ミラクル・奇跡

年末年始のホリデー・シーズン。
アメリカでは年末のクリスマスに奇跡が起こると言われています。


私の好きな言葉の一つ「人生には 2 つの生き方があります。1 つは、何も奇跡ではないかのようにすることです。もう 1 つは、すべてが奇跡であるかのように生きることです。」                   アルバート・アインシュタイン、1879~1955

今年もいくつかのの奇跡があったので。
私の家で起こったこのクリスマスの奇跡をシェアー。

 

12月6日、犬の家族といつもする散歩後、最年長の犬のルミが心臓の動機がひどくなって、呼吸が激しくなり、全く動けなって私にできることは、彼女のそばにいて、アニマル霊気、彼女の心臓と肺のツボへの経絡指圧、そしてバッチフラワーレスキューレメディを5分ごとに4滴投与することだけでした。
ルミにとても懐いている末っ子犬、マカニは、ルミの隣に来て一緒に見守ってくれてた。

 

ルミは動けないでいたけど、全力を尽くしてた。
エリックにビデオコールしてエリックの声を聞かせてあげたら。
ルミはエリックお父さんを待つと言ったが、ルーミは電話の後心臓発作を起こし、失神し 意識を失った。
彼女の目は開たまま、どこにも焦点がなく私の言動には何も気づきかに泣いでいた。
ルミは来月で15歳になるので、もうこれが最後かと思わずにはいられなかった。

 

 

(2年前のルミの13歳の誕生日に彼女がどのようにして私の人生に現れたのかについてブログに書きました。)

私自身が呼吸をして落ち着いて、過去 30 年間に約 20匹 の動物の家族を育て、動物レスキューボランティアーなどで多くの動物の救助を手伝ってきて学んだ事を思い出してできる事をしてあげた。

奇跡的にルミは数時間後に意識を取り戻した。
でもまだ息が荒く、まったく動くことができなかったので、ルミにコミュニケーションして「もしルミが天国に行くなら、私は心に準備をするね。」と伝えました。
するとルミは「マミー、私はまだここにいるよ。どこにも行かないよ。パパを待ってるよ。」と言って少し楽になったようだった。

エリックが帰宅したとき、ルミは弱っていましたが、目で自分の存在をエリックに伝えていたのを見て彼女の生命力の強さに感動。
ルミは何も飲むことも食べることもできなかったので、私たちは彼女のために治療用の飲み物と流動食を作ってあげた。ルミは両方とも少しずつ摂取してくれた。

 

ルミが飲み物と流動食を摂った後、ルミに気持ちを聞いたら、返事に少し時間がかかったけど、「何が起こっているか分からず息もできなくて怖かったよ。」とルミは答えてくれた。
それで私は、「そうだようね、怖かったね。でももう大丈夫だからね。
マミーはどこにも行かないでルミのそばにいるよ。」と言ってあげたら、そして彼女はゆっくりと目を閉じ、呼吸が少し落ち着いて眠った様子だった。

 

ルミは生死を彷徨ってトランジション期を経て良くなるために最善を尽くしているので、恐怖とトランジション期のためのバッチフラワーレメディを混ぜて作り、15分おきにルミの周りにスプレーしてあげた。

リビングルームの床の彼女の隣に私用のベッドを作って彼女と一緒に床で寝ることにした。 最初の夜は私の手が彼女から離れると呼吸が激しくなるので一晩中、動物
霊気をしてあげてたら少しだけ寝てくれた。

おしっこやうんちをしなければならない場合に、彼女が横になったままできるように、私はおむつを付けてあげたけどルミは真夜中にどうしても起き上がろうとして、その度に呼吸はひどくなった。
でもルミは頑固でおむつを使いたがらないようでどうしたらいいか分からなくなったけど、よく考えたらきっと私がルミなら同じかもと彼女の気持ちがわかったので、今、私がルミにできることは何と考えて、彼女を抱いて庭の外に連れて行った。
その時ルミは息がすごく荒くなり、心臓が高鳴って、私にも聞こえるほどだったので、ルミの心臓が止まるかもしれないと恐怖でいっぱいになった。 ルミを外に抱いて行った自分を責め始め目の前が真っ暗になって、目を閉じたら、その心臓の音は自分の心臓の音でもあるとわかった。それで深呼吸して目を開けると、一生懸命、おしっこする場所を探しているルミの姿が目に入ってきて、ルミはこんな時でも頑張っているんだと伝わってきて、泣き言とかは無視してとにかく今は私ができる事を全力で応援するしかないと実感。

私は急にルミをやさしく抱きしめて、「マミーはルミと一緒だよ。愛してるよ。」と言えた。
するとルミの心臓の鼓動少し静かになり、おしっこをし終えて、ルミの目が家の方を見ていたので、抱っこして、家の中に連れて行ってあげた。
その後も2回もルミは外に行きたいと言うので同じようにしてあげて、やっと明け方彼女はぐっすり眠れたようだった。私は、無駄なことは考えないでただ”愛”を持って彼女にできる事をしてあげられた事に感謝。

ホリスティック獣医師のレーン医師に連絡しましたが、ホリデーシーズンで連絡がつかなかったので、翌日、サンタモニカ・ホメオパシー薬局の動物治癒の専門家であるナンシーにルミの状態について電話で話してエリックにホメオパシーの治療薬をとりに行ってもらった。
私たちは心臓の治療薬を手に入れ、水は解決し、彼女にBBach Flowerを与え続けました。動物レイキと正中点鍼治療を継続して行いました。

ルミはレーン医師によって既に心雑音と診断されていたので、そのための漢方薬とホメオパシー薬を服用中。今回のこのエピソードの後、今年2月に亡くなったルミの娘のハッピーのように、肺や心臓に水分が溜まっている可能性があると私は察して、ルミも肺に問題を抱えていると感じたので、ルミに体のバランスを整えてもらうことに決めました。輸液ホメオパシー医療をより適切に配布。
ルミの健康状態を、あらゆるレメディ、ホメオパシー医学、癒しの食べ物、そして私たちの愛によって改善する努力をする決心をした。
それはルミがまだ生きる意志を強く持っているから。

その彼女の意思と私たち家族全員にできる努力で、ルミは今では朝の大好物、柔らかいお餅を食べてホームメイドの食事も自分で食べられるようになっている。

 

ゆっくりだけど自分で歩いて庭の外に出られるようになっている。少し散歩にも行きたいという気持ちもこの前してくれたので、2回ほどほんの短い散歩もした。疲れるとルミは前進しないで戻ろうとするのでその彼女の意思を尊重して直ぐ家に戻った。

クリスマスの日にルミが海を見たいというので連れて行くことにした。

 

ルミはいろんな人々にご挨拶をして、砂の上に寝転がり、風を感じることを楽しんだ。帰りは少し疲れたようでルミは砂の上では動かなくなって私が抱っこしてあげたら歩道は自分で歩いてたくさんの匂いを嗅いで満足したそうだ。

 

 


このブログを書いている今も、ルミは私の足元でマカニとぐっすり眠っていて写真を撮ろうとしたらマカニは顔をあげた。
それはクリスマス・ミラクル!

