ハロー…世界中のみなさん,

 

鈴木草千(すずきさなえ)の幸せの種、ホームページ・ブログにようこそ!

 

初めて自分の名前のホームページをクリエイトできることになってとっても嬉しいです。ここまでたどり着くまでに4つのホームページをプロデュースして、どれもそれなりにとても勉強になりました。今回は 自分らしいホームページを作成することに近づいた気がします。

 

まだ全て完成していませんが、 自分のペースで無理なく進んでいくが私の人生のテーマのひとつなので、ゆっくり私なりに納得したページを1ページ1ページ作っていきたいです。

もしまだできていないページがあったらまた、見にきて下さい。いつでもメールで sanaeshealing@gmail.com にコンタクトして下さい。

 

さて、みなさんは亀とうさぎの話を知ってますか?

 

私は亀として生まれたのですが、勘違いして自分がうさぎだと思い込んでいました。何年か経って自分がうさぎではなく亀だということに気がつきました。

初めは亀としてあらためて生きていくことが出来なくてとても大変でしたが、亀の行き方を学んでいくうちに亀で生きていくことを好きになりました。そして今では自分が亀であることに感謝して亀の自分が大好きです。

 

ゆっくり慎重に進んで生きていく努力をしています。

時間がかかっても自分らしい生き方、そしてこのホームページも自分なりに完成させていきます。このホームページがあなたの身体・精神・心の健康と幸せのお役にたてることをこころから願っています。

 

感謝と愛を込めて…

草千

With Gratitude and Love, Sanae❤️

“Love, Seed Kitchen” シード・キッチンから愛を込めて

シード・キッチンは、私と主人のエリックの過去8年間の生きがいでした。

自分たちのビーガン・マクロビオティック、レストランをオープンするという夢を実現させてくれたのが、シード・キッチン。

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その夢は私がエリックに出会った1991年に始まりました。その時はまだ23歳だったエリック。でも、既にメキシコのリゾートホテルの料理長を務めていました。

 

私は前夫との別居から離婚へと転換期中で心労が重なっていました。1992年には、疲れがひどくなって病気によくなりました。翌年には卵巣癌だと診断されてショックを受けたことを今でもよく覚えています。

知人の紹介でマクロビオティック・カウンセラーのセシル先生を紹介してもらってアドバイスを受けました。お料理クラスなどを受けて一生懸命、癒し食、レメディー・ドリンク、プラスターなどの勉強しました。また、指圧、導引、バッチのフラワーレメディーとたくさん学びました。3週間ほどして気持ちが明るくなって1年後には回復に向かっていると確信できました。そして1995年に完治して、エリックと一緒に自分たちの夢に向かって歩み始めました。

 

エリックはケベックとフランスでフレンチシェフトレーニングを習得していました。それでマクロビオティック食もすぐ学んで私のためにお料理を作ってくれ、その後自分たちのビーガン・マクロビオティックレストランをオープンしたいと願いようになりました。

 

 

シードと言う名前は自分たちがしていることは、自分たちがしていることは健康で美味しい食を通してたくさんの人たちが元気で幸せになる種撒きだと感じたからです。

エリックはケベック、私は日本の出身で、家族や親戚はアメリカには一人もいなくて、お金もそんなにありませんでしたが、1999年に”無限”という名前で会社を設立しました。

 

そして、ビーガン・マクロビオティック ディナークラブを毎月やったり、コーマーシャルキッチンを借りて、お惣菜やお弁当を作ってナチュラルマーケットに売ったりしてました。

 

その後、私は臨死体験をするほどのひどい交通事故にあって1年間はおまる生活をして、車椅子で生きる事になりました。もう2度と歩けないともドクターから言われましたが、マクロビオティック食と癒しに繋がることをずっと続けて来て3年後には少しづつ歩けるようになって、今年はヨガ講師になる資格も習得しました。

いろんなことがありましたが、自分たちの夢は諦めないで頑張って来て、貯金を始めてレストランの物件探しも2005年に始めました。

完璧は場所ではなかったかもしれませんが、ベニスビーチが世界中からいろんな人がくることを知っていたので、世界中のみんなに私たちの美味しくって健康に繋がる食事を食べてもらおうとここに決めました。

