見えた。

そして嬉しそうに「ありがとう。」と言うのが聞こえた。

鳥さんがくれた赤い実を掌にのせて見た、涙であふれた自分が気がつくといた。

もっとその時の気持ちを文章でうまく書けて説明できたらいいのだが今こうして書いているだけでも感謝で胸がいっぱいになってこれ以上書けない。

自分の本能とつながる練習を与えてくれた自然とこの赤い実の小鳥さんに感謝と愛を込めて。

Love, Sanae❤️

メープル木の奇跡の回復!

このオリジナルブログは2016年12月2日に英語で書いたものを今回日本語にした。

ノースフォーク(カリフォルニア州ヨセミテ国立公園から南60マイル・96km)は美しい常緑樹がたくさんある山林村だけど、ケベック出身の主人のエリックがメープルの紅葉が好きな事と私は日本の紅葉が恋しい気持ちから思いついて、2005年(平成17年)にメープルの木を3本、ノースフォークの山荘の入り口ゲートの側に植えてみた。

2013年に1本のメープル木は車を後退させた人が真っ二つに幹を折ってしまった。誰もこのメープル木が回復するとは思わなかった。でも私はなんとか助けてあげたいと思った。

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写真:焦点が外れてしまいましたが玄米と麦で作った接着のりをつけたメープル木。

柔らかく炊いた玄米と麦で接着のりを作って折れた幹をくっつける事にしてみた。このアイデアは日本のおとぎ話の一つの舌切り雀の話の中の雀が糊(続飯)を食べた事を思い出して浮かんだもの。

誰も私が玄米と麦で作った接着のりがこのメープルの木の回復になるレメディーとは思わなかったが、なぜかうまく行くように感じた。

ミラクルってあるんだよね。そうこのメープルの木は元気になったんだよ。

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写真:メープルの木と柔らかく炊いた玄米と麦で作った接着のりレメディー

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写真:玄米と麦の接着のりレメディーはすり鉢で作った。

カリフォルニア州のセントラルと南地域は長期の水不足が続いてセントラルカリフォルニアにあるノースフォークはたくさんの常緑樹が被害にあって。私が植えた3本のメープルの木のうち2本は枯れてしまった。

生き延びたのは私が助けてあげたあのメープルの木!

ミラクル・奇跡のメープル木。

きれいな紅葉を翌年からまた見せてくれるようになって前よりも色が鮮やかになったとノースの友人から聞いたがサンクスギビンの前に紅葉して私たちが行くサンクスギビンの日には散っていたので見る事が出来なかった。

2014年の秋、ヴィパッサナー瞑想のコースに再参加し私がノースフォークを行った時に散りかけていたがやっと初めてこのメープル木の紅葉を見る事ができた。

美しいだけではなく深い心の繋がりのある色で私の心は幸せで溢れた。

エリックに見せてあげたくって写真(下記)を撮った。

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写真:2014年奇跡のメープル木の紅葉と私。

今年、ノースフォークの友人がメープル木がまた美しい紅葉を見せているよと連絡してくれた。それでメープル木にお話をしてみた。「もし出来たら私たちが行くサンクスギビングまで散らないでいてくれると嬉しい、特にエリックはまだあなたの紅葉を見た事ないからと。」メープル木は「頑張ってみるね。」と言ってくれた。

サンクスギビングにノースフォークに行くとうちの玄関のゲートのところが遠くから見て真っ赤になっていてエリックと二人で大声を上げて「メープル木がお迎えしてくれてる!」と叫んだ。