新年に向けて、みなさんも奇跡の瞬間を見つけていただければ幸いです。

Love, 

Sanae ❤️

*おまけ:
犬の心雑音について

心雑音のある犬は、一時的な意識喪失である失神と呼ばれる発作のような現象を経験することがあります。
この失神は、犬の心臓が十分な量の酸素を含んだ血液を脳に送り出すことができない場合に発生することがあります。これは、異常な心拍リズムまたは不整脈によって引き起こされる可能性があり、不整脈は非常に速い、非常に遅い、または不規則になる可能性があります。失神は発作のように見えることもありますが、いくつかの重要な違いがあるそうです。

 

 

 

 

 愛犬ハッピーの旅立ち後の悲しみを癒すセルフケア 

先週、5日間にわたる雨と風の嵐が続いた後、顔を出すのが待ちきれないような眩しい太陽の光とその光を反射した青空が降り注いでいた。

普段なら太陽の光と青空で爽快な気分になるけど私の心はまだ嵐が続いていて真っ暗だった。

いつも私の一番側にいてくれた愛犬孫、ハッピーが突然具合が悪くなって暴風雨の最終日に天国に旅立った。こうして書いているだけで胸が締めつけられる痛みを感じる。

気が抜けた空虚な気持ち。

まだ、ハッピーについてあんまり書けない。

今言えるのは…ハッピーは心が広くて、優しくて、寛容でひょうきんな私の愛犬孫娘だった。

彼女はいつも私の側にいて、私の影のような存在だった。

私が何かを取りにちょっと隣の部屋に行くだけでもついて来て、

私が見えないとウロウロして探してた。

今の私は影をなくした、幻のような感じ。

 

7日前に彼女が旅立った日、何をしたかはあんまり覚えてない。

ハッピーの最近の写真とビデオを見たけど、残念な事に、あんまりなかった。

ふたりで写したのは1枚(カバーの写真)だけだった。

ハッピーの母親のルミちゃんが14歳で健康上の問題を抱えていたため、ルミちゃんがハッピーよりも早く亡くなると思い込んでいたから、ルミちゃんの写真をたくさん写してた。

ハッピーが子犬の頃の写真も見たかったけど、まだ胸が詰まって見れなかった。

ハッピー(左)ルミ(ハッピーの母親)と私2024年の初日の出

 

長年にわたってアニマルコミュニケーション、動物行動学、栄養学、動物霊気などを勉強してきたのに、ハッピーの体調が悪いとは気づきかなかった。ショックだった。

亡くなってしまった今、罪悪感で押しつぶされそう。

ハッピーが亡くなった後、ハッピーを見つめることも近寄ることもできなかったハッピーの母親のルミちゃんがとてもかわいそうで見ていられないかった。

他の動物家族はみんな悲しそうな顔をしていたけど、近づいてお別れをした。

伝統的な仏壇「五基本」のお香、灯籠、お花、食べ物、お清めの水を供えるハッピーの祭壇を設置。

ハッピーの色はオレンジだったので、エリックと私は、まだ少し雨が降っていましたが、オレンジの花を買いに近くの花屋さんにカイちゃん(ハッピーの甥)と一緒に行った。

祭壇にろうそく、線香、おりん、水、彼女のお気に入りのオレンジのお花、大好きなブルベリーのクッキーなどを用意してあげた。

ろうそくやお線香に火をつけ、おりんを鳴らして祈った。

と言っても今、考えると何を祈ったかさえ覚えていない。

覚えているのは手を合わせた(合掌)ことだけ。

その後、ハッピーと一緒に聞いていた音楽をかけて たくさん、たくさん泣いてみんなで瞑想を1時間した。

何回も何回も犬猫家族と、エリックをハグした。

 

2日目は、あんなに降った雨が嘘のように、太陽は力強かった。

何もする気がない私は機械的に動いていた。

ハッピーの家族全員を見て、何も考えずにいつものように散歩に行った。

最初の散歩チームはハッピーのお母さんのルミちゃんとハッピーの甥のカイ君。

ハッピーはいつもルミちゃんとカイ君と一緒に歩いていたので、私の気持ちはそこになくて、心の奥底が麻痺していたのに、ハッピーが一緒に歩いているのを感じた。

家に帰ると、*CSC (癌サポートコミュニティ) の血液癌グループのメンバーから電話のボイスメッセージが入ってて、内容はZoom ミーティングに参加できないので、私が出席する場合はグループに知らせてほしいという事だった。 

*CSC (癌サポートコミュニティ) 血液癌グループ。

約 7 年前、私がステージ IV のリンパ腫がんになったときから参加しているグループ。

自分の経験をシェアーする場で他の人が血液のがんで身体的、精神的にどのような状況を経験しているかを聞き、治療法、病院、腫瘍専門医などについてのより多くの情報を得るのに役立つ。

Zoomだけど他の人たちと会うことにできるかどうかを決めないといけなかった。

長年の友人であるジョンが最後の化学療法を受けてからどうしているかも知りたかった。

皮肉なことに、ジョンは私がステージ IV のリンパ腫で化学療法を受けている時に病院にお見舞いに来てくれて、その 3 年後にジョンはリンパ腫を患い、彼を CSC の血液がんのサポートコミュニティに参加するよう招待し、彼は出席するようになった。

気が付いたらZoomミーティングが始まっていて、あっという間に時間が過ぎてた。

Zoomミーティングに参加したいという私の心からのメッセージを受け取り、

「Zoom接続」をクリックしました。

ミーティングに遅れて参加した場合、ミーティングの最後の方にシェアーする事になっていた。なのにこの日は私が参加した時に発言していた人が終わって、すぐファシリテーターの人が私に調子はどうですかと聞いて来た。

