春の日本旅行日記2023年5日目東京から京都へ


日本に行くと、いつもあそこも行きたい、あの人にも会いたいあれもしたいこれもしたいと思ってしまってスケジュールを詰め込んでしまうので、今回は行く前から詰め込まない旅をすると決めた。
という事でこの日も会う事にしていた友人のところに行かないで朝ゆっくりしてリンゴちゃんたちと散歩しながらエリックがお昼に作ってくれる食材のお買い物に行った。


ランチは恭子達のためにエリックは春の旬のホタルイカを使ったお料理。きれいで上品すぎると言われていたけど美味し食べてもらえた。

東京駅から京都まで行く代わりに、新横浜から新幹線に乗るという恭子のアドバイスを通りして正解だった。
乗り換えもスムーズに行ったし、混んでなかったし新横浜でのぞみ新幹線を見ていつものようにエリックは興奮気味だった。


新幹線のビデオをエリックは撮っていて駅員さんに大声で、もっと離れるよう注意されちゃったよ。


新幹線はスムーズで快適だった。
乗りながら思い出していたのは新幹線に乗って東京に行くのが、高校生の頃の私の楽しみの一つだった事。当時は新横浜から京都まで新幹線が3時間くらいだったと記憶していますが、今はもっと速くなって2時間弱。


ということで、ちひろちゃんの桜アンパンをおやつに食べながら飛行機で編み始めた春のセーターを編んでいたらあっという間に京都に到着した。

私は京都のホテルに泊まることにし、予約する時どこがいいか迷ったというより京都は観光客にとても人気の場所なのでどこも予約いっぱいだった。
幸運にもネットで調べたら、京都駅にとても近い、ホテルグランヴィア京都を見つけたのでどんなホテルか読んでみたら。京都駅ビルに直結していて、もし雨が降ってもこれなら荷物を持って外に出る必要もないから即決定。



京都駅に到着して、人混みが東京駅ほどではないけど多くてホテルグランヴィア京都の入り口までの道を1度だけ聞くと
新幹線を降りて右に曲がるとすぐあるよと教えてもらってそっち方面に行くとホテルの入り口があった。
エントランスの少し暗い階段を上がり抜けるとパッーと光が入ってくるようなガラス張りの橋を歩いているのに気がついた。

えー何これ?
って言いながらよく見ると京都駅の真上に自分たちがいる事に気がついた。 

右側がJRの線路側、左側が京都駅の八条出入り口。

なんとも不思議な眺めでいろんな人たちが歩いてたり、急いでいるのが一目に見えた。
こんな風に上から駅を眺めた事はなかったので、エリックは興奮してビデオを撮り始めていた。

このガラス張りの橋を渡ると素敵なお店が並んでいてその後、ロビーへのエレベーターがあった。これを書いている今も、またホテルグランヴィア京都に行ってあの周辺で時間を過ごしてみたいなという気持ちがある。
通常、庭園があるホテルや旅館が好きだけど、伝統的な旅館ではなく、庭園もないモダンな雰囲気なホテルだったけどでなぜか惹かれた。
私たちの部屋は新幹線側の駅が見える部屋で、窓を開けると駅の音が全部聞こえ、閉めるとほとんど何も聞こえなかった。この窓ガラスはすごいなって感心。南側の山の美しい景色が印象に残った。

 

私がお部屋で休息している間、エリックは探査に出かけてホテルの隣に美味しい湯葉と自家製豆腐の京やさい料理のレストラン、『接方来』を発見。


夕食をそこで食べようと誘いに来た。

私たちはその湯葉と豆腐の美味しいレストランでお腹いっぱい食べた。
少し散歩して、お土産屋さんやパン屋さんを覗いて、部屋に戻った。
夜はとっても素敵なモダンな日本のお風呂をエリックはビデオを撮って、サンタモニカから持って来たお庭のカレンデュラ(キンセンカ)とノースフォークの松の手作り入浴剤でゆっくりお風呂。


8年ぶりの京都の夜をゆっくりおやすみ。

Love, Sanae❤️

春の日本旅行日記2023年4日目箱根

日本に行って好きな事はたくさんある中で一番大好きなことは、温泉と指圧マッサージ!

それで今回も4年前に行った箱根湯本にある天山にに行く計画を立てた。

小田原で仲良しのちひろちゃんと合流。

まずは大涌谷(大涌谷は、激しい火山活動を間近で観察できる箱根屈指のビューポイント。ここは水蒸気噴火と火砕流がほぼ噴火したことで3000年前にできたと言われています 。)

地元では「地獄谷」とも呼ばれいる、硫黄泉で茹でて卵の殻に独特の色を付ける黒卵が有名。硫黄の匂いがとても強かくて、匂いに敏感な私はマスク顔で写真。

大涌谷に到着すると、富士山が見えたけど雲の後ろに隠れていたので、息を吹きかけて雲を追得るようにしてみた。

うまくいったかって?

いったよ!