初めて見るエリックの喜び。

そして初めて見てもらえるメープル木の喜びを感じた。

このメープル木さんは助けてもらえてありがとうと言って素晴らしい紅葉を見せてくれているんだとわかった。

ありがとうメープル木と名前をつけた。

諦めないで奇跡・ミラクルを信じるとミラクルが本当に起こる。

メープル木の包帯を外して「こんなに元気になってくれて、ありがとう!」と感謝を伝えた。

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写真:2016年に包帯を外してあげた。

650-maple-with-mugen-sign

写真:2016年、とっても美しい紅葉を見せてくれた。

時間がかかりましたがやっとこのブログを日本語で書けて嬉しい。下記が2021年のメープルの木。

光の紅葉。

with my love,

Sanae 💖

バケットリスト「死ぬまでにしたいことのリスト」#2 アメリカ自殺防止財団コミュニティーマーチ

余命はあと数週間。癌専門医師のドクター・ミィードから5月17日(金)2017年に
「びまん性大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫肝臓ガン」のステージIVと診断されてから初めてバケットリストを書いてみた。
(ブログ「余命1ヶ月もない!」)

バケットリストという言葉の日本語の意味は「死ぬまでにしたいことのリスト」。一番初めのバケットリストブログはユーミンのコンサートに行きたくって抽選に当たって行った事を書いた。

スペクタクルな場所に行ったり素晴らしい事をしたりしたいという気持ちはリンパ腫の癌から回復し始めてから変化していった。私のバケットリストはもっと心の深いものに繋がっていくのを感じた。

中学からの大親友、叔母ふたり、叔父ひとり、一番初めの夫、そして近所に住んでいた仲良しの友人が自殺。私自身、14歳の時に自殺未遂。メンタルヘルスに向き合って長い間生きてる。

アメリカ自殺防止財団がコミュニティーマーチ(3km)を私の住んでいる街のサンタモニカで毎年している事を知ってこのマーチにいつか参加する事をバケットリストに3年前に書いた。と言っても私は20年前に臨死体験(ブログ臨死体験から20年)するほどの車の事故で車椅子生活をしていてずっと歩くことは出来ないでいた。その後歩けるようになっていたがリンパ腫の癌が治ってから膝を2年前に骨折してコミュニティーマーチで歩くという事をバケットリストに書いた事は誰にも言えなかった。

コロナでパンディミックになって昨年はこのコミュニティーマーチは行われなかった。心に2021年のコミュニティーマーチで歩く事を誓った。フィジカルセラピーに通って膝が以前より強くなってきているのを感じていたところ、丁度、パンディミックで犬達を散歩してくれる人も来なくなって自分で少しずつ毎朝犬家族と一緒に歩き始めた。

今年、アメリカ自殺防止財団がコミュニティーマーチは先週の土曜日10月23日(土)2021年に行われた。初めて行く所はいつも少し不安で緊張する。エリックとカイちゃんが一緒に行ってくれて本当に良かった。

曇り空の暖かい日ではなかったので冷えないようにでもマーチするから暑過ぎないよう準備。

エリックと一緒に受付で一人$150のドネーションしたTシャツを受け取ってカーラービーズをもらいました。

ビーズは色でつける人が分けられていました。

白:子供を亡くした人

赤:配偶者を亡くした人

ゴールド:両親を亡くした人

オレンジ:兄弟姉妹を亡くした人

紫:親戚か友人を亡くした人

シルバー:軍隊の人ファーストレスポンダーを亡くした人

グリーン:未遂した人、苦しんでいる人

ティール:未遂した人苦しんでいる人をサポートしている人

青:自殺防止財団をサポートしている人

 

私は赤、紫、グリーン、そして青。エリックは紫、ティールと青。カイちゃんはティールをもらいました。

自殺防止の為にたくさんの人達が集まって(500人くらい)、今回アメリカ自殺防止財団は募金で$180、000集めたそうです。

イベントではスピーカー、エンターテインメント、追悼、ギフトが当たるくじ引きなど盛り沢山。今年はマウンテンバイクが1番のギフト。可愛い犬をドッグパックに入れていた女性がマウンテンバイクをもらいました。

今回、ドネーションはしましたがどんなイベント内容かわからないまま参加。来年は他の人も誘って募金運動もしたい。

マーチをする前にみんなでストレッチングしてカイちゃんはエキサイトしてジャンプしてたくさんの人が来てカイちゃんと一緒に写真を写しました。

 

 

歩き始める時、どのくらいの速さで歩けるかわかりませんでしたので最後のグループに入って歩こうかと思いました。でも何故か先頭のグループに入って歩き始めてエリックから「もう行くの?」って言われました。私は「とにかく行く!」と言ってマーチしてずっとスローダウンしないで全歩。

マーチし終わった後はアメリカ自殺防止財団の主張者でシンガーソングライターの人たちの心温まる歌が私の心に響き涙。

 

 

アメリカ自殺防止財団コミュニティーマーチに参加出来て嬉しい満足感。また1つバケットリスト達成!

