愛する犬娘ルミへの賛辞

大好きな犬娘のルミちゃん(ルミネール・オロ・スズキ)は、2025年5月18日午前9時45分に虹の橋を渡るために天命。

ゴールデンレトリバーで15歳半。
本当に長生きしてくれました。
お疲れ様でした、ルミちゃん!

ミラクルガールで産まれてきた、とっても元気なルミちゃんは、人生を精一杯生き、私たちにたくさんの愛と勇気を教えてくれた。

以前もルミちゃんのことをブログに2回書きました。彼女に捧げました。

ゴールデンレトリバー: ルミちゃんの輪廻転生

ミラクル・奇跡

 

ルミちゃんは昨年12月6日午後3時9分に心臓発作を起こした。

3時間くらい普通に呼吸が出来なかったのでその間、もうお別れかとヒヤヒヤだった。でも、何とかきちんと呼吸ができるようになって、翌日から食事もできるようになった。
ルミちゃんの生きようとする力はすごい。
でも、ただその後、大好きだったお散歩には行けなくなってしまったルミちゃん。
文句も言わないで、出来ることに幸せを感じて生きてた。


クルスマスの日にビーチに連れて行ってあげたら、ゆっくり砂浜を歩いてとっても嬉しそうだった。

 

 

ルミちゃんは今年1月19日に15歳の誕生日を迎え、ルミちゃんが大好きでいつも可愛がってくれていた隣人の友達の家を訪れ、エリックが作ったブルーベリーパンケーキをバースデーケーキとして食べてとっても嬉しそうだった。今回は以前より長く生きられたことを実感してたルミちゃん。

 

その後、2月23日頃に肺の問題が発生。それからは本当に毎日をゆっくり過ごし、ほとんどの時間をマナカニ(ルミの娘ハッピーが亡くなった後に来た1歳の女の子)と一緒に過ごし、よく食べてよく寝てた。

 

ルミちゃんはきっちり屋さんだったので、毎朝の日課をやりたがり、寝返りが自分で出来ないと吠えて私たちに知らせて、反対側を向いたり、起き上がって外に出て自分でトイレに行ったりしていました。

 

その後、温かいビワの葉を浸したお湯で身体中マッサージして、手作り重曹入り海塩歯磨き粉をで歯茎と歯磨き。

それから、ハーブとホメオパシーの薬、そしてルミちゃんの好きな蓮のクリームを使ったレメディティー、手作りの朝食(『Healthy Happy Pooch』のレシピから)。関節炎で腫れていた前肘には、豆腐とビワの葉で手作りした湿布を貼ってあげてました。

 

 

 

朝の日課が終わると、ルミちゃんは家の裏のデッキが日陰なので行きたがった。一段段があて通気性の良い涼しい屋外ベッドが大好きだった。そこで空や木々、リス、フクロネズミ、鳥たちの動きを眺めたり居眠りをした。あらゆる匂いや音が聞こえたから、時折ルミちゃんはエキサイトしてる声も出した。ルミちゃんは自分で寝返りしたりして自分の体制を調整してた。彼女は最後まで勇敢な自立心があった子だった。

 

 アメリカに移住してから、18匹の動物家族(犬13匹と猫5匹)を虹の橋に送てあげたので(それと日本にいた頃は犬をもう3匹)、悲しみは楽になる?
ノー!

その悲しみはまるで海の波のように、時にはとても穏やかな波ですが、時には泳げないほど激しく、溺れてしまいそうなほどの大波になってやって来る。
波の圧力に押し流され、水面に浮かび上がることができない。息ができないような気持ち。目の前が真っ暗。

 

