郵便箱にバースデーカードが届いていた。それはペパーダイン大学に通っていたとき(45年前)に知り合った長年の友人…
キモセラピー後、髪の毛を剃って坊主に
このブログは7月28日に英語で書いたものを日本語に訳しました。
日本で生まれて育った私が、日本語で自分の気持ちを表現することはとても大切だと感じています。
宜しくお願いします。💖
小さい時に、母が美しい長い髪の毛をしていたのを覚えています。
父が髪の長いのが好きだったから伸ばしているんだと母は言ってました。
その美しい母の髪が私の記憶に美しい女性=長い髪と残って、自分も髪の毛を長く伸ばすのを好きでした。
髪の毛を長くしていると美容院に行って髪を2〜3ヶ月おきに切る必要がなかったのも面倒くさがり屋の私は気にいってずっと小さい時から髪を長くしていることが多かったようです。
24年前に卵巣癌になった時に、ある友人が「キモセラピーで髪の毛を失うのは悲しいね。」と言われました。
でも、その時はキモセラピーをしなかったので、髪の毛を失う副作用の事は知らないで終わってしまいました。
今年になって珍しい癌である、”びまん性大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫肝臓ステージ4”(2001年に交通事故で輸血をしてその結果、C型肝炎になってそれが原因で、今回の”びまん性大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫肝臓ガン”になり)になりました。
初めはマクロビオティック食事法と自然療法などで治そうと頑張っていましたが、今回の癌はリンパ種の肝臓ガンで、とても進行が早く肝臓の90%にまで大きくなって、余命1ヶ月以内と診断されました。(この事はブログに詳細をかきました。)
キモセラピーの治療を受ける事は本当は避けたかったのですが、自分でもあのままではきっと無理だと感じて、キモセラピー治療を受ける覚悟をしました。キモセラピーを受けると、たくさんの副作用があるのを聞いていましたが、そのひとつに髪の毛を抜けてしまう事がありました。
髪は女性の命とまで言われているし、自分が大切にしてきた長い髪を無くすことは悲しく、長いこと実感として考えられませんでしたが、第1回目の5日間のキモセラピーの後、髪の毛が抜けて枕の上にたくさんついていたのをある朝見て、頭の髪を剃る時が来たとわかりました。
髪をそったら、アイルランド出身の有名なミュージシャン有名なシネイド・オコナー ヘアースタイルになることを夢見ています。
そしてキモセラピーが終わった後は、イギリスのクールなミュージシャン、アニー・レノックスみたいになりたいなと思ってます。
いろいろインターネットで調べたら髪を剃った有名で美しい女性がけっこう沢山いるとわかりました。
でも一変に剃ってしまうのはちょっと自信がなかったんですよ。
どうやったかというとですね、まず、髪の毛を短く切ってちょっと精神的なショックに1週間くらい慣れるようにて、その後、完全に坊主に剃ることをしてました。
この決断も実際は時間がかかりましたが、決めたらとにかく気持ちが変わらないようにすぐ短く切りたくなりました。
坊主に頭を剃るのには、本当に勇気がいりました。
さて、誰が坊主に剃ってくれたのでしょう?
エリック(旦那様)!
初めは知人のヘアースタイリストの人に自宅に来てもらって頭を坊主に剃ってもらおうとしていましたが、
うまく日にちと時間が合いませんでした。どうしたらいいか途方にくれていたら、エリックが何年も自分の髪の毛を切って(剃って)いるのを思い出したので、私の頭を剃ってもらえないか聞いてみました。
「ナイスに剃れるかわからないよ。」という返事が戻って来ました。
「剃り方は”ひとつ”、だた短く坊主頭スタイルにしてくれればいいんだ。難しく考えなくていいよ。」って言ったら、
「オケー、やってみるか…」と言ってくれました。
お天気が良い日の夕方、外のデッキで暖かい夕日が私の頭に反射して髪の毛を剃るパーフェクトな時。I
いろんな人から仏教僧みたいだと言われました。
坊主になって悟りを受けたかはわかりませんが、坊主も悪くないなと思えるようになりました。
初めは自分の坊主頭を触るのもなぜか怖かったのですが、慣れて来て今は毎日、朝と夜、ボディースクラブをする時に頭もスクラブして、頭皮のマッサージもしてあげてます。
気持ちがスッキリしてこの感触、好きになりまし。
私の毎日のゴールはキモセラピー期間を私の体験のベストとして過ごすことです。
草千💖
みなさんの祈りとサポートに心から感謝します。
癌キモセラピー治療費はとても高金額です。その他、病院代、癌専門医師費なども多額なお金です。医療保険の80%がありますが、残り20%を払うための癌キモセラピー治療費の募金運動をエリックと友人のジェシカ(マクロビオティックの先生)とアマンダ(ヨガの友人)が始めてくれました。 YouCaring Fundraisng to Support Sanae’s Recovery from Cancer
その他、私とエリックの本を購入してサポートしていただくこともできます。
宜しく、お願いします。
下記が私たちの4冊の本です:
カードや、ギフト、または、チェック(チェックの宛名はEric Lechasseurでお願いします)を送っていただく時は、下記の住所に送り下さい。
2610A 23rd St.
Santa Monica, CA 90405
ひとりひとりの方には、返信は出来ませんが、
みなさんが送って下さる、メッセージ、E-メール、カードや手紙はちゃんと読む事をお約束します。
Love, Sanae 💖
キモセラピーとニューラスタの副作用後の1日
このブログは6月20日に英語で書いたものを日本語に訳しました。
日本で生まれて育った私が、日本語で自分の気持ちを表現することはとても大切だと感じています。
宜しくお願いします。💖
短い私の髪の毛は似合ってますか?
次回は、アイルランド出身の有名なミュージシャン有名なシネイド・オコナー ヘアースタイルになっています。Well, the next one will be super cool—Sinéad O’Connor style.