4年前行った時は雨で富士山が見えなかったので、今回はラッキー。

富士山は日本の象徴。世界文化遺産。

富士山は、父の建設会社が五合目(富士スバルライン五合目)への道路を建設した思い出があり、生前の父とつながっているのもあってか親しみも感じて好きだなぁ。

富士スバルライン五合目は、標高2300メートルにあり、富士五湖を一望できる。登山が苦手な方にも人気のスポット。

父の会社が道路工事をしている間、私はそこに行って息をのむような富士山をとても近くで眺めさせてもらい、父が亡くなった後ずいぶん経ってから五合目道路の完成を見に行った時は感動で涙。

この話はエリックに何回も話したけどいつかエリックに、富士スバルライン五合目に行く道路を見てもらいたい。

 

昼食はちひろちゃんが車で芦ノ湖の新庄そば(創業50年以上)へ連れて行ってくれた。

 

普段、そばはうどんよりも重い感じであまり食べません。でも、新庄そばはつるつると食べられて、大盛りを頼めば良かったと後悔。それと自然薯おろしをそばと一緒に食べたんだけど、こんなに濃厚な自然薯は初めてで、びっくり。すっごく美味しかった。

 

美味しかったランチの後、とっても美しい山桜を見て目的地である天山へ。

 

 

天山は温泉だけでなくマッサージやカフェ、お土産屋さん(私の大好きな物がたくさんある)も充実している。

まず到着してすぐに、マッサージルームエリアに行き、温泉の後にマッサージを受ける予約をした。

マッサージにはいろいろ種類があって私は癒し指圧と足の組み合わせをエリックとちひろちゃんは全身の指圧を選んで早速温泉に直行。

 

温泉は自然からの贈りもの。

身体、心、魂、精神を温め、肌を滑らかにしてすべすべ。

天山には趣のある木造の内湯と、外の森の木々に囲まれた露天風呂がある。

前回はちひろちゃんと話しすぎて温泉に浸かりすぎてマッサージに大遅刻。今回は遅刻しないで行けたよ。

マッサージは至福の癒しで、満足度100%の笑顔。

 

 

マッサージの後はカフェ「うかれ雲」へ。

前回は気候が暖かかったので赤しその冷たいドリンク飲んで感激。サンタモニカで夏に作ってみたくらい気にいってブログにも書いた。

今回はまだちょっと肌寒かったので、心も体も温まる自家製あつあつの甘酒。

 

エリックは梅酒とチョコレートタルト。

源泉掛け流しの温泉は、そのまま飲んでもよし、ボトルに入れて持ち帰ってもよし。

一般的に温泉はマグネシウムの含有量が多く、「硬め」という印象があるけど、天山にある温泉のひとつ【No. 74温泉】マグネシウムイオンゼロ。カルシウムイオンの含有量は1000ml中1.2mgと非常に柔らかく、超軟水の性質を持っているらしい。

 

私は天山でもう一つ好きなことがあって最後に残しておく。

それは天山のお土産屋「洒落亭」。

普段使いできるユニークで珍しいコレクションが大好き。ささやかな道具たち見てるだけで幸せ。

何か小さくても家に連れて帰りたい品を見つけたら心までキラキラ。

持って帰って自分の生活に加える事を考えるだけで、人生が楽しくなる。

 

今回は塗香(ずこう)と塗香入れ桜木箱を見つけちゃった。

私はティーンエイジャーの頃からお香が好き、でも塗香は持っていないかったのでワクワク。

塗香は身を清めるために身体に塗った粉末状のお香。沈香、白檀、丁子、桂皮等生薬の貴重な香木をベースとした、清らかな香りが特徴。法事、法会を行うときや写経を始める前などに香を手、身体に塗って使う。私はこれを日本のアロマセラピーとして気持ちを引き締めたり、自分を守るための使おうと決めた。

この塗香と木箱がサンタモニカにある私の大切な宝物さんたちに加わえるのが楽しみ。

Love,

Sanae❤️

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春の日本旅行日記2023年3日目東京

 

日本にはたくさんの体験教室があって日本文化を学べる場所がある。この日は朝早くから金継ぎ(「金継ぎ」とは割れや欠け、ひびなどで破損した部分を金などの金属粉で直す修復技法のことです。古くから日本で受け継がれてきた、モノを大切にする 日本の文化)体験教室に行こうと初め思っていたがのんびりすることに気持ちを変えた。

時にはあまりたくさんの事をしないで過ごす事が一番。

それに金継ぎを習う機会はまた必ずあると思うからね。

リラックスして朝食後、リンゴちゃんとシゲルさんにバス停まで一緒に行ってもらってバスで二子玉川ライズへ。

最初の行き先はお気に入りのメガネ屋さん、JINS(二子玉川ライズの4階)。

JINSは2001年に設立された日本のメガネ屋さん。2020Tokyoという番組で5年くらい前に紹介されてた。

機能的で革新的で軽量なアイウェアを誰もが手頃な価格で提供することを使命としているとか。すべてのJINSフレームは東京でデザインされ、日本のものづくりの精神と情熱で丁寧に組み立ていられるというのを見て行ってみたいと思い、4年前に浅草のJINSに初めて行った。

確かにJINSは効率的で、礼儀正しく、迅速で、手頃な価格、エリックもとても気にいって新しくまたメガネを作りにJINSに行くのを楽しみにしてた。

今回は5 つのメガネを選んだ。
メガネを5つアメリカで作ったらえらい金額になって当面倒産。でもアメリカの約4分の1。

エリックは、2 つクールな遠近両用メガネを選び。
私は遠近両用、コンピューター用、クラフト/カリグラフィー用にそれぞれ 1 つずつ。

 

眼鏡が*出来上がるのを待っている1時ほどの間、6階の「文教堂」書店に。
*遠近両用メガネは1週間かかります。私の場合は世田谷にいる私の友人に送ってもらってその友人がサンタモニカまで送ってくれます。もし、みなさんが日本に行ってJINSで遠近両用メガネを作るなら、日本に到着してすぐに行き、1週間後に遠近両用メガネを引き取りに行く事をお勧めします。


