春の日本旅行日記2023年3日目東京

 

日本にはたくさんの体験教室があって日本文化を学べる場所がある。この日は朝早くから金継ぎ(「金継ぎ」とは割れや欠け、ひびなどで破損した部分を金などの金属粉で直す修復技法のことです。古くから日本で受け継がれてきた、モノを大切にする 日本の文化)体験教室に行こうと初め思っていたがのんびりすることに気持ちを変えた。

時にはあまりたくさんの事をしないで過ごす事が一番。

それに金継ぎを習う機会はまた必ずあると思うからね。

リラックスして朝食後、リンゴちゃんとシゲルさんにバス停まで一緒に行ってもらってバスで二子玉川ライズへ。

最初の行き先はお気に入りのメガネ屋さん、JINS(二子玉川ライズの4階)。

JINSは2001年に設立された日本のメガネ屋さん。2020Tokyoという番組で5年くらい前に紹介されてた。

機能的で革新的で軽量なアイウェアを誰もが手頃な価格で提供することを使命としているとか。すべてのJINSフレームは東京でデザインされ、日本のものづくりの精神と情熱で丁寧に組み立ていられるというのを見て行ってみたいと思い、4年前に浅草のJINSに初めて行った。

確かにJINSは効率的で、礼儀正しく、迅速で、手頃な価格、エリックもとても気にいって新しくまたメガネを作りにJINSに行くのを楽しみにしてた。

今回は5 つのメガネを選んだ。
メガネを5つアメリカで作ったらえらい金額になって当面倒産。でもアメリカの約4分の1。

エリックは、2 つクールな遠近両用メガネを選び。
私は遠近両用、コンピューター用、クラフト/カリグラフィー用にそれぞれ 1 つずつ。

 

眼鏡が*出来上がるのを待っている1時ほどの間、6階の「文教堂」書店に。
*遠近両用メガネは1週間かかります。私の場合は世田谷にいる私の友人に送ってもらってその友人がサンタモニカまで送ってくれます。もし、みなさんが日本に行ってJINSで遠近両用メガネを作るなら、日本に到着してすぐに行き、1週間後に遠近両用メガネを引き取りに行く事をお勧めします。


私は日本の本屋さんが大好き。
本以外のものがいっぱいあって、楽しく思ってもいないものを見つけることができるスペース。
カリグラフィー用のペン、インク、和紙をチェックしたり、雑誌や漫画を少し立ち読みしたり一日中でも楽しめちゃう。

日本の本屋さんのような本屋は、サンタモニカのサードストリートプロムナードにあったバーンズのノーベルの本屋さん。
閉店した時は寂しかったなぁ。
車椅子に乗って生活してた時、介助犬のクラちゃんと一緒に車椅子でよく行った。いろんな雑誌や本をチェックし、分厚く重いハードカバーの写真集を見たり、カラフルな文房具を選んだり。
私がいろいろ見ている間、クラちゃんは他のお客さんや従業員の人たちとお話ししたりしてみんなを笑顔にしてあげてた。

文教堂も同じように落ち着いた雰囲気だったので本屋さんでクラちゃんと過ごした懐かしい時間を思い出させてくれた。

何か特別に買う本はなかったが スヌーピーの本、”心をととのえるスヌーピー”を買った。


この本は日本語の名言と禅語について解説。
モノクロで描かれ、余白が生きているピーナッツコミックは禅に通じるものがあり、登場するキャラクターのセリフにも禅語と重なる部分が多くみられます。また無言でもそこには禅語に通じる世界が広がっている。

本の冒頭で示された例は -結果自然成
「まずはやってみて乗り越えてどういう結果になるかを見るしかない」

最初に実行して、何が起こるかを確認。
これは私の人生のモットーの1つ、英語を小さい時にスヌーピーの本を見て習ったのでこの本とのつながりを感じ、またこのスヌーピーの本から学べるものがあるような気がした。

英語を勉強しようとスヌーピーの本とわんぱくデニスの本を持っていた。その他はセサミストリートのテレビショーを見たり、英語のレコードを聴いて歌詞を見て訳したりもしていた私。懐かしい思い出。

 

さて、本屋さんの後はお腹が空いて、エネルギーが低下気味で疲れを感じた。
丁度お昼でどこのレストランも長い列だったのでどうしたものかと思った時、1カ所だけ、行列がほとんどないレストラン、和カフェTumugiを見て、ここはあんまり美味しくないかもという思いが横切った。