こんなに早く発言するとは予想していなかったので、何を言えばいいのか分からず、息が詰まった。

何を言うか一瞬少し考えて、

私は、「CSC のメンバーの 1 人が私にメッセージを伝えてほしいと電話のメッセージがあったので。それとジョンの様子を知りたかった…」と言った。

その後、私は泣き始めて、「ごめんなさい、今日は私らしくないんです…」と言って、

すぐ自分の言ったことを訂正して続けた、

「実際、今日のこの私も私です。」

私は深呼吸して続けた、

「私の愛犬孫娘、ハッピーが約24時間前に天国に逝ったんです。」

涙が溢れてきて止まらなくなった。

心がかきむくしられる痛むのを感じた。

胸が引き裂かれるようだった。

もう一度深呼吸をした。

「ハッピーが亡くなって悲しみと罪悪感を感じてる。彼女の母親であるルミが彼女より先に亡くなるかもと思って、この半年、ハッピーよりもルミのことばかり考えていたから。 ハッピーのニーズに合わせて正しいことをしてこなかったのかもしれない。」

「ごめんなさい、ハッピー!」

鼻をかんでからこう言った。

「私は心はとても痛み、津波のようなとてつもない悲しみが私の全身に押し寄せている。」

以前、愛する家族、友人、動物家族を含む誰かを亡くしたとき、その悲しみ、罪悪感などの感情をきちんと向き合っていなかったのかも、そのせいで免疫力が低下したのか、ガンを2回も患った事が頭に浮かんだ。

一つは父が亡くなった後、私が卵巣がんになったこと。

もう一つは、愛犬娘で私の介助犬だったクラが亡くなってから6か月後にステージIVのリンパ腫。頭の中が恐怖でいっぱいになった。

我に返ってCSC ミーティングでのシェアーを続け、

「過去に、強いつながりを持っていた人を失って、その人とやり残した気持ちや後悔があったためか、体力が低下し、免疫力が低下させていたせいか癌になったかも。また、健康を失うのではないかという不安があるので、私は悲しみに対処しセルフケアするために何を改善できるかを振り返る必要があると感じます。」と言った。

これを書きながらわかったのは、亡くなった人によって悲しみの形や色が違うこと。

母が亡くなったとき、私は悲しくて、もちろん悲しんでいましたが、母がどんな人であるかを受け入れ、母にとって私がどんな娘であったかを伝えるために、母とコミュニケーションを看病に2ヶ月日本に行った時したので亡くなった後、悲しかったけど平穏だった。

アメリカに住み始めて、16匹の動物の家族を天国に送ってきた。

動物を育てるのは簡単な仕事ではなくって、そして彼らが去ったとき辛くて、私は悲しみました。

でも彼らとのコミュニケーションして繋がりを持っていた動物家族とは、悲しみはサーフィンができる海の大きな波のようなもので溺れなかった。

父とクラが亡くなったとき、私はどうだったのか?

父が亡くなったとき:

父が亡くなる前、私は父と連絡を取ることができませんでした。

彼の健康状態が良くないことは知っていたので、彼が亡くなる1か月前に私は日本に行って父に会って妹と一緒に彼のお気に入りのレストランに行ったりして楽しく過ごした。

でもアメリカに帰国するために出発前に空港で父に電話しましたが、応答がなく、折り返し電話がなかった。彼の秘書は、父が仕事で出張中なので後で連絡すると言っていたが、連絡はなかった。

3週間後に危篤の電話を受け、翌日日本に会いに行った時にはすでに意識がなく、8時間後に息を引き取った。

私は母の手伝いや父の会社の対応のため、1年に7回も日本に戻った。

極度のストレスのため、私には悲しむ余地はなかった。

過労で倒れそうに何回かなった。

翌年、最初の夫が離婚を申請し、路上で保護して育ててあげてた犬の一匹が亡くなり、その後、離婚でお金を失い、マンションを差し押さえされた。

父親が亡くなる前に​​意思疎通ができず、体力の限界を使って日本に何回も行った後、最初の夫の信頼を失った悲しみ、路上で保護した愛犬の一匹が亡くなり心はどん底だった。私は健康を失い始め、卵巣がんになたんだと思った。

介助犬だった愛犬娘、クラが亡くなった時:

エリック(現在の夫)と私はクラちゃんが病気になった時、レストランのシード・キッチンの経営を救おうとしていた。大家と不動産屋は全く助けをもらえなくて、私たちは賃貸契約を失い、不動産業者が私たちを訴えて来た。クラが亡くなった後、私たちはレストランを閉めることになったが、大家さんが裏切って他の人にシード・キッチンを売る手配をしていた。

なので当時、エリックと私はレストランの事でよく言い争いをして疲れ切っていた。

私はレストランの顧客と従業員、生徒やクライアントに対応することに集中していた。

適切に悲しんだり、ゆっくり休んだりする時間はなかった。

レストランを閉めてからエリックと私は、レストランを閉店した後の借金の修復だけだった。

そして、半年後、私はステージIVのリンパ腫になった。

CSCのファシリテーターは私に、「どうすればこの悲しみから病気や癌にならないようにすればいいのでしょうか?」と尋ねました。

この悲しみの問題を考えて対処するのは私にとってポイントだ。

健全な悲しみとは、痛みに向き合い、それに対処すること。

それは簡単な仕事ではなく、近道はない。

2016年にクラが亡くなったときに、私が悲しみについて書いたブログ「悼しむ

」を読んでみた。

https://sanaesuzuki.com/2016/08/09/kula-golden-retriever-life-with-her-cancer-part-4/?lang=ja

これを読んで、当時クラちゃんを亡くして、私たちの夢のひとつだったレストランをも失くした辛い時期だったんだって思い出した。

そしてエリックとの夫婦関係に日々が入ってしまってそれを修理してたとわかった。

だから自分が悲しんでいるのがわかるまでには時間がかかっていたようだ。

私たちはみんな、自分自身の中に弱いつながりを持っている。

自分の最も弱い部分は、誰かを失ったとき、そしてその誰かが私にとって大切であり、その人との繋がりを快く理解しないで受け入れることができなかったことで、それが悲しみにつながり、免疫力を消耗し、健康を失っていたようだ。

今回は、ハッピーちゃんを亡くした悲しみをこうして受け入れられる気持ちと時間がある。

「*ペット・ロス・サポートグループ」とつながり、癒しの日記を書き始めることで悲しみを解放し始めてる。

*ペット・ロス・サポートグループ(アメリカの英語のグループ)

https://www.lapoflove.com/our-services/pet-loss-support

 

私の一番弱い部分に直面して、それを私の強みに変える必要がある。

必要なときは泣く。

罪悪感、後悔、非難、恐怖、怒り、そして、特に私自信を許すつながりに取り組んでいる。

痛みを和らげる – 私の気持ちをサポートし、優しく言葉をかけてくれる人々と話す。

書くことは私にとって癒しのツールの一つなので、自分がどのように「セルフケア」を行っているかについて書く。

散歩、アートとガーデニングをいつものように続ける。

悲しみのための薬草茶、バッチフラワーレメディ、温灸、霊気、マッサージ、薬草アロマのお風呂。セルフケアーはまだまだたくさんある。

 