私は日本の本屋さんが大好き。
本以外のものがいっぱいあって、楽しく思ってもいないものを見つけることができるスペース。
カリグラフィー用のペン、インク、和紙をチェックしたり、雑誌や漫画を少し立ち読みしたり一日中でも楽しめちゃう。

日本の本屋さんのような本屋は、サンタモニカのサードストリートプロムナードにあったバーンズのノーベルの本屋さん。
閉店した時は寂しかったなぁ。
車椅子に乗って生活してた時、介助犬のクラちゃんと一緒に車椅子でよく行った。いろんな雑誌や本をチェックし、分厚く重いハードカバーの写真集を見たり、カラフルな文房具を選んだり。
私がいろいろ見ている間、クラちゃんは他のお客さんや従業員の人たちとお話ししたりしてみんなを笑顔にしてあげてた。

文教堂も同じように落ち着いた雰囲気だったので本屋さんでクラちゃんと過ごした懐かしい時間を思い出させてくれた。

何か特別に買う本はなかったが スヌーピーの本、”心をととのえるスヌーピー”を買った。


この本は日本語の名言と禅語について解説。
モノクロで描かれ、余白が生きているピーナッツコミックは禅に通じるものがあり、登場するキャラクターのセリフにも禅語と重なる部分が多くみられます。また無言でもそこには禅語に通じる世界が広がっている。

本の冒頭で示された例は -結果自然成
「まずはやってみて乗り越えてどういう結果になるかを見るしかない」

最初に実行して、何が起こるかを確認。
これは私の人生のモットーの1つ、英語を小さい時にスヌーピーの本を見て習ったのでこの本とのつながりを感じ、またこのスヌーピーの本から学べるものがあるような気がした。

英語を勉強しようとスヌーピーの本とわんぱくデニスの本を持っていた。その他はセサミストリートのテレビショーを見たり、英語のレコードを聴いて歌詞を見て訳したりもしていた私。懐かしい思い出。

 

さて、本屋さんの後はお腹が空いて、エネルギーが低下気味で疲れを感じた。
丁度お昼でどこのレストランも長い列だったのでどうしたものかと思った時、1カ所だけ、行列がほとんどないレストラン、和カフェTumugiを見て、ここはあんまり美味しくないかもという思いが横切った。

時間的な事もあって、とにかくその和カフェTumugiで食べる事にした。
お味はというと、私たちの確信のない思いとは違う、とても新鮮で美味しいランチだった。

ランチのおかげで少し鋭気を取り戻して出来上がった私のメガネ3つもらって、東急田園調布都市線の電車とJR線で池袋まで。


池袋の駅はわかりにくくってちょっと疲れたせいかジュンちゃんと家族に会えてホッとした。ジュンちゃんが学生の頃、英語の勉強にサンタモニカの私たちの家でホームステイをしていた。
ジュンちゃんが日本に帰国してからも長いお付き合いで、現在は結婚して2人の子供もいるんのである度にふたりが大きくなっていていつもビックリ。

3日目の最終目的地と目的は板橋でシェフとしてロサンゼルスにいた旧友のマサキちゃんに会う事。マサキちゃんが働いていたレストランに毎週金曜日に他の友達と一緒に行った楽しい思い出いっぱい。
最後に彼に会ったのはほぼ20年前、新宿だった。
ひょっとしてあの頃の私は車椅子だったかも。
その後、彼はスペインとニュージーランドに移ってた。
彼は最近日本に戻って、東京の板橋に彼の新しいレストラン、スペース カフェをオープンしたので、私たちは彼の新しいレストランに行くって誓った。

ジュンちゃんはとても気がつくので、マサキちゃんのレストランの近く前に、かつてその辺に住んでいた彼女の夫、壽君と一緒にどこか行ける場所を選んでくれて、「東京大仏」へ。

東京に大仏があることを知らなかったのでビックリ!
「東京大仏」は阿弥陀如来。

調べて見たら、東京・板橋赤塚にある東京大仏浄蓮寺は、600年の歴史があります。このお寺は徳川将軍の鷹狩りの休息所。土台からの高さは13メートル、頭だけで3メートル。
重さは32トン。

完成当時は東大寺の奈良大仏、高徳院の鎌倉大仏に次ぐ日本第3位の大仏。

目を見張るような奈良東大寺大仏と鎌倉大仏とは違い、東京大仏は、東京の最も忙しい都市で波動をリラックスさせる優しい魂を持っているかのようにやさしい眼差しだった。

阿弥陀如来は、苦しみのない世界で人々を救うために「楽園」を創造した仏です。
手を合わせて「南無阿弥陀仏」と言うことをすすめている。

 

たくさんの写真を撮って、ジュンちゃんの息子のイッケイ君が、踊ってくれて楽しい時を過ごした。彼はアメリカに留学したいそうなので、母親の純ちゃんのように我が家にホームステイする事になるかも。それは過去と未来を共有する二重の思い出。実現するといいね。

 

東京大仏の次に、私が植物園(自然に触れたい)に行きたいリクエストしていたので、大仏から歩いて行ける自然に恵まれた散歩コースの赤塚植物園を選んでくれたみたい、感謝。

武蔵野の面影を今に残す赤塚の丘陵地を利用し、自然や植物をより身近に感じてた赤塚植物園は、1981年(昭和56年)10月に開園。

途中、雨が降り始めたので、散歩を短くしなければなりませんでしたが、この植物園散歩の自然の中で過ごした短時間は天からの贈り物だったみたい。私はエネルギーを取り戻し、最終目的地に心良く向えた。

 

途中、雨が上がって車でマサキちゃんのお店を通りかかった時、マサキちゃんが外に出て空を見上げていたのを見た。彼には聞こえないと思ったけど、と大声でエリックと「マサキ!」と叫んでた。
エリックはすぐさま車を降りて行った。

Masaki said later to us, “It might be a rainbow after the rain, so I was outside, but instead of the rainbow, Eric came!” with his big smile!!!