時間的な事もあって、とにかくその和カフェTumugiで食べる事にした。
お味はというと、私たちの確信のない思いとは違う、とても新鮮で美味しいランチだった。

ランチのおかげで少し鋭気を取り戻して出来上がった私のメガネ3つもらって、東急田園調布都市線の電車とJR線で池袋まで。


池袋の駅はわかりにくくってちょっと疲れたせいかジュンちゃんと家族に会えてホッとした。ジュンちゃんが学生の頃、英語の勉強にサンタモニカの私たちの家でホームステイをしていた。
ジュンちゃんが日本に帰国してからも長いお付き合いで、現在は結婚して2人の子供もいるんのである度にふたりが大きくなっていていつもビックリ。

3日目の最終目的地と目的は板橋でシェフとしてロサンゼルスにいた旧友のマサキちゃんに会う事。マサキちゃんが働いていたレストランに毎週金曜日に他の友達と一緒に行った楽しい思い出いっぱい。
最後に彼に会ったのはほぼ20年前、新宿だった。
ひょっとしてあの頃の私は車椅子だったかも。
その後、彼はスペインとニュージーランドに移ってた。
彼は最近日本に戻って、東京の板橋に彼の新しいレストラン、スペース カフェをオープンしたので、私たちは彼の新しいレストランに行くって誓った。

ジュンちゃんはとても気がつくので、マサキちゃんのレストランの近く前に、かつてその辺に住んでいた彼女の夫、壽君と一緒にどこか行ける場所を選んでくれて、「東京大仏」へ。

東京に大仏があることを知らなかったのでビックリ!
「東京大仏」は阿弥陀如来。

調べて見たら、東京・板橋赤塚にある東京大仏浄蓮寺は、600年の歴史があります。このお寺は徳川将軍の鷹狩りの休息所。土台からの高さは13メートル、頭だけで3メートル。
重さは32トン。

完成当時は東大寺の奈良大仏、高徳院の鎌倉大仏に次ぐ日本第3位の大仏。

目を見張るような奈良東大寺大仏と鎌倉大仏とは違い、東京大仏は、東京の最も忙しい都市で波動をリラックスさせる優しい魂を持っているかのようにやさしい眼差しだった。

阿弥陀如来は、苦しみのない世界で人々を救うために「楽園」を創造した仏です。
手を合わせて「南無阿弥陀仏」と言うことをすすめている。

 

たくさんの写真を撮って、ジュンちゃんの息子のイッケイ君が、踊ってくれて楽しい時を過ごした。彼はアメリカに留学したいそうなので、母親の純ちゃんのように我が家にホームステイする事になるかも。それは過去と未来を共有する二重の思い出。実現するといいね。

 

東京大仏の次に、私が植物園(自然に触れたい)に行きたいリクエストしていたので、大仏から歩いて行ける自然に恵まれた散歩コースの赤塚植物園を選んでくれたみたい、感謝。

武蔵野の面影を今に残す赤塚の丘陵地を利用し、自然や植物をより身近に感じてた赤塚植物園は、1981年(昭和56年)10月に開園。

途中、雨が降り始めたので、散歩を短くしなければなりませんでしたが、この植物園散歩の自然の中で過ごした短時間は天からの贈り物だったみたい。私はエネルギーを取り戻し、最終目的地に心良く向えた。

 

途中、雨が上がって車でマサキちゃんのお店を通りかかった時、マサキちゃんが外に出て空を見上げていたのを見た。彼には聞こえないと思ったけど、と大声でエリックと「マサキ!」と叫んでた。
エリックはすぐさま車を降りて行った。

Masaki said later to us, “It might be a rainbow after the rain, so I was outside, but instead of the rainbow, Eric came!” with his big smile!!!

 

マサキちゃんは「雨上がやんだから虹が見えるかもって外に行ったら、虹の代わりにエリックが来た!」と言いながらビッグスマイル!!!

20年ぶりの再会実現!

マサキちゃんのお店は開店して一週間ほどだったので、一人で接客、オーダー取り、調理、片付けをしてた。頑張ってる彼に感銘しちゃった。

マサキちゃんのレストランではクニさんと彼の妻、クミちゃんに会う約束もしてた。
クニさんはエリックと一緒に20年以上も前にタヒチで仕事をしていて、クミちゃんは犬が大好きで、共通のつながりがあった。

マサキちゃんの洗練された美味しいお料理を食べながらみんなで楽しい時間を過ごした!