初めてのキモセラピーが終わって2週間くらいしてから髪の毛が抜けて来たので、これは髪の毛を切る時が来たんだなと感じました。
珍しい癌である、”びまん性大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫肝臓ステージ4”(2001年に交通事故で輸血をしてその結果、C型肝炎になってそれが原因)になり初めてのキモセラピー第1回目が終わりました。その後、ニューラスタと言う白血球を下げるのを防ぐ薬を注射しないといけなくて、これが思ったよりひどい骨の痛みの副作用があって殆ど動けない状態でしたが10日くらいしてやっと生き返りました。まだキモセラピーの副作用で神経と筋肉の問題で手の指と足の指が麻痺、しびれ、ヒリヒリ感で痛みがあって、腎臓の痛み(腰痛)と疲労が酷かったのですが骨の痛みがなくなりました。
お庭に行って向日葵の種を植えたかったのですが、中々、行けなくって毎日窓から願っていた 思いがやっと叶ってお庭に行けました。ちょっと遅くなってしまったのですが、向日葵の種を植えました。
EPOCH キモセラピー(EPOCH 併用療法はリツキシマブと併用して行う5日間24時間毎日投与する強いキモセラピーであるが、5日間、化学治療を受けながら体調をモニター出来き、副作用などを監視して薬の量を変えたりも出来る)を6回するように癌専門医ドクターから勧められているがまだ、6回するとは決心できていません。6月19日から第2回目のキモセラピーを受けてその後にまたPET/CT( 機能画像と形態画像の融合による)検査を受けてキモセラピーがどのくらい効果があって癌が小さくなっているかを調べてからまた考えることにしようと思ってます。
まずは、今日1日を 楽しく、向日葵の種を植えて、オオカバマダラ蝶のイモムシを観察して家族と過ごす。
今、自分にとって大切なことを考えてやれる事の中で、やりたい事をみつけてして行く。
キモセラピーとニューラスタ副作用が去って、短くても素晴らしい1日を楽しめて感謝いっぱい。
草千💖
みなさんの祈りとサポートに心から感謝します。
癌キモセラピー治療費はとても高金額です。その他、病院代、癌専門医師費なども多額なお金です。医療保険の80%がありますが、残り20%を払うための癌キモセラピー治療費の募金運動をエリックと友人のジェシカ(マクロビオティックの先生)とアマンダ(ヨガの友人)が始めてくれました。 YouCaring Fundraisng to Support Sanae’s Recovery from Cancer
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キモセラピーとニューラスタの副作用
このブログは6月14日に英語で書いたものを日本語に訳しました。日本で生まれて育った私が、日本語で自分の気持ちを表現することはとても大切だと感じています。宜しくお願いします。💖
サンタモニカUCLAメディカルセンターでの7日間の治療が終わって退院して家に戻って来ました。
この入院は余命1か月もないと診断されて、 珍しい癌である、”びまん性大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫肝臓ステージ4”(2001年に交通事故で輸血をしてその結果、C型肝炎になってそれが原因で、今回の”びまん性大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫肝臓ガン”になり)を治療するEPOCH キモセラピーを5日間受ける為のものでした。この内容は余命1ヶ月もない!と 初めてキモセラピー(癌化学治療)書きました。
入院中は看護師の方達、スタッフそしてドクターもとてもよくしてくれましたが、退院できる事になって本当に 嬉しかったです。
病院を出た時が丁度夕焼けの時間帯だったので、エリックに頼んでビーチ沿いに運転して帰ってもらう事にしました。
大きな夕焼けの太陽が「退院おめでとう。待ってたよ!」と言ってくれているようで、目の前に入って来た時は涙が出ました。
海の潮騒の香りも自分が生きているんだと言う証を感じました。感謝!
家に戻って来て、まずお庭のゲートを開けると木々たちとお花たちの香りが私の心に入って来て歓迎してくれているようでした。
お家の中に入ると動物家族たちお迎えをしてくれましたが、普段、旅行から戻って来たりするととっても喜んではしゃぐので、またきっとそうだと思っていたら、みんなとても大人しくって静かだったので、驚きました。みんな私のそばにゆっくりよって来て匂いを嗅いで、離れていきmした。キモセラピーの薬の匂いがしたのでしょう。いつも一番喜んで興奮する、ハッピーでさえ、そばに寄ってきて頭を私の膝にのせて座りました。一人一人全員に「入院している間、みんないい子でありがとうね。おうちの戻って来れてとってもママは嬉しいよ。もう帰って来たら、安心してね!」みんなの返事は「ママがおうちに戻って来て本当に嬉しいよ。でもね、ママの癒しのスペースを尊重するから、静かにして癒しのお手伝いをするからね。」でした。こんなに私の事をわかってくれているなんて信じられないくらい驚きました。アニマルコミュニケーションを勉強しておいて本当に良かったと思いました。
本当はシャワーを浴びたかったのですが、PICC(ピック- 腕から挿入する中心静脈カテーテル)があるので、簡単にシャワーを浴びたり、お風呂に入れないのが現実です。それにとても疲れていたので、足湯だけにすることにしました。
私の足湯の仕方は一掴みの海塩を入れて両足を入れてゆっくり5分程浸けてから、足の指を1本1本マッサージして、足の甲、足の裏も丁寧に揉んであげます。こうしてあげるとリラックスしてゆっくり眠れます。足湯は暖かいお湯に足を浸けるだけの簡単なものですが効果はとてもあって、この時も病院で1週間ゆっくり眠る事が出来なかった私ですが足湯のお陰で眠ることが出来ました。
(病院は常に看護師さんが体温や血圧を調べに来たり、毎日3回は血液検査の為に採血が、その間にドクター達が来たり、お掃除の人が来ました。お昼の部のスタッフ、夜の部のスタッフと毎日入れ替わってその度に毎日紹介がありました。みんないい人でしたがゆっくりできる時間は殆どありませんでした。)
キモセラピーの主な副作用
- 疲労(これは 肉体的、精神的、そして気持ち的に継続して感じる強度の疲労)
- 痛み(キモセラピーは下記の痛みを伴う事がある)
- 口内炎、喉の痛み、〈飲食物など〉を食べたり飲み込む時の痛み
- 熱
- 下痢
- 吐き気と嘔吐(不快感)
- 便秘
- 血液疾患
- 脱毛
- 青あざや出血が起こりやすい(血小板の数が少なくなる事が原因)
- 感染症
- 貧血(赤血球低下)
- 食欲の変化
- 神経と筋肉の問題(麻痺、しびれ、ヒリヒリ感、痛み)
- 皮膚と爪の変化(乾燥肌、爪の変色)
- 尿、膀胱の変化と腎臓の問題
- 体重の変化
- 化学療法による脳機能障害・疲労および認知機能障害(キモブレインchemo brain)
- 気分変動
- 性欲変化・性的機能変化
- 不妊問題
- その他
副作用で知っておくべき事
- みんなが全ての副作用を受けない、その人に副作用が少ない場合もある。
- 副作用の深刻さはその人それぞれ違う。自分の受けているキモセラピーでは、どの副作用が発生するか、どのくらい続いて、どのくらいひどくなるかを癌専門医に聞く。
- 癌専門医が副作用を防ぐ為の薬を必要なら処方してくれる。
- キモセラピーによって副作用の問題が長い間続くものがある人があり、心臓、神経や不妊問題が起こる事もあります。人によっては問題が長く続かない時もありますので、癌専門医と相談しながらどの薬が長く続くものかを聞く必要がある。
このインフォはアメリカン癌ソサエティーサイトからのものを私は日本語に訳したものです。
翌日起きると身体が一生懸命毒素を押し出そうとしているのがわかった。頭痛がして髪の毛が洗って欲しい欲しいとと叫んでいました。それで、エリックに頼んで頭の毛を洗ってもらって爽快。
次の日はニューラスタ(白血球を下げるのを防ぐ薬)の注射を打ちに病院に行かないといけなかったのでその事が気になってあまり眠れなくってお腹に不快さを感じたり身体が引きつったりしました。
ニューラスタの注射はお腹の脂肪のところに打つという思ったよりも簡単なものでした。頭痛がしていたのですが、ニューラスタの注射を打つ部屋の窓から中庭のきれいなガーデン見えたのが少し頭痛を軽くしてくれました。
ニューラスタの注射の後、あまり何も変化を感じませんでしたが夜中、眠っている間に口の中がすごく乾燥したうえ背骨の激痛で何回も起きました。朝が来たときには身体中の骨の痛みで耐えられない状態になってしまいました。人間の身体はたくさんの骨(調べてみたら206本だそうです)で機能しています。その骨が全部痛み始めたらどんなことになるか想像がつきますか?
