愛する犬娘ルミへの賛辞

大好きな犬娘のルミちゃん(ルミネール・オロ・スズキ)は、2025年5月18日午前9時45分に虹の橋を渡るために天命。

ゴールデンレトリバーで15歳半。
本当に長生きしてくれました。
お疲れ様でした、ルミちゃん!

ミラクルガールで産まれてきた、とっても元気なルミちゃんは、人生を精一杯生き、私たちにたくさんの愛と勇気を教えてくれた。

以前もルミちゃんのことをブログに2回書きました。彼女に捧げました。

ゴールデンレトリバー: ルミちゃんの輪廻転生

ミラクル・奇跡

 

ルミちゃんは昨年12月6日午後3時9分に心臓発作を起こした。

3時間くらい普通に呼吸が出来なかったのでその間、もうお別れかとヒヤヒヤだった。でも、何とかきちんと呼吸ができるようになって、翌日から食事もできるようになった。
ルミちゃんの生きようとする力はすごい。
でも、ただその後、大好きだったお散歩には行けなくなってしまったルミちゃん。
文句も言わないで、出来ることに幸せを感じて生きてた。


クルスマスの日にビーチに連れて行ってあげたら、ゆっくり砂浜を歩いてとっても嬉しそうだった。

 

 

ルミちゃんは今年1月19日に15歳の誕生日を迎え、ルミちゃんが大好きでいつも可愛がってくれていた隣人の友達の家を訪れ、エリックが作ったブルーベリーパンケーキをバースデーケーキとして食べてとっても嬉しそうだった。今回は以前より長く生きられたことを実感してたルミちゃん。

 

その後、2月23日頃に肺の問題が発生。それからは本当に毎日をゆっくり過ごし、ほとんどの時間をマナカニ(ルミの娘ハッピーが亡くなった後に来た1歳の女の子)と一緒に過ごし、よく食べてよく寝てた。

 

ルミちゃんはきっちり屋さんだったので、毎朝の日課をやりたがり、寝返りが自分で出来ないと吠えて私たちに知らせて、反対側を向いたり、起き上がって外に出て自分でトイレに行ったりしていました。

 

その後、温かいビワの葉を浸したお湯で身体中マッサージして、手作り重曹入り海塩歯磨き粉をで歯茎と歯磨き。

それから、ハーブとホメオパシーの薬、そしてルミちゃんの好きな蓮のクリームを使ったレメディティー、手作りの朝食(『Healthy Happy Pooch』のレシピから)。関節炎で腫れていた前肘には、豆腐とビワの葉で手作りした湿布を貼ってあげてました。

 

 

 

朝の日課が終わると、ルミちゃんは家の裏のデッキが日陰なので行きたがった。一段段があて通気性の良い涼しい屋外ベッドが大好きだった。そこで空や木々、リス、フクロネズミ、鳥たちの動きを眺めたり居眠りをした。あらゆる匂いや音が聞こえたから、時折ルミちゃんはエキサイトしてる声も出した。ルミちゃんは自分で寝返りしたりして自分の体制を調整してた。彼女は最後まで勇敢な自立心があった子だった。

 

 アメリカに移住してから、18匹の動物家族(犬13匹と猫5匹)を虹の橋に送てあげたので(それと日本にいた頃は犬をもう3匹)、悲しみは楽になる?
ノー!

その悲しみはまるで海の波のように、時にはとても穏やかな波ですが、時には泳げないほど激しく、溺れてしまいそうなほどの大波になってやって来る。
波の圧力に押し流され、水面に浮かび上がることができない。息ができないような気持ち。目の前が真っ暗。

 

5月18日午前9時、私が刺し子のワークショップを教えるために家を出た後、ルミは息を引き取りました。

ワークショップが始まる約5分前、エリックから電話があり、ルミちゃんが逝ったと伝えられた。

私が家を出てから、ルミちゃんを抱いて、隣に横たわっていたんだよエリックは言いました。彼はルミちゃんの心臓の下に手を当てていたので、ルミちゃんの鼓動を感じ羅れていたけど、ある瞬間、ルミちゃんの鼓動が止まったように感じ、ルミちゃんの顔をじっと見つめていると言って、彼が泣いているのがわかった。
「ルミは大きく息を二度して、僕の腕の中で安らかにいっちゃったんだよ。」

この時がいつか来るとは知っていたけど、立っていられない程の悲しみでどうしたらいいか分からなくなった。どこかに隠れたくなって、お手洗いにまず行って気持ちを落ち着けて、なんとかワークショップを教え終えたけど、あんまりその後の事を何も覚えていない。

 

家を出る前にルミちゃんには、もし私がいない間にルミちゃんが逝かなくちゃいけないなら私を待つ必要はないよって話していた。それはルミちゃんは私が一緒にいる間は逝けないような気がしてたから。ルミちゃんがいなくなってしまうのは寂しいけど、たくさんの時間をルミちゃんと一緒に過ごしたから、彼女の思い出とルミちゃんの家族と一緒に生きていける。ルミちゃんのように精一杯生きていかないと。

 

ブログ 「ゴールデンレトリバー: ルミちゃんの輪廻転生」に書いたように、

ルミちゃんは私の生きているこの今世紀の間に4回も私のもとに戻ってきてくれた。

前回の3回は全て若い時(4ヶ月、1歳、4歳)に交通事故で亡くなったので、今回戻ってきた時は、ルミちゃんは必ず本充実した長い犬生を送りたいと願ってた。
なので私は、ルミちゃんが健康で長寿できる犬生を生きられるように、お手伝いすると誓いました。
そして、ルミちゃんは今回、長生きして願いを全うしました!

 

 

ルミちゃんは奇跡の女の子犬で、人生を精一杯生きてくれました。ありのままの自分でいること、たくさんの愛情を注いでくれること、気楽に過ごすこと、そして毎日を素晴らしいものにする方法を教えてくれました。

彼女はサンタモニカの我が家で、私の最初の介助犬キンちゃんの娘だったオロちゃんの末っ子犬として生まれました。あの瞬間は今でも昨日のことのように覚えています。

 

ルミちゃんは生まれたとき呼吸をしていなかった。母親犬のオロちゃんは彼女を舐め続けました。そして私が口から呼吸してCPRもしてルミちゃんは初めて呼吸をしました。
ルミちゃんは奇跡の女の子犬​​。
ルミちゃんは強い意志の持ち主で、小柄な体格にもかかわらず、大人になった時の体重はわずか15kgしかありませんでした(平均ゴールデンレトリバーの体重は最低27kg~30kg)。

 

ルミちゃんを、兄弟のブブと母親のオロと一緒に、マクロビオティックなヴィーガンフード(ヘルシーハッピーポーチ)で育ちました。そして、ルミの娘のハッピーが仲間入りしました。
ルミちゃんは食いしん坊で、私があげるものは何でも食べました。
ルミのお気に入りは生のブロッコリー(特に茎を薄く切ってあげると
クランチーで美味しかったようです)、カリフラワー、そしてカリカリのおやつとしてニンジン。また、茹でたインゲン豆、小豆、テンペ、カボチャ、サツマイモ、ピザクラストも大好きだったな〜。
うちはたくさん犬がいるのでいつも2つのチームに分けてみんなと散歩。ルミちゃんは最初のチームに連れて行ってあげないと、吠えて泣き続きてました。
まうからです。そうルミちゃんはエキサイトし子だったんです。一旦散歩に出かけると、満足して裏庭のデッキの上でリッラクス。
ルミちゃんは娘のハッピーにとって最高のお母さんでお兄ちゃんのブブ君にとっても良い妹だった。

 

 

前生まれてきた時は「ドレ」という名前っだったルミちゃん。その頃もは元々エリックの犬娘だったにもかかわらず、ルミちゃんはいつも私のそばにいてくれたので、私も彼女のそばにいてあげました。
私たちは自転車に乗ったり、ハイキング、水泳、スタンドアップパドルボード(SUP)など、色々なことをしたのを思い出せる。