おいしい物を食べながら昔の友達に会えるのは最高だね!(お料理に写真撮るの忘れちゃった〜。)

 

マサキちゃんのレストランを出た後、ジュンちゃんの娘のマコちゃんが「ジェラート食べに行く?」と言ったので、
宿泊地の世田谷へ行く途中の祖師谷大蔵駅近くのア・ラ・カンパーニュに立ち寄ってみた。

私はジェラートは食べなかったけど、デザートとしてかわいいバッグを買ってもらったんだよ。

周りにはかわいいお店がたくさんあって。
ジェラートの後、通りかかったときに閉店していたけど、私の目についいたのは「グリーンマインド」というお花屋さん。
次回行くことがあれば必ず行ってみたいお店で楽しみがふえたね。

よく計画して決行できた事、予想外に起こった事をした事、そして将来の計画。

2023年春の日本旅行の3日目を締めくくる素晴らしい一日だった。

Love, Sanae ❤️

春の日本旅行日記2023年2日目千葉から東京

日本の春の旅1日目の夜はカエルの合唱で眠って、2日目の朝は雨音で目が覚めた。
春の雨はやみそうもなかった。

予定は鵜原理想郷 にデコちゃんと星野先達山伏さんとその生徒さん達とハイキングに行く事になっていたんだけど雨で中止。
かわりにデコちゃんがシンギングボウルヒーリングに招待してくれた。

デコちゃんとお喋りしててエリックにシンギングボウルヒーリングに行くって言わないで行っちゃったんだよ。
全部日本語だったし多分エリックはシンギングボウルヒーリング初めてだから大丈夫だったか気になってあまりリッラクスしてなかった私(笑)。

終わってから参加者全員が一人づつ感想をシェアーになってエリックは「シンギングボールの音はスムーズに体に入って心を落ち着かた。」と答えて私はびっくり。

エリックが 10 日間のヴィパッサナー瞑想に参加したときのことを思い出しました。彼は最初はヴィパッサナー瞑想コースに行きたがらなかったけど、ちゃんと終了して家に帰って来た。10日間、毎日何時間も座っているのは大変だったと言いましたが、それは彼にとって有意義な経験だったと友達に話してた。
エリックはスポーツが大好きで肉体で物事を考えているように外見は見えます。でもただの肉体人間ではないと今だに時々私を驚かせてくれる夫友達。

シンギングボウルヒーリング終わった後、星野先達山伏さんヒーリングを少し見学できた。雨さん、ありがとう。

何があるかわからないのが旅の楽しみのひとつだね。

その後は、週末だけ薪窯で焼いているパン屋さん” Acoustic,” に連れて行ってもらった。可愛いお店で美味しそうなパンとカルダモンロールとかが並んでた。

すぐ食べたい気持ちをこらえて後で電車に乗って東京に行く時のおやつ用に買った。
みんなで記念写真。

 

ブラウンズ フィールド のライス テラス カフェで、新作の玄米パスタなどを購入。パスタ大好きな私たちはサンタモニカに帰ってから食べてみるのが楽しみ!

本当はハイキングで食べる事になっていたお弁当をデコちゃんと最後の楽しいおしゃべりしながら食べた。短い滞在だったけど、Brown’s Field にまた来れてデコちゃんの頑張っているのを見て、希望と力をもらい、またそこに戻ってくると誓った。


JR外房線わかしおに乗って食べた”Acoustic”のカルダモンロールは噛めば噛むほど美味しかった。

 

東京駅での乗り換え。
東京駅は1日当たりの列車発着本数は約3,000本、400,000人が入れ替わるという日本を代表するターミナル駅の東京駅で中央線に乗り換えする時には息もできないくらいの目の回る人混み。東京には叔母がいて中学校くらいから実家の名古屋から遊びに行っていたがいつもここには住めないって思った。その気持ちはこの東京駅を見てもっと現実化した。

Arriving in Shinjuku, in the rain, we went to the green Italian restaurant 新宿に着いて雨の中、待ち合わせのグリーン イタリアンレストラン「 トルチャ」”Torcia” へ。

トルチャは以前、チャヤマクロビオティクスで3回ほど行った事があったレストラン。1年半前くらいにヴィーガンメニューを気軽に楽しむことのできるヴィーガンフレンドリーなイタリアンレストランとして新しいトルチャが開店。雰囲気はあまり変わってないように見えたが全てイタリアンになってヴィーガンだけではなくメニューは豊富だった。Trucha is a restaurant 

私たちは全員で7人だったのでヴィーガンメニューをほとんど全部オーダーして、みんなでお味見、お料理はクリエイティブできれいで美味しかった。
12コースのテイスティングメニューをしたって感じ!

私が気に入ったのはプラントベース雲丹と生湯葉の濃厚豆乳カルボナーラと苺の生絞りVegan錦糸モンブラン!

 

 

 

マクロビオティックの「和の会」でご活躍されている講師の先生と活動者のみなさん:永井 邑なかさん、櫻井 裕子さん、千葉 芽弓さん、七林 秀郷君 有沢奈々さんに会う事になって、初めて会う方々もいらしたので行く前私は少し緊張気味だったにもかかわらず、みなさんがとても暖かい方ばかりで打ちとけられて感謝の気持ちでいっぱい。ありがとうございます!