たくさんの人たちが世界中からやって来て、シード・キッチンのお料理を食べてくれました。有名な新聞紙:LA TimesとNY Timesにも載り、またいろんな雑誌などにも8年を通してずっと掲載されました。エリックはPeTA(動物の倫理的扱いを求める人々の会)のコンテストで2位になりました。

今まで働いてくれたスタッフのみんなとずっと食べに来てくれたお客さんや友人には感謝の気持ちでいっぱいです。

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オープンからずっと働いてくれた、夜のアシスタントシェフのレハンドロとエリック。

 

 

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オープン当時から働いてくれた、シェフのミゲールとエリック。

 

 

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オープンからずっと働いてくれた、昼のシェフのホゼとエリック。

 

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最終日の夜、オフィスの経理の陽子さん、キッチンのセルジオ、エリック、アシスタントシェフのレハンドロ、私、そしてキャシアーのジョナサン。

 

We love Seed Kitchen’s food so much! For eight years, we offered some of the best plant-based, freshly made food every day. Our five different burgers were definitely the most popular: Southwest burger with whole grains and beans, BBQ tempeh burger, seitan sirloin burger, Mediterranean burger, and slow-simmer BBQ seitan burger. Plus, we offered three different kinds tacos, a macrobiotic “Sai Sai” bowl, and three different curry dishes. We made all-fresh, in-house sauces, dressings, salsas and pesto, as well as Eric’s wonderful original seitan and, of course, his amazing desserts.

 

We were a small restaurant, but we made high-quality original, fresh foods. We also followed the macrobiotic principles that helped me in healing from ovarian cancer and my car crash. This brought us to cut refined sugar from any of the desserts, the BBQ sauce, and everything we make. We use sea vegetables for minerals in our sauces.

 

Eric’s favorites include the Blackened Tempeh with Mango Salsa Burger, Rosemary Seitan, Coconut Curry, BBQ Seitan Burger and Crispy Tempeh Chorizo. My favorites include the Japanese Curry, Miso Goddess Ramen, San Felipe Tacos and Southwest Burger. Of course, I think we just put our favorite foods on the menu.

 

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セイタン、アサダタコス。

 

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サンフェリペ・タコス。

 

We really wanted people to come to Seed Kitchen before or after going to the beach. We love going to the beach ourselves and enjoy our life with ocean water.

 

 

シード・キッチンを閉店することはとても悲しいです。8年間の思いを自分たちのため、そしてずっと応援したくれた人たち、シード・キッチンに来れなかった人たちのために友人のクレアーとショート・ドキュメンタリーフィルムを作ることにしました。

 

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クレアー!

 

短い時間の作成で全てを収録はできませんでしたが、閉店することをお知らせしてたくさんの方からのメール、フェイスブックのメッセージ、インスタグラムのコメント、電話をもらいました。ある女性は、もうどこに食べにいけばいいの〜〜?美味しくって、健康で安全な食事を食べるところはないと泣いていました。それを聞いて私たちも泣けてきました。

Making this film made us realize how much Seed Kitchen meant to so many people and to ourselves. The eight years’ labor of love, our passion, effort and even stress we had—they are so valuable for our future. We can’t thank you enough for these opportunities. We will miss our Seed Kitchen—and we plan to publish Seed Kitchen’s cookbook next year!

このショート・ドキュメンタリーフィルムを通してこれからもみなさんの健康と幸せの種まきが出来ていけたら、幸いです。

 

シードキッチンのショート・ドキュメンタリーフィルム予告編です。Love, Seed Kitchen.

感想をお知らせ下さい。

 

愛を込めて

草千💖

ゴールデン・リトリバー犬クラちゃんの49日法要

クラちゃんは、私が臨死体験をするほど酷い交通事故の後、まだ車椅子生活をしていた2003年に生まれて来ました。

クラちゃんのお母さんのキンちゃんは私の介護犬として私を支えてくれていました。キンちゃんが天命した後、クラちゃんが私の介護犬になってくれるよう願い、訓練に行くようになりました。でも、静かで恥ずかしがり屋の気の優しいクラちゃんは介護犬にはむいていないかもと2年間の訓練で感じていました。テストの日、クラちゃんは、自分の奥底にある自信を確信したかのように、素晴らしい成果で合格しました。

 

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クラちゃんの49日法要の受付に設けられた写真とみなさんからの寄せ書き。