私の身体は骨の痛みの苦しさで叫んでいた!助けて!!!
その他の副作用は胃腹の不快さ、便秘(マクロビオティック食のお陰でなんとかひどい便秘にはなりませんでしたが、ニューラスタの注射の後は骨の痛みで踏ん張ることが全然出来なくって便通に時間がかかりました)。手の指、足の指の神経が麻痺してしびれを感じてヒリヒリした痛み、腟からの変な匂い、痔、右の腎臓の痛み。背中の骨の上に痣のようなスポットがいくつか出て、肝臓の上にも変わった形の大きな痣のようなものが出てきました。
その他、腰から腿にかけての皮膚が剥けてザラザラしていました。食感が全て金属的な味がして食べ物の味が苦く感じました。骨の痛みで一晩中眠れませんでした。
私はどうしたか?
ただ息をして自分でいることに専念ーそれしかできることはありませんでした。
ニューラスタの注射を打って4日目に少し熱も出て来て激痛も続いていた。ニューラスタの事をあまり知らなかったので、骨の痛みで7日くらいは、殆ど話す事も出来なくて起き上がるのに10日かかり驚きました。
助けになったのは、エリックがゆっくり優しく骨の上を指圧してくれたことが痛みを少し和らげました。それとお灸とビワの葉の温灸を骨の上にしてもらって少し楽になりました。後はただ横になって目を閉じてただ呼吸をして自分を感じてあげる。
1週間後、痛みから解放されてちゃんと食べる事も出来るようになりました。
新しい朝が来て、動物家族が痛みのなくなった私を見に来てくれました。みんなきっと心配してくれていたんだと思います。またこうして一緒にいられて感謝の気持ちいっぱいです。
みなさんの祈りとサポートに心から感謝します。
癌キモセラピー治療費はとても高金額です。その他、病院代、癌専門医師費なども多額なお金です。医療保険の80%がありますが、残り20%を払うための癌キモセラピー治療費の募金運動をエリックと友人のジェシカ(マクロビオティックの先生)とアマンダ(ヨガの友人)が始めてくれました。 YouCaring Fundraisng to Support Sanae’s Recovery from Cancer
その他、私とエリックの本を購入してサポートしていただくこともできます。
宜しく、お願いします。
下記が私たちの4冊の本です:
カードや、ギフト、または、チェック(チェックの宛名はEric Lechasseurでお願いします)を送っていただく時は、下記の住所に送り下さい。
2610A 23rd St.
Santa Monica, CA 90405
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Love, Sanae 💖
初めてのキモセラピー (癌化学治療)
このブログは英語で6月12日に書いたものを日本語にしたものです。一生懸命書きましたのでぜひ読んで下さいね。
癌専門医師(UCLA病院)から珍しい癌、”びまん性大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫肝臓ステージ4”(原因は2001年にした交通事故をして輸血した時にC型肝炎になってなった事)と宣告されて、同じガンの治療を経験をした癌専門医師を探したが、ボストンに一人しか見つかりませんでした。衰弱しきっていた私にはボストンまで(飛行機で5時間程)行ってこの癌専門医師に会う事は不可能でした。
UCLA病院の宣告した癌専門医師に紹介の手紙を書いてもらえば、電話でのカウンセリングを受けられるというので紹介の手紙を書いてくれるようリクエストしましたが、検査と診断記録を印刷して送ればいいと言われて紹介の手紙は書いてもらえませでした。
それでボストンの病院の癌専門医師と電話でのカウンセリングはしないままに時が過ぎていきました。 “前回の余命1ヶ月もない”で書いたように日に日に弱っていく自分を感じて、5月19日金曜日、車椅子で新しい癌専門医師に会いに行って、2時間後にはUCLA病院に入院してキモセラピー(化学治療)を始める事になりました。
初めの2日間は、私の体がエポック(EPOCH )キモセラピー*を受けられるかどうか調べる必要があって、精密検査をたくさん受けました。
*EPOCH 併用療法はリツキシマブ(リツキサン)と併用して行う5日間24時間毎日投与する強いキモセラピーであるが、5日間、化学治療を受けながら体調をモニター出来き、副作用などを監視して薬の量を変えたりも出来る。
何回も血液検査をする必要があって初日は体が脱水症状に近かった為もあって看護師さんたちはうまく血管から血をとれないで、12回も血管を突かれて私は参ってしまった。それで、仮のPICC(ピックー腕から挿入する中心静脈カテーテル)をまずしてもらいもう何回も血管を突かれなくなりました。
たくさんの精密検査をしなくてはいけなかったのは、C型肝炎がある私にもしB型肝炎があるとこのキモセラピーは受けられないと言う事や、PET/CT( 機能画像と形態画像の融合による)検査に24年前の卵巣癌の影、そして16年前の交通事故で損傷を受けた心臓と肺もはっきり写っていた為です。キモセラピーは、心臓や肺、腎臓などにもとても負担をかけるので念入りに調べてからドクターたちは準備をしたかったと言われました。血液検査後は 心電図の検査、肺の検査と毎日、検査検査でとても疲れ、あっと言う間に2日間終わってしまいました。
検査の結果を全て確認していただいて、初めてのキモセラピー決行になりました。
日曜の朝、キモセラピーの為の正式なPICC(ピック- 腕から挿入する中心静脈カテーテル)を付けてもらって準備が出来て、お昼後にEPOCHのキモセラピーが始める前にまず第1日目はリツキシマブ(リツキサン)を投与する事を知らされ、始まりが夕方だとわかり、病院のお庭に行く許可をもらった。自宅が病院から近いので家に行ってうちの動物家族に会いに行きたかったのですが、エリックと友人のナンシーは何かあるといけないとお堅いことを言っておうちに連れて行ってくれませんでした。(笑)
それで、病院のお庭を少し歩いて、軽いヨガのストレッチをしました。爽やかな風を感じて青空を見上げて自分の心の中の幸せを感じました。
2日前に入院した時は歩けないほど弱っていて車椅子でしたが、治療を受ける事を受け入れて気持ちが落ち着いて元気になることだけを考えました。精密検査をしながら弱り切って酸性化していた体に水分および栄養補給点滴してもらい歩けるようになり感謝の気持ちでいっぱい。
病室に戻ると、看護師さんが、「戻って来たのね!」と言ったので、私が「主人と友人は訓練されていて私は病院から脱出できなかった。」と言うと、「二人ともよく訓練された優等生ね。」…「ところで、ヨガを中庭でしていた人がいたと聞いたけど、きっとあなたね。」と微笑みながら言った。今、中庭から戻ったばかりなのに、もう知っていてビックリ。「キモセラピーの前にヨガをするなんてあなたくらいしかいないから…」と看護師さんは付け加えた。