5月18日午前9時、私が刺し子のワークショップを教えるために家を出た後、ルミは息を引き取りました。

ワークショップが始まる約5分前、エリックから電話があり、ルミちゃんが逝ったと伝えられた。

私が家を出てから、ルミちゃんを抱いて、隣に横たわっていたんだよエリックは言いました。彼はルミちゃんの心臓の下に手を当てていたので、ルミちゃんの鼓動を感じ羅れていたけど、ある瞬間、ルミちゃんの鼓動が止まったように感じ、ルミちゃんの顔をじっと見つめていると言って、彼が泣いているのがわかった。
「ルミは大きく息を二度して、僕の腕の中で安らかにいっちゃったんだよ。」

この時がいつか来るとは知っていたけど、立っていられない程の悲しみでどうしたらいいか分からなくなった。どこかに隠れたくなって、お手洗いにまず行って気持ちを落ち着けて、なんとかワークショップを教え終えたけど、あんまりその後の事を何も覚えていない。

 

家を出る前にルミちゃんには、もし私がいない間にルミちゃんが逝かなくちゃいけないなら私を待つ必要はないよって話していた。それはルミちゃんは私が一緒にいる間は逝けないような気がしてたから。ルミちゃんがいなくなってしまうのは寂しいけど、たくさんの時間をルミちゃんと一緒に過ごしたから、彼女の思い出とルミちゃんの家族と一緒に生きていける。ルミちゃんのように精一杯生きていかないと。

 

ブログ 「ゴールデンレトリバー: ルミちゃんの輪廻転生」に書いたように、

ルミちゃんは私の生きているこの今世紀の間に4回も私のもとに戻ってきてくれた。

前回の3回は全て若い時(4ヶ月、1歳、4歳)に交通事故で亡くなったので、今回戻ってきた時は、ルミちゃんは必ず本充実した長い犬生を送りたいと願ってた。
なので私は、ルミちゃんが健康で長寿できる犬生を生きられるように、お手伝いすると誓いました。
そして、ルミちゃんは今回、長生きして願いを全うしました!

 

 

ルミちゃんは奇跡の女の子犬で、人生を精一杯生きてくれました。ありのままの自分でいること、たくさんの愛情を注いでくれること、気楽に過ごすこと、そして毎日を素晴らしいものにする方法を教えてくれました。

彼女はサンタモニカの我が家で、私の最初の介助犬キンちゃんの娘だったオロちゃんの末っ子犬として生まれました。あの瞬間は今でも昨日のことのように覚えています。

 

ルミちゃんは生まれたとき呼吸をしていなかった。母親犬のオロちゃんは彼女を舐め続けました。そして私が口から呼吸してCPRもしてルミちゃんは初めて呼吸をしました。
ルミちゃんは奇跡の女の子犬​​。
ルミちゃんは強い意志の持ち主で、小柄な体格にもかかわらず、大人になった時の体重はわずか15kgしかありませんでした(平均ゴールデンレトリバーの体重は最低27kg~30kg)。

 

ルミちゃんを、兄弟のブブと母親のオロと一緒に、マクロビオティックなヴィーガンフード(ヘルシーハッピーポーチ)で育ちました。そして、ルミの娘のハッピーが仲間入りしました。
ルミちゃんは食いしん坊で、私があげるものは何でも食べました。
ルミのお気に入りは生のブロッコリー(特に茎を薄く切ってあげると
クランチーで美味しかったようです)、カリフラワー、そしてカリカリのおやつとしてニンジン。また、茹でたインゲン豆、小豆、テンペ、カボチャ、サツマイモ、ピザクラストも大好きだったな〜。
うちはたくさん犬がいるのでいつも2つのチームに分けてみんなと散歩。ルミちゃんは最初のチームに連れて行ってあげないと、吠えて泣き続きてました。
まうからです。そうルミちゃんはエキサイトし子だったんです。一旦散歩に出かけると、満足して裏庭のデッキの上でリッラクス。
ルミちゃんは娘のハッピーにとって最高のお母さんでお兄ちゃんのブブ君にとっても良い妹だった。

 

 