 

クラちゃんは私が今まで会った犬の中で一番思いやりのある、やさしい、賢い犬でした。車椅子に乗っていた、私の介護犬として、ドアーを開けてくれたり、私が落としたものを拾ってくれたりしました。そして犬の娘として毎日、いつも私の心を支えてくれていました。ビーチにエリック(主人)と行くのが大好きで、私が少しづつ歩けるようになってサンタモニカ山脈にハイキングに行くのも大好きで、ノースフォークのマンザニタにダイブ したり、雪の中でスノーエンジェルを楽しんだり。

素晴らしい13年間を一緒に暮らしました。

クラちゃんが8月1日に天命して、毎日、クラちゃんのことを思って悲しい日々が続いています。

クラちゃんの犬生を敬意し、私たちの悲しみを癒すために法要をクラちゃんのことを知っている友人たちと一緒にすることにしました。

 

クラちゃんは、老人ホームに行ったり、サンタモニカファーマーズマーケットに行ってマーケットに来る子供たちから、オーガニックのりんごを食べさせてもらったりしていました。

クラちゃんが老人ホームに行ったり、サンタモニカファーマーズマーケットに行ってマーケットにいくブログはここ

 

 

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法要のカードを来てくださる方たちの為につくりました。お花はクラちゃんの大好きなハワイのプルメリアと白いハイビスカス。

 

 

 

 

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クラちゃんのフォトアルバム(84ページ)を214枚の写真でつくりました。

 

26人ものお友達が来てくれて、たくさんのご馳走が並びました。私は、ひじきとトウモロコシのお惣菜を作って、エリックはクラちゃんケーキをバニラとアーモンドクリームで作りました。

 

ここからの写真は、友人のクレアーが写してくれました。

 

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みんなのポットラックご馳走とエリックが作ったクラ・ケーキ。

 

 

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受付のお手伝いをしてくれたヴロッカ

 

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みんなでクラちゃんのアルバムをスクリーンで見ています。

 

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まさのさんとりんさん。

 

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クラちゃんの甥のブブちゃんと私とアリソン

 

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ミッシェルさんとミッシェルさんのお母様。

 

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クラちゃん犬家族 Health Happy Pooches (左からブブちゃん、ハッピーちゃん、オロちゃん、レオちゃん、ルミちゃん)

 

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サールとまりこさんそしてクラちゃんの姪のハッピー。

 

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ステファニー、サリー、カリン。

 

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ジョン、キャロル、マヌエラ、ジェシカ。

 

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ビーガン女性に囲まれている、エリック。

 

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みちよさん、ダン、正子ちゃん、陽子さん。

 

 

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クラのパシフィックブルーを歌うところ。

 

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アマンダが瞑想をリードしてくれました。

 

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みちよさんとダン。

 

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みんなで、くらちゃんのことを思ってお線香をあげました。

 

クラちゃんの好きだったウクレレの歌の詩を変えて、”クラのパシフィック・ブルー”と題して、エリックがウクレレ弾いて、私が歌いました。私たちのウクレレの先生が応援で一緒に弾いてくれました。

ドキドキしていた私は、間違えてしまったり、うちのハッピーが正子ちゃんが来て泣いてそれに気がいってしまって、また間違えたりしてスタートは散々でした。それに歌っていたら、クラちゃんのことを思って泣けてしまいました。

でも、きっとみなさんに私の気持ちは伝わると思うので、ぜひ見て下さい。

”クラのパシフィック・ブルー”

Kula’s Pacific Blue!

このビデオでも言ってますが、動物たちも人間と同じように感情そして思い気持ちがあります。私たち人間が動物たちの生命を敬意して、天命した動物家族、天命していく動物家族たちを思う悲しみのこころを健全な気持ちで癒して、慈悲ある人間として私たちが生きていけることを願います。

感謝と愛ある光を込めて、

草千💖

 

 

 

全ては変わる…

エリック(主人)に1991年に出会ってから、私には、たくさんの夢がありました。

その多くの夢の中のひとつは自分たちのビーガンマクロビオティックレストランをオープンすることでした。

卵巣癌(1992〜1995年)をマクロビオティックで完治させて、その後、臨死体験をするほどの交通事故(2001年)からの大怪我が回復し始めてから、2005年くらいから貯金を始めてレストランの場所を探し始めました。