今回はみなさんとお会いする事ができて本当に有意義な時間を過ごせました。

みなさんとこれからつながって日本でワークショップやトークができたらいいなと願います。

楽しくお話をして別れが惜しいくらいの気持ちでみなさんとお別れしてエリックと私は東京の宿泊地世田谷へ。新宿駅から今度は小田急線に乗った。

世田谷にはペッペーダイン大学時代からの友人がいてそこの愛犬リンゴちゃん(ビーグル犬)に歓迎をしてもらってお土産の犬用クッキー、シャンプーなどを渡した。

 

たくさん歩いて腫れていた足をお風呂でマッサージして日本のマクロビオティックの話を聞いた興奮から気持ちは醒めないまま二日目の夜の眠りに入った。
❤️Sanae

春の日本旅行日記2023年1日目千葉


日本で姪の結婚式に出席。日本での10日間旅行。
2023年春の日本日記。
第1日目:
東京の羽田空港に午前4時30分に到着。
飛行はスムーズで予約しておいたビーガン食は結構良かったので出発前に作って持って行った玄米おにぎりと一緒に食べた。

飛行機内ではあまり眠れない私は映画を2つ見て、新しいセーターを編み始めた。


ロスを午前1時ごろ出発して11時間半後、羽田空港に到着してまだ外は暗かったので私の頭の中は混乱しているようだったが、4年振の日本でワクワクした気持ちがその混乱を吹き飛ばしてくれた。本当なら2年前に姪の結婚式が予定されていたがパンデミックがあって2年延期になってこの2年間待っていた気持ちがワクワクを大きくしたようだった。

2001年に臨死体験をするほどの酷い交通事故で両足を重症して以来、空港での移動は車椅子を使って足をケアー。
今回、羽田空港で木製の車いすを使う事になってびっくり大喜び。

日本航空(JAL)が空港施設内の移動をスムーズ(そのまま保安検査場を通過可能)にする木製の車椅子を開発したとNHK World News 番組 で見たことがありますが実際に見るのは初めて。木製の車いすは柔らかい感触で体に馴染むようでとっても気に入った。 また車椅子の介助者の方も丁寧で、優しくゆっくりと押してくれ、本当に日本にいるんだなと感動。

 

FBのトークページ「Body Joy」をまさよちゃんとオーガナイズしている、逸子さんにそのトークに招待していただいた時にオンラインで出会った。今回私のクラスに参加という事で、とってもご親切に空港まで迎えに来て下さった。これは天からの贈り物だなと感謝してBrown’s Fieldに一緒に出発。

逸子さんとは実際初対面でしたが、ずっと前から知っていたような気がして、会った途端にたくさんたくさん車の中でフラワー レメディ、アニマルコミュニケーションの事など話していると、急にエリックが海底を走っているのかって聞いてきた。

そう私たちは東京湾アクアラインを通過してたのだ。
海底と海の間を走る珍しい道~東京湾アクアライン~
全長約15.1kmの有料道路です。川崎側に約10kmの海底トンネル「アクアトンネル」、木更津側に約4.4kmの橋「アクアブリッジ」。
エリックは初めて水面下/湾岸道路の下に行くことにとっても興奮。
東京湾アクアラインを過ぎてだんだん田舎道に入って行ってドライブは早く感じた。

Brown’s Fieldに到着すると、有機田んぼを20年営んでいる友人中島デコさんがお出迎え。

朝食を済ませ、マチネ (デコちゃんの娘) の初めての赤ちゃんを訪ねた。赤ちゃんのスイちゃんはとても可愛かった。


朝食を済ませ、マチネ (デコちゃんの娘) の初めての赤ちゃんを訪ねた。赤ちゃんのスイちゃんはとても可愛かった。
私は犬の赤ちゃんを産ませるお手伝いは45匹くらいしたので産まれたばかりの子犬を抱くのは慣れてるけど、卵巣癌で赤ちゃん産めなかったので人間の赤ちゃんあまり抱いた事なくってちょっと怖かった。でもこんな大切な時を持てて嬉しかった。

デコちゃんの美味しい自家製「桜あずき蒸しパン」最高だった。
桜の花の塩漬けきれいだった。

 

その後、エリックが地元のフォイルサーファー、ジュンさん(TEDというサーフショップを経営)と彼の友達と一緒にフォイルサーフィンを計画していた九十九里浜ビーチに。

日本のビーチはここサンタモニカのように白い砂浜が長いものがほとんどないけど、九十九里浜は66kmもある白い砂のビーチ。海が大好きな私は子供の頃にこのビーチの事を聞いたことがあり、いつか行ってみたかった。私がそこにいるのは夢のようだった。

風がすごく強くってフォイルサーフィンには最高日和。エリックは素早く着替えてすぐ海に。

 