             

特にルミちゃんが年をとって、関節炎で歩くのが難しくなってからは、私はできる限り彼女と一緒にいてあげました。家の中では、私がどこへ行くにもついてきて、例えば、リビングルームから仕事机のある部屋へ移動すると、彼女は起き上がって私のところに来ました。起き上がれない時は、声をだして助けを求めました。起き上がるのを助けてあげると、私のいる部屋までゆっくりと自分で歩いてきました。そして、大きないびきをかきながら眠ってました。
今、これを書いている今も、仕事机の横に彼女がいるように見えて、声も聞こえます。

ああ、ルミちゃん…抱っこしてあげたい。

                                                                                         

彼女が亡くなった後、クライアントの一人が入院していたため、一週間ずっと仕事をしてた。それと2つ刺し子のワークショップも予定されたので、ルミちゃんの死を悼む時間はすぐ取れなかった。
その間、胸が張り裂けるような思いが続いてた。
何も感じられず、やる気が出なかった。
ルミの死を否定したかったし、ルミがまだ私のそばにいると感じたかったのかも。

 

ルミちゃんを偲んで何かをするのは避けたかった。でも長い年月、ルミちゃんと一緒に生きていたからそれは無理な事だった。

ジャーナルを辛い時に感情を解放するために書いてる。
でも、今回2週間ルミちゃんのことを書くことができなかった。その間「刺し子を教える喜び」をブログを書いて投稿。これはルミちゃんのことを考えないようにするための手段だった。

何かお腹に詰まっているような感じ。それを体から追い出そうと深呼吸を何度もしても何かが引っかかっているような感じがしてそれは出てこない。
ため息、ため息、そしてまた、ため息…

 

朝、起きて1日を始める時が一番虚しい。
毎朝、ルミちゃんにマッサージをし、ビワ湿布をし、レメディドリンクを用意し、歯磨きをし、毛をブッラシング、手作りの食事(ヘルシーハッピープーチの本からのレシピ)とレメディをあげてた。

今、目が覚めると、まるで目的を見失ったような寂しさ。

生きがいを感じない!

 

ルミが亡くなって10日が経ち、ようやく数日休みが取れて、だんだんと落ち込んでいった。

その朝、目が覚めるとルミちゃんの声が聞こえた。
何もできずに時間が過ぎていった。
初めて丸一日を自分の時間で過ごせた日。
ルミちゃんに触れて、むしょうに会いたくなった。
ただ何かを見つめていたけれど、何も見てない状態。

ふと目を下に向けてみると、ルミちゃんが一年中、昼間寝転んでいた床を見ていた。

ルミちゃんはベッドを4つも持っていた。
ルミちゃんがいなくなってから、誰もそのベッドを使いたがらない。

ルミと毎日ほとんどの時間をそのベッドで過ごしていたマカニも、使わないでとても悲しんでいる。

マカニ以外の他の犬猫家族もみんな、ルミちゃんがいなくなって悲しんでいるのが、わかる。
ルミちゃんは家族のリーダーで、みんな彼女を尊敬してたから。

ルミちゃんの犬生の最後の数日間、みんなは彼女にスペースを上げて、
あまり近くに来ないで、静かにしてた。

私はこの人生でたくさんの犬猫の家族に恵まれ、とても幸運だと思う。
ルミちゃんが逝ってから今、うちには動物家族の犬4匹と猫2匹がいる。

まだ他の動物の家族が側にいるから、悲しみは和らぐのでしょうか?
悲しみが深くないとかはよく分かりませんが、残された動物家族は確かに私を支えてくれてます。

私が泣くと、みんなが私のところにひとりづつにやって来て、頬をなめてくれたり、ハグしてくれたり、悲しい声を出して一緒に泣いてくれる子もいます。
なのでこの子たちのお陰で落ち込んでもなんとかまた、悲しみに穴から這い上がってこれるのかも。

一つ確かなのは、それぞれの動物家族が、私の心のそれぞれ違う部分に触れ、私をより良い人間にしてくれてること。

動物家族は私にとって、本当に大切な存在。
この子達がいなかったら、どうやってこんなに平穏で幸せな人生を送ることができたのか、想像もつかない。

悲しみをテーマにした内容は、以前にも何度かブログで書きました。

下記はその中の2つ。

悼しむ

愛犬ハッピーの旅立ち後の悲しみを癒すセルフケア 

 

今回は3つ以上のレベル段階分けした内容を書いてみました。
1。チャレンジ

ー この段階では、喪失という現実と、悲しみ、怒り、混乱、さらには罪悪感といった、そこから生じる困難な感情に立ち向かう、”チャレンジ”。
ー 喪失とその影響を受け入れようとする中で、感情的かつ精神的な葛藤に直面する時期。
ー 悲しみは自然な反応であり、悲しんだり、怒ったり、混乱したり、無感覚になったりするのは当然のことなので、自分の感情を抑圧しない。

自分の気持ちを抑圧しているわけではないし、悲しみを経験するのは初めてじゃないけど、どう感じたらいいのか分からないと言うか、分かりたくないと言うのが本音かな。
まるでいろんな形の雲が私に近づいてくるように、その雲を見て私が感じるものがいつも変化していく。この雲が雨雲になって土砂降りの雨に濡れたくないと言う気持ちが出たら、この場から逃げ出したい気持ちもあれば、その雨に濡れて走ったり、ただ歩いたり、ただ立っていたり。気持ちはその瞬間、瞬間に変わるのをそのまま見れるようになってあげたい。

ー 必要な時には泣く:泣くことは感情を解放する健康的な方法です。
私は悲しい気持ちを涙で解き放つために、悲しい映画を観る必要がある時もあります。

癒やしには時間がかかり、良い日も悪い日もあるから、自分には優しくそして辛抱強く接することが必要。

辛抱強く、忍耐強く生きていくことが私の人生の鍵だと信じてる。でも、私の感情は浮き沈みが激しく、いつ悲しんでいるのかさえ分からないこともある。
まるで海の波のように、無限に変化していく。

2。変化:
ー 悲しみは、人生をどのように経験し、世界をどのように捉え、他者とどのように関わるかに大きな変化をもたらす。この変化は、かつての人生がもはや同じようには存在しなくなるため、混乱や孤立感を感じることがある。

誰もが人生で悲しみを経験し、自己愛を持って再び幸せを感じるために前進することを学ぶ必要がある。

ー セルフケア
自分の感情をケアすることが私にとって一番難しいと思う。

ー 身体の健康に気を配る:運動をし、健康的な食事をし、十分な睡眠をとる。
悲しいときはこれは難しいんだけど、セルフケアを実践するようにベストを尽くしています。朝起きたら、歯磨きの後にボディスクラブをし、朝食に味噌汁を食べ、できるだけ睡眠をとるかお昼寝をする。
ー ルーティンを確立する:起床、就寝、食事のスケジュールを規則正しく保つようにする。
規則正しくスケジュールを持って生活する事は残された他の動物たちにとっても必要。

ー アルコールやその他の不健康な習慣を控える:これらは悲しみを悪化させる可能性があります。
私の場合は、アルコールは40年以上飲んでいにので、食べ過ぎや食欲がなくなって全然食べない事に注意する必要がある。それと、泣きすぎた時は水分を補給。

ー 好きな事を見つける:趣味、社交イベント、その他喜びを感じられる活動に参加しましょう。
私は気功のクラスとか行けなかったけど、刺し子と手縫いが家でひとりでもできて良かったなと思う。今は初めての手縫いドレスを製作中。

3。つながり:
この段階では、他者との関係を維持し、構築することの重要性が強調されます。愛する人とつながり、サポートを求め、亡くなった人との共通の思い出を思い出すことが促されます。

ー 信頼できる友人や家族に話す:気持ちを分かち合うことで、慰めや支えが得られる。
ルミが亡くなった日、私はビーチに行った時に友人に電話をかけた。一人しか電話には出てくれなかったけど、ひとりでも話せて良かった。