そして私たちが見つけたのは、世界中からいろんな人がやって来るベニスビーチ。

 

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2008年の9月に見つけたレストランの物件、リーフォームを始めたところ

 

パーフェクトな場所ではなかったかもしれませんが、大好きなビーチ近くで世界中のいろんな人種の方々がSeed Kitchenに食べに来てくれると信じて、2008年8月に開店に向けて働き始めました。

 

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オープンした2008年の11月4日

 

リフォームを無事、2ヶ月で終わらせて、2008年の11月4日に、これから新鮮で殆どオーガニック(有機)の食材を使った手作りビーガンマクロビオティック料理をたくさんの方に食べていただこうというパッションいっぱいでオープンしました。

 

Seed Kitchenの最後の日は火曜日の9月27日です。

 

全ては変わっていくとはわかっていても、閉店しなくてはいけない事はとっても悲しいです。2年半前に借りている場所のリースの契約が変わって倍近い家賃になってしまいました。その後は、自分たちの貯金も使いはたし、お金も借りて一生懸命頑張りましたが、良い安全な食材を使って誠実な経営をすればするほど売り上げは芳しくありませんでした。

自分たちのベストは十分なものではなかったのかもしれませんが、8年過ぎて前進していくために残念ですが、閉める事にしました。

オープンの時からずっと働いてくれているシェフに閉める事を話したら悲しんでいました。その時、私は泣いてしまいました。
みんな一所懸命働いて来てくれたスタッフには最後の日に必ず、お給料を払えるようにします。

Seed Kitchenは、有名で大規模な運営ではありませんでしたが、この世界でも大都市のひとつロス・アンゼルスで8年もレストランとして、毎日新鮮でほとんどの食材をオーガニック(有機)でビーガン・マクロビオティックレストランをやってこれた事が成功だったと思います。

 

8年間応援して下さった、みなさんありがとうございます!

 

エリックは今まで通りビーガンマクロビオティック・シェフとしてプライベートのクライエントさんや特別なイベントパーティーなどをしていきます。そして私は人々と動物家族のためにマクロビオティックのカウンセリング、お料理教室を続けていきます。そして最近ヨガの講師免許を取得したので、導引ヨガを教え始めました。もちろんバッチフラワー、霊気、アニマルコミュニケーションなどもずっと続けていきます。

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そう、全ては変わる…

宇宙の秩序。

 

また、みなさんとどこかでお会いできることを楽しみしてます。

感謝と愛をこめて…

草千 💖

 

 

 

納豆のカナッペ

酵素食品スーパーフードの納豆。

今アメリカでも一目され始めています。

この納豆の酵素が肝臓/胆嚢を癒し血行の働きを助け、胃腸の消化の働きをも助ける。

 

いつもの納豆の食べ方でなく少しお洒落なカナッペもとても美味しいですよ。

 

材料(2人分)

 

サンドライ・トマト1個

スィートバジル生葉2枚

オーガニック納豆1 オンス (できれば冷凍でない手作り納豆)

レモン汁少々

純正醤油 少々

オリーブオイル (お好みで入れる)

 

1.サンドライ・トマトをまずお水に30分から1時間浸けるて、水気をとって細かく切る。

2.スィートバジル生葉はやさしく 5mmくらいに切る。

3.1と2を入れて、納豆も入れて少しまず軽く混ぜてからレモン汁と純正醤油も入れてよく混ぜる。この時、スィートバジル生葉が破損しないようにやさしく混ぜる。

4.好みでオリーブオイルを入れる(デトックスの時期は入れない)。

5.無塩で無砂糖のオーガニック・ライスクラッカーの上に小さじ1ほど乗せて、仕上げにスプラウト(写 真は赤ラディッシュ)乗せる。

 

アメリカでは大豆は遺伝子組換え農法(GMO)が多いのでオーガニック農法でのものを必ず購入すること。また市販の納豆を使用するなら有機かオーガニックのもので出来れば冷凍していないものが酵素がしっかり生きている納豆といえますが、それより市販の納豆は発泡スチロールの容器に入って売られているのが大問題。折角有機やオーガニックの納豆なのに発泡スチロールという石油の原料に多くの添加剤で作られていて容器は食べ物をいれる安全性はありません。

 

愛を込めて

草千💖

 