前生まれてきた時は「ドレ」という名前っだったルミちゃん。その頃もは元々エリックの犬娘だったにもかかわらず、ルミちゃんはいつも私のそばにいてくれたので、私も彼女のそばにいてあげました。
私たちは自転車に乗ったり、ハイキング、水泳、スタンドアップパドルボード(SUP)など、色々なことをしたのを思い出せる。


             

特にルミちゃんが年をとって、関節炎で歩くのが難しくなってからは、私はできる限り彼女と一緒にいてあげました。家の中では、私がどこへ行くにもついてきて、例えば、リビングルームから仕事机のある部屋へ移動すると、彼女は起き上がって私のところに来ました。起き上がれない時は、声をだして助けを求めました。起き上がるのを助けてあげると、私のいる部屋までゆっくりと自分で歩いてきました。そして、大きないびきをかきながら眠ってました。
今、これを書いている今も、仕事机の横に彼女がいるように見えて、声も聞こえます。

ああ、ルミちゃん…抱っこしてあげたい。

                                                                                         

彼女が亡くなった後、クライアントの一人が入院していたため、一週間ずっと仕事をしてた。それと2つ刺し子のワークショップも予定されたので、ルミちゃんの死を悼む時間はすぐ取れなかった。
その間、胸が張り裂けるような思いが続いてた。
何も感じられず、やる気が出なかった。
ルミの死を否定したかったし、ルミがまだ私のそばにいると感じたかったのかも。

 

ルミちゃんを偲んで何かをするのは避けたかった。でも長い年月、ルミちゃんと一緒に生きていたからそれは無理な事だった。

ジャーナルを辛い時に感情を解放するために書いてる。
でも、今回2週間ルミちゃんのことを書くことができなかった。その間「刺し子を教える喜び」をブログを書いて投稿。これはルミちゃんのことを考えないようにするための手段だった。

何かお腹に詰まっているような感じ。それを体から追い出そうと深呼吸を何度もしても何かが引っかかっているような感じがしてそれは出てこない。
ため息、ため息、そしてまた、ため息…

 

朝、起きて1日を始める時が一番虚しい。
毎朝、ルミちゃんにマッサージをし、ビワ湿布をし、レメディドリンクを用意し、歯磨きをし、毛をブッラシング、手作りの食事(ヘルシーハッピープーチの本からのレシピ)とレメディをあげてた。

今、目が覚めると、まるで目的を見失ったような寂しさ。

生きがいを感じない!

 

ルミが亡くなって10日が経ち、ようやく数日休みが取れて、だんだんと落ち込んでいった。

その朝、目が覚めるとルミちゃんの声が聞こえた。
何もできずに時間が過ぎていった。
初めて丸一日を自分の時間で過ごせた日。
ルミちゃんに触れて、むしょうに会いたくなった。
ただ何かを見つめていたけれど、何も見てない状態。

ふと目を下に向けてみると、ルミちゃんが一年中、昼間寝転んでいた床を見ていた。

ルミちゃんはベッドを4つも持っていた。
ルミちゃんがいなくなってから、誰もそのベッドを使いたがらない。

ルミと毎日ほとんどの時間をそのベッドで過ごしていたマカニも、使わないでとても悲しんでいる。

マカニ以外の他の犬猫家族もみんな、ルミちゃんがいなくなって悲しんでいるのが、わかる。
ルミちゃんは家族のリーダーで、みんな彼女を尊敬してたから。

ルミちゃんの犬生の最後の数日間、みんなは彼女にスペースを上げて、
あまり近くに来ないで、静かにしてた。

私はこの人生でたくさんの犬猫の家族に恵まれ、とても幸運だと思う。
ルミちゃんが逝ってから今、うちには動物家族の犬4匹と猫2匹がいる。

まだ他の動物の家族が側にいるから、悲しみは和らぐのでしょうか?
悲しみが深くないとかはよく分かりませんが、残された動物家族は確かに私を支えてくれてます。

私が泣くと、みんなが私のところにひとりづつにやって来て、頬をなめてくれたり、ハグしてくれたり、悲しい声を出して一緒に泣いてくれる子もいます。
なのでこの子たちのお陰で落ち込んでもなんとかまた、悲しみに穴から這い上がってこれるのかも。