ー グリーフサポートグループ人たちと繋がりましょう:同じような体験をした人たちの話を聞いたり、自分の事を話したりしてコミュニティ意識を高める。

今回は参加しませんでしたが、ペットのグリーフサポートグループのミーティングに参加したことがあって、助けられました。ペットを愛する人のための、優れたオンラインのグリーフサポートグループがあります。

ー 専門家の助けを借りる:対処に苦労している場合は、セラピストやカウンセラーがアドバイスを受ける。

私も近いうちにセラピストに自分の気持ちを話す準備ができてきています。

それと、
ー 亡くなった人や動物の家族を思い出す:幸せな思い出に思いを馳せ、共有していた絆を認める。

私は起床後、ろうそくに火を灯し、お香を焚き、水を交換し、祭壇に新しい食べ物を供えます(花も必要に応じて交換します)。写真をまとめ始めている。

ー 自分を許す:すべてをできなかったからといって、自分を責めないでください。

ルミちゃんには心の中では最善を尽くしたと信じているので、自分を責める気持ちは殆どありません。

ー 自分の悲しみを他人と比べない:誰もがそれぞれの方法で、異なる方法で悲しむのです。

私の場合は、最初は一人になって自分の本当の気持ちに向き合う必要がありますが、外出して人と交流する必要がある人もいます。エリックのように海に行ってサーフィンして自分を癒す人もいます。

ー 自分の考えや気持ちを書き留めてみる。これは感情を整理するのに役立ちます。

今こうして書いているように、書くことはいつも私にとって助けになっている。

ー 活動的でいる:毎日何か屋外で何かをするようにし、できる限り歩きましょう。

私は毎朝犬と散歩に行きます。週末は海や湖に行って命の洗濯。

ー 医師の診察を受ける:悲しみはストレスになることがあるからです。そのため、必要なら医師に自分の状況を必ず伝えてる。

悲しみが免疫力を低下させるという経験が私にはあります。1993年に癌になった時は父が亡くなり、最初の夫と離婚した後のこと。その時は、自分が悲しんでいることさえ気づいていませんでした。2017年に2度目の癌になった時、愛犬クラが亡くなり、その後エリックと私はレストランを失いました。これもまた大きな悲しみでしたが、前向きに、引きずられないように努めていました。あまり自分の悲しみを受け止めてあげられていなかったのが現実。

今回ルミちゃんを亡くして私はまだ1の段階にあり、2に入っていますが、このブログを書いているうちに3に触れられるようにるなってきてるのを感じてきた。


以前、他の動物家族が亡くなった際に、仏教の法要の伝統について簡単に書いたので、
今回は、少し詳しく書いて最後にします。


私は熱心な仏教徒ではなく、日本の家族もそうではありませんでした。そのため、私は自宅で動物の家族のために、自分なりの法要を行っていて、伝統的な法要とは異なる場合があることをご了承ください。以下は、私が動物の家族のためにアレンジした、人間の法要についての情報です。
この後の仏教の法要についてはまだ英語だけで日本語の翻訳はできていないので、
また時間を見つけて書いていきますね。
なので、また読みに来て下さい。
宜しくお願いします。

 

First, what is the purpose of the Buddhist memorial services?

In Japan, when I was a child, I remember being scolded and told that if I lied, “King Enma will pull out your tongue and send you to hell”?

In Buddhism, when a person dies, they say goodbye to this world and travel to a place called “Chuin.”

 

Chuin is a world where trials are held to determine the destiny of the deceased in the afterlife. This journey lasts 49 days and is known as the “Journey to the Underworld.” Every seven days, the deceased is judged by the kings of the underworld dynasty for the crimes they committed in life.

 

On the day of the trial in the interment period, people close to the deceased gather in this world to hold a memorial service. They pray to the Buddha, creating a bond that enables the deceased to reach paradise safely and find happiness. The first day of this process is the “first seventh- day”(初七日-Shonanoka) memorial service.

 

The first 7th day is the start of the journey to the underworld. The journey to the forty-ninth day

 

The first seventh-day memorial service is customarily held on the seventh day, starting from the day of the deceased’s death. After that, seven memorial services are held until the forty-ninth day (the seventh 7th day), which are called Chuin Kuyo or Otaiya/Otan-ya.

 

I usually light a candle and burn incense, accompanied by the sound of an iron (Japanese Buddhist bell). Also, offering water, food that he or she liked in life, and flowers.

The first 7th day (Shonano-ka 初七日)

 

On the first seventh day (Shonanoko-7th day), the deceased walks up a very steep mountain. It is said that they progress by eating incense during this time, so incense is burned in this world for this reason. At the end of the journey is the first judge, King Hata Hiro.

In this world, we pray to Acala, who has a fearsome face and warns us against the worldly desires of humans for good judgment.

 

We went to the beach to pray and told Lumi how much we thank her for her life here with us.

The second 7th day (Futannoka 14th days)

 

As soon as they cross the mountain, they come to the Sanzu River, where those whose crimes are light cross on a bridge, while others must cross in shallow water or through muddy water, depending on the severity of their crime. The fare to cross is six-mon yen (about 200~300 yen now), so they place a six-mon money coin in their coffin.

 

Once they have crossed the river, they are judged by Hatsue-no-O to see if they have committed any acts of murder, but in this world, they seek salvation from Shaka Nyorai, who will grant the prayers of anyone.

 

I know my animal family is all able to cross over the rainbow bridge without problems.

 

The third 7th day (Minanoka 21st day)

 

The third trial is when the Song Emperor uses a cat and a snake to punish those guilty of infidelity. The Buddha to whom people in this world pray is Manjusri Bodhisattva.

 

Manjusri Bodhisattva, known as the proverb “three heads together make Manjusri’s wisdom,” grants the wisdom to go to the Pure Land.

 

The fourth 7th day (Yonnanoka 28th day)

 

Next, you will meet the Gokan-o. Here, there is a scale that weighs the amount of bad words and actions that the deceased committed during their lifetime, and the deceased is placed on it.

 

Samantabhadra Bodhisattva, riding on a white elephant, is full of mercy and will lead you to the world of enlightenment with his many merits.

 

The fifth 7 days (Itsunanoka 35 days)

On this day, the famous King Enma awaits. He uses a mirror made of crystal to reflect the evil deeds of the deceased and has a demon pull out the tongues of anyone who lies.

 

King Enma then decides where the deceased will be reborn. In this life, we pray to Jizo Bodhisattva, but the Jizo that is closest to us is a Buddha who saves us from the suffering of hell.

 

The sixth 7 days (Munanoka 42 days)

 

In the 6th trial, the judgment is made by the King of Transformation based on the reports of King Gokan, who used the scales, and King Enma, who used the mirror. The conditions and place for rebirth are also decided in detail.

 

Maitreya Bodhisattva is said to be the successor of Shakyamuni. It is the Buddha who will save us in the distant future. He teaches us how to help others attain enlightenment, not just ourselves.

 

 

The seventh 7 days (Shichinanoka 49th day)

 

This day, which is the 49th day after the death, is an important day for memorial services.

 

It is the day when King Taishan hands down the final decision based on the results of the trials so far. Depending on that decision, the deceased leaves the intermediate world and sets off to be reborn in one of the following realms: the realm of heaven, the realm of humans, the realm of Ashura, the realm of animals, the realm of hungry ghosts, or the realm of hell. In this life, prayers are offered to Medicine Buddha for the best decision to be made.

 

What is a 49th-day memorial service?

 

In Buddhism, the 49th-day memorial service is a significant ceremony to pray for the deceased’s soul to attain enlightenment peacefully. In Buddhism, the 49 days after a person’s death are called “Chuin” or “Shichishichinichi,” and memorial services are held at turning points every 7 days during this period. Starting from the 7th day, followed by the 27th and 37th days, the “49th-day memorial service” is held on the 49th day, which is the seventh 7 days, and prayers are offered for the soul to be led to the Pure Land.