エリックと一緒に、正面の庭にグレビレア・スパーブ低木植物(オレンジがハッピーの色だったオレンジ色の花が咲き、ハッピーは低木植物が大好き)を植えてみた。

ハッピーが亡くなってからは、ハッピーとはあんまりコミュニケーションができていなかったけど、グレビレア・スパーブを植えている間、ハッピーの声が聞こえてきて、

「マミー、すごく綺麗なお花だね。オレンジ色が大好き!」

「手術をしないと決めて、私が生まれた家から天国に行けるように、私を心臓専門医から家に連れて帰ってきてくれて嬉しかったよ。」

ハッピーが心臓専門医からおうちに戻る時

 

「心臓専門医から戻ってからもう少し時間があればよかったとマミーは思っているのはわかるよ。私も同じだよ。でも私の心臓は強くなかったんだ。」

「マミーがしてくれたことすべてに本当に感謝しているよ。

マミーは私の全てで、マミーと一緒に生きている事が幸せだったんだよ。私はとっても幸せな犬孫だったよ。

マミーが毎日私に喜びと愛を与えてくれたから喜びと愛を広めることを学んだんだよ。 」

「マミーがみんなを癒す方法を教えてくれたんだよ。」

「また一緒に過ごせるように、マミーはこれからも健康に気をつけて長生きしてね。」

「今、私もまだ天国に行かなくっちゃいけなかった事にショックを受けてる。

マミーがショックを受けて、罪悪感を感じていることはわかるよ。

でもマミー、私が旅立つ時の顔を見てくれたでしょ。私は痛みなく幸せに出発したんだよ。いつもマミーが私は美しいっと言ってくれてたまま逝ったよ​​。」

ハッピーが天国に逝った直後

 

「マミーとパパはとてもよく私の面倒と世話してくれたね。」

「本当にありがとう!」

「次に会うとき、またそこに戻るか天国でか必ずまた会えるよ。」

「話は変わるけど、もう気づているようだけど、私はルミ母犬の体を使ってマミー達に会いに行ってるんだ。」

「マミーが『ルミは、ハッピーと同じように、私たちの助けなしでも起きて、どこへ行くにもついてきている』と言っていたのを聞いたよ。 (ルミは関節炎を患っており、自力で起き上がることがあまりできない)

「ルミはハッピーみたいにいびきをかかずにぐっすり眠っている」(ルミは眠っている間ずっといびきをかいている))、「ルミは何か食べたいときにハッピーのようによだれを垂らして待っている」 (ルミはよだれを垂らしたことは今までなかった)

そうだよ、マミー、私はルミ母犬の体の中であなたと一緒にいるよ。

私がどれだけマミーと一緒にいたいと思っているかがわかるよね!」

「大好きなブルベリーのクッキー、フレッシュなお水、キャンドルやお線香、そしてきれいなオレンジ色の花束をありがとう!

私は永遠にマミーの愛犬孫娘で、とても祝福され、愛されてるってわかるよ!」

ハッピーの涙を感じた。

 

私は空を見上げて彼女の魂を抱きしめた!

そして彼女にこう言いました。

「ハッピー~アリガトウ!

ハッピーは私とみんなに喜び、愛、幸せを与えてくれる素晴らしいお仕事をしてくれたね。

ハッピーが私の人生に来てくれてとても嬉しい。

いつもそばにいてくれてありがとう!

また会えるまで。。。」

ハッピーからコミュニケーションが来てとっても嬉しい、感謝。

私の心の準備ができたら、ハッピーの人生に敬意を表して、彼女の犬生物語を写真とともに書きたい。ハッピーに敬意を表してメモリアルをしたい。

今日はハッピーの*初七日なので、私なりに法要してあげたい。
*初七日

これは故人(故犬)が「死出の山」と呼ばれる長さ3200kmの険しい山を越えてから
三途の川に辿く日(三途の川は幅が4000km もある大きな川) です 。
故人(故犬)が生前してきたことでこの河が激流、急流か緩流になるとか。
故人(故犬)の家族や友人は無事に渡れることを法要する日だそうです。

この事は以前ブログに少し書きました。

https://sanaesuzuki.com/2016/08/09/kula-golden-retriever-life-with-her-cancer-part-4/?lang=ja

ありがとう、ハッピー!

Love,

Sanae ❤️

ゴールデンレトリバー: ルミちゃんの輪廻転生

うちの犬娘ルミちゃんが先週13歳の誕生日を迎えた。
ゴールデンレトリバーの寿命は10〜12歳らしい。
彼女が一生懸命生きているのを毎日見ている私は彼女に感謝と愛を込めて、ブログを書く事にした。

ルミちゃんの誕生日は2010年1月19日。
生まれ変わって生きていく輪廻転生を信じない人もいるかもしれないが、ルミちゃんは過去55年間に3回、生まれ変わって来て現在4回目の犬生を生きてる。

ルミちゃんは前世が短命だったので、彼女が顕在化して人生を全うするのを私は手伝うことを約束したのは彼女が生まれた時。

アニマルコミュニケーションを勉強して、動物の生まれ変わり・輪廻転生について学んだ。それから動物の家族を (年齢、病気、事故のいずれかの理由で) 失った時にまた会えるかもと、かすかでも感じられるようになり悲しみの気持ちからが和らいだ。
動物家族が亡くなった後、彼らとコミュニケーションして、また会うのを待ち遠しくなった。と言っても全ての動物がちゃんとコミュニケーションできるというわけではないので私たち人間がお勉強して努力して動物家族の声を聞いてあげられるように知る必要がある事にも気がついた。

私は初めアニマルコミュニケーションを理解する自信がなかったので、ルミちゃんが一番最初にロロとして初め生まれ変わっていることに気づかなかった時期(2000年)もあった。でも2001年に私が瀕死の自動車事故を起こしたときにロロが死んでしまって、そして2年後にドレが私のところにルミちゃんとして生まれてきた時、私はすぐにそれがロロであるってわかった。ルミちゃんは生まれた時に明確にコミュニケーションを私に送った犬なのだ。

好奇心旺盛なドレはみんな(ドレのママーキンちゃん、妹のクラちゃんとオロちゃん)がカメラを見ているのに全然違うところを見ている(笑)

ドレは好奇心旺盛な犬で、彼女の願いは母親になりたいだった。それで彼女はノース フォークの隣人の男犬(黒のラブラドールレトリバー)の子犬を私たちが知らないうちに妊娠。子犬が生まれた時の彼女の喜び方は誰が見てもわかるくらいだった。

ドレと息子のコナ(サービスドッグになった子犬)