逸子さんと愛犬の茶々丸と一緒に風が吹く浜辺を満喫しました。
茶々丸は初めての海遊びで、とても楽しそうだった。


エリックは海に残り、私はBrown’s Filedに戻り、逸子さんと一緒に、Rice Terrace Cafe で昼食。
春のフラワー レメディと薬草茶 with マクロビオティックのクラスを教える準備。

 

その間、エリックは他のローカル フォイル サーファーと、3.5 時間以上フォイルサーフィン。私のクラスをヘルプしてくれるはずが、きっと楽し過ぎたのでしょう!
日本に到着したばかりで、私がサンタモニカで作った玄米おにぎり一つだけのランチだけでこんなスタミナいっぱいのエリックに感服。

Brown’s Filedに戻って来たエリックはローカルのサファーと会ってジュンさんの家族にも会ったと大喜び。

 

それと私があげたおにぎりがなかったらきっと腹ペコでどうしたかわからなかったとおにぎりのお礼をしてくれた。もちろんお腹まだ空いてたから私のお昼を残しておいてあげたのをむしゃ食いしてた。

 

私のクラスはエリックいなかったけど、生徒さんがヘルプしてくれてとてもうまくいきました。
日本でクラスを長い間教えていなかったのでどのように教えようか考えて、サンタモニカから使う薬草の押し葉と3種類のブレンド薬草茶を持って行って良かった。

参加者のみなさんは、熱心に学び、質問は礼儀正しく丁寧でとても楽しかった。
このクラスがうまくいったのは、昨年オンラインのフラワー レメディ クラスを受講した鈴木恵子さんのおかげでもありました。
彼女はフットマッサージセラピストで、クラスの後にフットマッサージをプレゼントしてくれました。彼女の心の強さは、彼女が私の足をどのようにマッサージしたかでよ~くわかりました。ありがとう恵子さん!I enjoyed it a lot. 

 

 

夕食はBrown’s Filedのスタッフとボランティアのみんながデコちゃんとおいしく作ってくれました。私たちの一番のお気に入りは、近くの竹林で採って来た竹の子で作ってくれた葛ソースの竹の子ボール。エリックは作り方を聞いてたからいつかサンタモニカでも食べられるかも。
長年の友達であるデコちゃん、新しくお友達になった逸子さんと、そしてブラウンズフィールドの方々と一緒に過ごし心が温まった。
再び私の故郷である日本にこうして健康で行けた事に感謝。

 

夜、寝心地が良いお布団に横になっているとカエルの合唱が昼間より響いて、午前3時頃に外に出て座ってた。


見つめる空は曇天で残念ながら星は何も見えず田んぼも目を閉じているかのように真っ暗。



ただカエルの声だけが私の心を休めてくれた。
日本の春2023年の一日目だった。

❤️Sanae

初日の出の誓い

サンタモニカ(南カリフォルニア)はアルバート·ハモンド1972年のヒット·ソング”カリフォルニアの青い空”(英語のタイトルの訳は’南カリフォルニアには雨が降らない’であるが。。。)「Albert Hammond – It Never Rains In Southern California 」という題名の歌があるくらいあまり雨が降らない事で知られているけどその歌詞をよく聴くと’降る時はどしゃ降りだ’と歌っていた。

うちのお庭の雨に濡れた多肉植物花

その歌の通り、ここサンタモニカは冬にたくさ雨が降る年がある。

今冬はその冬らしく12月になってよく雨が降って大晦日も1日中降ってた。

初日の出を見にいくようになって30年。こんな風にずっと雨が降っていた大晦日は初めて、恒例の初日の出を見に行く事もできないかもと気にかけていたが雨は早朝にやみ、5時に起きて外に行くと大好きなペトリコールの香が漂っていた。

真っ暗な空が徐々にインディゴブルーに染まっていく中、山道を歩いてゆっくり吐く息が白い煙のように外空気と一体化して消えた。

赤橙色の光が地平線をあっという間に染めていった。

この光に見入って息をしていないことに気づき、光とともに「生きている」瞬間にフォーカス。こんな風に自分が生きているのを感じるのが好き。意識は努力なしに存在し、ゆっくり自然な呼吸が私の心に入った。

ふっと気がつくといくつかの雲が空にいた。

私の気がかりな気持ちを打ち消すかのように山にかかった太雲上を光橙色に照らし小波線上で光の金糸を見せた太陽。

それから手光と足光を見せ始め、雨降りが続いてずっと顔を見せてくれてなかった太陽は顔を見せるのにを恥ずかしがっているように例年より時間がかかっていたかのように思えた。

やっと昇ってきた太陽は確実にゆっくり優しく雄大に今まで見たことのないような喜びの光と一緒だった。

声も出せないでいつも撮るビデオも忘れて見惚れてた私。

そこにはただ感謝だけ。

ありがとう、ありがとう、ありがとうと念仏するように繰り返し呟いた。

太陽は全身が昇りきった後、久しぶりに私たちに会えた喜びに震えていたように見えた。

光は強く強くなってグングン昇って行った。

空一面が光とつながった。


 

帰宅してお正月のお雑煮を食べながら初日の出の写真を見てあらためて感動。

こうして元気で初日の出が見られる有り難さ。

元旦だけでも早朝に起きて山に登って正式に太陽に”ありがとう!”と心から伝えられる。

新年の日の出を見るのは、私個人的には太陽が魂とつながっている気がする。

午後からまた小雨が降り出して太陽はお別れするのを躊躇っていたけど、必ずまた会えるのを約束してくれた。

そうまた会える!