 

49th-day memorial service for animal companions

 

Increasingly, families in Japan are holding 49th-day memorial services for their animal companions, following the tradition of funeral rites for humans. For owners who feel that their beloved dog is like a member of the family, carefully sending off the soul of the animal companion is an essential step in processing their grief.

49th-day memorial services are gaining attention as a ceremony that allows owners to express their feelings of “thank you” to their pets and their desire to see them off until the very end.

 

Kula, who was Lumi’s antie, used to go to our restaurant Seed Kitchen, so I offered a 49th-day memorial service for Kula and invited many friends.

I post about it on my blog.

 

Spend time mourning with family and friends.

 

It is also essential to hold the 49th-day memorial service with family and close friends. By sharing time together centered around your deceased animal family, such as talking about memories while looking at photos and videos of your beloved dog and playing your favorite music, you can heal your grief. Rather than carrying it alone, mourning together will ease the burden on your heart and give you the strength to look forward.

 

ルミちゃんの旅立ちについては、今のところ数人の友人にしか話していません。

テキストメッセージはコミュニケーション手段としてあまり得意ではないので、電話で連絡しました。
連絡した時、ほとんどの人は忙しそうで、それも仕方ないし、何人かの友人と話しましたが、ルミちゃんが亡くなったという知らせを伝える勇気がなかった。

まだ自分の気持ちを伝えるには適切な時じゃなかったかも。

体があまりにも縛られているように感じたので、指圧マッサージを受けました。本当に助かりました。

ルミちゃんの犬家族とビーチに行ったことも、彼らの悲しみを和らげるのに役立ちました。

ルミちゃんを偲んで、ガーデニングをして、植物やハーブを植えました。

 

これを書くのに2週間以上かかったけど、いつものようにこうして文章を書いて感情を整理し、ブログを投稿するのは、とても癒やしにつながってきている。
でも、このブログに載せるためにルミちゃんの写真を見るのは、どれも良い思い出ばかりなのに、本当に辛かった。
ルミちゃんがここにいてくれたらどんなに良いか。

もう一度、ルミちゃんの笑顔を見て、そのお顔を触ってあげたい。

ルミちゃんはチェリーが大好きなので、チェリーの季節が来ると一緒に食べた。
エリックにチェリーパンケーキを作ってもらいました。

ルミちゃんの人生をスマイルでいつかお祝いしたい。できれば四十九日にか100日に。

「ルミちゃん、あなたは本当に素晴らしい子。精一杯頑張って、精一杯生きたね!」

「ルミちゃんは本当に誇りだよ!」

「心からありがとう、ルミちゃん!!」

Love,

Sanae❤️

P.S. このブログを書いた後、ルミの遺灰が家に帰ってきました。
ルミちゃんのフワフワの毛、ひげ、鼻と足跡プリント、そして歯も受け取りました。遺灰のお陰か気持ちはだいぶ落ち着きましたが、同時にもっと深い悲しみを感じ、大声で泣いた。
泣き終わった後、ルミがこれまで以上に私のそばにいることを実感した。そしたらルミちゃんが「ママ、私のためにいっぱいしてくれて、ありがとう!」「大好きだよ!これかも何があっても、ずっとずっとママと一緒にいるよ!」って言ってくれました。(涙。。。)

ゴールデンレトリバー: ルミちゃんの輪廻転生

うちの犬娘ルミちゃんが先週13歳の誕生日を迎えた。
ゴールデンレトリバーの寿命は10〜12歳らしい。
彼女が一生懸命生きているのを毎日見ている私は彼女に感謝と愛を込めて、ブログを書く事にした。

ルミちゃんの誕生日は2010年1月19日。
生まれ変わって生きていく輪廻転生を信じない人もいるかもしれないが、ルミちゃんは過去55年間に3回、生まれ変わって来て現在4回目の犬生を生きてる。

ルミちゃんは前世が短命だったので、彼女が顕在化して人生を全うするのを私は手伝うことを約束したのは彼女が生まれた時。

アニマルコミュニケーションを勉強して、動物の生まれ変わり・輪廻転生について学んだ。それから動物の家族を (年齢、病気、事故のいずれかの理由で) 失った時にまた会えるかもと、かすかでも感じられるようになり悲しみの気持ちからが和らいだ。
動物家族が亡くなった後、彼らとコミュニケーションして、また会うのを待ち遠しくなった。と言っても全ての動物がちゃんとコミュニケーションできるというわけではないので私たち人間がお勉強して努力して動物家族の声を聞いてあげられるように知る必要がある事にも気がついた。

私は初めアニマルコミュニケーションを理解する自信がなかったので、ルミちゃんが一番最初にロロとして初め生まれ変わっていることに気づかなかった時期(2000年)もあった。でも2001年に私が瀕死の自動車事故を起こしたときにロロが死んでしまって、そして2年後にドレが私のところにルミちゃんとして生まれてきた時、私はすぐにそれがロロであるってわかった。ルミちゃんは生まれた時に明確にコミュニケーションを私に送った犬なのだ。

好奇心旺盛なドレはみんな(ドレのママーキンちゃん、妹のクラちゃんとオロちゃん)がカメラを見ているのに全然違うところを見ている(笑)

ドレは好奇心旺盛な犬で、彼女の願いは母親になりたいだった。それで彼女はノース フォークの隣人の男犬(黒のラブラドールレトリバー)の子犬を私たちが知らないうちに妊娠。子犬が生まれた時の彼女の喜び方は誰が見てもわかるくらいだった。

ドレと息子のコナ(サービスドッグになった子犬)

ドレの子犬の 1 匹(コナ君)を介助犬財団に寄付し、介助犬の訓練を修了し、16歳の身体障害者のパトリック君を生涯助け私たちの尊敬する犬になった。
ドレは大好きな子犬(チビグム)と幸せに生きてたのですが、チビグムが生後5ヶ月の時になぜか毒殺されてしまう事故が起こった。
ドレもチビグムの嘔吐物を舐めて死にそうになったりした
とても衝撃的で悲しい出来事で、こうして書いていて思い出すだけで涙がポロリなので今回はその事は書きません。
ドレは一命を救われたのですが、チビグムの死を受け入れられなかった悲しみに沈んで、いつもチビグム探してた。

ドレはチビグムを探すため、お庭の秘密の場所から脱出をし始めた。
彼女はいつも家に帰ってきましたが、私たちは心配で庭を隅々まで調べて、何回も彼女の秘密の脱出場所を見つけようとしたのに見つからなかった。
ある日、ドレはまたチビグムを探しに脱出した日、ピックアップトラックの運転手が路地でドレをひき逃げしたと、近所の人が見て私に電話してくれて慌てて行ったら、ドレは私を待ってた。私がドレに触ったら手と足を伸ばして光の中に行こうとして、「ごめんね、ママ、トラックがぶつかってくるとは知らなかったんだよ。また戻ってきたいよ!」って言った。私は「わかってるよ、大好きだよ。いつでも戻って来ていいよ。ママはいつもここにいうるからね!」と伝えてドレは逝った。

ある日、ロロとドレが車の事故で亡くなった事実を考えていたら、中学生の頃に少しの間一緒にいた愛犬のオリバーの事を思い出した。母はオリバーがお家の玄関から飛び出して表の道で車にひかれて死んでしまったと学校から帰ってきた私に言った。
この悲しいニュースを聞いてショックを受けた私はこの悲しみのトラウマを心の奥深くに閉じ込めていた事に気がついた。ドレが亡くなり、ロロの死がオリバーの死と繋がっているかもと、私は勇気を持ってオリバーと話すことにしたところ、
うわー、信じられない。
オリバーはロロでロロはドレだった。そして全員車の事故で死亡。

ドレは犬家族と私とまた一緒に暮らしたいと言っていたので、私は彼女の旅をサポートすることに決め、彼女と話をする事でいつ戻ってくるかわかるようにした。

ドレが亡くなって2年後、彼女はルミとして戻ってきた。
ルミは他のどの子犬よりもとっても小さくって、生まれたときは呼吸をしていなかった。母親のオロは必死で舐め続けました。彼女は子犬を救う使命を帯びているように舐め続けた。
私はこの小さな子犬に話しかけました。
オロが舐めるのをやめたとき、私が心肺蘇生法を手伝ったところ、ルミちゃんは呼吸を始めました。
奇跡!