一つ確かなのは、それぞれの動物家族が、私の心のそれぞれ違う部分に触れ、私をより良い人間にしてくれてること。

動物家族は私にとって、本当に大切な存在。
この子達がいなかったら、どうやってこんなに平穏で幸せな人生を送ることができたのか、想像もつかない。

悲しみをテーマにした内容は、以前にも何度かブログで書きました。

下記はその中の2つ。

悼しむ

愛犬ハッピーの旅立ち後の悲しみを癒すセルフケア 

 

今回は3つ以上のレベル段階分けした内容を書いてみました。
1。チャレンジ

ー この段階では、喪失という現実と、悲しみ、怒り、混乱、さらには罪悪感といった、そこから生じる困難な感情に立ち向かう、”チャレンジ”。
ー 喪失とその影響を受け入れようとする中で、感情的かつ精神的な葛藤に直面する時期。
ー 悲しみは自然な反応であり、悲しんだり、怒ったり、混乱したり、無感覚になったりするのは当然のことなので、自分の感情を抑圧しない。

自分の気持ちを抑圧しているわけではないし、悲しみを経験するのは初めてじゃないけど、どう感じたらいいのか分からないと言うか、分かりたくないと言うのが本音かな。
まるでいろんな形の雲が私に近づいてくるように、その雲を見て私が感じるものがいつも変化していく。この雲が雨雲になって土砂降りの雨に濡れたくないと言う気持ちが出たら、この場から逃げ出したい気持ちもあれば、その雨に濡れて走ったり、ただ歩いたり、ただ立っていたり。気持ちはその瞬間、瞬間に変わるのをそのまま見れるようになってあげたい。

ー 必要な時には泣く:泣くことは感情を解放する健康的な方法です。
私は悲しい気持ちを涙で解き放つために、悲しい映画を観る必要がある時もあります。

癒やしには時間がかかり、良い日も悪い日もあるから、自分には優しくそして辛抱強く接することが必要。

辛抱強く、忍耐強く生きていくことが私の人生の鍵だと信じてる。でも、私の感情は浮き沈みが激しく、いつ悲しんでいるのかさえ分からないこともある。
まるで海の波のように、無限に変化していく。

2。変化:
ー 悲しみは、人生をどのように経験し、世界をどのように捉え、他者とどのように関わるかに大きな変化をもたらす。この変化は、かつての人生がもはや同じようには存在しなくなるため、混乱や孤立感を感じることがある。

誰もが人生で悲しみを経験し、自己愛を持って再び幸せを感じるために前進することを学ぶ必要がある。

ー セルフケア
自分の感情をケアすることが私にとって一番難しいと思う。

ー 身体の健康に気を配る:運動をし、健康的な食事をし、十分な睡眠をとる。
悲しいときはこれは難しいんだけど、セルフケアを実践するようにベストを尽くしています。朝起きたら、歯磨きの後にボディスクラブをし、朝食に味噌汁を食べ、できるだけ睡眠をとるかお昼寝をする。
ー ルーティンを確立する:起床、就寝、食事のスケジュールを規則正しく保つようにする。
規則正しくスケジュールを持って生活する事は残された他の動物たちにとっても必要。

ー アルコールやその他の不健康な習慣を控える:これらは悲しみを悪化させる可能性があります。
私の場合は、アルコールは40年以上飲んでいにので、食べ過ぎや食欲がなくなって全然食べない事に注意する必要がある。それと、泣きすぎた時は水分を補給。

ー 好きな事を見つける:趣味、社交イベント、その他喜びを感じられる活動に参加しましょう。
私は気功のクラスとか行けなかったけど、刺し子と手縫いが家でひとりでもできて良かったなと思う。今は初めての手縫いドレスを製作中。