 

マサキちゃんは「雨上がやんだから虹が見えるかもって外に行ったら、虹の代わりにエリックが来た!」と言いながらビッグスマイル!!!

20年ぶりの再会実現!

マサキちゃんのお店は開店して一週間ほどだったので、一人で接客、オーダー取り、調理、片付けをしてた。頑張ってる彼に感銘しちゃった。

マサキちゃんのレストランではクニさんと彼の妻、クミちゃんに会う約束もしてた。
クニさんはエリックと一緒に20年以上も前にタヒチで仕事をしていて、クミちゃんは犬が大好きで、共通のつながりがあった。

マサキちゃんの洗練された美味しいお料理を食べながらみんなで楽しい時間を過ごした!

おいしい物を食べながら昔の友達に会えるのは最高だね!(お料理に写真撮るの忘れちゃった〜。)

 

マサキちゃんのレストランを出た後、ジュンちゃんの娘のマコちゃんが「ジェラート食べに行く?」と言ったので、
宿泊地の世田谷へ行く途中の祖師谷大蔵駅近くのア・ラ・カンパーニュに立ち寄ってみた。

私はジェラートは食べなかったけど、デザートとしてかわいいバッグを買ってもらったんだよ。

周りにはかわいいお店がたくさんあって。
ジェラートの後、通りかかったときに閉店していたけど、私の目についいたのは「グリーンマインド」というお花屋さん。
次回行くことがあれば必ず行ってみたいお店で楽しみがふえたね。

よく計画して決行できた事、予想外に起こった事をした事、そして将来の計画。

2023年春の日本旅行の3日目を締めくくる素晴らしい一日だった。

Love, Sanae ❤️

春の日本旅行日記2023年2日目千葉から東京

日本の春の旅1日目の夜はカエルの合唱で眠って、2日目の朝は雨音で目が覚めた。
春の雨はやみそうもなかった。

予定は鵜原理想郷 にデコちゃんと星野先達山伏さんとその生徒さん達とハイキングに行く事になっていたんだけど雨で中止。
かわりにデコちゃんがシンギングボウルヒーリングに招待してくれた。

デコちゃんとお喋りしててエリックにシンギングボウルヒーリングに行くって言わないで行っちゃったんだよ。
全部日本語だったし多分エリックはシンギングボウルヒーリング初めてだから大丈夫だったか気になってあまりリッラクスしてなかった私(笑)。

終わってから参加者全員が一人づつ感想をシェアーになってエリックは「シンギングボールの音はスムーズに体に入って心を落ち着かた。」と答えて私はびっくり。

エリックが 10 日間のヴィパッサナー瞑想に参加したときのことを思い出しました。彼は最初はヴィパッサナー瞑想コースに行きたがらなかったけど、ちゃんと終了して家に帰って来た。10日間、毎日何時間も座っているのは大変だったと言いましたが、それは彼にとって有意義な経験だったと友達に話してた。
エリックはスポーツが大好きで肉体で物事を考えているように外見は見えます。でもただの肉体人間ではないと今だに時々私を驚かせてくれる夫友達。

シンギングボウルヒーリング終わった後、星野先達山伏さんヒーリングを少し見学できた。雨さん、ありがとう。

何があるかわからないのが旅の楽しみのひとつだね。

その後は、週末だけ薪窯で焼いているパン屋さん” Acoustic,” に連れて行ってもらった。可愛いお店で美味しそうなパンとカルダモンロールとかが並んでた。

すぐ食べたい気持ちをこらえて後で電車に乗って東京に行く時のおやつ用に買った。
みんなで記念写真。

 

ブラウンズ フィールド のライス テラス カフェで、新作の玄米パスタなどを購入。パスタ大好きな私たちはサンタモニカに帰ってから食べてみるのが楽しみ!

本当はハイキングで食べる事になっていたお弁当をデコちゃんと最後の楽しいおしゃべりしながら食べた。短い滞在だったけど、Brown’s Field にまた来れてデコちゃんの頑張っているのを見て、希望と力をもらい、またそこに戻ってくると誓った。


JR外房線わかしおに乗って食べた”Acoustic”のカルダモンロールは噛めば噛むほど美味しかった。

 

東京駅での乗り換え。
東京駅は1日当たりの列車発着本数は約3,000本、400,000人が入れ替わるという日本を代表するターミナル駅の東京駅で中央線に乗り換えする時には息もできないくらいの目の回る人混み。東京には叔母がいて中学校くらいから実家の名古屋から遊びに行っていたがいつもここには住めないって思った。その気持ちはこの東京駅を見てもっと現実化した。

Arriving in Shinjuku, in the rain, we went to the green Italian restaurant 新宿に着いて雨の中、待ち合わせのグリーン イタリアンレストラン「 トルチャ」”Torcia” へ。

トルチャは以前、チャヤマクロビオティクスで3回ほど行った事があったレストラン。1年半前くらいにヴィーガンメニューを気軽に楽しむことのできるヴィーガンフレンドリーなイタリアンレストランとして新しいトルチャが開店。雰囲気はあまり変わってないように見えたが全てイタリアンになってヴィーガンだけではなくメニューは豊富だった。Trucha is a restaurant 

私たちは全員で7人だったのでヴィーガンメニューをほとんど全部オーダーして、みんなでお味見、お料理はクリエイティブできれいで美味しかった。
12コースのテイスティングメニューをしたって感じ!