奇跡のルミちゃん誕生1日目

その瞬間このパピーはドレだと分かった。
彼女が戻ってくるまでの道のりは簡単ではなかったのかも、でもオロは姉のドレが戻ってきたいと思っていることを知っていてこのパピーがドレだと知っていたようで、舐めるのを続けていたんだなとわかった。

子犬の名前は”ルミ”ちゃんにしたのはインスピレーション(霊感・神感)/光という意味。

一番小さい真ん中がルミちゃん

ルミちゃんはお母さんのオロちゃんに寄り添ってる

ルミちゃん(左)とお兄ちゃんのブブちゃん

ルミちゃんはとっても勇敢で元気。自分を表現することを恐れない子犬だった。
犬たちのご飯を用意している時に、誰かが電話したり来たりして中断すると、彼女は足でそわそわタップダンスをしているように、「ママ、私たちのご飯作りに集中して。お腹がすいたよ!」と言い諦めない。
今でも、外に出たくなると足ステップをしてそれでも気がつかないと声を大きく出して主張。

ルミちゃんはドレと同じように好奇心旺盛ですが、今回の彼女の視界はドレの時よりも明晰。彼女はより注意深く、また子犬を産んで、残りの人生を子犬と一緒に暮らし、人生を全うしたいと私にハッキリ伝えきった。
それぞれの犬が転生して同じ精霊犬に戻ったとしても、見た目や考え方は違う時もあってわかりにくい時もあるけどその犬の生きる目的は同じ。

私はルミちゃんがこの犬生を生きぬき、今世は車にひかれないように助けると約束し!
ルミちゃんに、交通事故なく健康で長生きできるように努力してくれるよう約束するように頼んだ。ルミちゃんの返事は「きっと、そうするよ!」

ルミが子犬を産んだ後

ルミちゃんは私たち(娘、義理の妹、姪、甥、夫のエリック、そして私)と大声でコミュニケーションをいつもとってる。時々怒っているように聞こえることもあるんだけど、ルミちゃんはこうして3回も戻って来て自分の犬生目的である犬家族と私たち人間家族と一緒に自分の本当の寿命を生きている喜びでエキサイト・興奮してるんだよと言ってる、可愛い子なんだ。

ルミちゃん(左)犬家族と私とハイキング

ルミちゃんはゴールデン・リトルリバーにしてはかなり小さかったので成長しても約30~35ポンド(13〜15kg、平均多重メスの場合25〜29kg)、10歳を過ぎてからも、いろんな人がよく「可愛い子犬ね!」彼女を称賛すると、ルミちゃんは自分が特別なんだと鼻を高くしてる。
ルミちゃんは娘のハッピーちゃんにはとても辛抱強く素晴らしく良い母親で常にどんな事があってもハッピーちゃんには何も言ったりした事がない。

今でもふたりで一緒に寝ている事が多い仲良し。

ルミとハッピー一緒に寝てる

ルミ(左)とハッピー散歩の途中

ルミちゃんは1年くらい前から右膝が関節炎になったので少しビッコをひいて歩いてる。

対処にホメオパシー薬とバッチフラワーレメディを服用して今でも彼女は、2 か月に 1 回はハイキングに行ったり、毎日自分のペースで近所を私と一緒に散歩してる。

ルミ下り坂ハイキング

びっこ足でも安定したペースで歩いているルミちゃんを見かける人は彼女に頑張ってと敬意を表する褒め言葉をかけてくれる。ルミちゃんはそれがとても好きらしく必ずその人たちのところに立ち止まりスマイル☺️。

今は大きなイビキもかいてよく寝てる。ヘルシー ハッピー プーチの手作りドッグフードとおやつを食べるのが大好き。ルミちゃんは動物霊気、マッサージ、温灸、ブラッシング、お腹のマッサージをしてもらえる事が喜びだよって言ってる!

ルミとお姉ちゃんのポーシャは、13歳の誕生日を祝うために一緒にバースデー散歩を公園までして記念写真!

ポーシャ、ハッピーとルミ(左から)ポーシャの人間ママと私

Enjoy life with dogs!

Love, Sanae ❤️

世界一幸せなパピー:パート2

ナルちゃん(母親)とカイちゃん(父親)のパピーたちは順調に育ってきて私の生活の中心。

初めの週はただ眠っていてお乳を飲んでおしっことウンチをしてまた眠るという毎日。
90%は毎日眠っていたかな、だから時間的に言えば22時間は眠っていたと思う。
パピーライフはとってもシンプル、でもいつも見ていても飽きない。
眠っている時の息音、ミルクを飲む音、どれも生きているんだと感じさせてくれる癒し音。
パピーたちは何が生きていく上で大切なものかを教えてくれている。

Puppies sleeping

2週間するとみんな動きが活発になってきて自分で立とうとしたりし始めた。
それと目が開き始めたと言っても眠そうな目といった方がいいかもしれない。
片目だけ開いているパピーもいたし目の色がぼやけていた。
2〜3日したら目がしっかり開き始めて毎日可愛さがましてきた。
Puupies sleeping
 3週間過ぎて、歯が生えてきたパピーもいたが全然歯が生えてくる気配がないパピーもいた。もう成長の速さや性格の違いが違うのを表してきていた。
まだ、まだよく眠っていてナルちゃんが全部面倒を見ていたので私はパピーの後片付けなどをあまりしないで良かったけど、ナルちゃんが出産後、出血が止まってたくさんパピーようにお乳が出て健康状態を継続できるように気をつけてあげます。
ナルちゃんは背が高くスラリとしていてとっても活動的な犬なので妊娠した時の体重は増え過ぎませんでした。出産後体重が落ちたのでちゃんと体重が戻るように食べ物に気を使ってあげてます。
タンパク質が必要なので豆、豆腐、納豆などを食べてます。
それと餅米はお乳がたくさん出るとマクロビオティックで習ったので餅米も炊いてあげてます。それからおやつに毎日お餅を焼いて海苔を巻いてあげてます。

毎日、3回の食事に午前中と午後と夕食後におやつ。

ナルちゃんはお腹が空くと鼻の上にしわを寄せて面白い顔をして「もっと食べないと6匹のパピーたちのミルクが出ないよ。」と言います。直感力のある良いお母さんのナルちゃんを尊敬。

Nalu with Lani
Nalu and Green
3週間過ぎる頃、パピーたちは目もよく見えるようになってミルクを飲んだ後、ナルちゃんの顔の辺に来て寛ぐようになった。ナルちゃんはパピーがしたいようにさせていたのでこの無条件の完全な愛を見て感動。
 Nalu and Pink

4週間になると全員のパピーの歯が生えてきて、たくさん遊ぶようになりました。

これを見て私の離乳食を作る時がきたなとわかりました。

手作り離乳食は難しくはありませんが、自分たちの食事を作ると同じで時間がかかります。

今まで何回も作ってきたのですが、このパピーたちが気にいってくれるかは実際にはわかりませんのでやっぱり初めてあげる時はドキドキします。

このレシピの基本は私がずっと20年間使っているものでヘルシーハッピープーチの本にも載せてあります。

手作りパピーフード:朝食とランチ (オーガニック)

オート麦 大さじ4 
豆乳、アーモンドミルク、オート麦ミルク、米ミルク 大さじ4 
ディル 小さじ1 /2 
キャロブ 小さじ1 /2 
アップルソース 小さじ1 
スリッパリーエルム 一つまみ
ケルプパウダー 一つまみ
フラックス粉 小さじ1 /2 
ベジドッグスプリメント 小さじ1/2

初めはこれをミキサーで混ぜてあげてました。

Puppy food oat

 

みんな気にいってくれて食べてくれました。

puppy first food

ラニちゃんのお顔を見て〜〜〜!