愛を込めて、

Sanae 💖

 

 

 

 

 

 

 

臨死体験から20年後 パート1

30代と40代に楽しみは、ドライブ、旅行、冒険、ヨガ、スクーター、イベント、コンサート、AAボランティア活動、マクロビオティッククラスを教える事、いろんない人に会う、動物家族、ビーチ、ハイキング、園芸、写真、執筆、少し瞑想と気まぐれアート。

ドライブが大好きで眠れない時は午前3時にサンディエゴまでドライブして光あふれる朝日を見て美味しい朝食を食べてサンタモニカに帰って来た。

34歳のバースデーからスカイダイビングを始めた。

スキューバダイビングでカリブ海(ケイマン島、ジャマイカ、プエルトリコなど)行ってた。40歳のバースデーはタヒチにシャークダイビング。アラスカ、パナマ、コスタリカ、メキシコ、カナダ、バリ、もちろん日本もいろいろ旅行しました。大体一人で旅行するのが好きだった。

最後に大きな旅行をしたのはヨーロッパを6週間。7カ国をお料理してお料理クラスのアシスタントをしてマッサージをしてマクロビオティックコミニュティーも行った。その他は車でアメリカ横断を2回。

将来の計画はモルディブにスキューバーに行って、オードリーヘップバーンの映画みたいにローマの休日を楽しみ、南アメリカブラジル、ペルー、そして瞑想とヨガの勉強でインドに行く事、他盛り沢山。

 

でも、神様は違った計画をされていたんだ。

9月8日2001年(平成13年)にアリゾナ州小さな村ホープで臨死体験をするほど酷い交通事故後、歩けなくなった。その日はアメリカ横断を1ヶ月して愛犬のキンちゃん、ロロちゃん、グムちゃん、愛猫のマイちゃんとサンタモニカに帰る日だった。 今でも思い出すと感情が溢れて涙で詳しい内容は書けない。

この写真のように癒しの力でまた歩けるようになり、丁度今日はその日から20年。

苦難からの復活の証として少しづつでもこれから書いてみたい。

 

ヘリコプターでアリゾナ州のフィニックス市の緊急病院に運ばれて3日間昏睡状態。

2001年9月11日にニューヨークなどで起こった同時多発テロの事も知りませんでした。

体外離脱体験して1989年(平成元年)に亡くなった父に会って、1998年(平成9年)に天命したアメリカで初めての愛犬サクラちゃんにも会いました。父は一緒にお茶を飲もうと言ってくれましたが私が急いでいるのでまたねと伝えました。サクラちゃんは私に会えてとっても喜んでましたが大好きなサクラちゃんと会えて私も嬉しいけど行かなくちゃいけないのと言って私は天国の入り口からこの下界に戻ろうとしてた。

心肺機能停止が何回もあったとかで一度は12分も停止したと聞いた。

エリックが病院に着いた時、私が治療されていたICU集中治療室の前に二人の牧師がいて彼に祈る事を勧めた。通常の電気ショック心臓機能蘇生だけでは無理だったそうで緊急病院のドクターの一人、ドクターハミルトンは私の心臓に直接注射張りを刺して刺激させて奇跡的に私は蘇生されたとだいぶ後に聞いた。

アメリカ映画の『パルプ・フィクション』の中で女優のユマ・サーマンが蘇生される時にこの方法が使われている。

蘇生されて生き返って来た事は霊的なものだったと言いたいのですが、私の場合は違ってた。エネルギーが急に肉体に入って来て私が戻ったという極度なショックを感じた。

アメリカのコンピュータアニメ映画の『アイス・エイジ』のスクラット(リスとネズミの合いの子のような架空の動物)が何回も死ぬようなシーンがあって生き返ってくる勢いに似ていてこの映画を見て泣いた。