私が気に入ったのはプラントベース雲丹と生湯葉の濃厚豆乳カルボナーラと苺の生絞りVegan錦糸モンブラン!

 

 

 

マクロビオティックの「和の会」でご活躍されている講師の先生と活動者のみなさん:永井 邑なかさん、櫻井 裕子さん、千葉 芽弓さん、七林 秀郷君 有沢奈々さんに会う事になって、初めて会う方々もいらしたので行く前私は少し緊張気味だったにもかかわらず、みなさんがとても暖かい方ばかりで打ちとけられて感謝の気持ちでいっぱい。ありがとうございます!



今回はみなさんとお会いする事ができて本当に有意義な時間を過ごせました。

みなさんとこれからつながって日本でワークショップやトークができたらいいなと願います。

楽しくお話をして別れが惜しいくらいの気持ちでみなさんとお別れしてエリックと私は東京の宿泊地世田谷へ。新宿駅から今度は小田急線に乗った。

世田谷にはペッペーダイン大学時代からの友人がいてそこの愛犬リンゴちゃん(ビーグル犬)に歓迎をしてもらってお土産の犬用クッキー、シャンプーなどを渡した。

 

たくさん歩いて腫れていた足をお風呂でマッサージして日本のマクロビオティックの話を聞いた興奮から気持ちは醒めないまま二日目の夜の眠りに入った。
❤️Sanae

春の日本旅行日記2023年1日目千葉


日本で姪の結婚式に出席。日本での10日間旅行。
2023年春の日本日記。
第1日目:
東京の羽田空港に午前4時30分に到着。
飛行はスムーズで予約しておいたビーガン食は結構良かったので出発前に作って持って行った玄米おにぎりと一緒に食べた。

飛行機内ではあまり眠れない私は映画を2つ見て、新しいセーターを編み始めた。


ロスを午前1時ごろ出発して11時間半後、羽田空港に到着してまだ外は暗かったので私の頭の中は混乱しているようだったが、4年振の日本でワクワクした気持ちがその混乱を吹き飛ばしてくれた。本当なら2年前に姪の結婚式が予定されていたがパンデミックがあって2年延期になってこの2年間待っていた気持ちがワクワクを大きくしたようだった。

2001年に臨死体験をするほどの酷い交通事故で両足を重症して以来、空港での移動は車椅子を使って足をケアー。
今回、羽田空港で木製の車いすを使う事になってびっくり大喜び。

日本航空(JAL)が空港施設内の移動をスムーズ(そのまま保安検査場を通過可能)にする木製の車椅子を開発したとNHK World News 番組 で見たことがありますが実際に見るのは初めて。木製の車いすは柔らかい感触で体に馴染むようでとっても気に入った。 また車椅子の介助者の方も丁寧で、優しくゆっくりと押してくれ、本当に日本にいるんだなと感動。

 

FBのトークページ「Body Joy」をまさよちゃんとオーガナイズしている、逸子さんにそのトークに招待していただいた時にオンラインで出会った。今回私のクラスに参加という事で、とってもご親切に空港まで迎えに来て下さった。これは天からの贈り物だなと感謝してBrown’s Fieldに一緒に出発。

逸子さんとは実際初対面でしたが、ずっと前から知っていたような気がして、会った途端にたくさんたくさん車の中でフラワー レメディ、アニマルコミュニケーションの事など話していると、急にエリックが海底を走っているのかって聞いてきた。

そう私たちは東京湾アクアラインを通過してたのだ。
海底と海の間を走る珍しい道~東京湾アクアライン~
全長約15.1kmの有料道路です。川崎側に約10kmの海底トンネル「アクアトンネル」、木更津側に約4.4kmの橋「アクアブリッジ」。
エリックは初めて水面下/湾岸道路の下に行くことにとっても興奮。
東京湾アクアラインを過ぎてだんだん田舎道に入って行ってドライブは早く感じた。

Brown’s Fieldに到着すると、有機田んぼを20年営んでいる友人中島デコさんがお出迎え。

朝食を済ませ、マチネ (デコちゃんの娘) の初めての赤ちゃんを訪ねた。赤ちゃんのスイちゃんはとても可愛かった。


朝食を済ませ、マチネ (デコちゃんの娘) の初めての赤ちゃんを訪ねた。赤ちゃんのスイちゃんはとても可愛かった。
私は犬の赤ちゃんを産ませるお手伝いは45匹くらいしたので産まれたばかりの子犬を抱くのは慣れてるけど、卵巣癌で赤ちゃん産めなかったので人間の赤ちゃんあまり抱いた事なくってちょっと怖かった。でもこんな大切な時を持てて嬉しかった。

デコちゃんの美味しい自家製「桜あずき蒸しパン」最高だった。
桜の花の塩漬けきれいだった。

 

その後、エリックが地元のフォイルサーファー、ジュンさん(TEDというサーフショップを経営)と彼の友達と一緒にフォイルサーフィンを計画していた九十九里浜ビーチに。

日本のビーチはここサンタモニカのように白い砂浜が長いものがほとんどないけど、九十九里浜は66kmもある白い砂のビーチ。海が大好きな私は子供の頃にこのビーチの事を聞いたことがあり、いつか行ってみたかった。私がそこにいるのは夢のようだった。

風がすごく強くってフォイルサーフィンには最高日和。エリックは素早く着替えてすぐ海に。

 