キモセラピー前に、ヨガをするだけでなく、病室にクリスタルボールを飾ったり、癒しのストーン、アロマセラピーオイル(フランキンセンス)、バッチフラワー(レスキューレメディ、クラブアッップル)を用意しました。
病室の棚もエリックと一緒の写真、動物家族(クラちゃんたちの)写真、みなさんからいただいたカードを飾りました。アロマディフューザーを使ってアロマセラピーをしていたので、ドクターや看護師さんたちも入って来るたびにとてもリラックスして喜んでいただけ、嬉しかったです。
看護師さんが通常の患者さんは、リツキシマブ(リツキサン)を投与するのに4〜5時間かかるけど、ドクターが私の場合は12時間かけてゆっくりすると教えてくれました。リツキシマブ(リツキサン)を投与する前にベナドリル(Benadryl アレルギーに効く抗ヒスタミン剤)を投与されてすぐ副作用が出て血管の中の血液がすごい勢いで動くの感じて、その上、心臓がパクパク早く動くのを感じました。目眩がして話すことも出来ない状態になって怖くなってしまいました。
エリックにすぐ電話してもらい怖いという事を言うと、フェイスタイムでうちの動物家族を画像をすぐ見せてくれて、それで気持ちが落ち着いて恐怖から抜けることができました。
他はあまり副作用はなく、少し皮膚が痒くなったくらいでした。
でも、病院では、ゆっくり休むことは出来なく、自分の家の匂い、エリック、動物家族、お庭の樹たち、お花たちが恋しい気持ちで涙が出ました。横になったままでもメディテーションをして第1日目のキモセラピーを乗り越えました。
エポック(EPOCH)キモセラピー*は、二日目の月曜日の午後からはじまりました。エポックの薬液はオレンジ色の夕焼けのようでした。看護師さんに「綺麗なオレンジ色なので、きっと私が治る助けをしてくれるね。」と言うと、看護師さんは、「キモセラピーの薬液を綺麗だなんて考えたことがなかったわ。他の患者さんもあなたのようにポジティブに考えてくれたらどんなに良いことでしょう。」と言った。私はただエポック(EPOCH)キモセラピーが私の体の中に投与される前に何か良いことを考えたかったんです。
*EPOCH 併用療法はリツキシマブ(リツキサン)と併用して行う5日間24時間毎日投与する強いキモセラピーであるが、5日間、化学治療を受けながら体調をモニター出来き、副作用などを監視して薬の量を変えたりも出来る。
夕方から始まったエポック(EPOCH)キモセラピーは、初めはスムーズでした。でも夜になって少しづつ重い暗い感覚が始まりました。夜中になって重い感覚は真っ黒なモンスターが私の体の中に入り始め自分の力では防止できない恐怖に変わった。
目を閉じると黒色より暗く黒い影の中にオレンジ色の斑点が敏速に動き回っていました。恐怖さと耐えられない感情。 細胞体に不法侵入者がゆっくり潜入して私を破壊していく。
いてもたってもいられなくなった私は、起き上がり座ってエポック(EPOCH)の管を両手で握っていました。そしてエポック(EPOCH)薬液に話しかけました。
「きっとあなたは私を助けてくれるのでしょう。でもあなたの事を知らない私は重く暗い感覚しか今は感じません。どうか、私の良い細胞を破壊しないで癌細胞を癒す助けをして下さい。あなたには、それが出来る力があるんですよ。」
その後、セレニティープレイヤー(ニーバーの祈りと日本では言うそうです)を何回も繰り返して祈った。
God, grant me the Serenity
To accept the things I cannot change…
Courage to change the things I can,
And Wisdom to know the difference.
神よ、
変えることのできるものについて、 |
ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳) |
そして何回も何回も
「これも過ぎ去る、これも過ぎ去る、これも過ぎ去る…」と繰り返して言った。
やっと朝を迎えて、胃腸の不快感、軽い吐き気、便秘気味といった少し副作用はあったが、血液検査では初日のエポック(EPOCH)キモセラピーは、うまくいったと確認された。早速、オレンジ色の薬液に私は感謝を伝えた。
3日目になって体重がすごい勢いで増えているのがわかった。入院した時の体重は94ポンド(42kg)が104ポンド(47kg)と10ポンド(5kg)増えていた。写真でわかるように体重が増えてふっくらしている私は元気そうですがこれは, 炎症抑制剤として投与されているステロイドの副作用が原因。このまま、体重が増え続けていくと血液凝固などの原因にもなるので、毎朝、ボディースクラブだけでは、十分ではないと感じて、メディテーションの後に軽いヨガもして自分で足と足指などをマッサージ。朝食後と昼食後には 自分が入院している階を全て散歩・マーチした。この時に通りすがる看護師さんたちや患者さんなどが私のマーチを見て笑顔を見せてくれた事が励みになった。(水前寺清子さんの三百六十五歩のマーチを歌ってマーチもしました)。
こうして毎日運動し体をなんとか動かすことによって血液凝固にならなかった事、便秘もしなかったので、
そのための薬も摂る必要がなく良い事がたくさんありました。
入院中はたくさんの友人が毎日、お見舞いに来てくれました。
お見舞いにレイキをしていただいたりもしました。
エリックは仕事に行く朝6時半前に私の朝食と作ってくれて、それを友人で隣に住んでいるアマンダが毎朝、病院まで持って来てくれました。朝食後は、アマンダと一緒に散歩/マーチして、彼女が帰った後は、休息をとりました。
私が入院していた週、丁度、エリックは午後からの仕事が休みだったので、お昼ご飯を 毎日持って来てくれて、エリックは私の病院食のビーガンバーガーやサラダを食べたりしてました。(笑)
昼食後の散歩/マーチをエリックと一緒にして, エリックは家に戻って動物家族たちの面倒を見て、私の夕食を作ってまた、病院に戻って来てと大変忙しい週だったと思います。でも一緒に、昼食や夕食を食べていろいろ話し出来て、私がキモセラピーを受けていて辛い時でしたが、キモバケーションなどと私が冗談を言ったりして、お互いにベストを尽くして充実した夫婦の時間を作る事が出来たと感謝しています。夕食後は一緒に東京場所の相撲をNHKサイトで毎夜見てからエリックは家に帰りました。
もちろん、ベストを尽くして頑張っていても何回も泣いたりしました。
キモバケーションなんてエリックに冗談を言ったりしても、心の中は、お家に帰りたいと毎日思ってました。
病室の小さな窓から空を見ると、雲や鳥さんたちが私を楽しませてくれて痛みや辛い気持ちから救ってくれました。