生きるためのヨガ

小さい時から私は見た目は活動的で運動が得意なように振舞ってた。

でも本当は中学の後半から20代の中半までは、とても太っていて、結構怠惰な人間でもある。
1日中、テレビや映画をみてゴロゴロもできるし、自分のベッドをオフィスにしたりベッドで食事もしたりしてた時期もあった。

ただ好奇心が強いのでいろんなことを試してみたいという気持ちがいつもあって(今もある)、
ヨガは試してみたい事の中に入ってた。
1981年、まだ私が大学時代、初めてヨガをその時このサンタモニカ近辺ではひとつだけあったハリマン・ヨガスタジオでトライしてみた。

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初めてヨガをした感じたのはヨガは今まで試したいろんなスポーツとは全然違う事。ヨガをしてみて何かが私の中で変わった。体を伸ばしてストレッチしてくれるだけではなく、体と精神が軽くなったような感じがしたけど、その時はわからなかったので、何故ヨガが好きになったかハッキリしたものはなかった。
ナチュラルハイとは言いたくないのですが、ヨガの後はとにかく気持ちがフワッとして健やかな気持ちになることはわかって, ヨガを楽しんだ。

でもハリマンスタジオにはあまり長く通わなかった。
スタジオが暗いイメージ(私は午後のクラスしか行ったことがなかったので、朝のクラスは違っていたかもしれない)でカーペットの臭いと日本の線香とは違う香の臭いがきつかった事。
そして来ている人たちが自分とは全然違っていて、また先生の言っていることもあまりわからなかったので、自分には合わないと思ってしまった。

その後、ヨガをまたしてみたいという気持ちはずっと残っていて、他のヨガ・スタジオのことを調べたりした(あの頃、Goggleがあれば便利だった…笑)。
自分が住んでいる、サンタモニカ近辺には何もなくって。

1987年、新しいヨガ・スタジオ「ヨガワークス」がサンタモニカに出来たのを見つけてすぐ見に行った。
自然の明るい光と木の床のスタジオはすぐ私のお気に入りになった。
ヨガは私の肉体だけではなく精神も心もサポートしてくれ、
その頃丁度、一番初めの夫との別居生活、父の病気と死、そして犬家族のクロちゃんの天命とチャレンジが続いていたのでヨガクラスに定期的に通って癒されてた。
今、考えるとヨガをしていなかったらどうやってあの時期を乗り越えられたかわからない。
あまり深く考えないでただヨガクラスに通ってとにかくヨガの練習をすることに集中してた。

1992年になって自分の体がだるく、そして微熱が続くようになった。
大好きなヨガもあまり出来なくなって、翌年に卵巣ガンだと診断され、ショックで何も考えられなくなったあの頃。
1989年に癌で亡くなった父親と同じように自分が癌になったことを初めは恨んだり、情けなくなったり、自分を責めたりもした。どうしたらいいかまったくわからなくって、自分が癌になったことを責めるのではなく素直に病気になった自分を認めて養生をしてあげられるようになって間もなく、マクロビオティックという食養があることを知った。そしてその後は、ヨガは忘れてなかったけど、マクロビオティックを学んで自分を癒すことに専念した。

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1994年の夏、マサチューセッツ州のマクロビオティックのカンフェレンスに参加した時にマクロビオティックを学んだヨガ・インストクターのクラスがあることを知ってそのクラスに参加してみて、自分が食事だけでなくヨガを必要としていると教えられた。サンタモニカに戻って来てからまたヨガワークスに通い始め、いろんなヨガにワークショップに参加した。ヨガがまた私の生活に加わりそしてマクロビオティックと一緒に生きていくための私のツールになった。

2001年、私はマクロビオティックを始めて7年以上が過ぎて、精神的にも、肉体的にもとてもいい位置にいた。ステジオMugenというマクロビオティック料理のコミュニティースタジを設立。
そして同じ時期、 マクロビオティックのカウンセラーになる為の久司道夫先生のクラスをマサチューセッツ州のベケットにあるクシ・インスティチュートにまた行って勉強することにした 。