ドレの子犬の 1 匹(コナ君)を介助犬財団に寄付し、介助犬の訓練を修了し、16歳の身体障害者のパトリック君を生涯助け私たちの尊敬する犬になった。
ドレは大好きな子犬(チビグム)と幸せに生きてたのですが、チビグムが生後5ヶ月の時になぜか毒殺されてしまう事故が起こった。
ドレもチビグムの嘔吐物を舐めて死にそうになったりした
とても衝撃的で悲しい出来事で、こうして書いていて思い出すだけで涙がポロリなので今回はその事は書きません。
ドレは一命を救われたのですが、チビグムの死を受け入れられなかった悲しみに沈んで、いつもチビグム探してた。

ドレはチビグムを探すため、お庭の秘密の場所から脱出をし始めた。
彼女はいつも家に帰ってきましたが、私たちは心配で庭を隅々まで調べて、何回も彼女の秘密の脱出場所を見つけようとしたのに見つからなかった。
ある日、ドレはまたチビグムを探しに脱出した日、ピックアップトラックの運転手が路地でドレをひき逃げしたと、近所の人が見て私に電話してくれて慌てて行ったら、ドレは私を待ってた。私がドレに触ったら手と足を伸ばして光の中に行こうとして、「ごめんね、ママ、トラックがぶつかってくるとは知らなかったんだよ。また戻ってきたいよ!」って言った。私は「わかってるよ、大好きだよ。いつでも戻って来ていいよ。ママはいつもここにいうるからね!」と伝えてドレは逝った。

ある日、ロロとドレが車の事故で亡くなった事実を考えていたら、中学生の頃に少しの間一緒にいた愛犬のオリバーの事を思い出した。母はオリバーがお家の玄関から飛び出して表の道で車にひかれて死んでしまったと学校から帰ってきた私に言った。
この悲しいニュースを聞いてショックを受けた私はこの悲しみのトラウマを心の奥深くに閉じ込めていた事に気がついた。ドレが亡くなり、ロロの死がオリバーの死と繋がっているかもと、私は勇気を持ってオリバーと話すことにしたところ、
うわー、信じられない。
オリバーはロロでロロはドレだった。そして全員車の事故で死亡。

ドレは犬家族と私とまた一緒に暮らしたいと言っていたので、私は彼女の旅をサポートすることに決め、彼女と話をする事でいつ戻ってくるかわかるようにした。

ドレが亡くなって2年後、彼女はルミとして戻ってきた。
ルミは他のどの子犬よりもとっても小さくって、生まれたときは呼吸をしていなかった。母親のオロは必死で舐め続けました。彼女は子犬を救う使命を帯びているように舐め続けた。
私はこの小さな子犬に話しかけました。
オロが舐めるのをやめたとき、私が心肺蘇生法を手伝ったところ、ルミちゃんは呼吸を始めました。
奇跡!

奇跡のルミちゃん誕生1日目

その瞬間このパピーはドレだと分かった。
彼女が戻ってくるまでの道のりは簡単ではなかったのかも、でもオロは姉のドレが戻ってきたいと思っていることを知っていてこのパピーがドレだと知っていたようで、舐めるのを続けていたんだなとわかった。

子犬の名前は”ルミ”ちゃんにしたのはインスピレーション(霊感・神感)/光という意味。

一番小さい真ん中がルミちゃん

ルミちゃんはお母さんのオロちゃんに寄り添ってる

ルミちゃん(左)とお兄ちゃんのブブちゃん

ルミちゃんはとっても勇敢で元気。自分を表現することを恐れない子犬だった。
犬たちのご飯を用意している時に、誰かが電話したり来たりして中断すると、彼女は足でそわそわタップダンスをしているように、「ママ、私たちのご飯作りに集中して。お腹がすいたよ!」と言い諦めない。
今でも、外に出たくなると足ステップをしてそれでも気がつかないと声を大きく出して主張。

ルミちゃんはドレと同じように好奇心旺盛ですが、今回の彼女の視界はドレの時よりも明晰。彼女はより注意深く、また子犬を産んで、残りの人生を子犬と一緒に暮らし、人生を全うしたいと私にハッキリ伝えきった。
それぞれの犬が転生して同じ精霊犬に戻ったとしても、見た目や考え方は違う時もあってわかりにくい時もあるけどその犬の生きる目的は同じ。

私はルミちゃんがこの犬生を生きぬき、今世は車にひかれないように助けると約束し!
ルミちゃんに、交通事故なく健康で長生きできるように努力してくれるよう約束するように頼んだ。ルミちゃんの返事は「きっと、そうするよ!」

ルミが子犬を産んだ後

ルミちゃんは私たち(娘、義理の妹、姪、甥、夫のエリック、そして私)と大声でコミュニケーションをいつもとってる。時々怒っているように聞こえることもあるんだけど、ルミちゃんはこうして3回も戻って来て自分の犬生目的である犬家族と私たち人間家族と一緒に自分の本当の寿命を生きている喜びでエキサイト・興奮してるんだよと言ってる、可愛い子なんだ。

ルミちゃん(左)犬家族と私とハイキング

ルミちゃんはゴールデン・リトルリバーにしてはかなり小さかったので成長しても約30~35ポンド(13〜15kg、平均多重メスの場合25〜29kg)、10歳を過ぎてからも、いろんな人がよく「可愛い子犬ね!」彼女を称賛すると、ルミちゃんは自分が特別なんだと鼻を高くしてる。
ルミちゃんは娘のハッピーちゃんにはとても辛抱強く素晴らしく良い母親で常にどんな事があってもハッピーちゃんには何も言ったりした事がない。

今でもふたりで一緒に寝ている事が多い仲良し。

ルミとハッピー一緒に寝てる

ルミ(左)とハッピー散歩の途中

ルミちゃんは1年くらい前から右膝が関節炎になったので少しビッコをひいて歩いてる。

対処にホメオパシー薬とバッチフラワーレメディを服用して今でも彼女は、2 か月に 1 回はハイキングに行ったり、毎日自分のペースで近所を私と一緒に散歩してる。

ルミ下り坂ハイキング

びっこ足でも安定したペースで歩いているルミちゃんを見かける人は彼女に頑張ってと敬意を表する褒め言葉をかけてくれる。ルミちゃんはそれがとても好きらしく必ずその人たちのところに立ち止まりスマイル☺️。

今は大きなイビキもかいてよく寝てる。ヘルシー ハッピー プーチの手作りドッグフードとおやつを食べるのが大好き。ルミちゃんは動物霊気、マッサージ、温灸、ブラッシング、お腹のマッサージをしてもらえる事が喜びだよって言ってる!

ルミとお姉ちゃんのポーシャは、13歳の誕生日を祝うために一緒にバースデー散歩を公園までして記念写真!