その時まで曇りと雨とも仲良くなる練習をするって誓った。

(天気予報は少なくとも2日間雨がずっと降るって、、、)

Love,
Sanae❤️

2022年を振りかって. . .

今年もあと残り少なくなり(今日は12月30日)、朝食に玄米もち入りの味噌汁を食べながら曇空を見て今年の事を考えていた。

大晦日は大雨らしい!

我が家恒例の初日の出は見に行けるのかな?

2022年は九星気学では私は南のもっとも高い、”夏”の位置に立ち、光に照らされてみんなの注目と期待を一身にに集める情熱の年だと言われてた。

明るさの中で人生の目標が見えて、頭も感も冴えわたり私の生まれ星の底力を発揮。

確かに今年は初めてオンラインでバッチフラワークラスが5回も出来て、近所のガーデンセンターで3回、季節の野外薬草ワークショップ(陰陽五行を基本にした薬草選び、レメディの作り方、お料理法、育て方、スキンケアー作りなど)と季節のマクロビオティック食事法と料理法(レクチャー)を教える事ができた。

 

オンラインのバッチフラワークラス

 

メリヒューサンセットガーデンの薬草ワークショップとマクロビオティックレクチャー

エリックが薬草で作ったスキントナーを試してる

フェンネルの種とみかんの皮の薬草茶

その他、1年間コースのキャンサー(癌)ケアー薬草学を取得し、英国バッチ·フラワー財団登録国際教育講師トレーニングも修了してこれからは生徒さんにサティフィケイトを発行可能になり教えがいが増えました。私が北米地域最初の日本人国際教育講師だと聞いて感動でいっぱい。

オンラインでのカウンセリングもして、コロナ感染が低下してヒーリングスタジオに直接クライエントさんも来れるようになったのも良い事でした。

身体的には臨死体験したひどい事故から21年。ドクターからもう歩行は出来ないと診断されていた。初めの1年はベッドで寝たままの生活。その後車椅子を生活3年、一生懸命歩けるようにフィジカルセラピーに通い、2本の杖で歩けるようになった。それから2年後杖1本で歩けるようになって、家の中では杖なしで歩けるようになった。そして今年初めて杖なしで外でも歩けるようになり、この1年間ほとんど毎日2km歩行を継続。ハイキングも杖なしで月1回短距離ですが行けるようになりました。

先日、歩いてマラソンに参加したいなんて”どでかい”事を口走った私。

相変わらず夢は大きい私。そのうち足離だすかもね!!!

確かにこれからやりたい事、やれる事が見えて来て計画を初めて久しぶりにし始めた。

2017年に進行性の早い癌、ステージIV末期びまん性大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫で余命1ヶ月ないとドクターから診断を受けて、マクロビオティック食養とキモセラピー(癌化学治療EPOCH:24時間の治療を5日間続ける赤い悪魔と呼ばれている)で奇跡的に1年後に回復しました。

でも家の中の事でできていない事がたくさんあって私のアートルーム(これはうちのネコちゃんたちのお部屋でもあるのですが)はストレージルームになったままだったのを2日前に急にやる気が出て大掃除。

片付けてたくさん遊べるスペースが出来てうちのネコちゃんたちはビックリ。(笑)

ティンティンとマイマイ

焦らないでできる事をゆっくり確実にやっていく、できない事や時があってもいい、いつか必要ならできる日がきっとやってくるとわかった。

気になる事があるのは当然だから、気になったり心配事がやってきたら、また気になり屋さんが空の雲のようにやってきた来たねって認めてあげて、、じゃーまたねと言うくらいにして気をあまり使いすぎない。そうしないと出来ることも出来なくなってしまうから。

この方法、結構うまくいっているのでみなさんもぜひ試してみて下さい。

私はムーディーなので気分もよく変わるし、好奇心旺盛、楽天的だけど、独立独歩で個人行動を好み、 嫉妬心もあってあまり他の人と長い事一緒に何かするのは疲れる。特にたくさんの人たちと生活したりするのは疲れるので無理。