カウンセリングのクラスを習得した後、マサチューセッツ州からカリフォルニア州への帰り道、臨死体験をするような酷い交通事故にアリゾナの砂漠であい、愛犬3匹のうち2匹を亡くした。私は3日間昏睡状態になり、その間心臓が12分止まったと聞いた。
心臓と肺は事故の怪我で機械なしでは機能不可の状態。左側のあばら骨は全て骨折。膝と足首の骨は両足全部複雑骨折。左の足首は切断する必要があるとも言われた。
ドクターは、残念だがきっと私は2度と歩けないだろうと言った。ショックで私は何故自分が生き延びたかを恨んだ。また生きていきたいと感じるようになるにはとてつもない時間、日々、月々、年数を過ぎ越さないといけなかった。ひどい落ち込みと希望喪失から救ってくれたのはその頃、親友だったエリック(現在の夫)、一緒に生き延びた動物家族のゴールデン・レトリーバーのキンちゃんとネコのまいちゃん、友人たちと私のことを祈って下さったたくさんの方々、そして日本の家族。みなさんには感謝の気持ちでいっぱい。

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車椅子に乗っていた頃の私とキンちゃん(右)とキンちゃんの娘(ドレちゃん左とクラちゃん右)

寝たきりのおまる生活から車椅子生活をできるようになるのは時間がかかったけど、2003年に車椅子でも行けるヨガクラスを見つけた。サンタモニカにある身体障害用の車のバンで通えることも調べてわかって、またヨガを始めた。このヨガに通うことがきっかけで歩けるようになる希望がわいてきたと言っても大袈裟ではない。そして1年後の2004年、エリックとの結婚式のバージンロードを必ず歩くとゴールを立てた。今、考えるとこんなにいろいろ調べて前向きだった自分がちょっと信じられないけど、初めに書いたように私は好奇心が強い人間だということが私を救ってきてくれたのかも。2004年の6月20日の結婚式に私はゴールを達成して弟に助けられながら杖(ドレスの一部としてサテンのリボンで飾った)を使い歩いた。

ガンを治す為に始めたマクロビオティックも私がまた歩行できるようになる為に健康な身体を作ってくれ、ヨガはまた歩けるようになるための 筋肉などをつけて、骨を強くする事に役立ってくれた。スムーズに動ける助けと 足や腰の痛みを和らげ精神的にもリッラクスしてくれて、眠れるようになったことは確か。

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ナンシー先生(左)とキラ先生(右)。

長い回り道でしたが、昨年の60歳の還暦を迎えた後、ヨガ・インストラクターの資格をとるコースに参加することに決めまた。入念に1年計画作りをして自分にあったヨガ・スタジオとヨガ講師を見つける事が重要だとわかり、いろいろ調べて(今回はGoglleのお世話になりました…笑)自分の家の一番近くにあったサンタモニカ・ヨガ・スタジオが今の自分には無理なく歩くか三輪自転車で通えて、とてもいい先生もいるとわかった。 身体障害者ようの特別クラスではなく、サンタモニカ・ヨガスタジオの普通のヨガ・クラスに定期的に通うようにまず始めた。初めはヨガ・インストラクターのコースを無理なく受けて最後まで終了できるか心配でした。でもいつもの好奇心が心配する気持ちより多くてとにかくやってみる事にした。

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ヨガ講師最終テストが終わってお祝いのパーティー。

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ヨガ・インストラクター、トレーニングコースのクラスメイトと先生と。

1年間、定期的にヨガの練習に行って、ヨガ・インストラクターのコースにも出席したおかげで、あの交通事故してから一番肉体的に成長した年だった。車椅子生活をするような大怪我をした後もヨガを諦めないでヨガを続けてきて本当に良かった!ヨガが毎日の私の励みになって、ヨガは私にとって生きるためのものだとわかった時の喜び。生きるためのヨガをこれからも続けていきたい。

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ジェイミー先生(左)とナンシー先生(右)

無事ヨガ・インストラクターの資格コースを習得してテストにも合格して、この9月1日(木)からコミュニティー・クラスを教えます。時間は午後12時15分〜1時15分。次のクラスは9月22日(木)時間は午後12時15分〜1時15分。その後は10月2日(日)時間は午後2時半から3時45分。場所は全てサンタモニカヨガスタジオで教えます。料金はスタジオにスペース使用料として一人$5。住所は1640 Ocean Park Blvd. Santa Monica 90405 電話310-396-4040

ぜひ、みなさんに来ていただきたいです。

愛を込めて

草千💖