ある日は、クラちゃん(昨年、天命した愛犬で私のサービス犬)が雲を通してメッセージを送ってくれて、「約束はママがこっちに来るんじゃなくてクラがまた生まれ変わってママの所に行くんだよ、忘れないでね。」でした。クラちゃんのメッセージで我に戻れて「そうね、クラちゃんが生まれ変わってこっちに来るんだから、ママは頑張って良くなるよ。」って返事がクラちゃんに出来ました。
確か入院して6日目、退院の1日前の出来事…その日は朝からあまり気分がすぐれていなくって、病院にいるのに疲れて来ていて、自分の気持ちをポジティブにしているのにも疲れて来ていたようです。
いつものように朝、4時にメディテーションをしてボディースクラブをして、ヨガもして、足と足指のマッサージもして朝の癒しのミュージックも聴いたのに、気分は落ち気味でした。
病室を掃除してくれる女の人(いつもは男の人なのにこの日は女の人でした)が入って来て、お掃除をしてもいいか聞きました。「もちろんいいですよ」と私は答えた後、彼女はトイレ掃除をまずしてから床をモップしたりしていました。
彼女のお掃除が終わったのを確認して私が「ありがとう!」と言うと、彼女は、「このあなたの病室を掃除出来てとても光栄です。みんながあなたが優しい人であなたの病室は癒されると知ってます。あなたの病室を今日お掃除するようスケジュールをもらってとても嬉しかったです。この部屋はとてもいい香りがして本当に癒しの場ですね。」
エッ、何を言ってるの? 今、聞いた事が信じられないと思いました。
咄嗟に彼女の名前とどこから来たかと聞きました。
メキシコのグアダラハラから来ていて、ロサルバと言う名前だとわかりました。
彼女に私の部屋を掃除してもらえて良かったと伝えました。
彼女が去ってから、大泣きしました。
何故?
よくわかりませんが、私がこうして生きている存在をメキシコのグアダラハラから来ているこのロザルバという女の人に立証してもらえたような気がしたのです。
私の伝えたい意図がみなさんにわかってもらえるかな?
とにかく、この出来事があって気分のすぐれていない自分から脱出でき、
5日目の最終日のエポック(EPOCH)キモセラピーを終わらせる事が出来たのです。
みなさんの祈りとサポートに心から感謝します。
癌キモセラピー治療費はとても高金額です。その他、病院代、癌専門医師費なども多額なお金です。医療保険の80%がありますが、残り20%を払うための癌キモセラピー治療費の募金運動をエリックと友人のジェシカ(マクロビオティックの先生)とアマンダ(ヨガの友人)が始めてくれました。 YouCaring Fundraisng to Support Sanae’s Recovery from Cancer
その他、私とエリックの本を購入してサポートしていただくこともできます。
宜しく、お願いします。
下記が私たちの4冊の本です:
カードや、ギフト、または、チェック(チェックの宛名はEric Lechasseurでお願いします)を送っていただく時は、下記の住所に送り下さい。
2610A 23rd St.
Santa Monica, CA 90405
ひとりひとりの方には、返信は出来ませんが、
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Love, Sanae 💖
余命1ヶ月もない!
昨日から、3回目の5日間(毎日24時間)のキモセラピー(化学治療)が始まりました。
キモセラピーに行く前日、不安な気持ちもあってか、眠れなかったので、6月8日に英語で書いたブログ、
”Only Weeks to Live” (余命1ヶ月もない)を日本語に書き始めていました。
昨夜はキモセラピーの副作用で眠れなかったので、そのブログを書き終えました。
5日間の通院なので、今日もまた病院に行きます。
でもブログ書き終えたら気分爽快!
前回、日本語で書いたブログ、”癌が戻ってきた!” を読んでいただいた感想をいただいて、
とても励みになりました。ありがとうございます。
みなさんに読んでいただけているのを聞いて嬉しいです。
CT(コンピュータ断層撮影)検査、そして生体組織検査後、”珍しい癌のびまん性大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫肝臓ステージ4“であると診断されました。もうひとつの検査であるPET/CT( 機能画像と形態画像の融合による)検査をして、キモセラピー(ガン化学療法)をガン専門医師に勧められていました。
私は24年前に卵巣癌になった後、臨死体験をするような酷い交通事故で輸血をしてその結果、C型肝炎になってそれが原因で、今回の”びまん性大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫肝臓ガン”になりました。
マクロビオティックと自然療法で薬物などを摂らない(交通事故の時は別)で、20年以上、生活して、大げさに聞こえるかもしれませんが、一般的に言われる、化学物質過敏症(非常に微量の薬物や化学物質、主に揮発性有機化合物の曝露によって健康被害が引き起こされるとする疾病概念。)になりました。これは薬物や化学物質だけでなく、食品、家庭用品、スキンケア、その他全ての物、自然でない化学物質が少しでも入っていると 反応(副作用・好転反応)を起こします。マクロビオティック的には、これは健康状態である人が、害のあるものを摂ると体が反応する言わゆるデトックス。害があるものを摂っても反応がないのは体が害のあるものに慣れすぎているか、弱っていると考えます。
私にとっては、病院に行って化学治療を受ける事はとってもつらい事なので、化学治療なしで24年前の癌の時のようにクロビオティックと自然療法で治していきたいと願っていました。
CT(コンピュータ断層撮影)検査した時、アポが午後だったので、断食を20時間ほどしてから病院に行ったら、まず硫酸バリウムを2本(900ml)飲むよう言われました。この硫酸バリウムは、白いドロっとした化学薬品液でナチュラルフレーバーの甘みが入っているから飲みやすいと言われましたが、ナチュラルと言っても本物ではないその甘さがかえって私には吐き気をもよおしてしまいました。そして最悪はヨウ素のヨード造影剤を注射されて、これが血管から入ってからシャープな熱い痛みを感じて、身体中がどうなってしまうか恐怖心でいっぱいでした。終わった後は、フラフラで立てないのに、最後にヨード造影剤を流すための注射が原因でトイレに行って排尿をしないと痛みが増して大変な状態になってしまいました。無事帰ってきましたが、精神的もとても疲れてしまいました。なぜ、こういった検査に行われる事をドクターは説明してくれないのでしょうか?日本なら前もってドクターはしてくれるのでしょうか?