3。つながり:
この段階では、他者との関係を維持し、構築することの重要性が強調されます。愛する人とつながり、サポートを求め、亡くなった人との共通の思い出を思い出すことが促されます。

ー 信頼できる友人や家族に話す:気持ちを分かち合うことで、慰めや支えが得られる。
ルミが亡くなった日、私はビーチに行った時に友人に電話をかけた。一人しか電話には出てくれなかったけど、ひとりでも話せて良かった。

ー グリーフサポートグループ人たちと繋がりましょう:同じような体験をした人たちの話を聞いたり、自分の事を話したりしてコミュニティ意識を高める。

今回は参加しませんでしたが、ペットのグリーフサポートグループのミーティングに参加したことがあって、助けられました。ペットを愛する人のための、優れたオンラインのグリーフサポートグループがあります。

ー 専門家の助けを借りる:対処に苦労している場合は、セラピストやカウンセラーがアドバイスを受ける。

私も近いうちにセラピストに自分の気持ちを話す準備ができてきています。

それと、
ー 亡くなった人や動物の家族を思い出す:幸せな思い出に思いを馳せ、共有していた絆を認める。

私は起床後、ろうそくに火を灯し、お香を焚き、水を交換し、祭壇に新しい食べ物を供えます(花も必要に応じて交換します)。写真をまとめ始めている。

ー 自分を許す:すべてをできなかったからといって、自分を責めないでください。

ルミちゃんには心の中では最善を尽くしたと信じているので、自分を責める気持ちは殆どありません。

ー 自分の悲しみを他人と比べない:誰もがそれぞれの方法で、異なる方法で悲しむのです。

私の場合は、最初は一人になって自分の本当の気持ちに向き合う必要がありますが、外出して人と交流する必要がある人もいます。エリックのように海に行ってサーフィンして自分を癒す人もいます。

ー 自分の考えや気持ちを書き留めてみる。これは感情を整理するのに役立ちます。

今こうして書いているように、書くことはいつも私にとって助けになっている。

ー 活動的でいる:毎日何か屋外で何かをするようにし、できる限り歩きましょう。

私は毎朝犬と散歩に行きます。週末は海や湖に行って命の洗濯。

ー 医師の診察を受ける:悲しみはストレスになることがあるからです。そのため、必要なら医師に自分の状況を必ず伝えてる。

悲しみが免疫力を低下させるという経験が私にはあります。1993年に癌になった時は父が亡くなり、最初の夫と離婚した後のこと。その時は、自分が悲しんでいることさえ気づいていませんでした。2017年に2度目の癌になった時、愛犬クラが亡くなり、その後エリックと私はレストランを失いました。これもまた大きな悲しみでしたが、前向きに、引きずられないように努めていました。あまり自分の悲しみを受け止めてあげられていなかったのが現実。

今回ルミちゃんを亡くして私はまだ1の段階にあり、2に入っていますが、このブログを書いているうちに3に触れられるようにるなってきてるのを感じてきた。


以前、他の動物家族が亡くなった際に、仏教の法要の伝統について簡単に書いたので、
今回は、少し詳しく書いて最後にします。


私は熱心な仏教徒ではなく、日本の家族もそうではありませんでした。そのため、私は自宅で動物の家族のために、自分なりの法要を行っていて、伝統的な法要とは異なる場合があることをご了承ください。以下は、私が動物の家族のためにアレンジした、人間の法要についての情報です。
この後の仏教の法要についてはまだ英語だけで日本語の翻訳はできていないので、
また時間を見つけて書いていきますね。
なので、また読みに来て下さい。
宜しくお願いします。

 

First, what is the purpose of the Buddhist memorial services?

In Japan, when I was a child, I remember being scolded and told that if I lied, “King Enma will pull out your tongue and send you to hell”?

In Buddhism, when a person dies, they say goodbye to this world and travel to a place called “Chuin.”