ポーシャ、ハッピーとルミ(左から)ポーシャの人間ママと私

Enjoy life with dogs!

Love, Sanae ❤️

バケットリスト「死ぬまでにしたいことのリスト」#2 アメリカ自殺防止財団コミュニティーマーチ

余命はあと数週間。癌専門医師のドクター・ミィードから5月17日(金)2017年に
「びまん性大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫肝臓ガン」のステージIVと診断されてから初めてバケットリストを書いてみた。
(ブログ「余命1ヶ月もない!」)

バケットリストという言葉の日本語の意味は「死ぬまでにしたいことのリスト」。一番初めのバケットリストブログはユーミンのコンサートに行きたくって抽選に当たって行った事を書いた。

スペクタクルな場所に行ったり素晴らしい事をしたりしたいという気持ちはリンパ腫の癌から回復し始めてから変化していった。私のバケットリストはもっと心の深いものに繋がっていくのを感じた。

中学からの大親友、叔母ふたり、叔父ひとり、一番初めの夫、そして近所に住んでいた仲良しの友人が自殺。私自身、14歳の時に自殺未遂。メンタルヘルスに向き合って長い間生きてる。

アメリカ自殺防止財団がコミュニティーマーチ(3km)を私の住んでいる街のサンタモニカで毎年している事を知ってこのマーチにいつか参加する事をバケットリストに3年前に書いた。と言っても私は20年前に臨死体験(ブログ臨死体験から20年)するほどの車の事故で車椅子生活をしていてずっと歩くことは出来ないでいた。その後歩けるようになっていたがリンパ腫の癌が治ってから膝を2年前に骨折してコミュニティーマーチで歩くという事をバケットリストに書いた事は誰にも言えなかった。

コロナでパンディミックになって昨年はこのコミュニティーマーチは行われなかった。心に2021年のコミュニティーマーチで歩く事を誓った。フィジカルセラピーに通って膝が以前より強くなってきているのを感じていたところ、丁度、パンディミックで犬達を散歩してくれる人も来なくなって自分で少しずつ毎朝犬家族と一緒に歩き始めた。

今年、アメリカ自殺防止財団がコミュニティーマーチは先週の土曜日10月23日(土)2021年に行われた。初めて行く所はいつも少し不安で緊張する。エリックとカイちゃんが一緒に行ってくれて本当に良かった。

曇り空の暖かい日ではなかったので冷えないようにでもマーチするから暑過ぎないよう準備。

エリックと一緒に受付で一人$150のドネーションしたTシャツを受け取ってカーラービーズをもらいました。

ビーズは色でつける人が分けられていました。

白:子供を亡くした人

赤:配偶者を亡くした人

ゴールド:両親を亡くした人

オレンジ:兄弟姉妹を亡くした人

紫:親戚か友人を亡くした人

シルバー:軍隊の人ファーストレスポンダーを亡くした人

グリーン:未遂した人、苦しんでいる人

ティール:未遂した人苦しんでいる人をサポートしている人

青:自殺防止財団をサポートしている人

 

私は赤、紫、グリーン、そして青。エリックは紫、ティールと青。カイちゃんはティールをもらいました。

自殺防止の為にたくさんの人達が集まって(500人くらい)、今回アメリカ自殺防止財団は募金で$180、000集めたそうです。

イベントではスピーカー、エンターテインメント、追悼、ギフトが当たるくじ引きなど盛り沢山。今年はマウンテンバイクが1番のギフト。可愛い犬をドッグパックに入れていた女性がマウンテンバイクをもらいました。

今回、ドネーションはしましたがどんなイベント内容かわからないまま参加。来年は他の人も誘って募金運動もしたい。

マーチをする前にみんなでストレッチングしてカイちゃんはエキサイトしてジャンプしてたくさんの人が来てカイちゃんと一緒に写真を写しました。

 

 

歩き始める時、どのくらいの速さで歩けるかわかりませんでしたので最後のグループに入って歩こうかと思いました。でも何故か先頭のグループに入って歩き始めてエリックから「もう行くの?」って言われました。私は「とにかく行く!」と言ってマーチしてずっとスローダウンしないで全歩。

マーチし終わった後はアメリカ自殺防止財団の主張者でシンガーソングライターの人たちの心温まる歌が私の心に響き涙。

 

 

アメリカ自殺防止財団コミュニティーマーチに参加出来て嬉しい満足感。また1つバケットリスト達成!

愛を込めて、

Sanae 💖

 

 

 

 

 

 

 

世界一幸せなパピー:パート2

ナルちゃん(母親)とカイちゃん(父親)のパピーたちは順調に育ってきて私の生活の中心。

初めの週はただ眠っていてお乳を飲んでおしっことウンチをしてまた眠るという毎日。
90%は毎日眠っていたかな、だから時間的に言えば22時間は眠っていたと思う。
パピーライフはとってもシンプル、でもいつも見ていても飽きない。
眠っている時の息音、ミルクを飲む音、どれも生きているんだと感じさせてくれる癒し音。
パピーたちは何が生きていく上で大切なものかを教えてくれている。

Puppies sleeping

2週間するとみんな動きが活発になってきて自分で立とうとしたりし始めた。
それと目が開き始めたと言っても眠そうな目といった方がいいかもしれない。
片目だけ開いているパピーもいたし目の色がぼやけていた。
2〜3日したら目がしっかり開き始めて毎日可愛さがましてきた。
Puupies sleeping
 3週間過ぎて、歯が生えてきたパピーもいたが全然歯が生えてくる気配がないパピーもいた。もう成長の速さや性格の違いが違うのを表してきていた。
まだ、まだよく眠っていてナルちゃんが全部面倒を見ていたので私はパピーの後片付けなどをあまりしないで良かったけど、ナルちゃんが出産後、出血が止まってたくさんパピーようにお乳が出て健康状態を継続できるように気をつけてあげます。
ナルちゃんは背が高くスラリとしていてとっても活動的な犬なので妊娠した時の体重は増え過ぎませんでした。出産後体重が落ちたのでちゃんと体重が戻るように食べ物に気を使ってあげてます。
タンパク質が必要なので豆、豆腐、納豆などを食べてます。
それと餅米はお乳がたくさん出るとマクロビオティックで習ったので餅米も炊いてあげてます。それからおやつに毎日お餅を焼いて海苔を巻いてあげてます。

毎日、3回の食事に午前中と午後と夕食後におやつ。

ナルちゃんはお腹が空くと鼻の上にしわを寄せて面白い顔をして「もっと食べないと6匹のパピーたちのミルクが出ないよ。」と言います。直感力のある良いお母さんのナルちゃんを尊敬。