Lani first HHP food

量は育ち具合で増やして行きます。                      

それと茹でたさつま芋、ブロッコリー、人参などを混ぜてあげます。

その他、柔らかく煮たお豆、そしてアルデンテでない少し柔らかめのを市販のパピー用のドッグフードの代わりに私は入れます。パスタは消化も良いしパピーは大好き。

 

スナックとおやつ 午前中と午後 (オーガニック)

  • フルーツ: アップルソース、バナナをつぶしたの
  • 茹でた野菜: 人参、さつま芋、カボチャ、柔らかいブロッコリー
  • 似た全粒穀物パスタ
  •  全粒穀物のパン: カボチャやひまわりの種のバターをつけるか生温い野菜かみそ汁、またはフルーツジュースにつける
  • 甘い野菜のペースト: ヘルシーハッピープーチの本のページ97 
  • チアシードプリン: ヘルシーハッピープーチの本のページ102 
  • 海苔(味付け海苔ではない)
  • オーガニックのナチュラルベーガンドライパピーフード

 


手作りパピーフード:夕食 (オーガニック)

柔らかく煮た豆 1/4 カップ 
柔らかく煮た玄米 1/8 カップ 
すり人参 1/8 カップ
細かく切った青菜(ケールかカーラド)1/8 カップ 
パウダーケルプ 一つまみ
生温い野菜のスープかみそ汁 小さじ1.5(フードをしっとりさせる為)
フッラクス粉 小さじ1/2  
納豆 大さじ1~2 

初めはこれをミキサーで少し混ぜてあげてました。

Puppy food with sweet potato etc.

 

量は先ほども書きましたが育ち具合、その日の活動の量によってまた犬の種類とサイズでも変わってきます。

パピーはとってもエキサイトしたり、それと長い集中力は出来ないので全部一度に食事を終わらせられない時があります。その時は一度フードボールを取り上げて、また少ししてからあげても良いと思います。

うちでもラニちゃん(うちにいるパピーの1匹)が食事時、食事中に他の犬たちが来てラニちゃんはママのナルちゃん、パパのカイちゃんなどが食べているのを見てどしよう、どうしようという状態になって食べなくなったりします。そんな時はみんなより先にあげてまた、みんなが食べる時にもあげます。他の犬たちは食べ終わってやっとラニちゃんはゆっくり食べ始める時もあるのでそんな時は、優しくラニちゃんに食べる応援をしてあげます。     朝、エリックが仕事に行く前のバタバタしている時でも時間がかかって食べているラニちゃんにイライラしないで愛の忍耐力を持って励ませる素晴らしいパピーケアーテイカーの練習。

どの動物家族も私が何かを学ぶために来てくれていると信じています。

最後にパピーの爪が伸びてきたので初めての爪切りをしました。Puppy nail

Lani nail cutting

写真で見えるように初めてなので眠っている時に切りました。パピー(犬)によっては爪を切るのがとても嫌がったり手足とか耳を触られるのが好まないので小さい時から毎日の生活の中でなれるようにしてあげれば新しいお家にもらわれて行く時にも大丈夫。

たくさんの人と私に教えをくれるパピーたちを健康で世界一幸せに育てる任務が大好き。
ありがとうございます。
Love,
Sanae ❤️
 

世界一幸せなパピー:パート1

若い頃、別に結婚して子供を生んでと言う人生を考えていなかった。

でも38歳の時、卵巣癌になって子供ができないとわかった後、新しい命と接したい思いが自分の中にあるとわかった。どのようにしてその思いが叶うのか私は考えていなかったけど宇宙の計画はあったようだ。

アメリカで初めて一緒に暮らした犬はサクラちゃん(私の大好きな日本の花を名前にした)はシェルティーの雑種で産まれて8週間、1981年にシェルターから来ました。それからいろんな犬やネコをレスキューしたりして家族として暮らしてきています。

卵巣癌を克服して元気になってから山本央子さんの「ヘンリー人を癒す」と言う本を読みました。私はいつか自分の犬を訓練してサービスドッグ/セラピードッグとして病院やシニアーセンターなどに行ってボランティア活動をしたいと願っていたのでこの本はそれを現実させるためのきっかけを作ってくれたかも。

Nakako's book

写真:山本央子さんの「ヘンリー人を癒す」

卵巣癌を克服して元気になってから山本央子さんの「ヘンリー人を癒す」と言う本を読みました。
私はいつか自分の犬を訓練してサービスドッグ/セラピードッグとして病院やシニアーセンターなどに行って
ボランティア活動をしたいと願っていたのでこの本はそれを現実させるためのきっかけを作ってくれたかも。

山本央子さんの本を読む1年くらい前にシェパードの雑種子犬産まれて8週間をシェルターからアドプトして
3日後に亡くなってしまう、とてもショックな出来事があり号泣した。
シェルターにその事を伝えたらまだ1ヶ月以内だからどの犬とでも交換出来ると言われてお腹が捻れるくらい
腹が立った。そしてその子犬は病気だったと言う事もわかった、とても悲しい経験だった。

その後、ゴールデンリトリバーの子犬を引き取る事になった。たくさんの人に愛されている犬種だったので
あまり私にはピントこなかったと言うのが本音だったけどゴールデンなので「キン」という名前をつけて
サクラちゃんと一緒に育てる事にした。
サクラちゃんは老犬で子犬のキンちゃんがうるさいかったのか不機嫌だった。
でもキンちゃんはそんなサクラちゃんに優しくとっても仲良くしていた。
キンちゃんは何故ゴールデンリトリバーが人気のある犬か確信させてくれ思いやりがある犬だと言う事も
わからせてくれた。

自著のヘルシーハッピープーチの本の表紙(下記)に載っているのがサクラちゃんとキンちゃん。

 

hhp paperback cover#10E3CCC.eps

写真: ヘルシーハッピープーチの表紙キンちゃんが左でサクラちゃんが右

 

 

キンちゃんはちょっと変わったゴールデンリトリバー犬でした。
見た目も普通のゴールデンリトリバー犬とは違っていて丁度私にはピッタリだったと思う。
ちょっと細身で運動選手っぽく、毛並みも短く、ラブラドルだとよく言われました。
もちろんゴールデンリトリバーなので誰にでも、どの犬にもニコニコしていたけど、家族だけでいると真剣なところもあって不安な気持ちのある私もキンちゃんと一緒にいる時は本音を出せて安心でした。

キンちゃんといると何でも出来るような気持ちになってキンちゃんとはいろんな事をして
いろんなところに一緒に行きました。
マサチューセッツ州にあるマクロビオティックの学校クシインスティテュートで勉強した時に
一緒に行って、私がクラスを受けている時に久司道夫先生とキンちゃんは散歩もしてました。
アメリカ大陸を車で2回一緒に横断したり、カナダの赤毛のアンで有名なプリンスエドワード島まで
キンちゃんとキンちゃんの娘たちとも一緒に行きました。

そしてサービスドッグとして訓練をしてロスアンジェルスのチルドレンホスピタルにボランティア活動に
行くテストとかにも合格。

そのキンちゃんの子犬を産めるチャンスがやがて来て私が犬の出産の手助け(お産婆さん)を
初めてしたのは2000年。キンちゃんが3歳。
初めてだったのでわからない事だらけだった。
でもキンちゃんが大丈夫出来るよって教えてくれました。
だからその後、キンちゃんのひまごまで産ませるお手伝いをすることが出来ました。

母犬が子犬を生む時の瞬間、子犬が産まれて来る瞬間、
その喜びを一緒に体験し母親が子犬を育てていくお手伝いもして来ました。
人間の家族には恵まれなかったけど犬家族が私の家族。
尊い新しい命が産まれて来る瞬間に接して、その家族と一緒に生活を共にして最後まで見届けてあげる。
私はこの犬たちのお陰で本当に幸せな運命を歩んできていると感じます。