自分の本当の才能を発揮できるのはクリエティブな時間を一人で持つ事。

コミュニティーの中で一緒に生きている人たち、大家族が羨ましいし楽しそうけど自分じゃないなってわかったのは2017年にステージIV末期びまん性大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫で療養していた頃、そして2020年からコロナ感染でパンデミックになって一人の時間がたくさんできて時々寂しいけど心は落ち着いている。

これは完全に一人で孤立して生きたいという意味ではないので私は動物家族、植物·自然と一緒に暮らして人間のパートナーを見つけて結婚して一緒に住んでいられる事は幸運です。

バス湖で犬家族と一緒

時間かかったけど、少しだけ仕事して、たくさんアート、ガーデン、クラフト、手作り料理をしてこの小さな幸せがいいってやっとわかったんです。

そうそれで今日は柚子をたくさんいただいたので柚子胡椒を作ってみました。

手作り柚子胡椒

柚子胡椒ー私たちが使った材料
柚子皮 100g
青唐辛子 30g
海塩 40g

レシピは新年に書きますね。

初めて古いジーンズの布と古布で作った刺し子ブックマーク

 

ミニ(6.3mmx9.5m)ホリデー水彩画カード

カリグラフィーペンと水彩でリースを描いた

オリジナルモザイク植木鉢でちょうど咲いた多肉植物

来年の九星気学では私は北に入って真冬、休止の年、反省をしながら長期計画の年。

ずっと書きたいと思っていた次の本の執筆を始めて終わらせたい。

そして今年通り、スローライフを継続して杖なしで少しでも毎日歩き、自分が疲れたことに気づいてあげ、休息をとる自愛を心に誓い新年を迎えます。

みなさんも真実の自分を見つられる素晴らしい新年をお迎え下さいね。

感謝と愛を込めて、

Sanae💖

コロナで病気になった時どうやって自分をケアーした

コロナウイルスが世界中に出回って2年以上経つ。

以前ほどガードを固めてコロナウイルスにならにようにしている人は少なくなった。

5年前に私は、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(白血球の一種であるリンパ球のうち、Bリンパ球が癌化して月単位で病気が進行するアグレッシブリンパ腫)ステージ4と診断を受けてエポック(Epoch)化学治療法(とても強力な化学療法の一つでニックネームが”赤い悪魔”とついている)を6ヶ月受けた後、1年後に癌の勢いが緩んで小康状態になり普通に生活。

でも健康には今まで以上十分気をつけて会う人も制限してあまり出かけないようにしていた。クラスは今年からオンラインと野外だけにしていたのに3週間前にコロナウイルスになった。

症状は高熱、頭痛、めまい、咳、喉の痛み、吐き気、倦怠感、節々の痛み。

熱が下がるのに10日かかって、ほとんど食べられなくて衰弱。

症状が出て20日過ぎてやっと良くなって来た。

血液の癌(びまん性大細胞型B細胞リンパ腫も含めて)になった後は免疫体が低くコロナウイルスに対抗する力が弱いと聞いてたし、エポック(Epoch)化学治療法後、赤血球、白血球、血小板も低くなって普段の生活をするのには問題はないもののまだ挽回はできていなかったのも原因でリカバリーに時間がかかったようだ。

エポック(Epoch)化学治療を受ける事にしたのはホリスティック医学とマクロビオティックだけでは癌の進行の早さに間に合わないと確信し。ブログにその事を書いた。

来年は小康状態になって5年マークゴール。

腫瘍学ドクターミードはエポック(Epoch)化学治療を受けてから私の血液検査の結果で血小板などが低いと出ているが心配する必要はない、ただ疲れたと感じたら、休息して今まで通り自分なりの助長をしていくように言ってくれていた。

ドクターミードはホリスティック医学、マクロビオティックなどの事を何も知りませんがいつも私がしている事をサポートしてくれているので、なんでも相談しています。

リンパ腫などの血液の癌は免疫体が低いのでワクチンをうけていてもコロナウイルスなどに対抗する力が低いと聞いていたので慎重に毎日を過ごしていたが、

9月3日に主人のエリックがコロナウイルスになって2日後に私もコロナウイルスになってしまった。

エリックは発熱、鼻水、鼻づまり、喉の痛み、倦怠感、節々の痛みなどがあったが5日で熱は下がって7日目には随分良くなっていた。私は発熱が10日くらいあって、頭痛、めまい、咳、鼻喉の痛み、倦怠感、節々の痛みが続いていた。