Nalu with Lani
Nalu and Green
3週間過ぎる頃、パピーたちは目もよく見えるようになってミルクを飲んだ後、ナルちゃんの顔の辺に来て寛ぐようになった。ナルちゃんはパピーがしたいようにさせていたのでこの無条件の完全な愛を見て感動。
 Nalu and Pink

4週間になると全員のパピーの歯が生えてきて、たくさん遊ぶようになりました。

これを見て私の離乳食を作る時がきたなとわかりました。

手作り離乳食は難しくはありませんが、自分たちの食事を作ると同じで時間がかかります。

今まで何回も作ってきたのですが、このパピーたちが気にいってくれるかは実際にはわかりませんのでやっぱり初めてあげる時はドキドキします。

このレシピの基本は私がずっと20年間使っているものでヘルシーハッピープーチの本にも載せてあります。

手作りパピーフード:朝食とランチ (オーガニック)

オート麦 大さじ4 
豆乳、アーモンドミルク、オート麦ミルク、米ミルク 大さじ4 
ディル 小さじ1 /2 
キャロブ 小さじ1 /2 
アップルソース 小さじ1 
スリッパリーエルム 一つまみ
ケルプパウダー 一つまみ
フラックス粉 小さじ1 /2 
ベジドッグスプリメント 小さじ1/2

初めはこれをミキサーで混ぜてあげてました。

Puppy food oat

 

みんな気にいってくれて食べてくれました。

puppy first food

ラニちゃんのお顔を見て〜〜〜!

Lani first HHP food

量は育ち具合で増やして行きます。                      

それと茹でたさつま芋、ブロッコリー、人参などを混ぜてあげます。

その他、柔らかく煮たお豆、そしてアルデンテでない少し柔らかめのを市販のパピー用のドッグフードの代わりに私は入れます。パスタは消化も良いしパピーは大好き。

 

スナックとおやつ 午前中と午後 (オーガニック)

  • フルーツ: アップルソース、バナナをつぶしたの
  • 茹でた野菜: 人参、さつま芋、カボチャ、柔らかいブロッコリー
  • 似た全粒穀物パスタ
  •  全粒穀物のパン: カボチャやひまわりの種のバターをつけるか生温い野菜かみそ汁、またはフルーツジュースにつける
  • 甘い野菜のペースト: ヘルシーハッピープーチの本のページ97 
  • チアシードプリン: ヘルシーハッピープーチの本のページ102 
  • 海苔(味付け海苔ではない)
  • オーガニックのナチュラルベーガンドライパピーフード

 


手作りパピーフード:夕食 (オーガニック)

柔らかく煮た豆 1/4 カップ 
柔らかく煮た玄米 1/8 カップ 
すり人参 1/8 カップ
細かく切った青菜(ケールかカーラド)1/8 カップ 
パウダーケルプ 一つまみ
生温い野菜のスープかみそ汁 小さじ1.5(フードをしっとりさせる為)
フッラクス粉 小さじ1/2  
納豆 大さじ1~2 

初めはこれをミキサーで少し混ぜてあげてました。

Puppy food with sweet potato etc.

 

量は先ほども書きましたが育ち具合、その日の活動の量によってまた犬の種類とサイズでも変わってきます。

パピーはとってもエキサイトしたり、それと長い集中力は出来ないので全部一度に食事を終わらせられない時があります。その時は一度フードボールを取り上げて、また少ししてからあげても良いと思います。

うちでもラニちゃん(うちにいるパピーの1匹)が食事時、食事中に他の犬たちが来てラニちゃんはママのナルちゃん、パパのカイちゃんなどが食べているのを見てどしよう、どうしようという状態になって食べなくなったりします。そんな時はみんなより先にあげてまた、みんなが食べる時にもあげます。他の犬たちは食べ終わってやっとラニちゃんはゆっくり食べ始める時もあるのでそんな時は、優しくラニちゃんに食べる応援をしてあげます。     朝、エリックが仕事に行く前のバタバタしている時でも時間がかかって食べているラニちゃんにイライラしないで愛の忍耐力を持って励ませる素晴らしいパピーケアーテイカーの練習。

どの動物家族も私が何かを学ぶために来てくれていると信じています。

最後にパピーの爪が伸びてきたので初めての爪切りをしました。Puppy nail

Lani nail cutting

写真で見えるように初めてなので眠っている時に切りました。パピー(犬)によっては爪を切るのがとても嫌がったり手足とか耳を触られるのが好まないので小さい時から毎日の生活の中でなれるようにしてあげれば新しいお家にもらわれて行く時にも大丈夫。

たくさんの人と私に教えをくれるパピーたちを健康で世界一幸せに育てる任務が大好き。
ありがとうございます。
Love,
Sanae ❤️
 

世界一幸せなパピー:パート1

若い頃、別に結婚して子供を生んでと言う人生を考えていなかった。

でも38歳の時、卵巣癌になって子供ができないとわかった後、新しい命と接したい思いが自分の中にあるとわかった。どのようにしてその思いが叶うのか私は考えていなかったけど宇宙の計画はあったようだ。

アメリカで初めて一緒に暮らした犬はサクラちゃん(私の大好きな日本の花を名前にした)はシェルティーの雑種で産まれて8週間、1981年にシェルターから来ました。それからいろんな犬やネコをレスキューしたりして家族として暮らしてきています。

卵巣癌を克服して元気になってから山本央子さんの「ヘンリー人を癒す」と言う本を読みました。私はいつか自分の犬を訓練してサービスドッグ/セラピードッグとして病院やシニアーセンターなどに行ってボランティア活動をしたいと願っていたのでこの本はそれを現実させるためのきっかけを作ってくれたかも。

Nakako's book

写真:山本央子さんの「ヘンリー人を癒す」

卵巣癌を克服して元気になってから山本央子さんの「ヘンリー人を癒す」と言う本を読みました。
私はいつか自分の犬を訓練してサービスドッグ/セラピードッグとして病院やシニアーセンターなどに行って
ボランティア活動をしたいと願っていたのでこの本はそれを現実させるためのきっかけを作ってくれたかも。

山本央子さんの本を読む1年くらい前にシェパードの雑種子犬産まれて8週間をシェルターからアドプトして
3日後に亡くなってしまう、とてもショックな出来事があり号泣した。
シェルターにその事を伝えたらまだ1ヶ月以内だからどの犬とでも交換出来ると言われてお腹が捻れるくらい
腹が立った。そしてその子犬は病気だったと言う事もわかった、とても悲しい経験だった。