逸子さんと愛犬の茶々丸と一緒に風が吹く浜辺を満喫しました。
茶々丸は初めての海遊びで、とても楽しそうだった。


エリックは海に残り、私はBrown’s Filedに戻り、逸子さんと一緒に、Rice Terrace Cafe で昼食。
春のフラワー レメディと薬草茶 with マクロビオティックのクラスを教える準備。

 

その間、エリックは他のローカル フォイル サーファーと、3.5 時間以上フォイルサーフィン。私のクラスをヘルプしてくれるはずが、きっと楽し過ぎたのでしょう!
日本に到着したばかりで、私がサンタモニカで作った玄米おにぎり一つだけのランチだけでこんなスタミナいっぱいのエリックに感服。

Brown’s Filedに戻って来たエリックはローカルのサファーと会ってジュンさんの家族にも会ったと大喜び。

 

それと私があげたおにぎりがなかったらきっと腹ペコでどうしたかわからなかったとおにぎりのお礼をしてくれた。もちろんお腹まだ空いてたから私のお昼を残しておいてあげたのをむしゃ食いしてた。

 

私のクラスはエリックいなかったけど、生徒さんがヘルプしてくれてとてもうまくいきました。
日本でクラスを長い間教えていなかったのでどのように教えようか考えて、サンタモニカから使う薬草の押し葉と3種類のブレンド薬草茶を持って行って良かった。

参加者のみなさんは、熱心に学び、質問は礼儀正しく丁寧でとても楽しかった。
このクラスがうまくいったのは、昨年オンラインのフラワー レメディ クラスを受講した鈴木恵子さんのおかげでもありました。
彼女はフットマッサージセラピストで、クラスの後にフットマッサージをプレゼントしてくれました。彼女の心の強さは、彼女が私の足をどのようにマッサージしたかでよ~くわかりました。ありがとう恵子さん!I enjoyed it a lot. 

 

 

夕食はBrown’s Filedのスタッフとボランティアのみんながデコちゃんとおいしく作ってくれました。私たちの一番のお気に入りは、近くの竹林で採って来た竹の子で作ってくれた葛ソースの竹の子ボール。エリックは作り方を聞いてたからいつかサンタモニカでも食べられるかも。
長年の友達であるデコちゃん、新しくお友達になった逸子さんと、そしてブラウンズフィールドの方々と一緒に過ごし心が温まった。
再び私の故郷である日本にこうして健康で行けた事に感謝。

 

夜、寝心地が良いお布団に横になっているとカエルの合唱が昼間より響いて、午前3時頃に外に出て座ってた。


見つめる空は曇天で残念ながら星は何も見えず田んぼも目を閉じているかのように真っ暗。



ただカエルの声だけが私の心を休めてくれた。
日本の春2023年の一日目だった。

❤️Sanae

春はお漬物作りの季節!  

アメリカに移住して多くのことを学び、中でもマクロビオティックで五行の身土不二を勉強した事は私の人生を変える重要な教訓の1つ。

四季折々に暮らしながらたくさんの人々が生きている日本で育ち、季節という言葉はよく耳にした。実際には昔から人々は春・夏・晩夏・秋・冬の五季を大切に生きてきたので、五行をすぐ納得。

小さい頃に祖母や母がしていた「※季節の手仕事」。 ※季節の手仕事とは、季節ごとに自分の手で何かを作ること。30年程、住んでいる南カリフォルニアのサンタモニカには、はっきりした四季や五季らしいものはない、でも季節の変化はそれなりにあり、自然の変化を感謝しながら日本伝統の季節の手仕事を楽しんでる。

例えばここの冬は厳しいものではないが周りの大気・空気、そして自分の体のエネルギーの収縮と緊張に気づく。そんな冬に育つ野菜や果物に拝謝を捧げながら手仕事をする。

1月の季節の手仕事は、りんごジャムと柑橘マーマレード(通常はみかん)作り。でも、今年初めて夫とゆずマーマレードを作ってみたら、とても美味しかった。 キンカンシロップもこの時期に作ってお湯に注いで飲むと喉の痛みを和らげ冬には欠かせない。

2月は味噌作り。麦みそと米みそを少量ずつ作って、旧正月を祝い本当の意味での新年を感じる。

その後、サンタモニカには突然春が訪れ、毎年冬を押しのけます。春はエネルギーが湧き上がり、酸味のある味わいが五行で肝・胆のうの働きをサポート、という事で3月はぬか漬け。

新しい玄米糠を手でゆっくり炒りながら、何をこのぬか床に漬けて美味しいぬか漬けを作ろうか考えるのが好き。炒った糠を古い糠床に追加して、ぬか床完成。暖かくなる前のぬか漬けは、冬に育った大根とかぶがピッタリ。甘い味の人参もぬか漬けの酢ぱっさに最高に合う。白菜やキャベツも漬けて、暖かくなってきたらキュウリのぬか漬けは最高。後、春になると作るのは浅漬け(サラダのような味がする短時間で作れる漬物)。

日本では、漬物は古くからご飯やみそ汁と並んで主食の一つだった。

私の育った家でもよく各食事に漬物が出てきたんだけど私は若い頃、変なにおいがするし、塩っぱすぎて酸っぱすぎて、日本の伝統的な漬物があまり好きじゃなかった。食べるとしたら甘みのある麹漬けの漬物だけだったのを覚えてる。

母はいつも「あー、また漬物食べてないね…漬物は体にいいから食べなさい!」と言ってた。でも私が泣きそうになると「もう、仕方がないわね。大きくなったら漬物が好きになるから泣かなくっていいよ。」とも言ってくれた。母はなぜ漬物が体に良いのか、私が漬物を好きになるにはどれだけ成長しなければならないのかを決して教えてくれなかったけど、私も聞かなかった。