たくさんの犬がシェルターやレスキューにいるから
犬を避妊させないで子犬を出産させるのは間違っていると言う人もいて酷く批判された事もあります。

私はブリーダーではありません。
それとお金儲けに子犬を出産させているのでもありません。

うちの子犬たちは訓練してサービスドッグ、セラピードッグになっています人間を助けています。
その他サービスドッグの団体に子犬を寄付して、有名なサービスドッグとして活躍しています。

シェルターやレスキューから犬6匹、ネコ6匹を今までアダプトして来て
私なりにシェルターやレスキューのためにも貢献してきています。
またレスキューのボランティア活動もしていてトラウマにあった動物たち、怪我をした動物たちに
アニマルコミュニケーション、動物霊気、バッチフラワーレメディー、動物マッサージなどをしてあげてます。

 

Nalu and Kai 08-14-20

写真: ナルちゃん (左) とカイちゃん (右)

2ヶ月ほど前に愛犬ナルちゃんが子犬を産みました。
愛犬カイちゃんがお父さん犬です。

こんなパンディミックの時に産んでもし何かあったらどうなるか不安がないと言ったら嘘になりますが
案ずるより産むが易しとは良く言ったもので、全て上手くいきました。

Nalu before labor

写真: ナルちゃん破水するちっと前

Helping the first boy to come out

写真:一番最初に産まれた子犬のへその緒をナルちゃんが切るのを手伝ってる

Eric with first boy

写真: エリックがナルちゃんを応援してあげてる

 

ナルちゃんのお産はとても楽で破水してから15分くらいで1番初めの子犬が産まれました。

Nalu with her first puppy

写真: 1番目の子犬のへその緒を切ってナルちゃんの嬉しい自慢げな顔

ナルちゃんが4匹目を産んでちっと疲れた時、アニマルコミュケーションを
ナルちゃんとして動物霊気をしてあげました。

Helping Nalu with Reiki

写真: ナルちゃんは動物霊気を受けている

動物霊気の後、ナルちゃんは一気に2匹を産み終えました。
全員で6匹。
みんな元気で可愛い!
ナルちゃん本当にご苦労様でした!

20年前にキンちゃんの子犬が産まれる時に、
お産婆さんをして初めて新しい誕生に接する事ができた事をまた思い出しました。
宇宙の偉大なる計画に心から感謝しています。

 

Nalu with 6 puppiesjpg

写真: ナルちゃん6匹の元気な子犬を産み終わった後

6 puppies

写真: 6匹の子犬たち。左からラ二ちゃん(うちの子になります)、チェダーちゃん、ワイリーちゃん、ルルちゃん、そしてうみバナナちゃんです。

 

 

今年はパンディミックでたくさんの人たちに困難な事が起こっています。
それでも子犬たちを育ててくれる人たちはすぐ決まりました。
後にそれぞれのパピーたち写真をご家族の写真などを載せます。

ずっと写真をアップしたりブログ書いたりしたかったのですが、
子犬たちとナルちゃんママそして他の犬たちとネコたちのお世話を丁寧にして
手作りごはんやおやつなども作ったりにたくさんたくさんしてしてあげたい事が
あってそれに全力を尽くしてました。

先週4匹が新しいお家に引き取られて行ったので、
やっと少し時間が出来てこうして写真をアップしてブログも書けました。

先日、2番目に産まれた子犬、うみバナナちゃんのまさよママからメッセージを受け取りました。
「スナックとか、自分で作ってみて、時間かかったりするので、さなえさんの愛をいっぱい感じました。
ありがとうございます。世界一幸せなパピーたちです。」と書いてありました。

世界一幸せなパピーと書いてあるのを読んで涙が出そうなくらい嬉しさを感じました。
そんな風に思ってくれて心から嬉しいです。

世界一幸せなパピー育てるそれが私のこの人生の使命かも。

パピーたちの新しい命に感謝いっぱい!

 

Nalu with puppies outside

写真: ナルちゃんの本当に嬉しそうな顔を見てあげて下さい

らぶ、Sanae❤️

悼しむ

私のブログを読んでいる方は私の犬娘クラちゃんが昨年の8月に天命したのを知ってるかもしれませんね。

クラちゃんは私がまだ車イス生活をしていた時に私のサービースドッグとしてうちで生まれて育ったゴールデンレトリーバー犬です。私が1993年に卵巣癌になって子供が産めなかったので私と主人のエリックにとっては娘でもありました。

クラちゃんがいなくなってとっても悲しくって、これからどうしたらいいのかとわからないような気持ちにもなりました。ゆっくり悲しみから回復できるようにあまり仕事もしないで自分の気持ちを大切にして、クラちゃんの49日の為のポットラックもクラちゃんの家族とたくさんのお友達に来ていただいてやることが出来ました。ブログblogsとYouTube ビデオ here.

仏経の教えでは100日が来たらもう悲しまないで泣かないと聞きました。その教えを真面目に考えていたわけではありませんが、クラちゃんの100日の11月9日後、泣くのを止めただけではなく、クラちゃんの話をしなくなって、クラちゃんの事をFBやブログに書くのも止めてしまいました。自分では止めるつもりではなかったのですが、丁度、アメリカは感謝祭があり、その後、クリスマスなどのホリデーが続いていたので、周囲は、ホリデー真っ只中の雰囲気は私のクラちゃんの事を思う気持ちとは正反対でした。それで、こんな気持ちは、誰にも話せないと思い込んで、自分の心の中に押し込みました。

 

650 Kula with geta

写真: クラちゃんの大好きなビーチ。私の下駄を履かせたら、ご機嫌で夕焼けを見ていました。

 

そうしているうちに、だんだん、気持ちが麻痺してきたように自分、“Sanae.” を感じなくなってしまいました。”Sanae”は毎朝、今日は何をしようかな?と 好奇心が強く前向きだったのに、エキサイトして何か新しい事をしたいという気持ちがなくなってしまったような毎朝になってしまったのです。ホリデーになると日本の家族を思ったり、周りの騒々しさについていけなくってブルーな気持ちには毎年なるので、また、それだかなと結構簡単にとって、普通にお料理クラス、ヨガクラスを教えたり、カウンセリングをしたり、犬家族と散歩をして、自分のヨガの練習にも励んでいました。

クリスマス1週間前に本当に珍しくエリックが体調を崩して仕事を休むほど酷くなりました。彼が最後に病気になって仕事を休んだのはアメリカに彼が引っ越して来た年の1992年なので、24年ぶりでした。エリックはクリスマス後に仕事でユタ州に行かないと行けなかったので、一生懸命、介護してあげました。それで、彼は回復してユタに私が作った飛行機内ようのお弁当を持って行けました。でも、それと反対に私は、高熱でダウンしてしまい、おうちで、一人うちの動物家族と静養していました。この事は年末のニューズレターで書いて送ったのですが、日本語で書いて送る体力がなくって英語だけでした。その時のブログは英語ですがこちら。写真だけでも見ていただけると様子がわかると思います。