現実に蘇生された私の心臓と肺が事故でつぶされてしまっていたので肺から喉に管が入っていて話す事も出来い情態だった。でも手が動かせるようになった私は、窓からの光がとにかく必要だと感じて、字を書いてエリックに自分の寝ていたICU集中治療室内のベッドを窓の近くに動かすように命令した。それから病院の近くの自然食品店でバッチフラワーレメディーとクリーム、そしてラベンダーのエッセンシャルオイルを買って来るように書いた。買って来てもらったものをつけて、痛くない所を優しくマッサージし始めた。

足の手術をしたドクターから私は歩けないと言われて、神経障害のためマッサージをしないようにとも言われた。ドクターから言われた事でショックを受けるのが当然だったがドクターの言っている事は正しくないと思った。ただ私は礼儀正しい日本人なのでドクターの言う事を尊重してあまり質問しなかった。もちろん歩けるようになるまでの苦難があるか考えていなかったし、どのくらい期間がかかると言う事は知らなかった。もう歩けるようになったら何をしたいか頭を巡らしていたようだ。

毎日、マッサージを続けていた。ドクターハミルトンは毎日病室の来てくれて私は日に日に良くなっている事とマッサージなどを毎日続けなさいと励ましてくれた。

この時はまだドクターハミルトンは私をどのように蘇生してくれたかは話してくれていなかった。今、考えればあの頃、もし知らされていたらきっと私は動揺して自分の気持ちをしっかり持っていられなかったかも。

それまでに生きていてもう既にいろいろもうあったけど、この新しい苦難は乗り越える必要があるためにやってきた1つだった。

愛犬のロロちゃんとグムちゃんが事故の時に死んでしまったと聞いた時は目の前が真っ暗になって大声で叫んで泣いた。看護婦さんが何かあったのかとビックリして病室に入って来た。

何で私も一緒に死ななかったの? 私がロロちゃんとグムちゃんを殺しちゃった~~!

ごめんね、ごめんね、ごめんね!!! 何回も同じ事を叫んでいた。

ロロちゃんとグムちゃんの母親のキンちゃんと愛猫マイちゃんは無事に助かってシェルターに預かってもらってて、おうちに帰るのを待っていると聞いてから少し落ち着いた。自分の気持ちを少しでも前向きにしてキンちゃんとマイちゃんのために生きようと決心。

 

ヘリコープターで運ばれた時にお財布とつけていた父が買ってくれたイヤリング、ネックレース、ブレスレットも盗まれてしまったと知らされた。クレジットカードは誰かがもう使っているとわかった。

緊急病院は毎日、毎夜混乱していた。手術した両足のガーゼ換えに来て緊急が起こってガーゼを外したまま3時間も夜中ほったらかしになっていたり、入院して2週間ごやっと頭をシャンプーしてくれる事になったけど、来てくれたのは夜中の3時。

健康保険がないので3週間で追い出される事になったがサンタモニカに戻るのは車では長くかかり過ぎて私の命に危険があるからヘリコプターで運んでもらう必要があると言われた。

エッ、ヘリコプター?そんなどのくらい費用がかかるのか?

エリックはバンをレントしてベッドを作ってゆっくり気をつけて運転。

家に着いてからドアーをタンカーの代わりに使ってみんなで私を家の中に運んでくれた。

あの頃はまだFaceBook、Instagram、Youtubeもなかったけど今ならミリオンヒットしてるね。(笑)

サンタモニカの自分の家に戻って来て庭を通って家の中運ばれていた時、自分が植えて育てて来た木々、植物、花たちの香りが「帰って来てくれてありがとう。おかえりなさい!」って言ってくれてた。同じ交通事故で生き残ってアリゾナから帰って来ていたキンちゃんとマイちゃんに会えた時は感無量で言葉が出なかったけどハグしあった。

この時はまだ知らなかったけど、キンちゃんとマイちゃんと私のPTSDが始まろうとしていた。

つづき。。。