英語を勉強するためにアメリカに来たとき、まだアメリカの漬物(ピクルス)も好きにはなれなかったけどレリッシュピクルスを試してみたら、甘くて麹漬けの漬物のような気がして少し食べれた。

1993年(平成5年)にマクロビオティックを初めて勉強したとき、私たちの食事に漬物が欠かせないことを知った。漬物は歴史を通じて食品の保存を可能にし、漬物は世界のさまざまな地域で主食となっている事。発酵した漬物は、消化を助け、腸を強化し、食物を吸収し、病気と戦う乳酸菌を促進し、繊維、ビタミン、抗酸化物質の健康上の利点を提供し、食欲を高める。

私は母が言うように漬物を好きになれるくらい十分「成長」していたし、漬物がなぜ体にいいかを理解できた。それから手作りの漬物、日本の伝統的な漬物を作るようになった。毎年、5月が来ると梅干しも作りが楽しみ。(梅干し作りにレシピは英語ですが私のブログを参照。https://sanaesuzuki.com/2021/05/29/santa-monica-homemade-umeboshi-plums/)、ぬか漬け、味噌漬け、醤油漬け、その他、浅漬け、マクロビオティック レシピのプレス サラダのような非伝統的な漬物。

漬物は奈良時代(710~794年)に塩漬けの保存食として始まったと日本の歴史文献で読んだことがあります。そこに書いてあった事は、なすやメロンなどの野菜や桃などの果物が、主に寺僧のおかずとして塩漬けにされていたことがわかりました。

平安時代(794~1191年)に、春にワラビ、フキ、メロンを塩漬けにした漬物が導入されました.茄子、柿、梨を秋に塩、味噌、もろみ、酒粕で漬けました。

鎌倉時代(1180〜1336)から室町時代(1336〜1537)にかけて、茶道の発展と紋香(香)の使用により、人々はますます漬物を食べるようになり、感覚だけでなく、味覚や嗅覚で味や香りを感じるのではなく、その場の空気や香りを心で楽しむこと。これは主に、日本人が繊細で繊細な味覚や嗅覚を好むことが関係していると言えます。漬物には味覚や嗅覚を新たにする効果があるため、お茶会で供されました。

江戸時代(1600〜1868)になると、野菜の種類が増え、全国から多くの商人が江戸に集まるようになりました。その結果、さまざまなピクルスの作り方が考案されました。それまでは食品を保存するために漬けていましたが、研究により短時間で漬けることができるようになり、より手軽に食べることができるようになりました。

ぬか漬けの出現は、家庭の漬物作りに大きな影響を与えました。食糧不足や環境保全が問われるこのような時代に、再利用可能な米糠床は重要です。

明治時代(1868〜1912年)、東京郊外やその他の都市部の農家が副業として沢庵漬けや奈良漬けを作り始めました。

大正(1912〜1926)と昭和(1926〜1989)の時代に、漬物製造業が活況を呈し始めました。

長い間にわたって、日本では驚くほど多様な漬物が作られてきていたんだと読んでわかり感動。現在、日本には1,200以上の漬物作りの会社があり、少なくとも5〜10種類のピクルスを作っているし、各家庭がその家庭で受け継がれてきたレシピで漬ける地元の自家製の漬物の他に、常に何種類の漬物が作られているか想像できますね。

残念な事にほとんどの市販のピクルスは、消費者の舌を麻痺させ、偽の風味を作り出すために、インスタント調味料MSG、非天然塩、および砂糖を使用しています。

やはり良質な天然塩素材を使った手作りの漬物は、安全で健康食品で味も抜群なので時間がかかっても自分で作るのが一番。

 
下記は、今日の日本の主な品種である9つの漬物です

1.塩漬け(塩漬け):最も古くからある一般的にどこでも誰でも漬けられるの漬物。

2. ぬか漬け:炒った米糠(米粒を精米する際に取り除かれた米の硬い外皮)、塩、昆布などを混ぜて発酵させて漬ける。家庭用漬物としては昔からある。

3. 粕漬け:漬物は、酒粕(酒を濾した後に残る酵母のもろみ)、塩、砂糖、みりんを混ぜて漬け込む。

4. 酢漬け:酢に漬けた漬物。米酢は漬物用として一般的に使用され、漬物にシャキッとした食感と甘酸っぱい風味を与える。梅酢は塩味と酸味が引き立ち、ピンク色になり大根や生姜などを漬けるのに使われている。その他リンゴ酢も使われる。

5. 味噌漬け:野菜を味噌に漬けて作る。

6. 醤油漬け:醤油ベースで漬け込みます。

7. 麹漬け:野菜、魚、その他の肉などを、麹に砂糖またはみりんと塩を混ぜて漬け込みます。

8. 辛子漬け:塩、辛子、酒などを混ぜて漬ける。

9. 浅漬け:短時間で白菜、大根、きゅうりなどいろいろな野菜で簡単漬ける。

 

私が春によく作っている漬物レシピをシェアします。

ぬか漬け(Love Sanae料理本から編集)

春らしい酸味と塩気、程よい辛味があり、シャキシャキとした食感と爽やかな風味が心地よい、私のお気に入りの漬物。

ぬか床:

  • 糠(玄米糠)1ポンド (454g)
  • 浄水 2カップ 
  • 天然海塩 大さじ2~4 
  • 昆布(5cm) 2 インチ四方 
  • 試し野菜 1カップの小さく切ったにんじん、キャベツなど

作り方:

1. ぬか漬けを作るには、最初のぬか床作りが肝心。大きめのフライパンを中火にかけ、糠の色が少し変わり、ふすまの香りが強くなるまで乾煎りします。焼き色がついたら火を止めて冷ます。

2. 小鍋に湯を沸かす。海塩を加えて混ぜ合わせます。昆布を加え、火を止めて肌温に冷まします。

3. 冷ました糠をセラミック製の壷、木製の樽、またはエナメルかガラスの容器に移します。塩、水を混ぜたものを加えます。手で材料をそっと混ぜて、昆布も加えて玄米ぬか床の土台を作ります。

4. 小さく切った試し野菜 (キッチン タオルで水気をふき取ります) を加え、発酵プロセスを促進します。清潔な綿の布で容器を覆い、一晩冷蔵庫には入れないで日のあたらないところに置きます。

5. 次の3~5日間、1日1回手(手は清潔に洗って乾かして)で糠を混ぜます。この後、試し野菜 を取り除いて捨てます(私はお庭の堆肥箱に入れます)。これでぬか床でおいしい漬物を作る準備が整いました。

6. 野菜の種類にもよりますが、1日~2日か1週間で食べごろになります。根菜や大きめの野菜は時間がかかり、葉物野菜や小さめの野菜は短時間でできます。例えば、人参は2~3日、丸ごと赤ラディッシュは1日、丸ごと小キュウリは1日。大根や赤ラディッシュそしてきゅうりなど水分が多い野菜は外で1日くらい干す事をお勧めします。

7. 野菜を加えたら、容器を冷暗所に置き、*毎日混ぜて出来上がった野菜から取り出し、新しい野菜を入れていく。食べる時は必ず水で糠を洗い流してください。

*毎日混ぜることができない場合は、冷蔵庫に数日から1週間置いておくことができます。置きすぎると野菜の酸味や塩気が増すので気をつけて下さい。しばらく留守(1ヶ月くらいまで)をして混ぜる事が出来ない時、ぬか床 を野菜なしで冷蔵庫に保管してください。その場合、またぬか床 を復活させるには新しく炒った糠を古いぬか床に追加してリフレッシュすることで、ぬか漬け作りを大体再開できます。でも水分が多すぎたりしたら初めから作り直しをお勧めします。

 

あさ漬け 白菜のピクルス

シャキシャキであっさりした野菜が好きな方に、さっぱりとした味わいが人気のお漬物です。

材料

  • 白菜 500g(全体の約半分)
  • 天然海塩 10~20gの(野菜の総重量の2~4%)
  • 昆布 1枚 5cmx8cm/2”x 3.2″(野菜の重さの約0.5~1%)
  • みじん切りの生姜 5g(お好みで)
  • 種なしの乾燥赤唐辛子 2~4個 輪切りにして味を調えます(お好みで)
  • 水(容器の1/3)
  • 重さ – 野菜の重さの約1.5~2倍

1.*白菜を切る: 白菜の根元から約5cmの深さに切り込みを入れ、2つに裂きます。さらに同じように包丁を入れてちぎり、4つに割る。キャベツが大きい場合は6~8 等分に分割してもいいです。

 

2. 漬ける容器の容量の1/3程度の水を加え、塩を加えて溶かす。

3. キャベツを同じ方向に並べる。 2 番目のものを重ねる必要がある場合は、1 番目の層に塩の半分を置き、赤唐辛子と昆布を振りかけます。残りの白菜を反対方向に並べ、2列目に並べ、残りの塩をふりかけます。手のひらでしっかり押さえながら塩水を念入りに塗るようにかけると、水が上がりやすくなります。

4. 落し蓋をして、おもり(私は大きな川石を使ってます)で押します。

薄手の布巾をかぶせて12~24時間放置(寒い時期は24~48時間放置)

5. 食べ頃になったら、食べる分だけ取り出し、漬物汁を絞り、水ですすいでからもう一度絞る。

6. 食べる前に一口大に切り、お好みで**薬味を添える。

*白菜を切る:キャベツを早く漬け込みたい場合は、細かく切ってください。

**薬味:お好みで、いりごまやゆず、レモン、皮などの柑橘類の果汁、おろし生姜を加えるとさらに美味しくなります!

 

豆もやしのサラダ風浅漬け

いつものピクルスとは違い、母が私の好みに合わせてサラダのような歯応え、そして塩気を抑えて作ってくれ、子供の頃も美味しく食べられたもの。今でもおかずとして作ります。

材料

  • 大豆もやし 1ポンド・453g(水ですすぎ、水気を切る)
  • 天然海塩 小さじ1杯
  • 浄水 1/2カップ
  • ネギ  1 本(みじん切り)
  • 炒りごま  小さじ1
  • 炒りごま油  小さじ1~2
  • みじん切り にんにく 1~2片を細かく切る(お好みで特に肉・魚を食べる人用)

1. 鍋に豆もやしを入れます。塩と1/2カップの水を加えて蓋をします。中強火で5分間沸騰させます。水を切る。

2. 茹で上がった豆もやしをボールに入れてネギ、炒りごま、炒りごま油を加えて手でよく混ぜる。

3. その上に蓋として軽量プレートを置き、1時間プレスします。

4. 盛り皿に移します。ご飯のおかずとしてどうぞ。

 

私の春の漬物と薬草茶のクラス3月5日。

春のお漬物をぜひ作ってみて下さいね!

Love, Sanae❤️

この”春は漬物作りの季節!”は「Macrobiotic Today」2023年3月15日号に寄稿したものを日本語に訳したものです。

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