エリックが大晦日に戻って来てすぐ、良くなって、またお料理教室なども始められました。

水不足のカリフォルニア州にとっては、1月に入っても恵の雨があって今年は、最悪の水不足を避けられたようですが、私たちのノースフォーク(ヨセミテ国立公園近辺)の山小屋が洪水で浸水してしまいました。早速、ノースフォークに(サンタモニカから車で約4〜5時間)に行って、エリックはノースフォークの友人と浸水した水を取り出す作業をして、水が建物の中に入って来ないよう、建物のまわりに山からの水が建物にいかないよう、溝を作ったりしました。私は作業をしたみんなのために一生懸命エネルギーのつく食事を作りました。みんなに美味しく食べてもらえて嬉しかった。なのにまた、次の朝から高熱が出て1週間も出て、気持ちは下がってしまいました。症状は少し喉が痛かったり少しだけ、咳をしましたが、殆ど、風邪やインフルエンザの状態ではなく、普段、大好きな玄米や味噌汁が食べられなくなって、3年番茶も飲みたくなくなってしまいました。その他、眠る時間とかも変わってしまいました。普段の家事、洗濯は高熱があった以外、出来ていました。ただ、あまり外出してみんなに会ってという気分ではなく、いつもの好奇心も新しい事をしたいという気持ちはまだ戻って来ていませんでした。そして、毎朝のヨガの練習に行く気がなくなってしまいました。ただしたかった事は、海にうちの愛犬たちと行って波を音をきいてボーッとしたいという事でした。うつ病に(以前なった事がある)なっている感じではないのです。

少し時間がかかりましたが、自分が悼んでいるとわかりました。そうクラちゃんのことで悼んでいる。いつも毎日クラちゃんのことを考えている。私がまだ車椅子に乗っていたころ、クラちゃんが私のサービス犬として助けてくれて一緒にした事、一緒に行った所、毎日、目に浮かぶのです。

自分がクラちゃんが逝ってしまって、悲しい気持ちを持っているのは気づいていました。でも、8歳から今までたくさんの犬たちと猫たちが天命して、そのたびに、みんなそれぞれを思って悲しんだりしてきたので、今回も同じだと思っていた。それと、まだうちにはクラちゃんの犬家族が5匹いて、猫家族も2匹いるので、クラちゃんの事を想っていつまでも泣いていたのではいけないと自分に言い聞かせてクラちゃんの事を話したりするのを完全に止めてしまったようです。

クラちゃんのことを悼んでいるかもとわかって、昔、友人から教えてもらった悼の心から回復する本を読んだり、サポートグループを見つけて、どのようにしたら悼を乗り越えていけるかを学び始めました。この本には、自分の悲しみ、悼、心の痛み、逝ってしまった人、動物などのことを話すと書いてありました。クラちゃんの思い出を話すと私の心が持ち上げられて開くような気持ちになるので、この事を知って少しホッとしました。悲しみと喜びは一緒に思い出を作り上げているということも学びました。そうですね、生きているということは楽しいことだけ、嬉しいことばかりではないのですから、悲しみ、辛いことがあるからこそ、私たちは学んで生き、成長していくんですね。

グリーフリカバリーハンドブック (著者:ジョンジェイムスとラッセルフリードマン)から学んだことは、

 

650 Grief book IMG_7567

間違った悼みの解釈

ほとんどの人が家族や動物などが逝ってしまった後に聞いたことが聞いたことがあると思われます。

 

時間が解決するー亡くなった人や動物などを10年、20年経っても思う気持ちは消えません。返っ て時間が経てば経つほど悲しい気持ちは無くならないでいる人も少なくないようです。

人に迷惑をかけないーこれは日本人には多いようで、みんなに迷惑を変えたくないから自分で一人で 悼む人は多いようです。

気持ちを強く持つー長女や長男だった人は、お姉ちゃんなんだから、お兄ちゃんなんだからしっかり しなさいと言われて来たことと同じで、気持ちを強く持って何にがあっても生きて行く。

泣かないー小さい時から泣かないように言われて来た人は多いはずです。とくに男の子は男だから泣 かないと言われて来たと思います。

悲しみを何かに代用するーこれは動物をペットとして飼っている人に多くみられますが、また違う、 ペットを飼うことで悼みを代用する。

忙しくするー仕事を今まで以上にして忙しくする人は多く、その時の悼みまぎわらせていく。

 

ひとつひとつ、そしてひとりひとりのつながりはみんな違うということも学びました。だから、いままで、たくさんの動物家族を天国におくりましたがクラちゃんと私のつながりが強くまた、私にとっては、成長していく過程を与えられたようです。

 

ペット用のグリーフリカバリーハンドブック(著者:ジョンジェイムスとラッセルフリードマンとジョンジェイム)も見つけました。

 

Grief book pets

 

日本語の本も次回は調べてみますね。

 

クラちゃんの事をまた少しづつ話始めました。そしてクラちゃん事をこうして書き始めました。友人たちにも少しづつ自分が悼みを乗り越えている途中だということも伝え始めましたた、気持ちが軽くなって来た気がします。

最近放映された映画、「犬の生きる目的」(私が勝手に日本語訳タイトルをつけました)

A Dog’s Purpose. を見に行って、たくさん泣いてクラちゃんの事をたくさん思って懐かしいく感じました。 クラちゃんともアニマルコミュニケーションを使ってまた話すようになって来ました。クラちゃんは「ママ、大好きだよ。私もママの事を思ってるよ。ゆっくり、悼みの心を癒して。ママは大丈夫。どんな事があってもクラはいつもママと一緒だよ。」と言ってくれました。(涙!)

こうしてブログにもまた書こうという気持ちにもなりました。

ペットロスようのサポートグループがあることがわかったので、そのグループに行くか、グリーフワークショップをとってみようかと考えてます。英語でのグループでワークショップですが、関心がある人にはホームページ website

 

悼みのためのバッチフラワーレメディー、ホメオパシーなどもあります。またエッセンシャルオイルや、ヒーリングストーンのジュエリーとてもこの時期には癒されます。私が試したものをちかいうちにブログで書いてシェアーしますね。

もし、みなさんの中で悼みをひとりで耐えている人がいたら、シェアーして下さい。一緒に乗り越えていきましょう。

愛を込めて…

Love, Sanae 💖

 

P。S。昨日はクラちゃんの6ヶ月命日でした。このブログ書けて本当に癒されました。

ありがとうございます!

 

 

ゴールデン・リトリバー犬クラちゃんのクラちゃんの100か日法要

早いもので、もうクラちゃんの100か日の法要が来ました。

(49日の法要の事は、ここに書きました)。

 

650-kula-album

Kulas Albums with 214 photos in 84 pages.

百か日法要は卒哭忌(そっこくき)とも呼ばれ、この百か日法要をもって、残された遺族は「哭(な)くことから卒(しゅっ)する(=終わる)」、つまり、悲しみに泣きくれることをやめる日であることも意味しているそうです。

百か日法要は遺族や近親者のみで行うためエリックとうちの犬、ネコ家族だけで法要しました。

この百か日法要までに故人が残した遺品の整理形見分けを済ませるのが一般的なので、クラちゃんの首輪や、タオル、ベッドを洗ってうちの犬家族たちにあげました。

また、遺品の整理や形見分けと並んで、百か日法要までに済ませておかなければならないのが、家族や友人の方々へのお礼の挨拶と香典返しがあるということなので、49日に来られなかった家族や友人たちにペン習字と水彩画の封筒を自分で描きました。

 

650-kula-card-calligraphy

Sending Kula’s card with my calligraphy and art envelopes.

毎日、クラちゃんの存在を感じていますが、この日はいつもより感じました。朝のヨガの練習の時にクラちゃんの事を思って、涙が出ました。

夜、いつもクラちゃんと行っていたビーチにあるレストランにハッピーを連れて行きました。

ハッピーはクラちゃんといつも散歩していたので、一番クラちゃんからの影響を受けていたと思います。11月だと言うのにとても夏のような気候で、ビーチのパーキングは全然見つからないようでしたが、クラちゃんにお願いしたら、凄い…すぐ、見つかりました。

クラちゃんはパーキングエンジェルでもあります。

 

kula-10days-sm-beach

Eric & Happy at the beach

クラちゃんの大好きだった海に行って本当に良かったです。クラちゃんが海で遊んでいるのを感じました。

クラちゃんとの素晴らしい思い出に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

650-plumeria

Kula’s favorite plumeria flowers are still blooming this year!

クラちゃんの名前はハワイ語でゴールドだから、クラちゃんはハワイのお花プルメリアが大好きなでした。今年は、11月なのにまだ咲いています。

愛を込めて、草千

Sanae💖