生体組織検査の時も、 肝臓の2箇所から注射器を入れて細胞のサンプルをとったようでしたが、2箇所目の時は、あばら骨のところから入れたせいなのか痛みが鋭くて、麻酔をもっと注入されて意識はないまま終わりました。初め言われていたのは、麻酔は注射器を入れる肝臓あたりが痛くない程度の量なので、意識はあると言われていたにもかかわらず結果は、気がついたらもうベッドの上にいました。その後、肝臓のあばら骨の痛みが酷く、息をすることも出来ない状態になり、あまり体調を崩してしまいました。こういった事も初めから何もドクターから何も聞いていなかったので恐怖と向かい合っていました。
マクロビオティック食事法とティベットの漢方薬で体調を整えて、やっと4月27日にPET/CT( 機能画像と形態画像の融合による)検査をできる体力がついて行ってきました。この時も硫酸バリウムを飲むよう言われましたが前のような量は吐いてしまうので、飲めませんでした。ヨウ素のヨード造影剤を注射された時は、痛みが酷かったので看護師に手をやさしく触って欲しいと行ったら男の看護師だったせいもあって、彼は何を言っているんだという顔をしましたが、私の指先を軽く触ってくれました。手全体を触って欲しかったのですが、指だけでも効き目があって私の痛みは減って気持ちが落ち着きました。ありがとうと看護師にお礼を言うと彼は何も言わないで行ってしまいました。私にしたら怖がっている人が手を触って欲しいとか抱いて欲しいと願えば人間としても当然の行為でしてあげたいと思ったのですが、きっと患者さんでリクエストしたのは初めてだったのかも思いました。
PET/CT( 機能画像と形態画像の融合による)検査が終わってから、検査の結果はいつでるのかと聞きました。そんなにかからないよ。あなたのドクター(癌専門医師)から結果が出たら連絡があるから、待っているようにと言われました。聞いた事に間違いがないか聞いたことを繰り返して、私が連絡をしないでも私のきました。そんなにかからないよ。私のドクター(癌専門医師)から連絡があるのでねと聞き返すと、そうですと言われました。
今までの検査の結果は2〜3日から1週間ほどかかりました。
あっという間に日にちが過ぎて5月10日(検査から2週間も過ぎた)になってもいたのに、
私のドクター(癌専門医師)から連絡はありませんでした。
病院に電話をして検査の結果が10日前に出ていると結果を聞いて驚きました。
結果を教えて欲しいと言うと、私のドクター(癌専門医師)に
アポを取って会いに行かないと結果は教えてもらえないと言わた。
検査した時に結果は連絡があるので、待っていればいいと言われた2週間も待っていたので、
すぐ結果を教えて欲しいからアポをすぐ取りたいと伝えると私のドクター(癌専門医師)は、
次の週からバケーションに 出かけるのでその前のアポは全て予約が入っていてバケーションから戻って来る、
6月6日まで、会えないと言われた。
エッ、そんな馬鹿な事はないでしょ!5月10日なのに6月6日までアポが取れない?信じられない、検査の結果も教えてもらえないで1ヶ月近くも待つなんてありえないと言うと私のドクター(癌専門医師)のアシスタントから連絡をさせると言われた。その後2時間ほどして私のドクター(癌専門医師)のアシスタントから電話があって5月30日にアポが取れたと言われて、検査の結果は郵送で送ると言われた。2週間も検査の結果を待って、検査の結果は郵送されるまで、待って、アポでドクター(癌専門医師)に会うのは3週間後なんて、信じられなかった。この電話のやりとりだけでもとてもストレスで疲れてしまった私は、怒って反論する力もなく、言われた事を了解するしかなかった。
検査の結果をすぐ知らせなかったのは結果がそれほど悪くなかったからかもなどと
いろいろ良い方に考えてみたが、この前書いたブログのように、
直感で私とこのドクター(癌専門医師)とは合わないと思っていたが、
私の珍しい癌を経験したドクター(癌専門医師)は、アメリカで一人、
東海岸のボストンにしか見つけられなかった。
それでこの初めのドクター(癌専門医師)のままになっていた。
2日後にPET/CT( 機能画像と形態画像の融合による)検査の結果が郵送されて来た。
結果は私の肝臓はほとんど癌でおかされていた。
震えるような恐怖とそれに伴って肝臓の痛みが増した。
5月10日以降から日に日に自分が弱っていくのを感じた。
毎朝、起きて大好きな空を見て、
今日が私の最後の日かも口走る自分に、
Sanae、今日は逝かないよ。
今日は生きる日だよ。と言い聞かせた。
2001年に交通事故をして臨死体験をした時も、ハッキリ、逝ってしまうかもと感じた。
この気持ちは説明出来るものではないかもしれないが、
内側から感じるもので人間には自分の最後がわかるようだ。
少しずつこの地球上に存在する自分の霊(力・心)が肉体から薄くなっていき、
瞬間的に霊(力・心)を掴め切れない感じ。
怖くはないが、今、この瞬間に自分が本当にどうしたいか決断する時が来ているとわかった。
衰弱して来ている自分が、毎朝、空を見ながら感じた事は
あの2001年の臨死体験をした時と同じような事が起こっているという事。
今、何かをしないと逝ってしまう…
エリックの50歳のお誕生日の15日がやって来ました。
何か特別にギフトとかと考えてましたが、何も出来なかった。
でも、気力で起きて、お手製のバースデーカードを書く事が出来て、
二人の大好きな海のレストランに行けました
(本当は月末に大きなバースデーパーティーを計画していましたが、
私が入院することになってパーティーは、なくなってしまいました)。
エリックのバースデーの次の日、肝臓の痛みと共に、新しい癌専門医師をなんとか直ぐ見つけて行動しないと
自分が本当に逝ってしまうオーラをハッキリ見た。
でも、すでに自分で新しい癌専門医師を見つける体力も気力もなかったので、
すぐ行動をしてくれる、友人二人にお願いして、早速、新しい癌専門医師をさがしてもらうことにした。
二日後、新しい癌専門医師がみつかり、スケジューにキャンセルが入ったので、
すぐ行けるようなら会えると電話があったのは午後1時。
衰弱していてほとんど動けない私を車椅子でエリックと二人の友人がコーディネートして
新しい癌専門医師のところに3時半に行けました。
新しい癌専門医師は、丁寧にそしてハッキリ分かりやすくPET/CT( 機能画像と形態画像の融合による)検査を説明してくれました。
この癌専門医師は哀れみがある人間だと感じました。
また、私がマクロビオティックライフスタイル(精製砂糖なし)で、ビーガンだという事、
長い間、薬(薬物)を服用していない事、アルコールを飲まなくなって32年間、
タバコ吸わない、コーヒーやカフェイン飲料を飲まないと話すと
それは自分の健康に気をつけて生きているということで良いことだと言ってくれました。
癌専門医師は、癌は私の肝臓の侵してしまっている状態で進行がとても早いので、積極的な化学治療法である、
5日間のEPOCH 併用療法をリツキシマブ(リツキサン)と併用して行う事を勧めました。
EPOCH併用療法で使用される薬剤;