 

Chuin is a world where trials are held to determine the destiny of the deceased in the afterlife. This journey lasts 49 days and is known as the “Journey to the Underworld.” Every seven days, the deceased is judged by the kings of the underworld dynasty for the crimes they committed in life.

 

On the day of the trial in the interment period, people close to the deceased gather in this world to hold a memorial service. They pray to the Buddha, creating a bond that enables the deceased to reach paradise safely and find happiness. The first day of this process is the “first seventh- day”(初七日-Shonanoka) memorial service.

 

The first 7th day is the start of the journey to the underworld. The journey to the forty-ninth day

 

The first seventh-day memorial service is customarily held on the seventh day, starting from the day of the deceased’s death. After that, seven memorial services are held until the forty-ninth day (the seventh 7th day), which are called Chuin Kuyo or Otaiya/Otan-ya.

 

I usually light a candle and burn incense, accompanied by the sound of an iron (Japanese Buddhist bell). Also, offering water, food that he or she liked in life, and flowers.

The first 7th day (Shonano-ka 初七日)

 

On the first seventh day (Shonanoko-7th day), the deceased walks up a very steep mountain. It is said that they progress by eating incense during this time, so incense is burned in this world for this reason. At the end of the journey is the first judge, King Hata Hiro.

In this world, we pray to Acala, who has a fearsome face and warns us against the worldly desires of humans for good judgment.

 

We went to the beach to pray and told Lumi how much we thank her for her life here with us.

The second 7th day (Futannoka 14th days)

 

As soon as they cross the mountain, they come to the Sanzu River, where those whose crimes are light cross on a bridge, while others must cross in shallow water or through muddy water, depending on the severity of their crime. The fare to cross is six-mon yen (about 200~300 yen now), so they place a six-mon money coin in their coffin.

 

Once they have crossed the river, they are judged by Hatsue-no-O to see if they have committed any acts of murder, but in this world, they seek salvation from Shaka Nyorai, who will grant the prayers of anyone.

 

I know my animal family is all able to cross over the rainbow bridge without problems.

 

The third 7th day (Minanoka 21st day)

 

The third trial is when the Song Emperor uses a cat and a snake to punish those guilty of infidelity. The Buddha to whom people in this world pray is Manjusri Bodhisattva.

 

Manjusri Bodhisattva, known as the proverb “three heads together make Manjusri’s wisdom,” grants the wisdom to go to the Pure Land.

 

The fourth 7th day (Yonnanoka 28th day)

 

Next, you will meet the Gokan-o. Here, there is a scale that weighs the amount of bad words and actions that the deceased committed during their lifetime, and the deceased is placed on it.

 

Samantabhadra Bodhisattva, riding on a white elephant, is full of mercy and will lead you to the world of enlightenment with his many merits.

 

The fifth 7 days (Itsunanoka 35 days)

On this day, the famous King Enma awaits. He uses a mirror made of crystal to reflect the evil deeds of the deceased and has a demon pull out the tongues of anyone who lies.

 

King Enma then decides where the deceased will be reborn. In this life, we pray to Jizo Bodhisattva, but the Jizo that is closest to us is a Buddha who saves us from the suffering of hell.

 

The sixth 7 days (Munanoka 42 days)

 

In the 6th trial, the judgment is made by the King of Transformation based on the reports of King Gokan, who used the scales, and King Enma, who used the mirror. The conditions and place for rebirth are also decided in detail.

 

Maitreya Bodhisattva is said to be the successor of Shakyamuni. It is the Buddha who will save us in the distant future. He teaches us how to help others attain enlightenment, not just ourselves.

 

 

The seventh 7 days (Shichinanoka 49th day)

 

This day, which is the 49th day after the death, is an important day for memorial services.

 

It is the day when King Taishan hands down the final decision based on the results of the trials so far. Depending on that decision, the deceased leaves the intermediate world and sets off to be reborn in one of the following realms: the realm of heaven, the realm of humans, the realm of Ashura, the realm of animals, the realm of hungry ghosts, or the realm of hell. In this life, prayers are offered to Medicine Buddha for the best decision to be made.