頭痛があってテレビや映画を楽しめなかった。

具合が悪くなると思った事や感じた事を書いて気持ちをまとめていたが頭痛のせいで書くことも出来なかった。この3週間、辛くてやる気がなくなって、寂しい毎日が続いた。

自分だけが自分の事をわかってあげられるベストフレンドになる時がまた来た。

自分の気持ちの落ち込み、落胆、イライラし、挫折、失望を認めてあげると、

誰かに何かを責めたいと思う自分の気持ちに気づきいて嫌な自分だなとも思ったけどそんな自分も上いれてあげる自分に寛大になる事を学んだ。

コロナになりたくなかったので私は用心深く、長い間多くの人に会っていなかった。親しい友人3人がコロナで遠くに引っ越して寂しい思いをしていました。その気持ちが抑えられなくて、自分自身も含めて誰も好きじゃないと思ったりもした。

私が気楽に気持ちを委ねられたのは、病気になって寝ていた私の隣に横たわっていた猫と犬。 彼らは黙って私を見てた。 「ママ、休んでね。よくなるまで一緒にいるよ!」

それと10日後に熱が下がって、外の庭に出て、木や植物、花の様子を見ることができた時、

木達は私に会えてうれしくて、私を待っていたと言ってくれました。

37年前にここに引っ越してきたとき、私はいくつかの木を植えました。

彼らは今は力強く大木になって、私に微笑みかけ、「あなたが私たちのためにここにいるように、私たちはあなたのためにここにいるよ!」

21年前に自動車事故で瀕死の状態になり3 日間の昏睡状態から、生き返ったとき最初に見たかったのは、窓の外の空、太陽、そして木々でした。

自然には私よりも大きな力、癒しがあるから。

夫のエリックには、私が病気になったときにいつも気にかけてくれたことに感謝しています。今回は夫も新型コロナウイルスに感染。

彼の熱は 5 日間下がりましたが、少なくとも 7 日間は気分が良くなりませんでした。

私は自分が病気になる前の最初の 2 日間、彼の世話をするために最善を尽くしました。

しかし、彼の症状が出る前に、私はすでにコロナにさらされていたようです。

後で、彼が職場でマスクを着用していないことがわかり、私は彼にショックを受けて動揺しましたが、彼には言えなかった。

私は衰弱しすぎて話すことができなかったのもありますが、彼だってコロナになりたかったわけではないし、彼を傷くけないで何をどのように伝えればよいかわからなかった。

その気持ちを2週間後、自分のセラピストに話して、

自分の気持ちを誰かに話せて良かったなと初めてポジティブな気持ちが湧いて来るのを感じた。その後、Zoom で Cancer Support Community ミーティングにも参加してで自分の気持ちをシェアー。

そしてやっとエリックに自分の気持ちを楽にそして彼を傷つけないで伝えられました。

彼は仕事中は絶対にマスクを着用することを約束してくれました。それと以前コロナが酷かった時と同じように帰宅後は裏の部屋でシャワーをしてから中に入ってくる事にもしてくれた。

エリックとちゃんとコミュニケーションできて、私の抱えていたネガティブな感情は解消されていくのを感じて気分が軽くなり、食欲も出て来てコロナから回復していることに気づき始めた。

今日は少し気分が良く、頭痛がほとんどなくなった最初の日でこうして書けるようになった。

書くことは、自分の気持ちを整理し、不要な感情を解放/デトックスするのに常に役立ちます。

さっき庭に行って、鳥さん達(ハト、ハチドリ、そして多くの名前は知らない小鳥達)、蝶々さん、毛虫さん、クモさん、バッタさん、リスさん、そして蟻さんにご挨拶。

コロナからこうして回復し、こうしてブログを書ける事に感謝。

これが私がしたケアー・リストです:

下記が自分をケアーするためにした事リスト:

1。休息、休養、睡眠

2。犬ネコ家族をハグしてアニマルコミュニケーション

3。熱冷ましの味噌ネギ(大根湯)

4。豆腐プラスターとキャベツの葉

5。枇杷の葉のボディスクラブ

6。蓮根茶

7。エキナセアティ

8。レモン、生姜、ターメリック、海塩レメディ

9。エルダーベリー茶

10。マレイン、マシュマロ、キバナオウギ、イラクサの野草茶 

11。足湯、足と指のマッサージ

12。ホメオパシーのお薬

13。自分の気持ちを理解してあげる

14。バッチフラワーレメディ

15。人とあまり話さない(衰弱していた話せなかった)

16。瞑想(大体横になったまま)

17。自分のベストフレンドになる

18。布団を外に敷いて太陽の光とビタミンDを少し受ける

19。セラピストと話す

20。セルフサポートグループでシェアする

21。夫に自分の気持ちを話す

22。食欲がなかったので幸福感や安心感を感じさせてくれる食物を食べた。

玄米クリームと海苔の佃煮、パンケーキ、蒸しケーキ、メロン、ベリーなど。

23。免疫療法サプリメント

24。ドクターをコミュニケーションをとって血液検査

25。お庭で自然に接する

26。しっかり歩けるようになってから犬たちと少し散歩

Love,

Sanae ❤️