その後、ゴールデンリトリバーの子犬を引き取る事になった。たくさんの人に愛されている犬種だったので
あまり私にはピントこなかったと言うのが本音だったけどゴールデンなので「キン」という名前をつけて
サクラちゃんと一緒に育てる事にした。
サクラちゃんは老犬で子犬のキンちゃんがうるさいかったのか不機嫌だった。
でもキンちゃんはそんなサクラちゃんに優しくとっても仲良くしていた。
キンちゃんは何故ゴールデンリトリバーが人気のある犬か確信させてくれ思いやりがある犬だと言う事も
わからせてくれた。

自著のヘルシーハッピープーチの本の表紙(下記)に載っているのがサクラちゃんとキンちゃん。

 

hhp paperback cover#10E3CCC.eps

写真: ヘルシーハッピープーチの表紙キンちゃんが左でサクラちゃんが右

 

 

キンちゃんはちょっと変わったゴールデンリトリバー犬でした。
見た目も普通のゴールデンリトリバー犬とは違っていて丁度私にはピッタリだったと思う。
ちょっと細身で運動選手っぽく、毛並みも短く、ラブラドルだとよく言われました。
もちろんゴールデンリトリバーなので誰にでも、どの犬にもニコニコしていたけど、家族だけでいると真剣なところもあって不安な気持ちのある私もキンちゃんと一緒にいる時は本音を出せて安心でした。

キンちゃんといると何でも出来るような気持ちになってキンちゃんとはいろんな事をして
いろんなところに一緒に行きました。
マサチューセッツ州にあるマクロビオティックの学校クシインスティテュートで勉強した時に
一緒に行って、私がクラスを受けている時に久司道夫先生とキンちゃんは散歩もしてました。
アメリカ大陸を車で2回一緒に横断したり、カナダの赤毛のアンで有名なプリンスエドワード島まで
キンちゃんとキンちゃんの娘たちとも一緒に行きました。

そしてサービスドッグとして訓練をしてロスアンジェルスのチルドレンホスピタルにボランティア活動に
行くテストとかにも合格。

そのキンちゃんの子犬を産めるチャンスがやがて来て私が犬の出産の手助け(お産婆さん)を
初めてしたのは2000年。キンちゃんが3歳。
初めてだったのでわからない事だらけだった。
でもキンちゃんが大丈夫出来るよって教えてくれました。
だからその後、キンちゃんのひまごまで産ませるお手伝いをすることが出来ました。

母犬が子犬を生む時の瞬間、子犬が産まれて来る瞬間、
その喜びを一緒に体験し母親が子犬を育てていくお手伝いもして来ました。
人間の家族には恵まれなかったけど犬家族が私の家族。
尊い新しい命が産まれて来る瞬間に接して、その家族と一緒に生活を共にして最後まで見届けてあげる。
私はこの犬たちのお陰で本当に幸せな運命を歩んできていると感じます。

たくさんの犬がシェルターやレスキューにいるから
犬を避妊させないで子犬を出産させるのは間違っていると言う人もいて酷く批判された事もあります。

私はブリーダーではありません。
それとお金儲けに子犬を出産させているのでもありません。

うちの子犬たちは訓練してサービスドッグ、セラピードッグになっています人間を助けています。
その他サービスドッグの団体に子犬を寄付して、有名なサービスドッグとして活躍しています。

シェルターやレスキューから犬6匹、ネコ6匹を今までアダプトして来て
私なりにシェルターやレスキューのためにも貢献してきています。
またレスキューのボランティア活動もしていてトラウマにあった動物たち、怪我をした動物たちに
アニマルコミュニケーション、動物霊気、バッチフラワーレメディー、動物マッサージなどをしてあげてます。

 

Nalu and Kai 08-14-20

写真: ナルちゃん (左) とカイちゃん (右)

2ヶ月ほど前に愛犬ナルちゃんが子犬を産みました。
愛犬カイちゃんがお父さん犬です。

こんなパンディミックの時に産んでもし何かあったらどうなるか不安がないと言ったら嘘になりますが
案ずるより産むが易しとは良く言ったもので、全て上手くいきました。

Nalu before labor

写真: ナルちゃん破水するちっと前

Helping the first boy to come out

写真:一番最初に産まれた子犬のへその緒をナルちゃんが切るのを手伝ってる

Eric with first boy

写真: エリックがナルちゃんを応援してあげてる

 

ナルちゃんのお産はとても楽で破水してから15分くらいで1番初めの子犬が産まれました。

Nalu with her first puppy

写真: 1番目の子犬のへその緒を切ってナルちゃんの嬉しい自慢げな顔

ナルちゃんが4匹目を産んでちっと疲れた時、アニマルコミュケーションを
ナルちゃんとして動物霊気をしてあげました。

Helping Nalu with Reiki

写真: ナルちゃんは動物霊気を受けている

動物霊気の後、ナルちゃんは一気に2匹を産み終えました。
全員で6匹。
みんな元気で可愛い!
ナルちゃん本当にご苦労様でした!

20年前にキンちゃんの子犬が産まれる時に、
お産婆さんをして初めて新しい誕生に接する事ができた事をまた思い出しました。
宇宙の偉大なる計画に心から感謝しています。

 

Nalu with 6 puppiesjpg

写真: ナルちゃん6匹の元気な子犬を産み終わった後

6 puppies

写真: 6匹の子犬たち。左からラ二ちゃん(うちの子になります)、チェダーちゃん、ワイリーちゃん、ルルちゃん、そしてうみバナナちゃんです。

 

 

今年はパンディミックでたくさんの人たちに困難な事が起こっています。
それでも子犬たちを育ててくれる人たちはすぐ決まりました。
後にそれぞれのパピーたち写真をご家族の写真などを載せます。

ずっと写真をアップしたりブログ書いたりしたかったのですが、
子犬たちとナルちゃんママそして他の犬たちとネコたちのお世話を丁寧にして
手作りごはんやおやつなども作ったりにたくさんたくさんしてしてあげたい事が
あってそれに全力を尽くしてました。

先週4匹が新しいお家に引き取られて行ったので、
やっと少し時間が出来てこうして写真をアップしてブログも書けました。

先日、2番目に産まれた子犬、うみバナナちゃんのまさよママからメッセージを受け取りました。
「スナックとか、自分で作ってみて、時間かかったりするので、さなえさんの愛をいっぱい感じました。
ありがとうございます。世界一幸せなパピーたちです。」と書いてありました。

世界一幸せなパピーと書いてあるのを読んで涙が出そうなくらい嬉しさを感じました。
そんな風に思ってくれて心から嬉しいです。

世界一幸せなパピー育てるそれが私のこの人生の使命かも。

パピーたちの新しい命に感謝いっぱい!

 

Nalu with puppies outside

写真: ナルちゃんの本当に嬉しそうな顔を見てあげて下さい

らぶ、Sanae❤️