 

What is a 49th-day memorial service?

 

In Buddhism, the 49th-day memorial service is a significant ceremony to pray for the deceased’s soul to attain enlightenment peacefully. In Buddhism, the 49 days after a person’s death are called “Chuin” or “Shichishichinichi,” and memorial services are held at turning points every 7 days during this period. Starting from the 7th day, followed by the 27th and 37th days, the “49th-day memorial service” is held on the 49th day, which is the seventh 7 days, and prayers are offered for the soul to be led to the Pure Land.

 

49th-day memorial service for animal companions

 

Increasingly, families in Japan are holding 49th-day memorial services for their animal companions, following the tradition of funeral rites for humans. For owners who feel that their beloved dog is like a member of the family, carefully sending off the soul of the animal companion is an essential step in processing their grief.

49th-day memorial services are gaining attention as a ceremony that allows owners to express their feelings of “thank you” to their pets and their desire to see them off until the very end.

 

Kula, who was Lumi’s antie, used to go to our restaurant Seed Kitchen, so I offered a 49th-day memorial service for Kula and invited many friends.

I post about it on my blog.

 

Spend time mourning with family and friends.

 

It is also essential to hold the 49th-day memorial service with family and close friends. By sharing time together centered around your deceased animal family, such as talking about memories while looking at photos and videos of your beloved dog and playing your favorite music, you can heal your grief. Rather than carrying it alone, mourning together will ease the burden on your heart and give you the strength to look forward.

 

ルミちゃんの旅立ちについては、今のところ数人の友人にしか話していません。

テキストメッセージはコミュニケーション手段としてあまり得意ではないので、電話で連絡しました。
連絡した時、ほとんどの人は忙しそうで、それも仕方ないし、何人かの友人と話しましたが、ルミちゃんが亡くなったという知らせを伝える勇気がなかった。

まだ自分の気持ちを伝えるには適切な時じゃなかったかも。

体があまりにも縛られているように感じたので、指圧マッサージを受けました。本当に助かりました。

ルミちゃんの犬家族とビーチに行ったことも、彼らの悲しみを和らげるのに役立ちました。

ルミちゃんを偲んで、ガーデニングをして、植物やハーブを植えました。

 

これを書くのに2週間以上かかったけど、いつものようにこうして文章を書いて感情を整理し、ブログを投稿するのは、とても癒やしにつながってきている。
でも、このブログに載せるためにルミちゃんの写真を見るのは、どれも良い思い出ばかりなのに、本当に辛かった。
ルミちゃんがここにいてくれたらどんなに良いか。

もう一度、ルミちゃんの笑顔を見て、そのお顔を触ってあげたい。

ルミちゃんはチェリーが大好きなので、チェリーの季節が来ると一緒に食べた。
エリックにチェリーパンケーキを作ってもらいました。

ルミちゃんの人生をスマイルでいつかお祝いしたい。できれば四十九日にか100日に。

「ルミちゃん、あなたは本当に素晴らしい子。精一杯頑張って、精一杯生きたね!」

「ルミちゃんは本当に誇りだよ!」

「心からありがとう、ルミちゃん!!」

Love,

Sanae❤️

P.S. このブログを書いた後、ルミの遺灰が家に帰ってきました。
ルミちゃんのフワフワの毛、ひげ、鼻と足跡プリント、そして歯も受け取りました。遺灰のお陰か気持ちはだいぶ落ち着きましたが、同時にもっと深い悲しみを感じ、大声で泣いた。
泣き終わった後、ルミがこれまで以上に私のそばにいることを実感した。そしたらルミちゃんが「ママ、私のためにいっぱいしてくれて、ありがとう!」「大好きだよ!これかも何があっても、ずっとずっとママと一緒にいるよ!」って言ってくれました。(涙。。。)

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