E = エトポシドリン酸塩
P = プレドニゾン
O = ビンクリスチン硫酸塩(オンコビン)
C = シクロホスファミド
H = ドキソルビシン塩酸塩 (ヒドロキシダウノマイシン)
5日続けて24時間毎日投与するので、時間が長く大変だが、1日に1度多量を投与するR-CHOP(シクロホスファミド、ドキソルビシン、ビンクリスチンに副腎皮質ホルモンのプレドニゾロンを組み合わせたものに抗体薬であるリツキシマブを含んだ治療 ー これは初めの癌専門医師に勧められていた化学治療法)ではなく、長い時間、じわじわとガン細胞をやっつけていく事が対象である、このEPOCH とリツキシマブ(リツキサン)化学治療法の説明をしてくれました。その内容のひとつに5日間、化学治療を受けながら私の体調をモニター出来き、副作用などを監視して薬の量を変えたりも出来ると付け加えてくれました。
エリックが咄嗟に「もしこの化学治療をしなかったら妻はどうなるか?」と聞いた、
癌専門医師はためらわず「死にます。」と答えて、
エリックが直ぐまた「妻の命は後どのくらい?」と聞くと、
癌専門医師は「2〜3週間ですね。」
エリックの声が「1ヶ月もない?」、
癌専門医師の答えは「そうです、余命は1ヶ月もありません。」
エリックの顔は見えなかったけど、彼が泣いているのが聞こえた。
本当に怖い事が起こると恐怖のあまり動けなくなって考えることも感じることも出来なくなる。
死ぬことは怖くないが自分を愛してくれているエリックが私が死ぬことを悲しがって泣いているのを見るのを怖いと思った。
彼を傷つけるつもりはなかったのに。
毎朝、自分が逝ってしまうんではないかと感じてからは、化学治療を受ける気持ちは出来ていた。
病院にすぐ入院を勧められて2時間後の5時半にはUCLA病院に行くよう手配を癌専門医師がしてくれた。
癌専門医師を変える面倒な書類上などの事も全部してもらって、すぐ化学治療を受ける前の精密検査が始まった。
全てが急に決まってアッと言う間に入院をしてしまったが、気持ちは落ち着いていた。
家に戻って動物家族たちに病院に入院すること、また行って来ますも言わなかったので、
気がかりだったが、テレパシーで話すとみんな私に早く元気になって欲しいと言っていた。
みなさんの祈りとサポートに心から感謝します。
癌キモセラピー治療費はとても高金額です。その他、病院代、癌専門医師費なども多額なお金です。医療保険の80%がありますが、残り20%を払うための癌キモセラピー治療費の募金運動をエリックと友人のジェシカ(マクロビオティックの先生)とアマンダ(ヨガの友人)が始めてくれました。 YouCaring Fundraisng to Support Sanae’s Recovery from Cancer
その他、私とエリックの本を購入してサポートしていただくこともできます。
宜しく、お願いします。
下記が私たちの4冊の本です:
カードや、ギフト、または、チェックを送っていただく時は、下記の住所に送り下さい。
2610A 23rd St.
Santa Monica, CA 90405
ひとりひとりの方には、返信は出来ませんが、
みなさんが送って下さる、メッセージ、E-メール、カードや手紙はちゃんと読む事をお約束します。
Love, Sanae 💖
癌が戻ってきた!
日本で育った幼くて、まだ若い頃(19歳まで日本に住んでいました。)は、
自分の気持ちを表現する事は難しいというか、
表現する事をあまり知らないでいたような気がします。
アメリカに来て初めてちゃんと気持ちを表現していかないとこの国では、
サバイバルできないと感じて英語で気持ちを表現できるように少しずつ努力をしてきました。
そしてその後、日本語で自分の気持ちを表現するのは
話す事も書く事もとても難しいとわかりました。
というわけで、完璧ではない英語ですが、英語でブログを書くことが先になってきているわけです。
今回、卵巣癌回復後24年経って、同じ癌ではありませんが、とても珍しい癌、
”びまん性大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫肝臓ステージ4”(2001年に交通事故で輸血をしてその結果、C型肝炎になってそれが原因で、今回の”びまん性大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫肝臓ガン”につながった)になって痛感したことあります。
それは、自分の気持ちを大切にしてあげないといけない、そして大切にしてあげたい。
特に辛い事、悲しい事、不安な事、嫌な事を
無視しないで良い事や幸せな事と同じように受け止めて、受け入れてあげたい。
自分の気持ちを見つめて、どこから、そしてなぜその気持ちが始まっているのか、
なぜその気持ちは必要ないのに、ネガティブなのに
いつまでも続いているのか、整理して自分を心の奥底から認めてあげたいと思いました。
それに、あたって日本語で表現する事はとても私には大切だとあらためて再確認したのです。
日本語のブログを書く事が自分の気持ちの整理にとてもきっといい役立っているようなので、
少しずつですが、もっと日本語で書いていきたいと思っています。よろしくお願いします。
英語のブログを読んで下さっている方々は、
私が5月にびまん性大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫肝臓ガンだと診断された事を
知っていらっしゃると思います。
このブログは5月21日に英語で書いた ”Cancer is Back!”(ガンが戻って来た)の
日本語訳ですが、直訳ではなく私の気持ちを付け加えて書いてありますので、
みなさんにそれが伝わると幸いです。
癌専門医師は「あなたは生体組織検査の結果、びまん性大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫肝臓ガンが発見されました。これはとても珍しいガンであまり例がないが、R-CHOP(シクロホスファミド、ドキソルビシン、ビンクリスチンに副腎皮質ホルモンのプレドニゾロンを組み合わせたものに抗体薬であるリツキシマブを含んだ治療)というガン化学療法を勧めます。」と言った。
続けて「このガン化学療法はドキソルビシンという化学治療薬が心臓に傷害をもたらせる恐れがあるため、3週間に1回のサイクルで行います。検査をしてあなたの心臓が弱い場合は他の化学療法をする必要があります。初めての化学療法サイクルはUCLA病院に入院して始めれば、ドクターや看護婦がいろいろ配慮してくれるますよ。すぐ、PET/CT( 機能画像と形態画像の融合による)検査をすぐして化学療法の予約をしなさい。それと骨髄検査も」と簡単に付け加えた。(骨髄検査は、麻酔が普通に効いていれば、骨に刺すときの痛みはほとんどなくできます。しかし、骨の中にまでは麻酔が届かないため、中の骨髄液を吸い出すときに痛みが走ると聞いています。)
また続けて「どんな医療保険を持ってますか?」と聞いて来て、アシスタントが鈴木さんはメディケアしか持っていないと言った途端に、「メディケア?それなら治療費や病院代は100%カバーできないじゃないか、他の医療保険を持っていないのですか?」と言って、目を下げて「だったら入院しないで通院しなさい。でも他の保険をすぐ見つけるようにと付け加えた。」
私は殆ど何も言わないでこの癌専門医師の言う事を聞いていました。
そしたら、この癌専門医師はエリックに「君のワイフは動揺しているようで何も言わないようなので、とにかく二人で相談してすぐ化学療法の日程を決めなさい。今日はまず、血液検査だけして帰りなさい。」と言った。
癌専門医師の言っている事をずっと聞いていた私は、24年経っていると言っても、
またガンになってしまったという、ショックのあまり、困惑、動揺、
そして、目標を見失った者のように頭の中は真っ暗で立ちすくむような状態になっていました。
何も言えない、言いたくない状態というか、何を言っていいか本当には、わからない心境。
癌専門医師の声は遠くから聞こえてくるような気がしていました。
何か言わなくていけない、
自分の思っている事と感じている事を伝えなければとわかっていましたが、
時間は過ぎていくばかり…
「…..何も言えないのは、今、ガンだと聞いてショック受けて、その上、珍しいガンという事で精神的打撃を感じているからです。それをドクターであるあなたはわからないのでしょうか? 思ってもいなかったガンという病気を頭の中で消化してからでないと話す事はできません。」
癌専門医師は、「了解しました、でもなるべく早く化学療法の日程を決めた方がいいと勧めます。」と私が言った気持ちには何も触れず言ったので、私は「私のガンは珍しいという事ですが、同じガンの患者さんを治療した経験はありますか?」と聞いた。
癌専門医師は、「いいえ。それにUCLA病院の自分の同僚の3人の癌専門医師たちも経験はないな。」と簡単に答え付け加えました。
この癌専門医師の話し方が淡々としているので、ビジネスマンのような感じがして、それ以上話したくなかった。
でもそのまま帰ると気まずい感じがしたので、咄嗟に「ひとつだけ言いたいのですが、ホームページに載っているあなたの写真はフレンドリーではないと思ったので変えた方がいいですよ。」なんて言ってしまった。
初め、この患者は何を言っているんだという顔を癌専門医師はしましたが、すぐ気がついて笑って、「あ〜、私もあの写真は変えないといけないと思っていたよ。」と言ったので、この癌専門医師は人間らしく笑えるんだとわかって少し安心した。
どのようにして家に帰って来たか覚えていません。病院を出てもショックで頭の中は真っ黒。
落とし穴に落ちてしまって中々、這い上って来られないような絶望感。
少しずつ自分の頭の中が動き始めて、深刻なガンという病気になった事で、
これからの自分の生活、エリックの生活、動物家族たちの生活、
友人たち、日本にいる家族(妹、弟、姪)そして、生徒さんたち、クライエントさんたちに
これからどう影響していくか気づいた。
でも初めは、否認したい気持ちでいっぱいになって、一体、自分に何が起こったのだ。
ガンなんかに、又なるはずがない。
24年間もガンは戻って来なかったのだから、ガンになるなんてそんな馬鹿な話はない。
でも…現実はまたガンになってしまったのだ。
頭の中は、混乱。
悲しく、失望、途方にくれて、恐怖、不安、悪い事(ネガティブ)を考え始めていた。
また24年前の卵巣癌になった時のように心の表面は大揺れしていた。
沈黙して目を閉じて瞑想をすると心の奥に前向き(ポジティブ)な冷静な自分がいた。
ゆっくり呼吸をして自分の心の中に入って集中し、
表面にあるネガティブな事を認めながら呼吸に集中する。
何回も何十回も何百回、何千回、何万回も呼吸をしていくうちに表面にある
ネガティブな事や不安な気持ちが動き始め、あまり感じなくなっていくのを感じた。
無常。
ガンになったショックな現実は変わらない、
でも心の内側から、生きていきたい、自分は生きていくという力を感じる。
24年間、ガンが戻らないで健康で生きて来られたことにも感謝ができ、
あらためて、大切に生きていく事を学んでいく
努力を始めていきたいと願う気持ちが生まれてくるのが見える。
マクロビオティックを食べて、ヘルシーライフをしていても
永遠に生きることはないとわかっています。
このびまん性大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫肝臓ガンで私の人生は終わり?
いえ、そんな事はない、まだ、私が天国にいく順番ではない。
人間は潜在意識の中で病気になる原因を作っていると、
24年前に卵巣癌になった時に読んだルリーズ・ヘイさんの本で学びました。
癒しとは:精神的、感情、信仰、肉体、環境、幾重も重なったものが
私たちの健康に影響していていると、気がついて潜在意識の中にあるものを取り去ることは、
重要だと知って何年も学んで来ました。
ルイーズ・L・ヘイさんの英語のホームページから
肝臓の問題:
肝臓は激しい憤りの温床。怒り。基本的な感情。
不平不満が多いと肝臓に障害が起こる。
肝炎:
変化に対する抵抗。恐れ。怒り。憎しみ。
アフォメーション(確約):
私の心は清らかで自由。
過去を離れて新しいものを求めていく。
全てがうまくいく。
癌:
深く傷つけられる。恨みが募る。
自分を蝕むような極秘や深い悲しみ。嫌悪感。
アフォメーション(確約):
心から過去を許して手放す。
私の人生は喜びに溢れている。
自分を慈しみ受け入れる。
「ライフヒーリング」ルイーズ・L・ヘイさんによる 精神的パターンによる病気一覧表
私には今一度あらためて過去を許し手放し、
自分の傷ついた感情を癒してあげる、心全ての改革が必要。
自分の気持ちを話せて、わかってくれる人間的な哀れみをもった
新しい癌専門医師を見つけました。
癌の進行がとても早く衰弱が酷いため、マクロビオティックと自然療法では間に合わないため
UCLA病院に入院してキモセラピーの化学治療を始めることにしました。
体力的にはとても大変ですが、
気持ち的にはストレスが少し減り、前進していける気がしています。
書ける時にまた書いていきます。
みなさんの祈りとサポートに心から感謝します。
癌キモセラピー治療費はとても高金額です。医療保険の80%がありますが、残り20%を払うための癌キモセラピー治療費の募金運動をエリックと友人のジェシカ(マクロビオティックの先生)とアマンダ(ヨガの友人)が始めてくれました。 YouCaring Fundraisng to Support Sanae’s Recovery from Cancer
その他、私とエリックの本を購入してサポートしていただくこともできます。
宜しく、お願いします。
下記が私たちの4冊の本です:
カードや、ギフト、または、チェックを送っていただく時は、下記の住所に送り下さい。
2610A 23rd St.
Santa Monica, CA 90405
ひとりひとりの方には、返信は出来ませんが、
みなさんが送って下さる、メッセージ、E-メール、カードや手紙はちゃんと読む事をお約束します。
Love, Sanae 💖